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55スバルの思い
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目を開けると、ヤエが間近に見えた。つい最近も、こんな事があった気がする。
「姫様! お気づきになられたのですね」
「えぇ。連日、心配をかけるわね。もう大丈夫よ」
どうやら、また気を失って倒れていたらしい。コトリはよろよろと起き上がる。周囲の神気の流れは穏やかで、ウズメの姿は無い。
「本日はルリ神とお会いになられたのですか?」
ヤエは興味津々のようだ。
「いえ。他のたくさんの神々と」
コトリはウズメから聞いた懸念と、その結果多くの神々に対面して無事に認められた話をした。
集まった神々は、各地の社で祀られている者や、クレナやソラで亡くなった人が神格化した者、神の眷属となっている獣達も含まれていた。中には人が理解できる言葉を話さぬ神も多かったが、いずれもがコトリのシェンシャンの音に聴き入り、最後にはコトリに加護を与えていった。コトリはそれらを湯水のように全身に浴びて、身体が大量で濃密な神気を受け入れるうちに気絶してしまったらしい。
「では、あらゆる神々が姫様の味方になってくださるということなのですね」
「おそらくは」
コトリのヤエに対する応えは控えめだ。王宮では疎まれがちな末姫であった未熟な自分が、ここまでの恵みを神々から与えられたのには、我が事ながら未だに信じきれないものがある。
だが、これでようやく、あのシェンシャンの持ち主として胸を張ることができるのは確かだ。ウズメ曰く、シェンシャンの音もより自由自在に操れるようになるだろうとのことだ。
「実は先程、叔父上もこちらにいらっしゃっていたのですよ」
「スバル様が?」
コトリは顔を赤くする。やはり、致し方なかったとは言え、寝顔を異性に見られるのは恥ずかしいものだ。
「はい。つきっきりで姫様の儀式に侍りたいとおっしゃっておいでだったのですが、お忙しいようで、すぐに帰られてしまいました」
「大神官ともあろうお方ですもの。他にせねばならぬことが多いのは当たり前です」
ヤエは頷きながらも、内心じれったい気持ちが燻るのを感じた。
スバルがコトリに目をかけているのは、彼女が王女だとか、弟子だからという理由ばかりではない。単純にコトリを好いている。それも、男と女としてだ。
ヤエがそれに気づいたのは、もう随分前のことだ。ヤエは、コトリの侍女の中でも、サヨに次いで古参である。昔から、スバルが用も無いのにコトリと頻繁に接触してくることを知っていた。つまり、コトリが幼女である時代からなのである。
幼女趣味はいかがなものか。歳の差もかなり大きい。侍女として、姪として、どう対応すべきかと悩んだこともある。
けれど、いっそ気持ちが良いぐらいに叔父はコトリの眼中に無い。コトリはずっと一途にカケルのことだけを想い、心の寄る辺にしてきたのだから。ヤエが、スバルが余計なことをしないか気を揉むだけ無駄だったのだ。
そんな状況が変わったのは、最近のことだ。コトリが王女を辞めて、庶民として楽師になりたいとなった時、彼女は初めて自らが望んで社へ助けを求めた。もちろんスバルはそれを喜んだが、ヤエは彼の中で高まる期待をへし折るように、真の事情を説明したのである。
「姫様が長年お慕いしているのは、叔父上ではありません」
きっぱりと告げた。
身内とは言え、年長で、自らよりも高い身分の叔父に伝えるのは気が引ける。それでも、ヤエはコトリの侍女なのだ。コトリがなぜ社を頼ることになったのか、勘違いさせるわけにはいかなかった。
その時のスバルの顔は、今でもヤエの脳裏に焼き付いている。
「知っているよ」
怒るでもなく、やけを起こすでもなく。ただスバルはそう言って、申し訳なさそうに肩をすくめたのである。
「大切なコトリの願いは何でも叶えたい。それが例え、他の男を応援することになろうとも」
こうしてスバルは、コトリが社に身を置くという擬態をもって、楽師となることを助けたのであった。
スバルは社の頂点に立つ男で、見目も悪くない。佇まいや所作も洗練されていて美しく、何かと機転もきく賢さがあるばかりか、時には下々の民を良きに導く話術を発揮して、人々を魅了することもできる。
なのに、これまで縁談がことごとく結ばれなかったのは、彼がコトリという存在を知ってしまったからに他ならない。
スバルは言う。コトリほど神に愛された娘はいない、と。長く神に仕え続け、神事を取り仕切ってきた彼だからこそ、コトリの生来の才能や気質の尊さを見抜くことができていた。それは慈愛や敬愛から始まって、いつしか自らのものにしたいという欲にまで発展してしまう。
しかし、さすがは神官と言おうか。コトリへ直接的な働きかけをするような低俗なことはしない。ただ見守り続ける姿は、女のヤエからしても痛々しいが、それもまた神に与えられし運命なのか。
ヤエは、何も知らないコトリの髪を整えた。倒れた拍子に崩れてしまったのだ。
「ところで姫様」
ヤエは縋るような気持ちでコトリを見つめる。
「今夜はこちらでお休みになりませんから。夕暮れから祭りがあるのです」
スバルのため、少しでも長く社に滞在してもらうことはできないだろうか。決して無体な真似はさせない。だから、コトリの目標が達成されるその前に、ひとときの夢を見させてあげてほしい。
侍女を辞めて社に住むようになり、ヤエはスバルの横顔をよく見るようになった。彼は、真面目だ。コトリと神のためならば、本当に何だってするだろう。褒美の一つがあっても良いはずである。
コトリは思案する様子だ。
「姫様、考えていただけませんか?」
つい、声がうわずってしまった。
「分かったわ。今夜はこちらで世話になります。庶民的なものに触れられるのは勉強になりますし、何より楽しそうだわ」
「ありがとうございます」
女二人の笑顔が咲いた。
「姫様! お気づきになられたのですね」
「えぇ。連日、心配をかけるわね。もう大丈夫よ」
どうやら、また気を失って倒れていたらしい。コトリはよろよろと起き上がる。周囲の神気の流れは穏やかで、ウズメの姿は無い。
「本日はルリ神とお会いになられたのですか?」
ヤエは興味津々のようだ。
「いえ。他のたくさんの神々と」
コトリはウズメから聞いた懸念と、その結果多くの神々に対面して無事に認められた話をした。
集まった神々は、各地の社で祀られている者や、クレナやソラで亡くなった人が神格化した者、神の眷属となっている獣達も含まれていた。中には人が理解できる言葉を話さぬ神も多かったが、いずれもがコトリのシェンシャンの音に聴き入り、最後にはコトリに加護を与えていった。コトリはそれらを湯水のように全身に浴びて、身体が大量で濃密な神気を受け入れるうちに気絶してしまったらしい。
「では、あらゆる神々が姫様の味方になってくださるということなのですね」
「おそらくは」
コトリのヤエに対する応えは控えめだ。王宮では疎まれがちな末姫であった未熟な自分が、ここまでの恵みを神々から与えられたのには、我が事ながら未だに信じきれないものがある。
だが、これでようやく、あのシェンシャンの持ち主として胸を張ることができるのは確かだ。ウズメ曰く、シェンシャンの音もより自由自在に操れるようになるだろうとのことだ。
「実は先程、叔父上もこちらにいらっしゃっていたのですよ」
「スバル様が?」
コトリは顔を赤くする。やはり、致し方なかったとは言え、寝顔を異性に見られるのは恥ずかしいものだ。
「はい。つきっきりで姫様の儀式に侍りたいとおっしゃっておいでだったのですが、お忙しいようで、すぐに帰られてしまいました」
「大神官ともあろうお方ですもの。他にせねばならぬことが多いのは当たり前です」
