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114帝国の思惑通り
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サヨとミズキがまだ睦み合いの名残りを楽しんでいた頃、帝国。帝都もまた、朝が訪れていた。まだ空は少し薄暗い。陽が昇り始めると、皇帝の真っ白な居城と、石造りの歴史ある街並みが赤く染まり始める。
皇帝は、今朝も早く目覚めてしまった。年のせいかもしれない。日課のように、城の東の端にある高い塔へ向かう。侍従に淹れさせた紅茶を啜りながら書類に目を通していると、遠くの方から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。これは、後宮の方角からか。まだ静かな時間帯のため、甲高い叫びはよく通る。侍従は、眉間に皺を刻んだ皇帝の顔を見るやいなや、すぐさま囁いた。
「おそらくは、先日お生まれになった三十二番目の皇子殿下かと」
皇帝は先日誕生日を迎えたばかりで、五十三歳になる。にも関わらず、未だに妃達は定期的に妊娠出産を繰り返し、子どもは増えるばかりなのだ。
その時、ふと不自然な気配が舞い降りる。
「どうした」
彼、皇帝の密偵は、いつの間にか朝日を背にして佇んでいた。突然現れるのは日常茶飯事。侍従達も取り乱したりはしない。爽やかな朝には不似合いな黒装束が、すっと皇帝の足元で片膝をついた。
「先ほど、クレナからの使節団が戻りました。私も護衛として行って参りましたので、ご報告をしたく」
「聞こう」
密偵は、まず、クレナとの交渉は概ね帝国の思い通りに進んでいることを説明した。
クレナは、いずれソラを討つべく、帝国の兵器を欲している。その対価として、工芸品を差し出させているのだが、そろそろそういった文化的なものも底をつきて、わざわざソラからそれらしい物を輸入しているという。帝国からすれば、クレナ産であろうと、ソラ産であろうと、そこに違いは感じられない。自国の貴族共に高値で売り払うことができさえすれば、それで良いのだ。
「それで、民衆の様子は」
「確実に、効いていると思われます」
皇帝は仄かに笑みを浮かべる。これまで多くの国々を陥落させてきた経験から言って、これは順調そのものだった。
国と国の戦いは、何も武力衝突だけではない。まずは互いに腹を探り合い、様々な方法で徐々に力を削いでいく事が定石。文化的な物を奪われ、精神的な拠り所を失くした民は、脆く崩れやすいものだ。国の根幹たる民自体を弱体化させれば、いくら人海戦術で抵抗してこようとも、圧倒的な帝国の軍事力を前に混乱することは必至。きっと、為すすべもなく白旗を上げるだろう。
「また、兵器の指南役として、帝国軍を向かわせることについても、受け入れの了承が得られました」
クレナ王は、事もあろうに、帝国軍を合法的に国内へ入れることを認めてしまったのだ。王本人は、これで強大な兵器が自国で使いこなせるようになると喜んでいるわけだが、そうは問屋は卸さない。
何も、帝国の軍がクレナ王の指示に従うわけがないのだ。もっと言えば、都に入れたが最後。王宮が占拠され、自らの首が取られるところまで、全く想像が至っていないらしい。
「馬鹿なのか、あの国は」
「そうかもしれません」
これには、密偵も肯定することしかできなかった。ソラ以外と国境を接していないクレナは、長い間ほぼ鎖国状態。だとしても、ここまで頭の悪い外交しかできず、簡単に騙されてしまうとは、クレナ国民が気の毒に思える程だ。
「後は、お望みの姫を無事に手に入れるだけです」
実は今回、コトリの拉致も試みていたのだが、謎の暗殺部隊に阻まれて叶わなかったのだ。
「顔は見たか?」
「はい。今は、こちらの目を誤魔化すためなのか、王女を名乗らずに楽師団とやらに在籍している模様。一応、美姫の類ではあるのでしょうが、かなり平坦な顔です。主様のお好みに合うかどうか……」
「肝心の演奏はどうなのだ? 様々な噂が飛び交っているようだが」
