116 / 214
115密偵からの警告
しおりを挟む
密偵は、皇帝を見上げて言った。
「皇子は、案外きちんと仕事をされていますよ。彼お得意の薬をもって、工芸品を大量に巻き上げているようです。ソラには、かなり中枢にまで入り込めているようでしたが……」
「ソラで何かあったのか?」
「まだ詳細については調査中なのですが、ソラ王が死亡。皇子と手を組んでいた宰相も死んだという情報が入ってきています。まだ確証を得ておりませんが、おそらく真実かと」
ソラ王の死は、帝国が用意していた筋書き通りだ。しかし、協力者の突然死は、あまり喜ばしくはない。まだ帝国側が掴みきれていない、敵対する何かがある事の証左となるからだ。けれど、ここで不利を悟って撤退するような国柄ではないため、とりあえず淡々と事実のみを述べていく。
「ソラでは、前王の長男が新王として立ったようです。それ以降、王宮にはかなり厳しい警備体制が敷かれています」
「なるほど。予定通りではないが、その程度の変更ならば構わん。王が替わると、国は大抵荒れるものだ。クレナも王がアレな上、民も弱っているならば、少し突くだけで勝手に自滅するだろう。引き続き二国間で争わせておけばいい。漁夫の利を得るのは、我が国だ」
「では、行軍はいつ頃になりますでしょうか?」
皇帝は、大陸の地図を頭の中で広げる。
「確か、ソラの手前には高い山脈がそびえているな。これから本格的に冬がやってくると、雪が邪魔して動けなくなるだろう。だが春には、あちら側へ越えておきたいものだ」
いつもならば、ここで話は終わる頃合いだ。しかし密偵は動かない。皇帝は、訝しげに配下を見下ろした。
「まだ何かあるのか」
「恐れながら、セラフィナイト様より届いた情報で、気になる事がございます」
「もったいぶるな。早く申せ」
密偵は、躊躇いがちに口を開く。
「ご存知の通り、クレナとソラには神具という伝統的な工芸品がありますが、あれらは神気と呼ばれる神の力をもって何らかの機能を発動させる道具らしいのです。その神の力とやらは、自然現象とも違う上、仕組みは未だに解明できていないとのこと」
皇帝は、心底呆れた様子で溜息をついた。
「何が言いたい? セラフィナイトが危険な目にでも遭って、怖気づいているのか? であれば、オリハルコン製の剣でも送ってやれ。大抵のものは、簡単に切り刻んでくれるはずだ」
「いえ、そういうわけではないようです。ただ、かの二国では、あらゆる物に神が存在するばかりか、死んだ者も神になる場合があるということで、論理的には証明できないような奇跡を起こすらしく……」
「もういい。クレナへ行って、お前まで頭が悪くなったのか。どうせ王女が奇跡を起こすというのも、せいぜい聴く者を籠絡するような話術があるとか、睡眠を促すような演奏ができるなど、そういったものに過ぎないに決まっている。面白そうな娘故、妃として取り立ててやろうかとは考えているが、本気で国を富ませるような奇術ができるとは思っていない」
「ですが、私も滞在中に聞いた話では……」
「もう下がれ。そういった迷信など無視せよ。きっとこれは、あの国々の策略の一つだ。お前のような密偵までそれに乗せられてどうする?」
これ以上言い募ると、いよいよ物理的に首が飛びそうだ。仕方なく密偵は、本当に土地が生まれ変わって、川すら生まれるという奇跡が噂になっているとも言えず、すごすごと引き下がったのである。
◇
同じ頃、鳴紡殿。珍しく早くに起き出してしまったコトリは、やけに目が冴えるので二度寝するのを諦めて、文机に向かっていた。
筆をとって、さらさらと文をしたためている。宛先はソウ。地方遠征で流民と遭遇した際、ヨロズ屋で貰った神具がなければ今頃どうなっていたことか。気を利かせて渡してくれたラピス少年への礼もあるが、店の物をまた無料で受け取ってしまった詫びも伝えねばならない。
出発前はソラへ所用があって不在とのことだが、そろそろ戻ってきているだろうか? 本当は店へ顔を出したいところだが、きっと忙しくしていることは想像できる。故に、文で我慢するのだ。
筆を置いて、目を閉じる。ソウの姿が記憶の中に蘇った。
最近の彼は、初めて会った頃と比べて、ますます男ぶりを上げた。顔つきがますます精悍になり、その洗練された仕草は女の脳を溶かすような甘さと魅惑に満ちている。元々、大店の店主でありながら、珍しい神具をほいほいと作ってしまう腕利き職人でもあるソウ。そんな彼と二人きりで会い、手を握ったことを思い出すと、どうしても浮ついてしまうのだ。
気がつくと、コトリは赤く火照った頬を両手で挟み込み、動けなくなっていた。
「駄目よ、駄目。私は、カケル様のものになるのだから」
コトリは、墨が乾くと文を折り畳み、女官を見つけてヨロズ屋への配達を願い出た。もちろん、駄賃の銭も多めに握らせる。
臨時収入に舞い上がる女官の後ろ姿を見送りながら、コトリはふっと呟いた。
「ソウ様が、カケル様だったら良かったのに」
どうしてソウとカケルを結びつけてしまうのか。どうしてソウに惹かれてしまうのか。コトリはまだ、その理由を知らない。
