59 / 214
58二人寝
しおりを挟む
サヨは、つい先日も、香火の契で言いくるめられて、衣を剥がれてしまったことを思い出す。あんな羞恥体験は二度としたくないと思っていたところへ、またこれだ。しかし、断ることはできそうもない。
「禊できる衣はお持ちですか?」
「あるよ」
たまたまサヨ達は端部屋だった。しかも井戸が近い。水を汲みに行くこともできる。部屋には洗面用の大きな桶と柄杓、洗濯用のたらいもあった。できないことは、ない。
「仕方ありませんね」
ミズキが水汲みをしている間、サヨは濡れても良い衣に着替えた。その後は、部屋の前の庭に出て、書き物用に持ってきた紙で紙垂を作り、たらいと柄杓に貼り付ける。その背後で、ミズキも着替えを済ませたようだった。
祝詞を唱え、庭の地面に座り込むミズキの頭へ水を掛け流していく。音はなるべく立てたくない。細い糸のような水の流れが、さらさらとミズキの髪と体を少しずつ濡らしていく。今夜の月は丸く、明るい。やがてしっとりとした衣からその下の身体が透けて見えるようになった。中性的な艶かしさは人を惑わせる力があるのか。サヨはできるだけ直視せぬよう心がけながら、無心でミズキを清めていった。
先に部屋の中へ戻ったのはサヨだ。濡れた体を拭いて新しい衣を着る。
「どうぞ」
やっと許しを得て、ミズキも中へ戻ってきた。板張りの床に水たまりができる。
「ちゃんと拭いてください」
「できない。拭いて?」
「子どもですか?」
言いたい事はたくさんあるが、もう夜も遅い。誰か人が来てしまってもいけないので、サヨは渋々ミズキの肩口だけ拭いてやった。すると、しゃがみこんでサヨを見上げてくる。髪も拭いてくれということらしい。大きな溜息が出た。
「それにしても、あの店主さん、今頃どうしてるだろうな」
ミズキが唐突に話し始めた。
「ヨロズ屋のソウ殿のことですか?」
「あぁ、そうだ。発つ前に会ってきたよ。悪い奴ではないと思うけど」
「けど?」
「あいつ、姫さんに惚れてるな」
部屋の中の薄明かりに照らされたサヨの表情は変わらない。ミズキに言われずとも分かっていた事だ。
「いいのか?」
「いいわけがありません。でも、利用できますから、まだ対処していないだけです」
「俺のことも、そんな感じ?」
「え、いや。それは……」
サヨは言葉を濁して黙ってしまった。一通りミズキの髪を拭き終えると、その手ぬぐいは桶の中へ放り込む。片付けは明日の朝で良いだろう。
「もう寝ましょう」
サヨはミズキの方を見向きもせず、自分の寝台へ向かい、横になった。厚手の敷物に、程よく身が沈み込んだが、なぜだか居心地は悪いまま。きっと、二つの寝台の間に衝立が無いからだろう。
ふっと、部屋にあった蠟燭の灯りが消えた。
しばし、サヨの背を向けた方で衣擦れの音が続く。ミズキが着替えている、とサヨは思って、知らぬ間に息を凝らして小さくなっていた。まるで悪戯をした後の幼子のように。
「サヨ」
ミズキの声が、妙に優しげである。
「ありがとう」
「いいえ」
ついつい反射的に返事してしまった。今夜はもう喋らぬと決めていたのに。
「そっち、行ってもいいか?」
この男は何を馬鹿なことを考えているのか。今度こそ黙りを決め込んでいたのに、とんでもないことが起きてしまった。
「え……嘘?!」
サヨがそっと振り返ると、ミズキが自分の寝台をサヨのものにくっつけている。それだけではない。暗くてほとんど何も見えないが、おそらくミズキは何も身に着けていないのだ。
「サヨはいつも脱いで寝ないの?」
「あなたと同室なのに、脱げるわけがないじゃない」
「明日からはいよいよソラの奥へ入っていく。姫さんのために情報収集もするんだろ? ちゃんといつも通りにして体を休ませないと、きっとよく眠れない」
「ほんと、誰のせいで」
「ほら、脱いだ、脱いだ」
ミズキの腕がサヨを拘束して、寝台がギシリと軋む。夏の衣は元々薄くて、腰帯も簡単に解けてしまうものだ。
「……やめて」
尊い身分である貴族の娘と、辺境の村出身の庶民の男。普通ならば出会わないはずの二人が、今、互いの顔に息がかかる程間近で見つめ合っている。
「サヨ」
ミズキの声に甘さが増した。彼の前では、サヨもただのか弱い女だ。顔を背けると、涙声が絞り出された。
「駄目」
「やっぱり、可愛いな」
「お願い。もう、勘弁して」
「大丈夫。まだ何もしない。まだ、な」
ミズキは剥ぎ取った衣をサヨの上に被せると、自身はその隣で横になった。腕を伸ばしてサヨの腰を抱くようにする。抵抗されないのをいいことに、小さな背中を撫でてみた。サヨの肩は、ぴくりと跳ねる。
「サヨ。俺達は、もはや一蓮托生だ。諦めて落ちてこいよ、俺のところに」
染みひとつ無い白く滑らかなサヨのうなじ。ミズキは、唇を強く押し当てた。
「禊できる衣はお持ちですか?」
「あるよ」
たまたまサヨ達は端部屋だった。しかも井戸が近い。水を汲みに行くこともできる。部屋には洗面用の大きな桶と柄杓、洗濯用のたらいもあった。できないことは、ない。
「仕方ありませんね」
