琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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67疑惑

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 クロガは、顔色一つ変えなかった。

「やっと思いついたの?」

 クレナ王が頑なにコトリとソラに縁ができぬよう阻んでいるのは、昔からの事だ。正攻法では埒が明かぬのは分かっているのだから、クロガからすると、今更な方策なのである。

「前に貰った文に書いてたけど、コトリ様は王族が嫌いなんでしょ。たぶん、クレナ王家が滅べば喜ぶんじゃない?」
「クロガにそこまで賛成されるとは思ってなかったな」
「だって、もし無理やりコトリ様をソラへお連れしても、あの王は大人しく黙っているわけがない。既にクレナでは、ソラが仮想敵国ってことになってるみたいだし、もう水面下では潰し合いが始まっているようなものだよ」
「しかも、向こうはうちに勝つ気でいるらしい」
「馬鹿だね」

 クロガの笑いは薄黒かった。

 もし神の視点で二国を比べた場合、明らかにソラの方が裕福なのである。民が下々まで豊かであり、職人魂が田舎の隅々まで行き渡っているため、攻防共に神具を使った巧妙なものになるだろう。

 兵を新たに徴集するとしても、クレナの民は栄養失調の死にかけた者ばかりで、武器を持たせたところで使い物にならぬのは目に見えている。しかも、王家に対する不満が天に届くほど高まっているので、民が素直に兵として働くかどうかも怪しい。つまり、普通に考えて、ソラが負けるわけがないのだ。

 しかし、懸念事項も無いわけではない。

「けれど、クレナは帝国と繋がっているらしい」

 カケルは声を落として言った。
 そもそもコトリが楽師団に入ることになったきっかけは、帝国との縁談だ。コトリは、ソラ国王家も太鼓判を押す程の価値ある女。そんな彼女と引き換えに、おそらく戦力を手に入れる算段なのだろう。

「やはり、コトリが帝国に奪われぬようにすることが肝要だな」
「そうだね。それに、クレナへ攻め込む、もしくはクレナを実質的支配下に置くとなると、コトリ様の力は必要だよ」

 単純に、コトリがシェンシャンの演奏を披露するだけでも、人々の心を掌握する上では有効だろう。

 さらに、ニシミズホ村の神官の老人の話から、コトリが社を通じて各地に力を及ぼしているのは確認できている。王宮への道中で立ち寄った街でも確認したところ、各社では同様のことが起こっていたらしい。社が王家からは独立したものであり、かつコトリの味方であるならば、かなり使える組織であるのは間違いない。

 クレナ王家に気づかれぬよう、コトリの名声を着実に広めて、彼女への信奉心ならぬ信仰心を人々の中で深めていけば、大きな戦禍を残す事なく国盗りもできるのではなかろうか。

 チヒロを置き去りにし、カケルとクロガは大いに夢を語り合い続けた。

「たぶん、クレナを併合したら、兄上は相当苦労するだろうけど、わりと本気でこの案を視野に入れるべきだと思うよ」
「確かにな」

 併合するとなれば、クレナにソラ流のものをどうやって浸透させ、どうやって新たな領土にソラの人間を置くのか。流通はどうするのか。律令も現在は各国で異なるのだ。それぞれの地域に鑑みた繊細な調整が必要となる。もちろん、クレナの王族も全員処刑というわけにもいかない。考えることは山のようにある。

「でも、まずは、大義名分が要るんじゃないか?」

 間違っても、カケルがコトリと相思相愛になりたいからなんて理由を表に出すわけにはいかない。民は、正義がある方と、自分達の利になりそうな方へ味方する性質があるのだ。多くの者が、クレナを攻めるに納得できるような何かを示さねばならない。
 しかし、すぐには良い建前が思いつかなかった。

 クロガは、腕を組みながら池の水面を見つめる。

「そういえば、兄上。瓦の神具の扱いって、知ってる?」
「随分前になるけど、一応父上から一通りの手ほどきは受けてるよ」
「それ、僕にも教えてくれないかな? ちょっと探ってみたいことがあるんだ。まず、他国の事よりも自国のことなんだよね」
「何か気になる事があるのか?」
「うん。例えば、アグロの事とか」
「宰相が?」

 クロガは、目だけを動かして辺りにチヒロ以外がいないことを確認すると、小さく頷いてみせた。

「僕達兄弟が政に関われないよう、徹底されているんだ」

 寝耳に水だった。てっきり、どこかの貴族が娘をカケルの妻に据えたいと言ってきたり、有名な職人の娘が名を交換したいと押し掛けてくるといった迷惑行為と関係するのかと思っていたのに。

「それは、確かに不自然だな」

 なぜなら、ソラ王が健在であった頃は、カケル達兄弟が幼いにも関わらず、国政の場に駆り出され、長時間拘束される事が多かった。意味が完全に理解できぬとも、将来役に立つからと言われて、様々な大人の話し合いに同席させられ、時には意見まで求められることもあったのだ。そんな方針が、すっかり消えてしまったという。

「たぶんアグロは、もはや父上にお仕えしているという意識は無いと思う」
「というよりも、王族を傀儡にする気満々なんじゃ」

 カケルの預かり知らぬところで、非常にきな臭い事態になっていたようだ。今のところは、目立って独裁的な振る舞いは見られていない。民から、宰相を避難する声も上がっていないようだ。

 しかし、何も無い静かな様子だからこそ、気味が悪い。クロガ達王族を遠ざけているということは、見られたくないこともあるのだろうか。どんな事をクロガ達に隠しているのかは見当もつかないが、あまりに怪しい。もはや宰相アグロは、昔とは別人と考えた方が良さそうだ。

「そうそう。最近クレナ王家は、ソラから神具を大量に買い上げているらしい。僕の手の者で調べた限りでは、ソラ王家も一枚噛んでるのは確かなんだ」
「今のソラがクレナに対してどういう対応をしているのかも知っておきたいな」
「うん。いろいろと情報を集めた上で動かなきゃね。これは、兄上が王になった時にも役に立つ。それに、クレナへ切り込むきっかけも掴める気がするんだ」

 白熱する兄弟の会話を前に、チヒロは半分白目になっている。明らかに、本来聞いてはならぬ話が延々と繰り広げられているのだ。そして彼らもまた、彼女の存在を忘れ去っていた。

「クロガ、ありがとう。それと、すまない」
「その代わり、兄上は絶対にコトリ様を手に入れてくれ。兄上がいつまでも手こずってるならば、僕が貰うよ」
「絶対にやらん!」

 ここで、チヒロが突然立ち上がる。

「何言ってんの? コトリ様はうちのだよ!」

 王族相手にキレている。あまりの剣幕に、男二人はようやく静かになった。

「客人放置して、機密事項ばっかり喋るんじゃないよ。あたしは、ここに居る意味があったのかね?」
「えっと、兄上。とりあえず暁は、ソラ王家公認の組織として引き上げたらどうだろう?」
「そうだな。そしてチヒロ達には、対クレナの布石として、コトリの素晴らしさを各地で説いて回ってもらおうか」

 カケルとクロガは、慌ててチヒロを話の輪に引き入れようとするも、彼女の目は据わったまま。母親に叱られたような気まずさに包まれたカケルは、客室に戻ってゆるりとするようチヒロに告げた。すると、近くの生垣の影にいた侍従が出てきてチヒロを先導し、四阿を離れていく。

「そういえば、クロガ。ラピスは来たかな?」
「うん、少し前に。勝手に兄上の工房へ入っていったけど、いいんだよね?」
「あぁ、問題ない」

 クロガは、何か言いたげな視線を向けていたが、カケルは知らぬフリをした。

「じゃ、明日にはクレナへ発つよ。クロガ、くれぐれもアグロには気をつけろ。それと、他の皆にもよろしく」
「分かったよ」

 そうしてカケルは、他の王族への挨拶もそこそこに、再びクレナを目指して旅立ったのである。

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