琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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28前向きに

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 サヨは、茫然自失で部屋に戻ってきたコトリを慌てて寝台へ寝かせた。この部屋から外へ繋がる戸は朝からずっと締め切っていたため、暗く、少し涼しい。

 しばらくすると、コトリはハナから聞いた噂について、ぽつりぽつりと話し始めた。

 よくよく考えれば、コトリも以前から知っていたことなのだ。
 カケルに想い人がいるというのは、父である王から伝え聞いていた。それが、この度改めて裏付けが取れただけのこと。

 なのに、なぜかこんなに胸が苦しい。

「私、父上は嘘を言っている。もしくは、嘘に違いないって、どこかで思い込もうとしていたのね」

 コトリの意識はまだ虚ろだ。サヨは心配そうにコトリの手を握る。

「でも、真実だった。しかも、お相手は私にはとても届きそうにもない、素晴らしいお方」
「姫様!」

 コトリは、久方ぶりに聞いた呼称に、体が弾むような勢いで反応する。背筋がぴんと伸びた。

「カナデ様、よろしいですか? 確かにアオイ様は実力のある方です。ですが、必ずや彼女を超えなければ、真の自由は手に入らないのですよ?」

 そんなことは分かっている。だが、今はそんな未来をはっきりと思い描くことができずにいるのだ。シェンシャンが折れて傷ついたように、コトリの自信もぽきりと音を立てて壊れてしまったかのよう。

「ほら、こう考えてみてください。これが、王子の想い人と首席、別人だったならば、同時に二人を相手に挑まねばなりませんでした。それが一人ならば、まだやりようもあります。それに、カナデ様が首席になれば、カケル様に見初めてもらえるかもしれないという希望も出てきたではありませんか」
「そうね」

 コトリは、板張りの天井を見つめた。
 そうだ、分かったのは悪いことばかりではない。楽師団の首席を目指すことが、カケルへと繋がる道として正しいことが分かっただけでも僥倖ではないか。そう思うと、少しずつ体に力が戻ってきた。

「少しお元気になられたようですね」
「サヨ、ありがとう。朝餉も、冷めてしまったわね。早く食べましょう」

 今日は、楽師団全体での活動は無い。代わりに、五日後行われる合同練習の課題曲を新たに練習せねばならなかった。楽譜は昨日アオイから手渡されている。後、足りないのは、コトリのシェンシャンだけだ。

「そうですね。できるだけ早くヨロズ屋へ行かねばなりませんし」

 サヨは、急なことだったので、本日は馬車の用意ができていないこと。そのため、徒歩でヨロズ屋へ向かうことを話した。先だっても、帰りは徒歩だったので、コトリも勝手は分かっている。

 スリに合わぬよう貴重品は懐に隠すことと。街中で何か騒ぎが起きて人垣ができていても近づかないこと。そして、決してサヨから離れぬことをしっかりと言い含められているのだ。コトリも、自分が守られなければならない対象であることを理解しているため、素直に従っている。

 そして、二人がほとんど朝餉を終える頃合いだった。女官が部屋にやってきて、サヨに一通の書状を手渡してきた。

「カナデ様、ヨロズ屋から連絡が届きましたよ。アヤネ様のお墓の件で、候補地が見つかったそうです」

 二人は支度をすると、昼までには戻ると女官に告げて、鳴紡殿を後にした。


 ◇


 時間は少しだけ遡る。ミズキは、ナギの部屋を訪れていた。

 ミズキは、庭を臨むことのできる部屋の端に設えられた卓の上へ、本日の朝餉を盆ごと載せる。椅子に座すナギは、表情こそ見えぬものの、意気消沈した様子だった。

「被り布はお取りにならないと、お食事はできまないかと」

 ミズキは、ナギから何の応えの無いことに苛立ちながらも、淡々と茶の準備をする。ナギの侍女はミズキを庶民と見下しているため、手伝ったりはしない。

 前夜のことは、朝早く目覚めて庭を散歩する他の楽師達から盗み聞きをして、知っていた。

 ミズキは思う。この女、ナギは馬鹿だと。
 よりにもよって、王女を蔑ろにし、ヨロズ屋のソウによって作られたシェンシャンを破壊するとは、呆れて言葉も出ない。

 あのシェンシャン、見るからに他とは違う気配があった。と、ミズキは振り返る。ソウという男が職人として腕があるのか、コトリが持っているのでそのように見えるのか。どちらかははっきりしないが、そんじょそこらのシェンシャンとは格が違うのは確かだ。

 楽器は古くなると人格を持つというが、あのシェンシャンは既に何かが居るかのような風格がある。初め目にした時は、盗んで自分達のものにしようかと思ったが、すぐに止めた。これに手出しするのは危険だと、直感が告げたからだ。

 そしてそれは、正しかった。
 ナギが静かに布を外す。現れたのは頬の大きな一筋の傷。これが男であったならば、何とでも言い様があるだろうが、ナギは女だ。

「お医者様は呼んだんですか?」
「見ないで」

 まるで返事になっていない。それも仕方ないだろう。まさか、後輩の楽器を無理やり奪った挙げ句、乱暴を働いて怪我をしたなどと格好の悪いことを言えるわけもない。

 ミズキは目を細める。その傷を見ると、懐かしい思いが込み上げてくる。自らもよく似たことで、身に覚えがあるのだ。

 弦を張り替える際に軸を回しすぎて、弦を一本駄目にしたことがある。まだ年端も行かぬ幼子の頃だ。高価な弦を失ったことと、頬を刺すような腫れは、随分と深く彼の心の傷として残った。今はもう、その傷は癒えて影も形も残っていないが、強烈な記憶は今も鮮明である。

 それにしても、なぜこの傷をミズキに見せたのか。新人いびりをした反省からか。もしくは、何か難癖をつけたいのか。理由は分からねど、これはいじり甲斐がありそうだとミズキはほくそ笑む。

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