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100イチカの事情
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櫓の上の篝火が爆ぜて、熱い光の粒がはらはらと暗闇に散る。
その女、イチカは、足元に座す美少女達をねめつけると、唾を飛ばす勢いでまくしたてた。
「困るんだよ、あんなことされちゃ!」
イチカはまた一歩、コトリへ向かって踏み出す。カヤやナギが後退る中、コトリはじっと静かに女を見上げていた。
「住み良くなるのは、ご迷惑でしたか?」
荒れ地を人が住める場所に変えたのだ。まさに神の奇跡。どこに不満があるというのだろうか。
イチカは、ぽりぽりと頭を掻くと、その場にどさりと腰を下ろした。真正面からコトリと対峙することになる。
「喧嘩売ってんのかい? そんなことじゃないよ。これでもあたし、帝国周辺では売れっ子だったんだからね。なのに、なんでこんな所で、ひもじい思いをしてるか分かるかい?」
そこから始まったのは、イチカの昔話だった。
元々イチカはクレナ出身である。親が彼女を行商人へ奉公に出したのは、帯解きの年頃、つまり七つの時。しかし、実際は見目の良い少女として売られたのであり、そのまま商いの手伝いをさせられながら帝国の勢力圏まで移動した。そこで、商品、つまり奴隷として売られることになる。
「でもね、あたしはまだまだ運が良い方だったんだよ」
若さと外見の良さ、そしてシェンシャンという特殊な民族楽器の素養が高く評価され、奴隷にしては綺麗な部屋が与えられて、買い手がつくのを待つことになった。そして巡り合ったのが、旅芸人の一座の座長である。
「買われたら、どんな酷い生活が待っているのだろうって怯えてた。確かに、いろんな目に遭ったよ。でもね、いろんな国に行って、いろんな人と会って、いろんな文化に触れて。たぶん、楽しいこともあったと思う。でもね」
帝国からの侵略の波に飲まれた街で、座長は間諜と疑われて殺された。事実、流れ者のフリをして諜報活動する者は多いのだが、イチカは今でもあれは冤罪だったと信じている。
そんな折、クレナの噂をよく聞くようになった。帝国がクレナに手を出そうとしている、と。それまでは、自ら生まれた国に何の思い入れもなかったイチカだが、帝国の軍事力、その牙の尖さは肌感覚で理解できている。ならば、一度国に帰って、村に危機を伝えた方が良いのではないかと考え至るまでは、すぐだった。自分を売った親だとしても、帝国にむざむざ殺されるのを指咥えて見ているのは、できないものである。
ところがだ。村に着くと、何もかもが変わり果てていた。残されていたのは、建物の焼跡と煤けた狭い田畑。そして死臭。獣が人だったものを咥えて走り去る。呆然とするしかなかった。
何も考えられないまま、近くの人里へ移動する。同じ村に住んでいた生き残りと遭遇し、王家に放火されたことを知った。こんな村は、他にもあると言う。住む場所を追われた者達は近隣の村に助けを求めたが、どこも苦しい。他所者を養う余裕なんて無いのだ。数日居座ると、文字通り尻を叩いて追い出された。
こうして、人々は流民となっていった。イチカもまた、そのみすぼらしい群れの一員となったはずだった。
「でもね、あたしにはこの通り芸があるからさ」
イチカは、軽くシェンシャンを持ち上げる。
「だから、あたしは流民では無いって皆言うんだ。どこでも生きていけるってさ。だけど、あたしは村を焼いた奴らが憎いし、戦いたいし、村を失くしたのは一緒なんだよ。一座も解散しちまったし、もう行くところなんてありゃしないのに」
「そうなのですか? 演奏などの芸で身を立てながら、新たに住む場所を探すことだってできそうなものですが」
元々旅芸人とは、住まいを転々とする生業。コトリには、イチカがわざわざ荒れ地に留まっている理由が分からなかったのだ。すると、イチカは憤慨したように口をへの字に曲げる。
「それができるならば、そうしてるよ」
イチカは、とりあえずこの先のことを考えるために、まずは金稼ぎをしようとクレナの各地を廻っていた。しかし、どこも貧しすぎて、シェンシャンの演奏に金を払う余裕なんて全く無い。いくら美しい音色でも、それでは腹が膨れないのだから、当たり前のことだ。
そうなると、今度はクレナを出てソラへ移動しようという話になる。しかし、香山の関でシェンシャン奏者は通さないなどと言われて押し問答に。仕方なくイチカは、居場所を求めて流民達と再び合流することになったのだった。
「でもね、他の流民からしたら、あたしは完全に他所者なんだよ。クレナを十年以上離れてたからね。だから、置いてもらうには利用価値を見せるしかなかった」
イチカも、クレナの楽師団が行う奉奏というものを見聞きしたことがある。生まれた村はそこそこ大きく、毎年のように秋になれば、社で祭りが行われ、そこに楽師団が派遣されてくるのだ。確かにその奏では上手いものであったが、イチカはそれに負けない腕があると自負していた。
「だからね、新しい村には奉奏があった方がいいだろうと、あの男を口説き落としたんだよ」
「ところが、あなたが奉奏をする前に、私が本物の奉奏をしてしまったと」
コトリは、ようやくイチカの怒りの理由に合点がいった。このままでは、国を出ることも、稼ぐこともできないばかりか、住処などの寄る辺まで失ってしまうということなのだ。
「それは悪いことをしてしまいましたね」
「分かったなら、なんとかしておくれよ!」
隣に座るサヨとミズキが、心配そうにコトリを見つめている。コトリは大丈夫とばかりに微笑むと、イチカに向き直った。
「分かりました。私から、良い仕事を斡旋しましょう。その代わり、条件があります」
その女、イチカは、足元に座す美少女達をねめつけると、唾を飛ばす勢いでまくしたてた。
「困るんだよ、あんなことされちゃ!」
イチカはまた一歩、コトリへ向かって踏み出す。カヤやナギが後退る中、コトリはじっと静かに女を見上げていた。
「住み良くなるのは、ご迷惑でしたか?」
荒れ地を人が住める場所に変えたのだ。まさに神の奇跡。どこに不満があるというのだろうか。
イチカは、ぽりぽりと頭を掻くと、その場にどさりと腰を下ろした。真正面からコトリと対峙することになる。
「喧嘩売ってんのかい? そんなことじゃないよ。これでもあたし、帝国周辺では売れっ子だったんだからね。なのに、なんでこんな所で、ひもじい思いをしてるか分かるかい?」
そこから始まったのは、イチカの昔話だった。
元々イチカはクレナ出身である。親が彼女を行商人へ奉公に出したのは、帯解きの年頃、つまり七つの時。しかし、実際は見目の良い少女として売られたのであり、そのまま商いの手伝いをさせられながら帝国の勢力圏まで移動した。そこで、商品、つまり奴隷として売られることになる。
「でもね、あたしはまだまだ運が良い方だったんだよ」
若さと外見の良さ、そしてシェンシャンという特殊な民族楽器の素養が高く評価され、奴隷にしては綺麗な部屋が与えられて、買い手がつくのを待つことになった。そして巡り合ったのが、旅芸人の一座の座長である。
「買われたら、どんな酷い生活が待っているのだろうって怯えてた。確かに、いろんな目に遭ったよ。でもね、いろんな国に行って、いろんな人と会って、いろんな文化に触れて。たぶん、楽しいこともあったと思う。でもね」
帝国からの侵略の波に飲まれた街で、座長は間諜と疑われて殺された。事実、流れ者のフリをして諜報活動する者は多いのだが、イチカは今でもあれは冤罪だったと信じている。
そんな折、クレナの噂をよく聞くようになった。帝国がクレナに手を出そうとしている、と。それまでは、自ら生まれた国に何の思い入れもなかったイチカだが、帝国の軍事力、その牙の尖さは肌感覚で理解できている。ならば、一度国に帰って、村に危機を伝えた方が良いのではないかと考え至るまでは、すぐだった。自分を売った親だとしても、帝国にむざむざ殺されるのを指咥えて見ているのは、できないものである。
ところがだ。村に着くと、何もかもが変わり果てていた。残されていたのは、建物の焼跡と煤けた狭い田畑。そして死臭。獣が人だったものを咥えて走り去る。呆然とするしかなかった。
何も考えられないまま、近くの人里へ移動する。同じ村に住んでいた生き残りと遭遇し、王家に放火されたことを知った。こんな村は、他にもあると言う。住む場所を追われた者達は近隣の村に助けを求めたが、どこも苦しい。他所者を養う余裕なんて無いのだ。数日居座ると、文字通り尻を叩いて追い出された。
こうして、人々は流民となっていった。イチカもまた、そのみすぼらしい群れの一員となったはずだった。
「でもね、あたしにはこの通り芸があるからさ」
イチカは、軽くシェンシャンを持ち上げる。
「だから、あたしは流民では無いって皆言うんだ。どこでも生きていけるってさ。だけど、あたしは村を焼いた奴らが憎いし、戦いたいし、村を失くしたのは一緒なんだよ。一座も解散しちまったし、もう行くところなんてありゃしないのに」
「そうなのですか? 演奏などの芸で身を立てながら、新たに住む場所を探すことだってできそうなものですが」
元々旅芸人とは、住まいを転々とする生業。コトリには、イチカがわざわざ荒れ地に留まっている理由が分からなかったのだ。すると、イチカは憤慨したように口をへの字に曲げる。
「それができるならば、そうしてるよ」
イチカは、とりあえずこの先のことを考えるために、まずは金稼ぎをしようとクレナの各地を廻っていた。しかし、どこも貧しすぎて、シェンシャンの演奏に金を払う余裕なんて全く無い。いくら美しい音色でも、それでは腹が膨れないのだから、当たり前のことだ。
そうなると、今度はクレナを出てソラへ移動しようという話になる。しかし、香山の関でシェンシャン奏者は通さないなどと言われて押し問答に。仕方なくイチカは、居場所を求めて流民達と再び合流することになったのだった。
「でもね、他の流民からしたら、あたしは完全に他所者なんだよ。クレナを十年以上離れてたからね。だから、置いてもらうには利用価値を見せるしかなかった」
イチカも、クレナの楽師団が行う奉奏というものを見聞きしたことがある。生まれた村はそこそこ大きく、毎年のように秋になれば、社で祭りが行われ、そこに楽師団が派遣されてくるのだ。確かにその奏では上手いものであったが、イチカはそれに負けない腕があると自負していた。
「だからね、新しい村には奉奏があった方がいいだろうと、あの男を口説き落としたんだよ」
「ところが、あなたが奉奏をする前に、私が本物の奉奏をしてしまったと」
コトリは、ようやくイチカの怒りの理由に合点がいった。このままでは、国を出ることも、稼ぐこともできないばかりか、住処などの寄る辺まで失ってしまうということなのだ。
「それは悪いことをしてしまいましたね」
「分かったなら、なんとかしておくれよ!」
隣に座るサヨとミズキが、心配そうにコトリを見つめている。コトリは大丈夫とばかりに微笑むと、イチカに向き直った。
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