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48紅の空
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結局ユカリは、カケルに頼みこまれて、その日から工房に居候することとなった。テッコンは見かけによらず神具師の中では有名人らしく、ソラ国内のほうぼうから見習い希望の者を受け入れているらしい。ユカリは、その宿舎の一室を宛行われて住むことになったのだ。
成り行き任せだったとはいえ、どこかに腰を落ち着けるのは久方ぶりのこと。そろそろ旅にも疲れていた上、明日の食事と寝る場所を心配しなくても良い生活は天国に思えた。
ユカリは、いろいろと考えた後、ソラの王子と接触したことも文にしたためた。
返事は速かった。
クレナ王は、ユカリを褒めることもなく、もっと何か大切な情報を探って報告するようにと書いてよこした。飢えそうになったことや、野宿続きの生活への労いも無い。
この辺りからユカリは、ようやく真実が見え始める。
自分は、やはり父から大切にされていないのだと。
それは、ソラの人々との交流の中でも思い知らされることが多かった。庶民は皆、生活が苦しく余裕が無い。もちろん賊などもいるが、大抵の人は素朴で穏やかな性格をしており、世間慣れしていないユカリにも親切である。
当初は、見返りもなく食べ物などの恵みを与えてくれる人のことを不審に思っていた。だが、持ちつもたれつだと口々に言うソラの民は、本気でそう考えているのが分かるようになってきた。そこに、見目の美しさや、駆け引きの上手さなどは関係ない。ユカリそのものをありのままに受け入れて、互いに今日の日を生きることができた、それだけのことに喜びを感じて過ごすのだ。
次第にユカリの心は、父親から離れていった。そしてついに、自らを生かしてくれたソラの民に何らかの形で恩返しがしたいと願うようになるのである。
そしてクレナを出てからちょうど一年後。ユカリは、クレナの諜報員でありながら、ソラ王家にも密かに仕えることにした。
この頃には、カケルはクレナへ旅立っていた。ユカリは、幼少の頃から自分に仕えてくらていた信頼の置ける侍女へ文を出し、カケルが店を持てるよう便宜を図ってほしいと依頼していたのだ。
クレナ国の都で店を持てるのは、クレナ国民だけである。ユカリは、クレナ出身の神具師が国に帰りたがっているという筋書きを作り、侍女を通じて旅券も用意することに成功していた。
父親からの文で、クレナ国内での神具の需要がさらに高まっているのは確認済みだったので、事は予想以上に上手く運んだと言える。
一方でユカリ自身はというと、カケルを通じて知り合ったソラ王宮の者へ定期的にクレナからの情報を届けると同時に、シェンシャンの演奏を生業にしていた。
よからぬ賊や権力者に取り込まれることを恐れて、腰からはテッコンと同じくソラ王家御用達を示す金の札を下げている。王家からの指示でどこかへ出向いて弾くこともあるが、基本的には工房がある村の近辺からは動かなかった。
なぜなら、シェンシャンを教える学舎を開いていたからだ。
ほとんどが農民で、それも次男、三男など、土地を継ぐことのできない幼い子どもばかり。田畑の仕事が忙しいため、時間が空けば学舎に駆け込むという形である。
ユカリは単純にシェンシャン奏者を増やそうと考えていた。何せ、テッコンがシェンシャンをいくらでも作ってくれる。商人に卸しているシェンシャンは、室内に飾るためのものなので、高級感を出すために輝石や細かな彫刻なども必要になるが、子どもが使うものならば音さえ鳴ればそれでいい。材料も基本的に木しか使わないので、工賃さえ出せば請け負ってくれるのだ。
しかし、問題はあった。ユカリは演奏をできるものの、例えばクレナの楽師団のように土地に圧倒的な変化をもたらすことはできないのである。せいぜい、作物の実の大きさが、心なしか立派になったぐらいの成果だ。
通ってくる子ども達も、毎日は練習することができない。弦を押さえる指が痛くなって、すぐに投げ出してしまう者もいる。
