琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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88仲間集めの策

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 同じ頃、クレナ王は、ソラにいるはずの長女が王宮内にいるとも知らず、自室から一人空を見上げていた。その不機嫌さは酷いもので、誰も彼に近寄ろうとはしない。

 その原因ともなる帝国からの使者が王宮を去ったのは、前の日のことだ。これまで信頼できる部下に命じて重ねてきた擦り合わせが、ようやく形を成すようになってきたため、ようやく正式にクレナへ招待した一団だった。

 帝国の者たちは、基本的にクレナを見下している。それ故か、どんなもてなしをしてみても鼻で笑うような反応しか示さない。他国の王宮にいるにも関わらず、自国の自宅にいるかのように尊大に振る舞う様子は、経験値や大国の貫禄といったものを見せつけてくるのである。それが王にとってしてみれば、全くもって面白くない。

 しかも、帝国向けに準備していた工芸品は、ソラ由来の神具だとすぐに見抜かれる始末。対ソラに向けた兵器を融通してもらうための交渉をするも、決して誤魔化しの効かない相手ともなると、完全にクレナの分は悪く、案の定望んだ結果を引き出すことはできなかった。

 それにしても、とクレナ王は思う。使者から念押しされた言葉が耳に残って、気にかかっている。

「かの楽師の姫君には、必ずや、快く我が王の元へお越しいただきたい」

 クレナ王は、最悪コトリが自死する可能性も考えていた。そのため、かつて王家の姫君が降嫁した貴族なども含め、王家の血筋を少しでも引いている年頃の娘を見繕うことを始めている。あくまで、政局の駒でしかない女だ。実の娘でなくとも良い。

 しかし、帝国はコトリを名指しで欲しているという。

 理由は分からない。確かに美姫の部類には入るだろうが、昨今鼻持ちならないことばかりする娘のことは、本気で可愛いとは思えなくなってきていた。下手に手元に残しておいても手に余るだろうから、早く帝国へ押し付けてしまいたい。けれど、うっかり十八歳まで待つという約束を取り付けてしまったことが、今になって悔やまれていた。

 実は、手の者を使ってコトリの拉致を試みたこともある。しかし、何者かによって阻まれて、歯が立たないのが現状だ。

 最近では、放った者の死体が、翌朝王宮の庭の片隅に転がっているという事件も起きていた。もちろん、そのような破落戸の正体を調べるべく指示は出してあるが、未だに明らかにはなっていない。はっきりしているのは、クレナ王の預かり知らぬ何か大きな組織が闇で動いているということだけ。

 ふと、空恐ろしさに背中が震えた。
 しかし、ここで怖じけ付くわけにはいくまい。悲願でもあるソラ吸収の足がかりは、あと一息なのだ。帝国とのやり取りも本格的なものになり、もはや後戻りができないところまで来ている。後は、コトリをだしにして、より良い取引きができるよう努めるだけだ。


 ◇


 秋。楽師団は、今が一年で最も忙しい時期にあたる。国中の村々で収穫祭が行われるため、そこへ出向いてシェンシャンの奉奏を行うのだ。

 コトリも、サヨと共に旅支度に励んでいた。荷物の準備はもとより、シェンシャンの合奏の練習に追われている。

 修理から戻ってきたシェンシャンは、初めこそ大人しくコトリの手綱に従った音を立てていたが、時折奏者の意図せぬこともしでかすようになっていた。譜面通りの音ではあるが、溢れ出す神気の質と量が周囲とは格段に異なることがあるのである。

 コトリは、そのシェンシャンに降りているのが、ルリ神故のことだと思い当たっていた。だが、未だにルリ神との対面は叶っていない。コトリがもっと本気で祈れば姿を現してくれるのかもしれないが、最高神が相手ともなると物怖じしてしまうものである。

「今日もこの十人ですね」

 サヨが辺りを見渡した。今日、同じ御簾に区切られた部屋の中にいるのは、共にシェンシャンを練習している仲間達。コトリにサヨ、ミズキ。そして、ナギとその友人二人。さらには、あのいつも口煩く陰口を叩くマツ、タケ、ウメの三人組。最後に、なぜだかカヤが混じっていた。

 ここのところ、この面子で音を合わせる機会が増えている。コトリを中心とした会話ばかりがなされているので、実質的にはコトリの派閥ができている状態なのかもしれない。

 コトリは、サヨの言った十という数字について考えた。

 現在、最大派閥はハナが率いる集まりである。以前はアオイが最大であったが、一部がコトリ側に流れてしまったため、アオイは三番手に甘んじている。しかし、それを何とも思わぬ涼しい顔で、今日もアオイは首席としてふるまっていた。凛としたその様子は、コトリにとって憧れの的である。それと同時に、次の春には乗り越えねばならない高い壁でもあった。

 コトリは、焦っていた。

 クレナ王との約体では、コトリが十八歳になるまでに首席をとることが自由になる条件となっている。先日十七になったばかりの彼女にとって、翌年の春の園遊会は、自らの望みを叶える唯一の機会だ。そう、一度しかないのだ。失敗は許されない。

 サヨの情報によると、春の園遊会での競い合いでは、派閥の人数も、ものを言うらしい。いくら奏でが美しくとも、それがほんの数人であれば評価は下がりがちだそうだ。

 今は十人いる。けれど、春になってもなお、この十人全員が自分と共にいてくれるだろうか? さらには、奏での質を他の二つの集まりよりも高めることなど、できるのだろうか。

 以前は、神気を見れるようになる方法を広めることで仲間を募ろうと考えていた。しかし、ウズメに確認したところ、奏者であるコトリが見れるようになったのは大変例外的なもので、他の者には当てはまらないと言われてしまっている。

 となると、後は、ヨロズ屋の店主から入手した神気を確認することのできる神具頼りとなりそうである。コトリは、ソウの笑顔を思い出して、胸がきゅっと締めつけられるのを感じた。おそらく彼は、コトリに好意をもっている。それを利用するのは心苦しいが、コトリの願いとあらば、神具の増産を買ってでてくれるかもしれない。

 コトリは、気がそぞろになりながらも、どうにか練習を終え、サヨと共に部屋へ戻った。そして、思い浮かんだ新たな策について打ち明けるのである。

「それは良きことと思われます。ヨロズ屋には身内価格で引き受けていただきましょう」

 サヨはどこか悪い顔をしているか、紫にはヨロズ屋も一枚噛んでいるので、身内という言葉はあながち間違いでもないだろう。

「後は、いつ、その神具を渡すかですね。私は、正月前が良いかと思います。皆、その頃には実家や地元に帰省し、大抵楽師としての奉奏をするはめになりますから。その際、神気を見ることができればどうなるでしょう」
「土地へ、確実に恵みを与えることができるのね」
「はい。楽師団では、神気が見える神具は三つしかなく、今はアオイ様が一つ、ハナ様が二つ持っていらっしゃる。他の方にはありませんから、鳴紡殿を出ればいつもの奏でをすることは、ほぼ不可能です。でも、それができるとなると……」
「えぇ。私達の仲間となる楽師の方々は、実家や村などを巻き込んで、カナデ様を味方せざるを得ない状況となるでしょう」

 さらにサヨは、渡す神具には番号や印を彫り込んで、意図せぬ相手に渡らぬよう管理することも提案した。それにコトリは同意する。

「ソウ様にはご迷惑をおかけしますが、この線で進めましょう。とても良いお方だから、きっと力になってくれると思います」

 すると、サヨがジト目でコトリを睨んだ。

「最近カナデ様は、ソウ殿のことがお好きなようですね」
「え」

 コトリも少しは自覚していたらしい。ふっと顔を赤らめたが、すぐに何かを振り切るように首を振る。

「いえ、私はあの方だけのことを一途に思ってますから!」
「分かっておりますよ」

 サヨは笑いながらも思うのだ。いっそのことソラ国王家の側妃を目指すよりも、クレナの大商人に嫁入りする方がコトリは幸せになるかもしれない。ソウは神具師だ。コトリの身を守る道具だって作れるだろうし、ソラにも伝手があるようなので、いざとなれば誰も知らない所へ逃げることもできるだろう。

 しかし、隙あらばコトリに好意を顕にして、外堀を埋めようとしてくるやり口は気に入らない。やはり、あの男に主を任せることはできそうにもなかった。

「そんなカナデ様に、一つ朗報があります」
「何?」
「先程、廊下ですれ違った女官たちの話を立ち聞きしてしまったのですが……」
「もったいぶらずに教えてよ」




「近日中に、カケル王子がこの鳴紡殿にやって来るそうです」



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