「皇子は、案外きちんと仕事をされていますよ。彼お得意の薬をもって、工芸品を大量に巻き上げているようです。ソラには、かなり中枢にまで入り込めているようでしたが……」
「ソラで何かあったのか?」
「まだ詳細については調査中なのですが、ソラ王が死亡。皇子と手を組んでいた宰相も死んだという情報が入ってきています。まだ確証を得ておりませんが、おそらく真実かと」
ソラ王の死は、帝国が用意していた筋書き通りだ。しかし、協力者の突然死は、あまり喜ばしくはない。まだ帝国側が掴みきれていない、敵対する何かがある事の証左となるからだ。けれど、ここで不利を悟って撤退するような国柄ではないため、とりあえず淡々と事実のみを述べていく。
「ソラでは、前王の長男が新王として立ったようです。それ以降、王宮にはかなり厳しい警備体制が敷かれています」
「なるほど。予定通りではないが、その程度の変更ならば構わん。王が替わると、国は大抵荒れるものだ。クレナも王がアレな上、民も弱っているならば、少し突くだけで勝手に自滅するだろう。引き続き二国間で争わせておけばいい。漁夫の利を得るのは、我が国だ」
「では、行軍はいつ頃になりますでしょうか?」
皇帝は、大陸の地図を頭の中で広げる。
「確か、ソラの手前には高い山脈がそびえているな。これから本格的に冬がやってくると、雪が邪魔して動けなくなるだろう。だが春には、あちら側へ越えておきたいものだ」
いつもならば、ここで話は終わる頃合いだ。しかし密偵は動かない。皇帝は、訝しげに配下を見下ろした。
「まだ何かあるのか」
「恐れながら、セラフィナイト様より届いた情報で、気になる事がございます」
「もったいぶるな。早く申せ」
密偵は、躊躇いがちに口を開く。
「ご存知の通り、クレナとソラには神具という伝統的な工芸品がありますが、あれらは神気と呼ばれる神の力をもって何らかの機能を発動させる道具らしいのです。その神の力とやらは、自然現象とも違う上、仕組みは未だに解明できていないとのこと」
皇帝は、心底呆れた様子で溜息をついた。
「何が言いたい? セラフィナイトが危険な目にでも遭って、怖気づいているのか? であれば、オリハルコン製の剣でも送ってやれ。大抵のものは、簡単に切り刻んでくれるはずだ」
「いえ、そういうわけではないようです。ただ、かの二国では、あらゆる物に神が存在するばかりか、死んだ者も神になる場合があるということで、論理的には証明できないような奇跡を起こすらしく……」
「もういい。クレナへ行って、お前まで頭が悪くなったのか。どうせ王女が奇跡を起こすというのも、せいぜい聴く者を籠絡するような話術があるとか、睡眠を促すような演奏ができるなど、そういったものに過ぎないに決まっている。面白そうな娘故、妃として取り立ててやろうかとは考えているが、本気で国を富ませるような奇術ができるとは思っていない」
「ですが、私も滞在中に聞いた話では……」
「もう下がれ。そういった迷信など無視せよ。きっとこれは、あの国々の策略の一つだ。お前のような密偵までそれに乗せられてどうする?」
これ以上言い募ると、いよいよ物理的に首が飛びそうだ。仕方なく密偵は、本当に土地が生まれ変わって、川すら生まれるという奇跡が噂になっているとも言えず、すごすごと引き下がったのである。
◇
同じ頃、鳴紡殿。珍しく早くに起き出してしまったコトリは、やけに目が冴えるので二度寝するのを諦めて、文机に向かっていた。
筆をとって、さらさらと文をしたためている。宛先はソウ。地方遠征で流民と遭遇した際、ヨロズ屋で貰った神具がなければ今頃どうなっていたことか。気を利かせて渡してくれたラピス少年への礼もあるが、店の物をまた無料で受け取ってしまった詫びも伝えねばならない。
出発前はソラへ所用があって不在とのことだが、そろそろ戻ってきているだろうか? 本当は店へ顔を出したいところだが、きっと忙しくしていることは想像できる。故に、文で我慢するのだ。
筆を置いて、目を閉じる。ソウの姿が記憶の中に蘇った。
最近の彼は、初めて会った頃と比べて、ますます男ぶりを上げた。顔つきがますます精悍になり、その洗練された仕草は女の脳を溶かすような甘さと魅惑に満ちている。元々、大店の店主でありながら、珍しい神具をほいほいと作ってしまう腕利き職人でもあるソウ。そんな彼と二人きりで会い、手を握ったことを思い出すと、どうしても浮ついてしまうのだ。
気がつくと、コトリは赤く火照った頬を両手で挟み込み、動けなくなっていた。
「駄目よ、駄目。私は、カケル様のものになるのだから」
コトリは、墨が乾くと文を折り畳み、女官を見つけてヨロズ屋への配達を願い出た。もちろん、駄賃の銭も多めに握らせる。
臨時収入に舞い上がる女官の後ろ姿を見送りながら、コトリはふっと呟いた。
「ソウ様が、カケル様だったら良かったのに」
どうしてソウとカケルを結びつけてしまうのか。どうしてソウに惹かれてしまうのか。コトリはまだ、その理由を知らない。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。アメリアは真実を確かめるため、3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる