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29洗脳もしくは改心
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ミズキは、早速ひと仕事することにした。眉を下げて、いかにも心配しているフリをする。
「それ、シェンシャンの弦にやられたんですか? 私も、昔やりました。弦を張るのって、なかなか慣れませんよね」
「お前に何が分かる?!」
他の楽師が多くいる場所では、貴族の子女らしく丁寧な言葉を使っているナギ。ついに化けの皮が剥がれた。ミズキは、それを驚くでもなく受け止める。
「これぐらいの失敗、誰でもありますよ。私、ナギ様にもおっちょこちょいなところがあると分かってほっとしました。皆にもそういうところが伝わるといいですね」
暗に、そういうことにしておけ、というミズキの提案であった。ナギは、俯いて箸を手に取る。が、すぐに盆に戻した。
「私は、シェンシャンが上手くない」
突然始まった独白だった。
「おそらく来年あたり、新人が入ってくると、そろそろ私もここを出なければならなくなるだろうね。もちろん新たな職を紹介されるだろうけど、当然それらは受け入れられないものばかりでしょうし。きっと実家へ戻ることになるわ」
ナギも下級とは言え、貴族の娘である。そもそも楽師団に入れる程にシェンシャンの腕を磨ける暇のある者は、貴族ぐらいだ。
「家は兄上が継いだ。姉上は既に嫁ぎ、弟達も嫁をもらって住んでいる。私の居場所なんて無い。お前は良いね。外聞などあってないような庶民が、今ばかりは羨ましい」
「貴族さんは、やっぱり大変なのですね」
とりあえず共感の姿勢だけを見せておく。無駄に女の気を逆立てないコツを、ミズキはきちんと心得ているのだ。
「でも、ナギ様。もし今以上に腕を上げたいならば良い方法がありますよ? 悩むのはそれからでも良いのでは」
「庶民の方法?」
ミズキは茶を差し出しながら、にっこりと微笑む。
「いえ、別に泥臭い話ではありませんよ。いたって普通の方法です」
シェンシャンは神具だ。つまり、神がそこに降りている。その神の力をうまく借りることができれば、自ずと良い演奏ができるようになるはずだ。
だが、反対に神を蔑ろにするようなことをすれば、例え持ち主でなくとも罰が下ることもあるだろう。
「やはり、物は大切にするところから始めるべきですね」
それを聞いたナギの顔は、真っ白になっていた。いろいろと心当たりがありすぎたにちがいない。
「あれ、ナギ様には心暗い事がおありのようですね。もし、既にシェンシャンの神に嫌われていそうなのでしたら、社にでも行くといいです。そこで、反省してます、もうしませんって拝んだら、きっと良いこともありますよ!」
「面倒なこと」
「でも、神に嫌われたままでしたら、シェンシャンの腕が落ちるかもしれませんよ?」
「それは困る」
「でしたら、ぜひ! 社に通うこと。そして人の嫌がることをせず、人の役に立つことをして徳を積む。そういった真っ当な人間は必ずや神の加護を得て幸せになれるって、死んだおばあちゃんが言ってました!」
ちなみに、ミズキには祖母などいない。嘘も方便だと信じているので、悪気は欠片も持ち合わせてなかった。
「まず、ナギ様がすべきことは、新人いびりを止めることです。むしろ親切にすべきです。神様は等しく人を見守っていてくださっているのですよ。必ずやご利益があることでしょう」
目を閉じて手を合わせ、神妙な面持ちで佇む小動物的少女。あくまで外見は無垢なのだ。まるで、社の巫女のように見えてくるではないか。
ナギはゴクリと唾を飲んだ。
「分かったわ」
ミズキは、ふわりと微笑んでみせる。
「私はナギ様を応援しています。後で、手持ちの塗り薬をお届けしますね」
ナギは、一瞬目を見開いた後、小声で返事した。
「ありがとう」
これまで虐げられていたにも関わらず、手を差し出す度量を見せた田舎娘。これにはナギも、心が動かされてしまった。
そうだ。ここは楽師団なのだ。共に音を奏で、共に国に恵みをもたらすという重責を担う仲間。どうしてこれまで、蹴落とすことばかりを考えていたのだろう。一緒に力を合わせて腕を磨けば良いではないか。さすれば、楽しいこともあるだろう。悲しいことがあっても、こうやって助け合い、支え合うこともできる。
