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54瑠璃色の奏で
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屋敷の下女達に見送られ、コトリが乗った馬車は大通りを行く。社の裏手にある竹林から敷地に入り、人目が無くなったところで降りて社務所へ向かった。
「お待ちしておりました」
ヤエが出迎えた。社務所の中を通って、併設された殿へコトリを誘っていく。
ここは、王女がいるとされている場所になっていた。身代わりを務めていたヤエは、王女らしい衣を着た上で被り布をして、時折庭に出るなどし、あたかもコトリが生活しているように見せかけていたらしい。
「念には念をということで、お食事なども姫様用のものを毎度用意しているのです」
中に入ると、調度類も王女のためのものが設えられていて、シェンシャンを練習するための墨色の御簾で囲まれた場所もあった。
「居心地の良さそうなお部屋だわ」
風通しが良く、見晴らしも良い。柱や梁の重厚感や、繊細な技工が凝らされた卓と椅子、巻き上げられた茜の御簾から下がる禁色を合わせた飾り紐。
楽師団で割り当てられた宿舎も決して粗末ではないのだが、王女として育った身としては、やはりこのような場所の方がしっくりと馴染むのである。
「神とのご対面はこちらでなされてはいかがでしょうか」
ヤエが、厚手の御簾で仕切られた向こう側、隣の部屋へ案内した。行くと、そこには神棚がある。見上げる程高い場所。社本殿と方向を同じくしている。榊の葉で挟まれた鏡にはシェンシャンを模したものが彫り込まれていた。
「これは、スバル様が?」
まるで、分社のようだ。鏡も貴重なものに見える。きっと準備は大変だったにちがいないと思うと、少し申し訳なくなってしまう。
「えぇ。拝殿から移した火もこちらに」
ヤエは、部屋の片隅にある灯籠を示して見せた。中の火がちらちらと揺れている。この暑さのみぎり、離れて見ているだけで体温が上がってきそうだ。
「十分です。ありがとう」
コトリはヤエを下がらせると、自分で庭に面した御簾を下ろした。ますます部屋の熱が籠もってしまいそうだが、これから行うのは秘すべき儀式なのである。
「ウズメ様」
一声かけると、コトリの視界に漂っていた神気が一所に集まってすぐに人の形を成していく。ふわりと神棚の前に佇むと、ゆっくりとコトリの方を見上げてきた。
「なかなか気の利く侍女ね。気に入ったわ」
ウズメはもう、顔を直接見られることを気にしなくなったようだ。
「それはよろしゅうございました。では、本日はどうすれば」
「ルリ様に引き合わせる前に、先にしておくべきことがあるの」
「シェンシャンならばあります」
コトリは手元のシェンシャンの包を引き寄せた。
「それはまだいらない。先に火を使いましょう。そなたがルリ様の依り代の持ち主として、他の神々から認められなければならないから」
「他の神々?」
「はい。クレナ国とソラ国にある全ての社と、そこに属する神々へ話をつけておかないと、後々困ったことになるかも」
ルリ神は二国において最高神である。それよりも格下の神からすると、ルリ神を懐に収めたコトリは、下手をすると悪の手先と認定されて、よからぬ災いが振りかかるかもしれない。
ウズメ自身は、ルリ神が自ら進んでコトリのシェンシャンを依り代に選んだことを知る故に、とりわけ反対の立場はとっていないが、他の神々までそうとは限らないのだ。
「でも、そんなに多くの社に出向いている余裕は無いわ」
「大丈夫。火があるからね」
火は、各社の拝殿にもある。その火は全て、ここ社総本山から移されたもの。それぞれの火は、ただ人には見えぬ太い繋がりを持っているのだ。
「火を通して、各地の神々と一同に対面することができるのよ」
ウズメは早速と言うと、灯籠の中の炎に向かって彼女自身の濃い神気を流し込み始めた。炎の色が次第に変化していく。赤から青、やがて白くなって、ついには玉虫のように様々な色彩を映し出すようになった。
なぜか熱さは伝わってこない。きっとこれは、火が火ではなくなっている。神の世界への入口と変わり果てているのだ。
「これで各地の火と繋がったわ。後は祓えの詞を口にすれば、他の神々と会えるはず」
コトリは、ウズメに向かって小さく頷いた。想像以上の出来事を前に気が動転しそうになっている。
一度深呼吸すると、数歩灯籠に近づいて拝礼の姿勢をとった。
「掛けまくも畏き瑠璃神暁の香山の紫陽花の野に集めし露より禊ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等諸々の禍事・罪・穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと恐み恐みも白す」
そう言い切った瞬間、さっと視界が白くなった。目の前がゆらゆらとする。
やがて現れたのは、数多のシェンシャンや犬猫狐をはじめとする動物達、そして紫だちたる光を纏う人のような姿。
ウズメが側に寄ってきた。
「良かった。元よりそなたを害しようと思っている神はいないみたい。でも、まだ様子見してるだけかもね。さぁ、コトリ。私を奏でなさい。神に愛されしそなたは、良い器をもっている。その力をここに示すがいい!」
ウズメの姿がさっと煙のように崩れたかと思うと、すぐに一本のシェンシャンに早変わりした。宙を浮いてコトリの胸元にやってくると、すとんとその腕の中に収まってしまう。
見たこともない色合いのシェンシャン。きっとこれは、瑠璃色。