ミズキが水汲みをしている間、サヨは濡れても良い衣に着替えた。その後は、部屋の前の庭に出て、書き物用に持ってきた紙で紙垂を作り、たらいと柄杓に貼り付ける。その背後で、ミズキも着替えを済ませたようだった。
祝詞を唱え、庭の地面に座り込むミズキの頭へ水を掛け流していく。音はなるべく立てたくない。細い糸のような水の流れが、さらさらとミズキの髪と体を少しずつ濡らしていく。今夜の月は丸く、明るい。やがてしっとりとした衣からその下の身体が透けて見えるようになった。中性的な艶かしさは人を惑わせる力があるのか。サヨはできるだけ直視せぬよう心がけながら、無心でミズキを清めていった。
先に部屋の中へ戻ったのはサヨだ。濡れた体を拭いて新しい衣を着る。
「どうぞ」
やっと許しを得て、ミズキも中へ戻ってきた。板張りの床に水たまりができる。
「ちゃんと拭いてください」
「できない。拭いて?」
「子どもですか?」
言いたい事はたくさんあるが、もう夜も遅い。誰か人が来てしまってもいけないので、サヨは渋々ミズキの肩口だけ拭いてやった。すると、しゃがみこんでサヨを見上げてくる。髪も拭いてくれということらしい。大きな溜息が出た。
「それにしても、あの店主さん、今頃どうしてるだろうな」
ミズキが唐突に話し始めた。
「ヨロズ屋のソウ殿のことですか?」
「あぁ、そうだ。発つ前に会ってきたよ。悪い奴ではないと思うけど」
「けど?」
「あいつ、姫さんに惚れてるな」
部屋の中の薄明かりに照らされたサヨの表情は変わらない。ミズキに言われずとも分かっていた事だ。
「いいのか?」
「いいわけがありません。でも、利用できますから、まだ対処していないだけです」
「俺のことも、そんな感じ?」
「え、いや。それは……」
サヨは言葉を濁して黙ってしまった。一通りミズキの髪を拭き終えると、その手ぬぐいは桶の中へ放り込む。片付けは明日の朝で良いだろう。
「もう寝ましょう」
サヨはミズキの方を見向きもせず、自分の寝台へ向かい、横になった。厚手の敷物に、程よく身が沈み込んだが、なぜだか居心地は悪いまま。きっと、二つの寝台の間に衝立が無いからだろう。
ふっと、部屋にあった蠟燭の灯りが消えた。
しばし、サヨの背を向けた方で衣擦れの音が続く。ミズキが着替えている、とサヨは思って、知らぬ間に息を凝らして小さくなっていた。まるで悪戯をした後の幼子のように。
「サヨ」
ミズキの声が、妙に優しげである。
「ありがとう」
「いいえ」
ついつい反射的に返事してしまった。今夜はもう喋らぬと決めていたのに。
「そっち、行ってもいいか?」
この男は何を馬鹿なことを考えているのか。今度こそ黙りを決め込んでいたのに、とんでもないことが起きてしまった。
「え……嘘?!」
サヨがそっと振り返ると、ミズキが自分の寝台をサヨのものにくっつけている。それだけではない。暗くてほとんど何も見えないが、おそらくミズキは何も身に着けていないのだ。
「サヨはいつも脱いで寝ないの?」
「あなたと同室なのに、脱げるわけがないじゃない」
「明日からはいよいよソラの奥へ入っていく。姫さんのために情報収集もするんだろ? ちゃんといつも通りにして体を休ませないと、きっとよく眠れない」
「ほんと、誰のせいで」
「ほら、脱いだ、脱いだ」
ミズキの腕がサヨを拘束して、寝台がギシリと軋む。夏の衣は元々薄くて、腰帯も簡単に解けてしまうものだ。
「……やめて」
尊い身分である貴族の娘と、辺境の村出身の庶民の男。普通ならば出会わないはずの二人が、今、互いの顔に息がかかる程間近で見つめ合っている。
「サヨ」
ミズキの声に甘さが増した。彼の前では、サヨもただのか弱い女だ。顔を背けると、涙声が絞り出された。
「駄目」
「やっぱり、可愛いな」
「お願い。もう、勘弁して」
「大丈夫。まだ何もしない。まだ、な」
ミズキは剥ぎ取った衣をサヨの上に被せると、自身はその隣で横になった。腕を伸ばしてサヨの腰を抱くようにする。抵抗されないのをいいことに、小さな背中を撫でてみた。サヨの肩は、ぴくりと跳ねる。
「サヨ。俺達は、もはや一蓮托生だ。諦めて落ちてこいよ、俺のところに」
染みひとつ無い白く滑らかなサヨのうなじ。ミズキは、唇を強く押し当てた。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。アメリアは真実を確かめるため、3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

聖女のわたしを隣国に売っておいて、いまさら「母国が滅んでもよいのか」と言われましても。
ふまさ
恋愛
「──わかった、これまでのことは謝罪しよう。とりあえず、国に帰ってきてくれ。次の聖女は急ぎ見つけることを約束する。それまでは我慢してくれないか。でないと国が滅びる。お前もそれは嫌だろ?」
出来るだけ優しく、テンサンド王国の第一王子であるショーンがアーリンに語りかける。ひきつった笑みを浮かべながら。
だがアーリンは考える間もなく、
「──お断りします」
と、きっぱりと告げたのだった。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる