琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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15二人の世界

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 コトリはシェンシャンを構えた。
 すぐに紡がれ始めた音色。選んだ曲は碧玉節で、試験の際と同じだ。実りを寿ぐ祭りの調べ。決して恋歌などではないのに、なぜだか甘い音がする。深い奥行きと優雅さ。さらには郷愁の切なさまであって、カケルとサヨの心は強く締め付けられた。ここが店であることを忘れてしまいそうな旋律だ。

 カケルは、一音とて聞き漏らすことがないよう、全身を耳にして聞き入っていた。最後にコトリの演奏を聞いたのは、半年以上前だ。新年の宴でのことである。

 コトリは、以前よりも増して腕を上げていた。音に表情と色気がある。そして、その弾く姿は、さながら琴姫のよう。

 琴姫。それはクレナ国初代国王クレナの異名である。カケルは、ソラ国の王宮で大切に保管されている琴姫が描かれた画を思い返した。ソラ国では、琴姫は神に匹敵する信奉を集めている。

 というのも、ソラ国の王族にはこのような話が伝わっているのだ。

 クレナとソラは仲の良い兄弟であった。弟のソラは姉のクレナのためだけにシェンシャンと名付けた琴を手自ら作り、姉はソラのシェンシャン以外を奏でることはない。二人はシェンシャンの調べをもって、気持ちを通わせていた。それは家族愛を超えた男女の恋だったと言う。

 しかし、二人は兄弟だ。時の王は、何かの間違いが起こることを危惧して、二人のうちどちらかを処分することも検討した。だが、どちらも既に施政者としての頭角も現していた上、二人とも我が子なのである。

 そこで、二人を体よく引き離すために国を分けて統治させることになった。国の主ともなれば、忙しいだけでなく、真っ当な血を後世に残す義務もある。

 二人は王の思惑通り、それぞれが別の者と連れ添って子を成したが、それでも死ぬまで互いの絆は消えることはなかった。ソラが亡くなった後は、彼が慕ったクレナを崇める社が建てられ、今では職人達が腕を磨くための誓いを立てる場所として有名になっている。

 もちろんカケルも、その社、紅社に詣でたことはあった。王族なので、社に保管されているソラの日記などにも目を通したことがある。ソラのクレナに対する想いは、カケルにも通じるものがあった。カケルにとってコトリは兄弟ではないので、そういった類の後ろめたさがない分、より潔い愛がある。

 自分はソラが成し得なかったことを成せるだろうか。
 カケルは、今すぐにでもコトリに名乗り出たい衝動に駆られる。

 直後、すっと一曲が終わってしまった。
 たおやかに頷いて、カケルと目を合わせるコトリ。カケルの顔は、火がついたように熱かった。

「それで、何か分かりましたか?」

 二人の世界を破ったのは、やはりサヨである。カケルは慌てて表情を引き締め直した。

「はい。このシェンシャンに宿る神が、少々張り切りすぎているようです」

 コトリは、意味が分からなかった。
 カケルは、以前サヨに話した通り、シェンシャンが神具の一種であること、神を降ろすことを説明する。

「神とカナデ様の相性は大変良いのですが、良いからこそ、神がカナデ様のためになろうと必死なのです」
「それは……ありがたいことなのですが、また聞いた方が意識不明になるのは困りますし」
「そうですね。では、少し細工をさせていただきますので、このままお待ちください」

 そう言ってすぐに戻ってきたカケルの手には、画材があった。

「カナデ様が神力を調整しやすいように、もう少し祝詞を書き足しておきます」

 コトリはシェンシャンをカケルに渡そうとするが、カケルはそれを制す。コトリに抱えさせたまま、自らそこに近づいて筆をとった。体が触れ合うほどになる。コトリは、異性とこれ程の距離になるのは初めてのことだった。真剣にシェンシャンと向き合っているカケルの美しい顔を見ると、とても普通ではいられなかった。

「できました」

 カケルが名残惜しそうにシェンシャン、いや、コトリから身を離す。シェンシャンには、新たに一つの紫陽花の花が加えられていた。

「少し、音を出してもらえますか?」

 コトリは言われた通り、弦を弾く。カケルは、コトリの頭の上の方を眺めた。

「良くなっているようですね」
「そうなのですか。私には違いが分かりませんでした」
「神気の流れが、先程よりも整っていますので、間違いありません」
「え、神気って、やはり見えるものなのですか?」

 カケルは少し驚いた顔をした。

「はい、見えますよ」

 今度は、コトリが目を丸くする番だった。
 その時だ。

「なんだ、ここか」

 部屋に、いかにも職人気質な風情の男がやってきた。ずかずかと歩いてくると、カケルを押しのけてコトリの前に立ちはだかる。

「おい、お前が店に来てから、神具が皆、妙にざわついてやがる。どうしてくれるんだ?」

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