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105都への帰途
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その後、コトリ達楽師団の奉奏の旅は、目立った困り事もなく続き、予定通りの村々の祭りへ出向くことができた。そうして、都への帰途、馬車の中では一息ついた楽師達が思い思いの事をして過ごすのである。
ナギは、友の頭がこくりこくりと船を漕ぎ始めたのを見て、小さく溜息をついていた。まだ都までは遠いので、このまま寝かせてやることにするが、暇を持て余している。仕方なく、斜め向かい側に座すコトリへ声をかけることにした。
「浮かない顔してるね」
どうやら本人にその自覚はなかったらしく、はっとして瞬きをするコトリ。
「元気出して。私が言えた義理じゃないけれど、これでも首席を目指すのを応援してるんだからね」
「え」
ナギは元々因縁の相手である。だが、どういった風の吹き回しか、今ではコトリを支える姉のような立場にあった。彼女なりに、シェンシャンを壊してしまった詫びとして、未だに楽士団内の事に疎いコトリへ、何かと助言をしているのだ。
「確かに、ソラの王子様がいらしてから、陰口を叩かれることも増えているみたいだけれど、気にしないことだよ。全ては、嫉妬からくるものなのだから」
ナギ自身も、コトリの才能に嫉妬している。そう言いたいのだろう。
遠征へ出てすぐに起こった流民との事件は、ナギにとっても大きな衝撃であった。シェンシャンがただの楽器ではないことと、楽師がいかに特殊な力を持っているのかを、その手で証明してみせたのだから。
曲がりなりにも、ナギとて貴族だ。シェンシャンが神具の一つであることぐらい知っていたが、どこか実感がなかったのも事実。しかし此度の事で、全ては弾き手次第なのだと思い知らされたのである。これは、他の楽師にも言えることだ。
「出る杭は打たれる。だけど、打たれても凹まない強さと、それだけの業を持っているのだから、堂々としてると良いよ」
「ありがとうございます」
「たぶんね、神はカナデ様を味方しているのだから」
最近、社通いをするようになっているナギらしい物言いだ。遠征中も、各地の社を丁寧に参拝している。コトリは、彼女ならば自分のように、いずれ道具無しに神気が見えるようになるのではないかと思い始めていた。このところ、顔の傷もほとんど分からなくなるぐらい消えてきているのも、神のご利益かもしれない。
「少なくとも、ここにいる皆はカナデ様の味方でしょう?」
ナギは馬車の中を見渡す。目が合ったそれぞれが、肯定するように頷いてみせた。しかし、空気を読めない娘が一人いる。カヤだ。
「そうですよ、カナデ様は気を落とさないでください。ソラの王子様は雲の上のお方。私達楽師なんて、元々本気で相手されるわけがないのは、皆分かってます。だから、すぐに嫉妬も無くなって、ほとぼりも冷めますよ」
コトリの顔色はますます悪くなったが、それに気付く様子はない。
「それに、この前のカナデ様はすごくカッコよかったな。あの毅然とした態度……憧れちゃいます」
「流民との時のことですか?」
コトリの代わりに返事したのはミズキだ。
「そう。まるで王女様みたいでした!」
カヤの弾んだ声に、馬車内の空気が凍る。これでは、さすがに違和感が出てしまうので、ミズキは場を和ませようと、とりわけ明るい声を出そうとした。
「もしかして、カヤ様は王女様に会ったことがあるんですか? 私は田舎娘だから、まだ無いんですよ」
「実は、私も無いの。でも、私達がソラへ行っていた間、社で行われた祭りにおいでて、シェンシャンを披露してくださったそうよ。しかも、すごく上手かったんですって! まるで、琴姫みたいに」
その場の空間には、再び見えない亀裂がピシリと入る。ミズキは墓穴を掘ったかもしれないと、冷や汗を流しそうになっていた。何より、隣に座るサヨから、さりげなく足を踏まれてしまったのだ。
「琴姫って、昔からシェンシャンの上手い人の代名詞になってますものね。この際、私達も全員、琴姫って名乗っちゃいます?! 私、琴姫のミズキです! なんちゃって……あ、やっぱり似合いませんか?」
カヤとナギが大笑いした。ミズキは、ちらりとサヨを盗み見する。もう足を踏まれないところを見れば、及第点だったのであろう。サヨは興味を無くしたのか、何やら文を広げているところだった。
サヨが紫と深い関係にあることは、この度の遠征中に他の楽師達へも知れている。こうして、どこからかやってきた者から受け取った文を読みふける姿も、随分と見慣れたものになっていた。皆、彼女は楽師以外の仕事にも忙しいと思っている。
実際、サヨは行く先々で紫や菖蒲殿の手の者から寄越される情報を確認するのに忙しくしていた。ミズキが未だに田舎娘として楽師団にいる以上、彼自身は怪しい動きをすることができない。となると、他人に介入されにくい生粋の高位貴族であるサヨが、代わりに王や紫、民の動向を把握すべく働くことになるのだ。