そうこうしているうちに、今度はシェンシャンの演奏を研究する大人達も増えてきた。すると学舎は手狭になり、村の外れに一棟、ニ棟と建て増しされるようになった。
年月は過ぎる。
二十四歳になったユカリは学舎を発展させて、一つの組織として名乗りを上げることにした。人々は、彼らを暁と呼ぶ。陽が昇る直前の、美しい紅の空をさす名だ。
◇
ユカリは、近頃自分がまた太りだしたことに気づいてしまった。やはり初心に戻って、もっと農作業の手伝いにまわるべきか。そう考えあぐねていた時、自室に人がやってきた。
「はじめまして。ラピスと言います」
その少年は、この辺りでは見ない金髪で、丸っこい姿形は幼き日の自分を彷彿とさせるものがあった。
「神具師を目指して、修行をしています」
そう言えば、そろそろクレナからの見習いが来る時期だったな、とユカリは思う。毎年夏には、テッコンの所へ数人がやってくるのだ。しかし、わざわざ見習いが暁にまで挨拶に来るとは珍しい。
「それは御苦労様です。テッコンはもう年だけれど、技は本物ですよ。しっかり励んでください」
「ありがとうございます。それと、これなのですが」
ラピスは背負っていた風呂敷を下ろして、中から文らしきものを取り出してきた。
「うちの親方からです」
ユカリは、折りたたまれた紙の後ろに書かれた名を見て、やっと合点がいった。
「あぁ、カケル様のとこの」
「はい」
ユカリは早速開いて目を通す。季節の挨拶に始まって、暮らし向きを尋ねた後、本題が書かれてあった。
「コトリが、楽師団に?」
カケルは、ユカリが以前からクレナの楽師団の情報を欲しがっていたのを知っていたのだ。ユカリは王宮にいた頃もコトリとほぼ顔を合わせることはなかったが、特別仲が悪かったわけでもない。これを機会に、再会してみてはどうかという提案だった。
カケルとは、定期的に文のやり取りはしている。しかし今回は、王女が身分を隠して入団しているという秘密の内容故に、通常の方法ではなくラピスを使って知らせてきたようだ。
もし再会するとなれば、比較的暇なユカリの方がクレナへ向かわねばならないだろう。最近、クレナではソラの民の排斥が進んでいるとの噂もある。かつて無い程に、二国が険悪な状態になっているのは確かだ。ソラの手先になっているユカリにとって、一度クレナの様子を直に見てくるというのは大切なことのように思えた。
実は、ユカリからもカケルに伝えたい内密の情報もある。二国を行き来する商人に金を握らせて文を託すこともできるのだが、事が事だけに慎重になりたい。
ユカリはラピスに礼を言って、彼を工房へ返すと、すぐにクレナ行きの準備を始めた。暁は今も学舎としての機能が残っている。留守中の人の差配や、王家から演奏依頼が届いた際の対処。商人として擬態した上での入国となるので、商品の準備。やることは山積みである。
ようやく発つことができたのは、それから十日後のことだった。十年ぶりの帰国となる。どうしても緊張せずにはいられなかった。
妹コトリは美人で気立ても良く、何よりシェンシャンが上手い。そんな彼女でさえ王女を辞めたくなるとは、今のクレナはどうなっているのだろうか。
そして、妹は自分のことをまだ覚えていてくれているだろうか。
様々な不安がないまぜになるが、今のユカリは十年前とは別人だ。もう一人きりではない。見目のことで蔑まれ、意固地になったり、目を曇らせているわけでもない。
まず、仲間がいる。自分のできることをして、すぐ目の前にいる人々の暮らしを少しでも良くしたいという、強い志もある。
ユカリは、工房に顔を出した。
「テッコン様、いってまいります」
「気ぃつけてな。カケルによろしゅう伝えて」
「はい」
「ついでに、誰かえぇ人見つけてきたら?」
「物見遊山に行くわけではないのですが」
テッコンは豪快に笑う。
「でもまぁ、人生何あるか分からんからな。肩の力を抜いて頑張りや」
そう言って、ユカリの手に何かをねじ込んできた。
「御守みたいなもんや。肌見離さず持っときな」
見ると、勾玉の形をした石である。ユカリは、昔カケルから発行してもらった旅券と一緒に、首から下げていた紐に通しておいた。肌に当たると、ひんやりとする。