コトリは、懐に隠し持っていた弾片を取り出すと、シェンシャンを構え直した。しっかりと息を吐き切って自らの中を空にする。
緊張の一瞬。
弾いた。
奏で、一音。
どこまでも響きゆく。
「お待ちしておりました」
ヤエが出迎えた。社務所の中を通って、併設された殿へコトリを誘っていく。
ここは、王女がいるとされている場所になっていた。身代わりを務めていたヤエは、王女らしい衣を着た上で被り布をして、時折庭に出るなどし、あたかもコトリが生活しているように見せかけていたらしい。
「念には念をということで、お食事なども姫様用のものを毎度用意しているのです」
中に入ると、調度類も王女のためのものが設えられていて、シェンシャンを練習するための墨色の御簾で囲まれた場所もあった。
「居心地の良さそうなお部屋だわ」
風通しが良く、見晴らしも良い。柱や梁の重厚感や、繊細な技工が凝らされた卓と椅子、巻き上げられた茜の御簾から下がる禁色を合わせた飾り紐。
楽師団で割り当てられた宿舎も決して粗末ではないのだが、王女として育った身としては、やはりこのような場所の方がしっくりと馴染むのである。
「神とのご対面はこちらでなされてはいかがでしょうか」
ヤエが、厚手の御簾で仕切られた向こう側、隣の部屋へ案内した。行くと、そこには神棚がある。見上げる程高い場所。社本殿と方向を同じくしている。榊の葉で挟まれた鏡にはシェンシャンを模したものが彫り込まれていた。
「これは、スバル様が?」
まるで、分社のようだ。鏡も貴重なものに見える。きっと準備は大変だったにちがいないと思うと、少し申し訳なくなってしまう。
「えぇ。拝殿から移した火もこちらに」
ヤエは、部屋の片隅にある灯籠を示して見せた。中の火がちらちらと揺れている。この暑さのみぎり、離れて見ているだけで体温が上がってきそうだ。
「十分です。ありがとう」
コトリはヤエを下がらせると、自分で庭に面した御簾を下ろした。ますます部屋の熱が籠もってしまいそうだが、これから行うのは秘すべき儀式なのである。
「ウズメ様」
一声かけると、コトリの視界に漂っていた神気が一所に集まってすぐに人の形を成していく。ふわりと神棚の前に佇むと、ゆっくりとコトリの方を見上げてきた。
「なかなか気の利く侍女ね。気に入ったわ」
ウズメはもう、顔を直接見られることを気にしなくなったようだ。
「それはよろしゅうございました。では、本日はどうすれば」
「ルリ様に引き合わせる前に、先にしておくべきことがあるの」
「シェンシャンならばあります」
コトリは手元のシェンシャンの包を引き寄せた。
「それはまだいらない。先に火を使いましょう。そなたがルリ様の依り代の持ち主として、他の神々から認められなければならないから」
「他の神々?」
「はい。クレナ国とソラ国にある全ての社と、そこに属する神々へ話をつけておかないと、後々困ったことになるかも」
ルリ神は二国において最高神である。それよりも格下の神からすると、ルリ神を懐に収めたコトリは、下手をすると悪の手先と認定されて、よからぬ災いが振りかかるかもしれない。
ウズメ自身は、ルリ神が自ら進んでコトリのシェンシャンを依り代に選んだことを知る故に、とりわけ反対の立場はとっていないが、他の神々までそうとは限らないのだ。
「でも、そんなに多くの社に出向いている余裕は無いわ」
「大丈夫。火があるからね」
火は、各社の拝殿にもある。その火は全て、ここ社総本山から移されたもの。それぞれの火は、ただ人には見えぬ太い繋がりを持っているのだ。
「火を通して、各地の神々と一同に対面することができるのよ」
ウズメは早速と言うと、灯籠の中の炎に向かって彼女自身の濃い神気を流し込み始めた。炎の色が次第に変化していく。赤から青、やがて白くなって、ついには玉虫のように様々な色彩を映し出すようになった。
なぜか熱さは伝わってこない。きっとこれは、火が火ではなくなっている。神の世界への入口と変わり果てているのだ。
「これで各地の火と繋がったわ。後は祓えの詞を口にすれば、他の神々と会えるはず」
コトリは、ウズメに向かって小さく頷いた。想像以上の出来事を前に気が動転しそうになっている。
一度深呼吸すると、数歩灯籠に近づいて拝礼の姿勢をとった。
「掛けまくも畏き瑠璃神暁の香山の紫陽花の野に集めし露より禊ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等諸々の禍事・罪・穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと恐み恐みも白す」
そう言い切った瞬間、さっと視界が白くなった。目の前がゆらゆらとする。
やがて現れたのは、数多のシェンシャンや犬猫狐をはじめとする動物達、そして紫だちたる光を纏う人のような姿。
ウズメが側に寄ってきた。
「良かった。元よりそなたを害しようと思っている神はいないみたい。でも、まだ様子見してるだけかもね。さぁ、コトリ。私を奏でなさい。神に愛されしそなたは、良い器をもっている。その力をここに示すがいい!」
ウズメの姿がさっと煙のように崩れたかと思うと、すぐに一本のシェンシャンに早変わりした。宙を浮いてコトリの胸元にやってくると、すとんとその腕の中に収まってしまう。
見たこともない色合いのシェンシャン。きっとこれは、瑠璃色。
コトリは、懐に隠し持っていた弾片を取り出すと、シェンシャンを構え直した。しっかりと息を吐き切って自らの中を空にする。
緊張の一瞬。
弾いた。
奏で、一音。
どこまでも響きゆく。
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