琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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85謝罪

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 ユカリが、ハトに向かってしとやかに頭を垂れた。仮にも王女である女が、庶民であり、逆賊でもある彼を亭主にすると示したのだ。ハトは言いしれぬ達成感に包まれていた。

 ずっと王家が憎かった。他の貴族から騙されて都を追われてもなお、身分だけに固執して身を滅ぼした両親のような者達も、全て王家が長年かけて築いてきた負の遺産だ。

 見せかけの栄華を保つことだけに注力し、民を人として見もしない輩。ただ不条理なことばかりを命令して癇癪を起こし、ふんぞりかえっているだけならば赤子でもできる。

 そうではないだろう? と、ハトは思うのだ。上に立つ者の矜持とは、こんなにも愚かであってよいものだろうか、と。

 ミズキは、不思議と人を寄せつける才能はあるものの、組織の細かな取り決めや人の差配、地道な準備計画は不得手な男だ。何においても直感で動いてしまうが、時折誰も掴めなかった真実をはたと見抜き、鮮やかな手業を見せることもある。まるで獣のよう。

 そんな生き生きとした光と背中合わせの影。そこをハトは住処とし、組織の長代行として、この国と、その行く末を見渡そうとしてきた。

 上に立つと、高いところに登ると霧が晴れて、様々なものが見えるようになる気がしていた。けれど、何も見えてこない。空は地上よりも暗く、小さなものに手を伸ばしても、どれも届かぬどころか、指の間をすり抜けて消え、やがて失われていく。

 組織を作っても、上に立っても、できることはどこまでも限定的だけれど。それでも、それだからこそ、諦めずに些細なものを掬い上げる努力をしたいのだ。例えば、命。例えば、笑顔。そういうもののために、ハトは必死で向き合っている。

 それは、目の前の女もそうだ。

 妻とすることを思いついた瞬間は、王家の人間を妻という形で支配下に置く優越感が先立った。しかし、次の瞬間、彼女、ユカリの過去に思い至る。

 王女にも関わらず、突然庶民に落とされたばかりか、密命を背負って一人、国を追われていた。しかも、死んだことにされている。普通の貴族ならば、旅の途中で野党に殺されるか、自死していてもおかしくない。

 けれど何とか生き延びて、今は倒国組織の頭領だ。運の良さもさることながら、ソラ公認となる程の大組織を作り上げた手腕は、なかなか見どころがある。同時に、そこまでする程の執念と志の強さも感じることができた。十分に良い女だ。

 本人に伝えた通り、豊満な身体というのも、庶民に落ちた今は魅力的に映る。それを手に入れるというのは、単純に気分が良い上、かつてない程の満足感があった。

 まさか、自分が妻帯することになるとは。それも、あのミズキよりも早くだ。どこか可笑しくて、ハトは一人くつくつと笑った。

「これでお前も俺の気持ちが分かるようになるだろうよ」

 ミズキは苦し紛れに、女に関しては自分の方が上だと言ってくる。ハトは別に悔しさは感じない。そんな日が来る頃には、この大陸の東部分が全て、紫に染まっていることを願うだけだ。

 一方、カケルは、暁とクレナの組織の合併にあたり、上層部が婚姻を結ぶのは、後に組織内の対立を防ぐことになるので喜ばしいと述べた。あくまで貴族的な見解である。


 ◇


 翌朝、鳴紡殿の練習用の広間では、コトリとサヨの姿があった。ミズキは、知り合いが結婚するので祝の品を用意せねばならないと言い残し、街へ出掛けている。

「ウズメ様やククリ様と離れてしまったから心配していたけれど、こちらのシェンシャンでも思い通りに奏でることができるわ」

 コトリは、修理から戻ってきたシェンシャンを弾いて、機嫌が良い。その隣で、どこか疲れた顔のサヨは、いつ話を切りだそうかと落ち着かぬ様子だった。なぜなら、サヨの不手際を告白せずには語れない内容だからである。

「サヨは、もう弾かないの? なんだか元気が無いわね。まだ旅の疲れも残っているのかもしれないわ。無理しないでね」

 コトリが眉を下げる。サヨは、うっかり手が止まっていたことに気づくと、慌てて笑顔をつくった。

「私はこの通り元気にございます」

 と言ったところで、ミズキやカケル達との約束は忘れたことにはできないのだ。サヨは深呼吸した後、すっとコトリに向かって頭を下げた。

「どうしたの?」

 突然何事かと驚くコトリ。サヨは、おずおずと顔を上げた。

「コトリ様に、お話がございます」

 カナデと呼ばないサヨに、コトリは緊張感を走らせた。ここは、シェンシャン用に音が外へ漏れないよう墨色の御簾が垂らされた空間。確かに、ここでならば内密な話もできるだろう。

「聞きましょう」

 サヨは、事の発端から順を追って話した。

 コトリの新たなシェンシャンの制作をソウに依頼した時点で、コトリの正体が見抜かれていたこと。ミズキは、王家を仇なす組織の長であり、彼らを支援することは王の力を削ぐこと繋がるため、菖蒲殿も巻き込んだ協力関係にあること。そして、この度ミズキ達は、ソラにある暁という組織と合併し、紫と名乗ることになったこと。

「これまでずっと黙っておりましたこと、そして勝手な振る舞いをしておりましたこと、心よりお詫び申し上げます」

 サヨは小さくなって、再び頭を下げた。サヨにとってコトリは、未だに王家の血を引く高貴な姫君であり、自らの唯一の主である。良かれと思ってしたこととは言え、信頼を失くすことをした自覚はある。お叱りを受けることよりも、その後で二人の関係が変わってしまうことの方が余程恐ろしく、辛いのだ。

 しかし、コトリの声に怒りの色はなかった。

「サヨ、いつまで私の侍女でいるつもりなの? 顔を上げてちょうだい」
「しかし」
「一人で抱え込み続けて大変だったでしょう?」

 サヨが驚いたように、ゆっくりと表を上げた。

「もちろん、びっくりしたわ。姉上のことなんて、特に。でもサヨが、私のために危険な橋を渡り続けてくれていたことが、申し訳なくって。無事でいてくれて、本当に良かったわ」
「コトリ様……」
「これからも、私には話しづらいことがたくさん出てくるかもしれない。でも、私とサヨは友だもの。力になれることもあるかもしれないわ。できればまた、話してほしい」
「はい」

 サヨは拍子抜けしたのか、ほっとしすぎたのか、目に涙を溜めていた。

「許してくださり、ありがとうございます」
「許すも何も、私こそ感謝しかないわ。ありがとう」

 サヨは瞬きして流れた涙を衣の端で拭うと、居住まいを正した。

「では早速なのですが」

 サヨは、クレナ王を討つための計画を明らかにした。今後、ソラでは、暁を中心に神具師の伝手や瓦版を使って紫の思想を広め、協力体制を築いていくことになっている。そしてクレナでは、コトリから各地の社へ王家に屈しない紫という組織のことを広めてほしいというものである。

「そうね、社は基本的に私の味方と思って構わないと思うわ。総本山の火を使えば、すぐにでも各地へ私の声を届ける事はできるでしょう」
「どうもありがとうございます!」
「それともう一つ、私から案があるわ。王家を倒すならば、徹底的にやりましょう。私、もう父上に怯えることは止めたの。私は私のために、もっと努力することにしたわ」

 サヨは、再びキョトンとすることになった。コトリが、こんなにも王家を倒すことに乗り気だとは知らなかったのである。

「まずは、これを見て」

 コトリが差し出してきたのは、先程女官が持ってきた楽師団の予定を書いたものだった。

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