「ありがとうございます」
ソラでも、蝉の声がうるさくなってきた。
ユカリは、牛が引く荷車の端に腰を掛けると、仲間の二人と共に出発した。
成り行き任せだったとはいえ、どこかに腰を落ち着けるのは久方ぶりのこと。そろそろ旅にも疲れていた上、明日の食事と寝る場所を心配しなくても良い生活は天国に思えた。
ユカリは、いろいろと考えた後、ソラの王子と接触したことも文にしたためた。
返事は速かった。
クレナ王は、ユカリを褒めることもなく、もっと何か大切な情報を探って報告するようにと書いてよこした。飢えそうになったことや、野宿続きの生活への労いも無い。
この辺りからユカリは、ようやく真実が見え始める。
自分は、やはり父から大切にされていないのだと。
それは、ソラの人々との交流の中でも思い知らされることが多かった。庶民は皆、生活が苦しく余裕が無い。もちろん賊などもいるが、大抵の人は素朴で穏やかな性格をしており、世間慣れしていないユカリにも親切である。
当初は、見返りもなく食べ物などの恵みを与えてくれる人のことを不審に思っていた。だが、持ちつもたれつだと口々に言うソラの民は、本気でそう考えているのが分かるようになってきた。そこに、見目の美しさや、駆け引きの上手さなどは関係ない。ユカリそのものをありのままに受け入れて、互いに今日の日を生きることができた、それだけのことに喜びを感じて過ごすのだ。
次第にユカリの心は、父親から離れていった。そしてついに、自らを生かしてくれたソラの民に何らかの形で恩返しがしたいと願うようになるのである。
そしてクレナを出てからちょうど一年後。ユカリは、クレナの諜報員でありながら、ソラ王家にも密かに仕えることにした。
この頃には、カケルはクレナへ旅立っていた。ユカリは、幼少の頃から自分に仕えてくらていた信頼の置ける侍女へ文を出し、カケルが店を持てるよう便宜を図ってほしいと依頼していたのだ。
クレナ国の都で店を持てるのは、クレナ国民だけである。ユカリは、クレナ出身の神具師が国に帰りたがっているという筋書きを作り、侍女を通じて旅券も用意することに成功していた。
父親からの文で、クレナ国内での神具の需要がさらに高まっているのは確認済みだったので、事は予想以上に上手く運んだと言える。
一方でユカリ自身はというと、カケルを通じて知り合ったソラ王宮の者へ定期的にクレナからの情報を届けると同時に、シェンシャンの演奏を生業にしていた。
よからぬ賊や権力者に取り込まれることを恐れて、腰からはテッコンと同じくソラ王家御用達を示す金の札を下げている。王家からの指示でどこかへ出向いて弾くこともあるが、基本的には工房がある村の近辺からは動かなかった。
なぜなら、シェンシャンを教える学舎を開いていたからだ。
ほとんどが農民で、それも次男、三男など、土地を継ぐことのできない幼い子どもばかり。田畑の仕事が忙しいため、時間が空けば学舎に駆け込むという形である。
ユカリは単純にシェンシャン奏者を増やそうと考えていた。何せ、テッコンがシェンシャンをいくらでも作ってくれる。商人に卸しているシェンシャンは、室内に飾るためのものなので、高級感を出すために輝石や細かな彫刻なども必要になるが、子どもが使うものならば音さえ鳴ればそれでいい。材料も基本的に木しか使わないので、工賃さえ出せば請け負ってくれるのだ。
しかし、問題はあった。ユカリは演奏をできるものの、例えばクレナの楽師団のように土地に圧倒的な変化をもたらすことはできないのである。せいぜい、作物の実の大きさが、心なしか立派になったぐらいの成果だ。
通ってくる子ども達も、毎日は練習することができない。弦を押さえる指が痛くなって、すぐに投げ出してしまう者もいる。
そうこうしているうちに、今度はシェンシャンの演奏を研究する大人達も増えてきた。すると学舎は手狭になり、村の外れに一棟、ニ棟と建て増しされるようになった。
年月は過ぎる。
二十四歳になったユカリは学舎を発展させて、一つの組織として名乗りを上げることにした。人々は、彼らを暁と呼ぶ。陽が昇る直前の、美しい紅の空をさす名だ。