サヨは、広げた文の影で、疲れたように目を閉じた。今読んでいたものは、ハトからもたらされたものである。
ハトは、近々ソラへ発つ予定のようだ。先日、イチカにも教えたのだが、クレナから関を越えずにソラへ入国する方法がある。それを使って、クレナの紫で育成している楽師の一部を、ソラにある元暁本部の村へ送ることになったらしい。
既にソラからは腕の良い職人が多く派遣されているので、こちらも誰か出さねばいかぬのだろう。
ここまでは良い。問題は、その後に書かれていたことだ。
『ミズキがお前につけいったのは、菖蒲殿を取り込むためだ。それ以外に理由はない。決してお前にほだされたのではないのだから、勘違いするな』
追伸のようにして、最後に走り書きされていたそれは、思いの外サヨの心を抉っていた。
サヨだって、コトリのためにミズキを利用していたに過ぎない。ミズキの目的だって、初めから分かっていた。
なのに、どうしてこんなにも傷ついてしまうのだろうか。
ミズキは自分とは異なり、完全に庶民で、それも田舎の出だ。天と地ほども身分の差があり、楽師団の同期にもならなけば、決して声を交わすことも、巡り合うこともなかったであろう。
さらには、日頃嬉々として女の格好をしている男だ。わざわざ釘を刺されなくとも、誰がこんな者に懸想するものか。
もし、彼との関係がハトに認められようとも、少なくとも菖蒲殿当主である父親が許さないに決まっている。どこをどう捉えても、不毛で、無意味で、馬鹿な恋なのだ。
そう自らに聞かせるのだが、この気持ちに恋と名付けている時点で、何もかも手遅れな気がしている。
サヨは、大きく息を吐いた。手に持つ文の紙がふるりと揺れて、パリパリと音を立てる。
ミズキとのことは、おそらくハトに筒抜けになっているだろうとは勘付いていたが、こんな形で警告を受けるなんて。
おそらくハトは、ユカリとの蜜月の最中、彼女と離れてクレナを出なければならなくなった事に苛立っている。きっとこれは、その八つ当たりなのだ。
サヨはそう思うことにした。そして、秘すべき恋の寿命が、一日でも長く続くことを祈るのである。たとえ、いつか彼がサヨに触れなくなったとしても、女としてこれ程までに愛された記憶はきっと、今後の生きる糧になるだろうから。
しかし、いつまでもこの気持ちを秘したものにしておけるだろうか。今でさえ、こうして押さえきれなくなってしまう。これは、もう猶予ならないかもしれない。ならば――――。
サヨは、筆を取り出した。
ナギは、友の頭がこくりこくりと船を漕ぎ始めたのを見て、小さく溜息をついていた。まだ都までは遠いので、このまま寝かせてやることにするが、暇を持て余している。仕方なく、斜め向かい側に座すコトリへ声をかけることにした。
「浮かない顔してるね」
どうやら本人にその自覚はなかったらしく、はっとして瞬きをするコトリ。
「元気出して。私が言えた義理じゃないけれど、これでも首席を目指すのを応援してるんだからね」
「え」
ナギは元々因縁の相手である。だが、どういった風の吹き回しか、今ではコトリを支える姉のような立場にあった。彼女なりに、シェンシャンを壊してしまった詫びとして、未だに楽士団内の事に疎いコトリへ、何かと助言をしているのだ。
「確かに、ソラの王子様がいらしてから、陰口を叩かれることも増えているみたいだけれど、気にしないことだよ。全ては、嫉妬からくるものなのだから」
ナギ自身も、コトリの才能に嫉妬している。そう言いたいのだろう。
遠征へ出てすぐに起こった流民との事件は、ナギにとっても大きな衝撃であった。シェンシャンがただの楽器ではないことと、楽師がいかに特殊な力を持っているのかを、その手で証明してみせたのだから。
曲がりなりにも、ナギとて貴族だ。シェンシャンが神具の一つであることぐらい知っていたが、どこか実感がなかったのも事実。しかし此度の事で、全ては弾き手次第なのだと思い知らされたのである。これは、他の楽師にも言えることだ。
「出る杭は打たれる。だけど、打たれても凹まない強さと、それだけの業を持っているのだから、堂々としてると良いよ」
「ありがとうございます」
「たぶんね、神はカナデ様を味方しているのだから」
最近、社通いをするようになっているナギらしい物言いだ。遠征中も、各地の社を丁寧に参拝している。コトリは、彼女ならば自分のように、いずれ道具無しに神気が見えるようになるのではないかと思い始めていた。このところ、顔の傷もほとんど分からなくなるぐらい消えてきているのも、神のご利益かもしれない。
「少なくとも、ここにいる皆はカナデ様の味方でしょう?」
ナギは馬車の中を見渡す。目が合ったそれぞれが、肯定するように頷いてみせた。しかし、空気を読めない娘が一人いる。カヤだ。
