琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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44王を突き動かすもの

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 王宮、桃百合の間。そこに所狭しと並べられているのは、クレナ国中から集められた工芸品の数々である。壺などの置物を始め、大きなものでは椅子や卓といった調度類まであった。いずれも簡単に壊れぬよう、布でくるまれた上で、頑丈な木箱に納められている。

 それを一通り目にしたクレナ国王は、背後に侍るワタリへ話しかけた。

「今回はこれで良いだろう。ご苦労だった」

 今回は、ということは、また次があるのだろうか。ワタリは疑問を呈しながらも、王に向かって頭を垂れるに留めた。

 既に、国内で入手できる物は全てかき集めてしまったのだ。これ以上となると、さらに汚い手を使わねばならない。しかも、これ程の数となると、とても揃えられるとは思えなかった。

 そうなると、クレナ国内で工芸品生産を復活させるのが順当かもしれない。しかし、既に廃れて久しいため、当時の技術を受け継いでいる者もおらず、完成品から技の解明をするところから始めねばならない。それは、ほぼ無理な話である。
 やはり、どこかからか既成のものを運んでくるしかないのだ。

 その時、ワタリの中で閃くものがあった。

 クレナ国と同等の文化を持ち、今も工芸品などの生産が盛んな場所。ソラ国だ。ソラから奪えば、いくらでも用意できるにちがいない。帝国も、王も、クレナ産とソラ産の区別などつかないに決まっている。

 希望が見えて一人ほくそ笑むワタリ。その頭上に影が差した。慌てて顔を上げると、王が何かを差し出しているではないか。

「これは、国宝のシェンシャンですね」

 ワタリは目を剥いて驚いた。それは、いつも彼らが人目を盗んで話をしている墨色の御簾に閉ざされた部屋で置かれていたものだ。ここで、それを渡してくるということは、つまり――――。

「これも帝国に与えるが良い」

 国王の笑みは、息子からしても底しれぬ不気味さがあった。

 これは、シェンシャンを使って神の力を借りるといった、伝統的な慣わしと決別するといった意味合いなのであろう。

 国王はシェンシャンが嫌いだ。クレナ国民の中では人気の高い楽器であるため、全てを取り締まることはしないものの、流通は最低限に抑え込んでいる。貴族が催す宴でも、シェンシャンを演奏することは良しとされなくなってきた。しかも、クレナ国の建国にも関わる品を手放すとなると、これは憎悪を超えた執念めいたものになってくる。

 ワタリは、かつて王から聞かされた話を思い出した。国王の母、つまりワタリの祖母に関する話である。

 彼女が亡くなったのは、国王が十歳にもならぬ頃だった。詳しい事情は分からないが、元々体が弱かった祖母――――当時の正妃は、重い病に臥せっていたという。

 ワタリの祖父である当時の王は、国中から医師や薬師を集めて治療にあたったというが、効果はなかなか見られなかった。そこで、最終手段として神の力を借りることにした。シェンシャンの登場である。

 楽師団を含め、多くの名手達が病に効くとされる楽曲を日夜奏でたが、やはり病状が良くなることはなく、やがて彼女は身罷ってしまった。

 そうすることで、現クレナ国王は兄弟の中では長男だったが、他の弟達から次期王の座を奪われかねない状態となる。彼の後ろ盾となっていた母親を亡くすと、その実家からの力も弱まり、王宮内の勢力図も様変わりしてしまうためだ。

 これまで勉学や武術も努力を惜しまず、ひたすら真面目に王の座を目指してきた彼にとっては、我慢ならぬ事であった。

 その後は、持ち前の残酷さで、徹底的な粗探しと、ずる賢い立ち回りで次々に兄弟や父親を追い落とし、己の地位を確固たるものにしたと言う。実際には、かなり手も汚して事に及んだようだ。