◇
ユカリは、近頃自分がまた太りだしたことに気づいてしまった。やはり初心に戻って、もっと農作業の手伝いにまわるべきか。そう考えあぐねていた時、自室に人がやってきた。
「はじめまして。ラピスと言います」
その少年は、この辺りでは見ない金髪で、丸っこい姿形は幼き日の自分を彷彿とさせるものがあった。
「神具師を目指して、修行をしています」
そう言えば、そろそろクレナからの見習いが来る時期だったな、とユカリは思う。毎年夏には、テッコンの所へ数人がやってくるのだ。しかし、わざわざ見習いが暁にまで挨拶に来るとは珍しい。
「それは御苦労様です。テッコンはもう年だけれど、技は本物ですよ。しっかり励んでください」
「ありがとうございます。それと、これなのですが」
ラピスは背負っていた風呂敷を下ろして、中から文らしきものを取り出してきた。
「うちの親方からです」
ユカリは、折りたたまれた紙の後ろに書かれた名を見て、やっと合点がいった。
「あぁ、カケル様のとこの」
「はい」
ユカリは早速開いて目を通す。季節の挨拶に始まって、暮らし向きを尋ねた後、本題が書かれてあった。
「コトリが、楽師団に?」
カケルは、ユカリが以前からクレナの楽師団の情報を欲しがっていたのを知っていたのだ。ユカリは王宮にいた頃もコトリとほぼ顔を合わせることはなかったが、特別仲が悪かったわけでもない。これを機会に、再会してみてはどうかという提案だった。
カケルとは、定期的に文のやり取りはしている。しかし今回は、王女が身分を隠して入団しているという秘密の内容故に、通常の方法ではなくラピスを使って知らせてきたようだ。
もし再会するとなれば、比較的暇なユカリの方がクレナへ向かわねばならないだろう。最近、クレナではソラの民の排斥が進んでいるとの噂もある。かつて無い程に、二国が険悪な状態になっているのは確かだ。ソラの手先になっているユカリにとって、一度クレナの様子を直に見てくるというのは大切なことのように思えた。
実は、ユカリからもカケルに伝えたい内密の情報もある。二国を行き来する商人に金を握らせて文を託すこともできるのだが、事が事だけに慎重になりたい。
ユカリはラピスに礼を言って、彼を工房へ返すと、すぐにクレナ行きの準備を始めた。暁は今も学舎としての機能が残っている。留守中の人の差配や、王家から演奏依頼が届いた際の対処。商人として擬態した上での入国となるので、商品の準備。やることは山積みである。
ようやく発つことができたのは、それから十日後のことだった。十年ぶりの帰国となる。どうしても緊張せずにはいられなかった。
妹コトリは美人で気立ても良く、何よりシェンシャンが上手い。そんな彼女でさえ王女を辞めたくなるとは、今のクレナはどうなっているのだろうか。
そして、妹は自分のことをまだ覚えていてくれているだろうか。
様々な不安がないまぜになるが、今のユカリは十年前とは別人だ。もう一人きりではない。見目のことで蔑まれ、意固地になったり、目を曇らせているわけでもない。
まず、仲間がいる。自分のできることをして、すぐ目の前にいる人々の暮らしを少しでも良くしたいという、強い志もある。
ユカリは、工房に顔を出した。
「テッコン様、いってまいります」
「気ぃつけてな。カケルによろしゅう伝えて」
「はい」
「ついでに、誰かえぇ人見つけてきたら?」
「物見遊山に行くわけではないのですが」
テッコンは豪快に笑う。
「でもまぁ、人生何あるか分からんからな。肩の力を抜いて頑張りや」
そう言って、ユカリの手に何かをねじ込んできた。
「御守みたいなもんや。肌見離さず持っときな」
見ると、勾玉の形をした石である。ユカリは、昔カケルから発行してもらった旅券と一緒に、首から下げていた紐に通しておいた。肌に当たると、ひんやりとする。
「ありがとうございます」
ソラでも、蝉の声がうるさくなってきた。
ユカリは、牛が引く荷車の端に腰を掛けると、仲間の二人と共に出発した。
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