今までのナギは、あまりにも孤独だった。いくら周りに人が居ても、全て互いの足元を掬うことばかりを考えている同類ばかり。でも、これからはきっと――――。
ナギの心は、驚くべき速度で変化が起こっている。同時に、憑き物が落ちたかのように、穏やかな表情になっていった。
ミズキは、顔がにやけるのをぐっと堪える。あまりにも簡単にナギの態度な軟化したので、面白くて仕方がなかった。
もちろん、ミズキだってナギを簡単に許せるわけがない。前日の彼女の振る舞いは、楽師団内の新人いじめを加速させるかもしれないのだから。かと言って、ずっと敵にしておくのは賢くない。できれば貸しを作り、味方として取り込む方が良い。
ナギは長く楽師団に居座ってきた女だ。ここでの生き方、振る舞い方はよく分かっているだろう。きっとその知恵は、コトリを助けてくれるにちがいない。まだ先輩楽師で、新人と懇意にしているのはハナぐらいしかいないのだから、これは大切なことだ。
ミズキは、そっと礼をして、ナギの部屋を後した。空になった両手を頭の後ろで組んで、男のように大股で歩きながら、それにしても、と思いにふける。
サヨは、不器用な女だ。コトリに味方が必要なのは分かる。だが、必ずしも王女であることを明かす必要があるだろうか? ミズキからすれば、コトリはコトリであって、わざわざ肩書を気にする意味が分からない。結局身分に囚われているのは、コトリやサヨ自身のような気がしていた。
だいたい、コトリの場合は身分を明かさなくとも、この先たくさんの人が集まることになるだろう。あの可哀想までに真面目すぎる女達は、どうしてか構ってやりたくなってしまう。助けてやろうか、という気持ちにさせられてしまう。悔しいことに、遅かれ早かれ、きっと皆もそのような心境になるのではないかとミズキは思うのだ。
さて、サヨとは、より詳しい話し合いをせねばなるまい。コトリを守ると言っても、どんなことが求められているのかはっきりさせておく必要がある。
夜にでも呼び出してみようか。
そうだ。二人きりになって、また怯えた顔を見るのも悪くない。
ミズキの足取りは軽かった。
「それ、シェンシャンの弦にやられたんですか? 私も、昔やりました。弦を張るのって、なかなか慣れませんよね」
「お前に何が分かる?!」
他の楽師が多くいる場所では、貴族の子女らしく丁寧な言葉を使っているナギ。ついに化けの皮が剥がれた。ミズキは、それを驚くでもなく受け止める。
「これぐらいの失敗、誰でもありますよ。私、ナギ様にもおっちょこちょいなところがあると分かってほっとしました。皆にもそういうところが伝わるといいですね」
暗に、そういうことにしておけ、というミズキの提案であった。ナギは、俯いて箸を手に取る。が、すぐに盆に戻した。
「私は、シェンシャンが上手くない」
突然始まった独白だった。
「おそらく来年あたり、新人が入ってくると、そろそろ私もここを出なければならなくなるだろうね。もちろん新たな職を紹介されるだろうけど、当然それらは受け入れられないものばかりでしょうし。きっと実家へ戻ることになるわ」
ナギも下級とは言え、貴族の娘である。そもそも楽師団に入れる程にシェンシャンの腕を磨ける暇のある者は、貴族ぐらいだ。
「家は兄上が継いだ。姉上は既に嫁ぎ、弟達も嫁をもらって住んでいる。私の居場所なんて無い。お前は良いね。外聞などあってないような庶民が、今ばかりは羨ましい」
「貴族さんは、やっぱり大変なのですね」
とりあえず共感の姿勢だけを見せておく。無駄に女の気を逆立てないコツを、ミズキはきちんと心得ているのだ。
「でも、ナギ様。もし今以上に腕を上げたいならば良い方法がありますよ? 悩むのはそれからでも良いのでは」
「庶民の方法?」
ミズキは茶を差し出しながら、にっこりと微笑む。
「いえ、別に泥臭い話ではありませんよ。いたって普通の方法です」
シェンシャンは神具だ。つまり、神がそこに降りている。その神の力をうまく借りることができれば、自ずと良い演奏ができるようになるはずだ。
だが、反対に神を蔑ろにするようなことをすれば、例え持ち主でなくとも罰が下ることもあるだろう。