「そうですよ、カナデ様は気を落とさないでください。ソラの王子様は雲の上のお方。私達楽師なんて、元々本気で相手されるわけがないのは、皆分かってます。だから、すぐに嫉妬も無くなって、ほとぼりも冷めますよ」
コトリの顔色はますます悪くなったが、それに気付く様子はない。
「それに、この前のカナデ様はすごくカッコよかったな。あの毅然とした態度……憧れちゃいます」
「流民との時のことですか?」
コトリの代わりに返事したのはミズキだ。
「そう。まるで王女様みたいでした!」
カヤの弾んだ声に、馬車内の空気が凍る。これでは、さすがに違和感が出てしまうので、ミズキは場を和ませようと、とりわけ明るい声を出そうとした。
「もしかして、カヤ様は王女様に会ったことがあるんですか? 私は田舎娘だから、まだ無いんですよ」
「実は、私も無いの。でも、私達がソラへ行っていた間、社で行われた祭りにおいでて、シェンシャンを披露してくださったそうよ。しかも、すごく上手かったんですって! まるで、琴姫みたいに」
その場の空間には、再び見えない亀裂がピシリと入る。ミズキは墓穴を掘ったかもしれないと、冷や汗を流しそうになっていた。何より、隣に座るサヨから、さりげなく足を踏まれてしまったのだ。
「琴姫って、昔からシェンシャンの上手い人の代名詞になってますものね。この際、私達も全員、琴姫って名乗っちゃいます?! 私、琴姫のミズキです! なんちゃって……あ、やっぱり似合いませんか?」
カヤとナギが大笑いした。ミズキは、ちらりとサヨを盗み見する。もう足を踏まれないところを見れば、及第点だったのであろう。サヨは興味を無くしたのか、何やら文を広げているところだった。
サヨが紫と深い関係にあることは、この度の遠征中に他の楽師達へも知れている。こうして、どこからかやってきた者から受け取った文を読みふける姿も、随分と見慣れたものになっていた。皆、彼女は楽師以外の仕事にも忙しいと思っている。
実際、サヨは行く先々で紫や菖蒲殿の手の者から寄越される情報を確認するのに忙しくしていた。ミズキが未だに田舎娘として楽師団にいる以上、彼自身は怪しい動きをすることができない。となると、他人に介入されにくい生粋の高位貴族であるサヨが、代わりに王や紫、民の動向を把握すべく働くことになるのだ。
サヨは、広げた文の影で、疲れたように目を閉じた。今読んでいたものは、ハトからもたらされたものである。
ハトは、近々ソラへ発つ予定のようだ。先日、イチカにも教えたのだが、クレナから関を越えずにソラへ入国する方法がある。それを使って、クレナの紫で育成している楽師の一部を、ソラにある元暁本部の村へ送ることになったらしい。
既にソラからは腕の良い職人が多く派遣されているので、こちらも誰か出さねばいかぬのだろう。
ここまでは良い。問題は、その後に書かれていたことだ。
『ミズキがお前につけいったのは、菖蒲殿を取り込むためだ。それ以外に理由はない。決してお前にほだされたのではないのだから、勘違いするな』
追伸のようにして、最後に走り書きされていたそれは、思いの外サヨの心を抉っていた。
サヨだって、コトリのためにミズキを利用していたに過ぎない。ミズキの目的だって、初めから分かっていた。
なのに、どうしてこんなにも傷ついてしまうのだろうか。
ミズキは自分とは異なり、完全に庶民で、それも田舎の出だ。天と地ほども身分の差があり、楽師団の同期にもならなけば、決して声を交わすことも、巡り合うこともなかったであろう。
さらには、日頃嬉々として女の格好をしている男だ。わざわざ釘を刺されなくとも、誰がこんな者に懸想するものか。
もし、彼との関係がハトに認められようとも、少なくとも菖蒲殿当主である父親が許さないに決まっている。どこをどう捉えても、不毛で、無意味で、馬鹿な恋なのだ。
そう自らに聞かせるのだが、この気持ちに恋と名付けている時点で、何もかも手遅れな気がしている。
サヨは、大きく息を吐いた。手に持つ文の紙がふるりと揺れて、パリパリと音を立てる。
ミズキとのことは、おそらくハトに筒抜けになっているだろうとは勘付いていたが、こんな形で警告を受けるなんて。
おそらくハトは、ユカリとの蜜月の最中、彼女と離れてクレナを出なければならなくなった事に苛立っている。きっとこれは、その八つ当たりなのだ。
サヨはそう思うことにした。そして、秘すべき恋の寿命が、一日でも長く続くことを祈るのである。たとえ、いつか彼がサヨに触れなくなったとしても、女としてこれ程までに愛された記憶はきっと、今後の生きる糧になるだろうから。
しかし、いつまでもこの気持ちを秘したものにしておけるだろうか。今でさえ、こうして押さえきれなくなってしまう。これは、もう猶予ならないかもしれない。ならば――――。
サヨは、筆を取り出した。
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