「使節団に対して演奏が行われましたので、聴いてまいりました。確かに素晴らしいと言えるのでしょうが、それ以上のことは不明です」
シェンシャンが起こすという奇跡については、実際に確認することができなかった、という意味である。密偵は咎められるかと思って一瞬身構えたが、皇帝に気を害した様子はない。
「うむ。では、あいつはどうしている?」
「セラフィナイト様ですね」
セラフィナイトは、皇帝の実子で、十三番目の皇子にあたる。成人している皇族の中では、最も若い部類。普通であれば、それ相応の役目が与えられて、華やかな生活を送ることになるのだが、彼の場合は異なっていた。
通常、皇帝は支配下に置いた国の姫の中から一芸に秀でた者を自らの妻として娶り、生まれた皇子は、成人すると母親の故郷へ送られる。そして、新たな王や政治の中枢を担う人物として据えられる流れになることが多い。そうすることで、帝国は各国から継続的に利を吸い上げ続けているのだ。
しかし、中には例外がある。俗に言う、出来損ないが現れるのだ。
セラフィナイトは、幼少の頃は将来が期待された皇子だった。帝国基準で美男にあたり、頭も悪くない。行動力もある。しかし、十代も半ばに差し掛かった頃から、素行の乱れが目立ち始めた。
帝都の裏社会を牛耳り、禁止薬物の取引で私財を肥やすだけでなく、公務をないがしろにして全く城に帰ってこない。娼館に通い詰めているのも、評判が悪い理由の一つだ。
そうやって好き勝手やっていたセラフィナイトだが、ついに皇帝から最後通告が出される。一生、城内の塔に幽閉されるか、真面目に仕事をするか、どちらかを選べと言われたのだ。
その仕事こそが、クレナやソラへの工作活動だった。この二国は、帝都から遙か東にある辺境。しかも文化的にも未発達で、野蛮な土地。誰も好き好んでそんな所へは行きたがらないので、実質左遷という扱いになる。
しかし、いずれ対陸を統一したいと考える皇帝にとって、未だ自らの影響力の薄い大陸東部の国を手中に収めるのは、今後の足がかりとして大変重要である。
何せ、皇帝も五十を過ぎた。年をとっている。生きているうちに野望を叶えるためには、誰かを遣らねばならないという事情があったのだ。
皇帝は、今朝も早く目覚めてしまった。年のせいかもしれない。日課のように、城の東の端にある高い塔へ向かう。侍従に淹れさせた紅茶を啜りながら書類に目を通していると、遠くの方から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。これは、後宮の方角からか。まだ静かな時間帯のため、甲高い叫びはよく通る。侍従は、眉間に皺を刻んだ皇帝の顔を見るやいなや、すぐさま囁いた。
「おそらくは、先日お生まれになった三十二番目の皇子殿下かと」
皇帝は先日誕生日を迎えたばかりで、五十三歳になる。にも関わらず、未だに妃達は定期的に妊娠出産を繰り返し、子どもは増えるばかりなのだ。
その時、ふと不自然な気配が舞い降りる。
「どうした」
彼、皇帝の密偵は、いつの間にか朝日を背にして佇んでいた。突然現れるのは日常茶飯事。侍従達も取り乱したりはしない。爽やかな朝には不似合いな黒装束が、すっと皇帝の足元で片膝をついた。
「先ほど、クレナからの使節団が戻りました。私も護衛として行って参りましたので、ご報告をしたく」
「聞こう」
密偵は、まず、クレナとの交渉は概ね帝国の思い通りに進んでいることを説明した。
クレナは、いずれソラを討つべく、帝国の兵器を欲している。その対価として、工芸品を差し出させているのだが、そろそろそういった文化的なものも底をつきて、わざわざソラからそれらしい物を輸入しているという。帝国からすれば、クレナ産であろうと、ソラ産であろうと、そこに違いは感じられない。自国の貴族共に高値で売り払うことができさえすれば、それで良いのだ。
「それで、民衆の様子は」
「確実に、効いていると思われます」
皇帝は仄かに笑みを浮かべる。これまで多くの国々を陥落させてきた経験から言って、これは順調そのものだった。
国と国の戦いは、何も武力衝突だけではない。まずは互いに腹を探り合い、様々な方法で徐々に力を削いでいく事が定石。文化的な物を奪われ、精神的な拠り所を失くした民は、脆く崩れやすいものだ。国の根幹たる民自体を弱体化させれば、いくら人海戦術で抵抗してこようとも、圧倒的な帝国の軍事力を前に混乱することは必至。きっと、為すすべもなく白旗を上げるだろう。
「また、兵器の指南役として、帝国軍を向かわせることについても、受け入れの了承が得られました」
クレナ王は、事もあろうに、帝国軍を合法的に国内へ入れることを認めてしまったのだ。王本人は、これで強大な兵器が自国で使いこなせるようになると喜んでいるわけだが、そうは問屋は卸さない。
何も、帝国の軍がクレナ王の指示に従うわけがないのだ。もっと言えば、都に入れたが最後。王宮が占拠され、自らの首が取られるところまで、全く想像が至っていないらしい。
「馬鹿なのか、あの国は」
「そうかもしれません」
これには、密偵も肯定することしかできなかった。ソラ以外と国境を接していないクレナは、長い間ほぼ鎖国状態。だとしても、ここまで頭の悪い外交しかできず、簡単に騙されてしまうとは、クレナ国民が気の毒に思える程だ。
「後は、お望みの姫を無事に手に入れるだけです」
実は今回、コトリの拉致も試みていたのだが、謎の暗殺部隊に阻まれて叶わなかったのだ。
「顔は見たか?」
「はい。今は、こちらの目を誤魔化すためなのか、王女を名乗らずに楽師団とやらに在籍している模様。一応、美姫の類ではあるのでしょうが、かなり平坦な顔です。主様のお好みに合うかどうか……」
「肝心の演奏はどうなのだ? 様々な噂が飛び交っているようだが」
「使節団に対して演奏が行われましたので、聴いてまいりました。確かに素晴らしいと言えるのでしょうが、それ以上のことは不明です」
シェンシャンが起こすという奇跡については、実際に確認することができなかった、という意味である。密偵は咎められるかと思って一瞬身構えたが、皇帝に気を害した様子はない。
「うむ。では、あいつはどうしている?」
「セラフィナイト様ですね」
セラフィナイトは、皇帝の実子で、十三番目の皇子にあたる。成人している皇族の中では、最も若い部類。普通であれば、それ相応の役目が与えられて、華やかな生活を送ることになるのだが、彼の場合は異なっていた。
通常、皇帝は支配下に置いた国の姫の中から一芸に秀でた者を自らの妻として娶り、生まれた皇子は、成人すると母親の故郷へ送られる。そして、新たな王や政治の中枢を担う人物として据えられる流れになることが多い。そうすることで、帝国は各国から継続的に利を吸い上げ続けているのだ。
しかし、中には例外がある。俗に言う、出来損ないが現れるのだ。
セラフィナイトは、幼少の頃は将来が期待された皇子だった。帝国基準で美男にあたり、頭も悪くない。行動力もある。しかし、十代も半ばに差し掛かった頃から、素行の乱れが目立ち始めた。
帝都の裏社会を牛耳り、禁止薬物の取引で私財を肥やすだけでなく、公務をないがしろにして全く城に帰ってこない。娼館に通い詰めているのも、評判が悪い理由の一つだ。
そうやって好き勝手やっていたセラフィナイトだが、ついに皇帝から最後通告が出される。一生、城内の塔に幽閉されるか、真面目に仕事をするか、どちらかを選べと言われたのだ。
その仕事こそが、クレナやソラへの工作活動だった。この二国は、帝都から遙か東にある辺境。しかも文化的にも未発達で、野蛮な土地。誰も好き好んでそんな所へは行きたがらないので、実質左遷という扱いになる。
しかし、いずれ対陸を統一したいと考える皇帝にとって、未だ自らの影響力の薄い大陸東部の国を手中に収めるのは、今後の足がかりとして大変重要である。
何せ、皇帝も五十を過ぎた。年をとっている。生きているうちに野望を叶えるためには、誰かを遣らねばならないという事情があったのだ。
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