 後に、現クレナ王は語っている。これは、シェンシャンなどといった不確かで、まじない紛いのものに頼り、真剣に母を治療しなかった者共への逆襲である、と。

 彼は、医術をはじめとする、帝国の進んだ技術を取り入れることを望んでいたのだ。だが、彼の父親や兄弟がそれを聞き入れなかったため、叶わなかった。

「クレナ国が帝国と手を組んでいれば、母は死なずに済んだ」

 ワタリは、怨念のような父親の嘆きが耳にこびりついて離れない。そして、その修羅の如き怒りが自分の身に向かえば、ひとたまりも無いことを自覚するのだ。これは、ワタリが父親に服従している理由の一つでもある。

 何せ、現クレナ王は、今の地位についてからも勢いは止まらなかった。目障りな身内を殺し尽くした。そこに容赦は欠片も無い。

 けれど、貴族の中にはかつて先代王や彼の兄弟の味方だった者達が残っている。現王は、何かにつけ「お父上であったならばもっと」「弟君ならばきっと」と比較されては、貶められていたのだ。

 そこで、こう考えた。かつて誰しもが成し遂げられなかった功績を残せば、皆が否応なく自分を認めるのではないか、と。

 それが、ソラへの侵略、そして二国統一という野望への第一歩となった。

 そもそも現クレナ王には、納得の行かぬことがあったのだ。初代クレナ国王は、初代ソラ国王の姉である。なぜ長子であった彼女が弟に領土を奪われねばならなかったのか。本来ならば姉が全てを治めて、弟の初代ソラ国王は補佐にまわるべきだったのに。という持論をもつ。

 つまり、彼にとってソラは、侵略するのではなく、奪還という感覚なのである。さらには、かねてからの帝国への憧れも相まって、今の政況となっていた。

 苛烈な父を持つワタリは、頭痛に加えて胃痛にも悩まされている。
 しかし、今、他の兄弟よりも父から厚遇されているのは、現王がかつての自分をワタリに重ね合わねて見ているからに相違ない。決して、王たる素質や、他よりも優れた点が多くあるからといったことではないのは分かっている。
 だからこそ、見捨てられぬように力を尽くすしか道は残されていないのだ。




 ワタリの返事に満足したクレナ王は、数人の伴を連れて桃百合の間から出ていこうとした。だが、ふとその足を止める。

「そうだ、ワタリ」

 ワタリは、背中を凍らせる。また何か粗相をしてしまったのだろうか。

「こんな話を知っているか?」

 それは、昨今都の内外で、世直しやらシェンシャンの有用性やらを説く集団が現れているということ。しかもその者達の旗頭はコトリだという。

 ワタリは、先だって鳴紡殿で受けた仕打ちを思い出した。生意気な妹姫。さらには、遠回しに金をせびる母親。冷めた目で見つめてくる楽師達。何もかもが気に入らなかった。

「楽師団ごと、コトリを葬りますか?」

 ワタリにしては思い切った言葉だった。王は、それが殊更気に入ったらしい。暫し高笑いを続けていたが、すっといつもの不敵な表情に戻して告げる。

「まだ、いいだろう。あれらも、帝国への貢物にできるかもしれぬからな」

 楽師団は全て女だ。クレナ国やソラ国では奴隷の制度はないが、帝国では人買いなど普通のことである。芸を持つ毛色の変わった女達は、何かの役に立つか、もしくは王家の懐を肥やす雌鳥になるかもしれないと踏んでいるのだ。

「では、せめて都内にいる羽虫共は駆除しましょうか」
「何、わざわざ手を下すこともない。奴らはシェンシャンを使って国をどうにかしようと企んでいるらしいが、かの楽器にそのような大層な力が無いことは、私が身を持って知っている。そもそもこの国ではもう、新たなシェンシャンはほぼ手に入らないのだ。どうせ何もできぬだろう。放っておけ」
「はっ」

 ワタリは恭しく返事する。

「それから、良い話も入ってきたぞ」

 王は、その日一番の笑顔で語った。

「ソラの国王が、病らしい」

 ワタリが知らぬ情報だった。おそらくソラ国内でも、大っぴらにされていない話であろう。では、なぜ父親がそんな事を把握しているのか。きっとこれは、ワタリには知らされていない独自の伝手がソラにあることを意味している。

 ワタリは、ふと、もう一人の妹のことを思い出した。その名を、ユカリと言う。

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