琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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49二人で会いたい

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 クレナ王立楽師団は、馬車を使った長い行列をなし、都の外へと旅立っていった。ついて行くのを許されなかったのは、コトリ以外にも二人。彼らもまた荷をまとめて鳴紡殿を後にし、残ったのはコトリのみとなった。

 コトリは一人ぼんやりと部屋の片隅の椅子に腰掛けて、外を眺める。何もしなくても汗が伝うような暑さだ。その周りでは、サヨが手配した菖蒲殿の者達がコトリの身の回りの物を整理して、運搬用の箱に収めていく。コトリは、サヨの実家が持っている屋敷に移ることとなっていた。

 そこへ女官がやってくる。手には文と思しきものがあった。コトリは受け取って礼を言う。

「あら」

 差出人を見て、無意識に頬を染めたコトリだが、いざ読み始めると、再び気鬱な面持ちとなった。

 ヨロズ屋の店主ソウは、しばらく店を留守にするらしい。どうらや、ソラへ向かうようだ。コトリのシェンシャンの修理に必要な部材を含め、神具の材料を買い付けに行くとのこと。

 コトリは何やら心細くなった自分に驚いた。ソウとはまだ数回しか顔を合わせておらず、しかも異性だ。この前は体に触れることを許してしまったが、相手は商人。きっと何か商売上の下心があってのことだろう。そうと分かっているのに、心のどこかで彼を頼りにしてしまっている。

 故に、サヨが側にいなくなって寂しいところ、追い打ちをかけるような知らせだった。

 どうしても暇を持て余した時には、用も無いが店を覗きに行くのも良いかもしれないと思っていたのに、とコトリは唇を噛む。いや、半ば本気で行こうと決めていた。王宮を出たコトリに、知り合いなどほぼいない。サヨからは、菖蒲殿に頼れば良いと言われているが、先方もややこしい事情を抱えた王女など、内心疎ましく思っているだろう。もう溜息しか出ない。

 初めはサヨすらいない所で生きていくつもりだったのに、今はこんな体たらく。母のように庶民の生活がしてみたいなどと考えていたのに、結局貴族的な範疇からは一向に抜け出せていない。情けなさに涙が滲みそうだ。

 コトリは、続きを読み進めた。

 ソウは、コトリとサヨが依頼した神気の色を示す神具も作っている最中らしい。遠からず完成しそうなので、出来上がり次第二人で会いたいとあった。さらに最後には、どうしてもソラへ行きたい場合は便宜を図るとも書かれてある。

 胸が熱くなった。

 こんなに辛いときに優しい言葉をかけられると、ふっと気持ちが持っていかれそうになってしまう。別の人を好きなはずなのに。

「あら」

 その時、コトリは何か気にかかることがあった。改めて文の字面を眺める。やや癖のある達筆。見覚えがある気がして、しばらく見つめていた。

「カケル様」

 その昔、カケルと文のやり取りをしていたことがあった。もちろん受け取った文は全て大切にとってあったが、ある日突然クレナ王に取り上げられて燃やされてしまったのだ。しかも、カケルとやり取りすることまで禁じられてしまった。

 サヨを通じて文を出すことも考えたが、王は自身の目となる影を多く召抱えていると聞く。その隙を縫って隠し事をするのは、かなり骨が折れるのは明らかだ。コトリは泣く泣く諦めることにした。

 あの時の文がまだ残っていれば、本人のものかどうか確認できたのに。と考えたところで気づく。ソウがカケルであればいいのに、と願ってしまっていることに。

 コトリは、邪念を振り払うように、激しく首を横に振った。

「ありえないのに、ね」

 自分で放った言葉に、自らが傷ついてしまった。

 菖蒲殿の者達が、荷を部屋の外へと運び出していく。コトリもそろそろ出た方が良いだろう。いつまでも居座っていては、遠征中にまとまった休みを取ろうとしている女官達から睨まれそうだ。

 コトリは、カケルへの返事を慌てて書くと、それを持って鳴紡殿の門をくぐった。数人いた衛士の内の一人に金子を持たせて、文をヨロズ屋へ届けるよう依頼する。衛士は、いつもよりも綺麗にしているコトリを前にして顔を赤らめると、一直線にヨロズ屋方面へと通りを走っていった。