ヤエは頷きながらも、内心じれったい気持ちが燻るのを感じた。
スバルがコトリに目をかけているのは、彼女が王女だとか、弟子だからという理由ばかりではない。単純にコトリを好いている。それも、男と女としてだ。
ヤエがそれに気づいたのは、もう随分前のことだ。ヤエは、コトリの侍女の中でも、サヨに次いで古参である。昔から、スバルが用も無いのにコトリと頻繁に接触してくることを知っていた。つまり、コトリが幼女である時代からなのである。
幼女趣味はいかがなものか。歳の差もかなり大きい。侍女として、姪として、どう対応すべきかと悩んだこともある。
けれど、いっそ気持ちが良いぐらいに叔父はコトリの眼中に無い。コトリはずっと一途にカケルのことだけを想い、心の寄る辺にしてきたのだから。ヤエが、スバルが余計なことをしないか気を揉むだけ無駄だったのだ。
そんな状況が変わったのは、最近のことだ。コトリが王女を辞めて、庶民として楽師になりたいとなった時、彼女は初めて自らが望んで社へ助けを求めた。もちろんスバルはそれを喜んだが、ヤエは彼の中で高まる期待をへし折るように、真の事情を説明したのである。
「姫様が長年お慕いしているのは、叔父上ではありません」
きっぱりと告げた。
身内とは言え、年長で、自らよりも高い身分の叔父に伝えるのは気が引ける。それでも、ヤエはコトリの侍女なのだ。コトリがなぜ社を頼ることになったのか、勘違いさせるわけにはいかなかった。
その時のスバルの顔は、今でもヤエの脳裏に焼き付いている。
「知っているよ」
怒るでもなく、やけを起こすでもなく。ただスバルはそう言って、申し訳なさそうに肩をすくめたのである。
「大切なコトリの願いは何でも叶えたい。それが例え、他の男を応援することになろうとも」
こうしてスバルは、コトリが社に身を置くという擬態をもって、楽師となることを助けたのであった。
スバルは社の頂点に立つ男で、見目も悪くない。佇まいや所作も洗練されていて美しく、何かと機転もきく賢さがあるばかりか、時には下々の民を良きに導く話術を発揮して、人々を魅了することもできる。
なのに、これまで縁談がことごとく結ばれなかったのは、彼がコトリという存在を知ってしまったからに他ならない。
スバルは言う。コトリほど神に愛された娘はいない、と。長く神に仕え続け、神事を取り仕切ってきた彼だからこそ、コトリの生来の才能や気質の尊さを見抜くことができていた。それは慈愛や敬愛から始まって、いつしか自らのものにしたいという欲にまで発展してしまう。
しかし、さすがは神官と言おうか。コトリへ直接的な働きかけをするような低俗なことはしない。ただ見守り続ける姿は、女のヤエからしても痛々しいが、それもまた神に与えられし運命なのか。
ヤエは、何も知らないコトリの髪を整えた。倒れた拍子に崩れてしまったのだ。
「ところで姫様」
ヤエは縋るような気持ちでコトリを見つめる。
「今夜はこちらでお休みになりませんから。夕暮れから祭りがあるのです」
スバルのため、少しでも長く社に滞在してもらうことはできないだろうか。決して無体な真似はさせない。だから、コトリの目標が達成されるその前に、ひとときの夢を見させてあげてほしい。
侍女を辞めて社に住むようになり、ヤエはスバルの横顔をよく見るようになった。彼は、真面目だ。コトリと神のためならば、本当に何だってするだろう。褒美の一つがあっても良いはずである。
コトリは思案する様子だ。
「姫様、考えていただけませんか?」
つい、声がうわずってしまった。
「分かったわ。今夜はこちらで世話になります。庶民的なものに触れられるのは勉強になりますし、何より楽しそうだわ」
「ありがとうございます」
女二人の笑顔が咲いた。
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