「やはり、物は大切にするところから始めるべきですね」
それを聞いたナギの顔は、真っ白になっていた。いろいろと心当たりがありすぎたにちがいない。
「あれ、ナギ様には心暗い事がおありのようですね。もし、既にシェンシャンの神に嫌われていそうなのでしたら、社にでも行くといいです。そこで、反省してます、もうしませんって拝んだら、きっと良いこともありますよ!」
「面倒なこと」
「でも、神に嫌われたままでしたら、シェンシャンの腕が落ちるかもしれませんよ?」
「それは困る」
「でしたら、ぜひ! 社に通うこと。そして人の嫌がることをせず、人の役に立つことをして徳を積む。そういった真っ当な人間は必ずや神の加護を得て幸せになれるって、死んだおばあちゃんが言ってました!」
ちなみに、ミズキには祖母などいない。嘘も方便だと信じているので、悪気は欠片も持ち合わせてなかった。
「まず、ナギ様がすべきことは、新人いびりを止めることです。むしろ親切にすべきです。神様は等しく人を見守っていてくださっているのですよ。必ずやご利益があることでしょう」
目を閉じて手を合わせ、神妙な面持ちで佇む小動物的少女。あくまで外見は無垢なのだ。まるで、社の巫女のように見えてくるではないか。
ナギはゴクリと唾を飲んだ。
「分かったわ」
ミズキは、ふわりと微笑んでみせる。
「私はナギ様を応援しています。後で、手持ちの塗り薬をお届けしますね」
ナギは、一瞬目を見開いた後、小声で返事した。
「ありがとう」
これまで虐げられていたにも関わらず、手を差し出す度量を見せた田舎娘。これにはナギも、心が動かされてしまった。
そうだ。ここは楽師団なのだ。共に音を奏で、共に国に恵みをもたらすという重責を担う仲間。どうしてこれまで、蹴落とすことばかりを考えていたのだろう。一緒に力を合わせて腕を磨けば良いではないか。さすれば、楽しいこともあるだろう。悲しいことがあっても、こうやって助け合い、支え合うこともできる。
今までのナギは、あまりにも孤独だった。いくら周りに人が居ても、全て互いの足元を掬うことばかりを考えている同類ばかり。でも、これからはきっと――――。
ナギの心は、驚くべき速度で変化が起こっている。同時に、憑き物が落ちたかのように、穏やかな表情になっていった。
ミズキは、顔がにやけるのをぐっと堪える。あまりにも簡単にナギの態度な軟化したので、面白くて仕方がなかった。
もちろん、ミズキだってナギを簡単に許せるわけがない。前日の彼女の振る舞いは、楽師団内の新人いじめを加速させるかもしれないのだから。かと言って、ずっと敵にしておくのは賢くない。できれば貸しを作り、味方として取り込む方が良い。
ナギは長く楽師団に居座ってきた女だ。ここでの生き方、振る舞い方はよく分かっているだろう。きっとその知恵は、コトリを助けてくれるにちがいない。まだ先輩楽師で、新人と懇意にしているのはハナぐらいしかいないのだから、これは大切なことだ。
ミズキは、そっと礼をして、ナギの部屋を後した。空になった両手を頭の後ろで組んで、男のように大股で歩きながら、それにしても、と思いにふける。
サヨは、不器用な女だ。コトリに味方が必要なのは分かる。だが、必ずしも王女であることを明かす必要があるだろうか? ミズキからすれば、コトリはコトリであって、わざわざ肩書を気にする意味が分からない。結局身分に囚われているのは、コトリやサヨ自身のような気がしていた。
だいたい、コトリの場合は身分を明かさなくとも、この先たくさんの人が集まることになるだろう。あの可哀想までに真面目すぎる女達は、どうしてか構ってやりたくなってしまう。助けてやろうか、という気持ちにさせられてしまう。悔しいことに、遅かれ早かれ、きっと皆もそのような心境になるのではないかとミズキは思うのだ。
さて、サヨとは、より詳しい話し合いをせねばなるまい。コトリを守ると言っても、どんなことが求められているのかはっきりさせておく必要がある。
夜にでも呼び出してみようか。
そうだ。二人きりになって、また怯えた顔を見るのも悪くない。
ミズキの足取りは軽かった。
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