 コトリはその背中を見送ると、祈るようにして空を見上げる。

 文に書いた言葉。
 早くお会いしたいです。お待ちしております。
 本当は、カケルに伝えたい気持ちだ。

 コトリは菖蒲殿へ向かう前に、先に社へ向かうことにした。そのために、今日はめかし込んでいるのだ。そろそろ王女が社にいるという所を人々に見せておかねば、王との約束を違えるどころか、王女が行方不明になったとか、殺されただとか妙な噂が流れても堪らない。


 ◇


 社は、明るい林に囲まれた閑静な場所である。砂利を踏みしめて参道を行くと、見上げると首が痛くなりそうな、高い鳥居がある。それをくぐり抜けてしばらく行くと、神官がいる詰め所があった。戸を叩く。中から出てきたのは懐かしい顔だった。

「姫様!」

 コトリは慌てて人差し指を唇に当てて、目の前の女を宥めにかかった。

「ヤエ、元気そうね」
「はい、お陰様で。お役目も上手くいってると思いますよ」

 ヤエは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせる。ヤエは、コトリ付きの元侍女だった。髪がやや赤みがかっているので、コトリの影武者として抜擢され、今は社を住まいとしている。

 ヤエは、コトリを中へ誘って、奥の間へと進んでいった。王宮並みの高級な卓と椅子があり、暑さを凌ぐためなのか、大きな氷まで置かれている。廊下の天井からは風鈴が下がっていて、涼やかな音が耳を楽しませた。

「姫様は少しお疲れのご様子ですね。後程、姫様がお好きな菓子をお持ちします」
「ありがとう」
「では、叔父上を呼んで参りますわ」

 そう言った瞬間、広間に足音が近づいてくる。コトリは相手の顔をみとめると、慌てて椅子から立ち上がった。

「スバル様、お久しゅうございます」

 スバルは、ここ社総本山の大神官だ。クレナ国における神官の最高職にいる男である。

 社は王家から独立した組織でありながら、王家と比肩する力を持っている。基本的に政治には介入してこないが、シェンシャンをご神体としているため、王族のシェンシャン教育や、楽師団には強い影響力を持っているのだ。

 そういったことから、コトリとスバルとの出会いもまた、シェンシャンがきっかけであった。コトリはサヨと共にスバルからシェンシャンの弾き方を習い、いくつもの曲を仕込まれている。最も二人の生徒は優秀なあまり、すぐにスバルの元を卒業してしまったのだが、それ以後もゆるゆるとした交流が続いていた。

 コトリはスバルに向かって微笑みかける。
  
 彼は、年齢不詳な男だ。コトリは父親と同年代だと踏んでいるが、確かなところは分からない。髪は元々灰がかった色だったが、久しぶりに見たそれには銀のものが増え、どこか神々しく感じられた。しかし、肌は瑞々しく、昔と変わらずぱりっとした神官服を着こなしている様子。これから物を頼む身としては、頼もしい限りだ。

「文を読んだよ」

 スバルもコトリに会えて嬉しいらしい。笑むと目尻に皺が刻まれた。

「ご無沙汰にも関わらず、急なことで申し訳ございません。既に私の今後のためにたくさん協力いただいてますのに……もう頭が上がりません」
「いいさ、そんなこと。愛弟子の願いはできるだけ聞き入れたいしな。でもちょうど良かった。そろそろこちらにも姿を現してもらわねば、ややこしくなってきそうでね」
「誰かが、王女である私を訪ねてきているのですか?」
「そうなんだ。庶民や下位の貴族ならば適当にあしらっておくのだが……」

 コトリは嫌な予感がした。

「もしかして、ワタリ兄上ですか?」

 スバルは眉を下げて小さく頷く。
 彼が社に来ること自体は問題無いが、コトリを出せと罵り、本人がいないと騒ぎ立てるのは困る。先日、正妃からお灸を据えられた当てつけだろうか。コトリは遠い目をすることしかできない。

「大丈夫だよ。最近、王家からの寄進が少ないことを話したら、すぐに帰ってしまったから。これからは金欠王子と呼ぶことにしよう」

 菓子と茶を持って戻ってきたヤエが、堪えきれずに笑った。こんな時、ぱっと使える金を持っていないところが、より残念さを際立たせているとコトリは思う。

 スバルは、菓子の皿をコトリの方へ押しやった。

「それより、急ぎの用件があるのだろう?」
「はい。私、神にお会いしなければなりませんの。準備をお手伝いいただけませんでしょうか」

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