琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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14店主と客

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 クレナ国の都は、湖に隣接した内陸の盆地にある。道は格子状に走り、北部には王宮と、国に関する政務機関の殿が多く立ち並ぶ。それを囲むようにして貴族の邸宅があり、大商人達の住まいや店は、その合間を縫う形で乱立していた。南部に行けば、より規模の小さな店が増え、国中から集められたあらゆる商品が手に入る。

 サヨは鳴紡殿に馬車を呼び、それにコトリを乗せて、大通りを少しだけ南に下った。歩けば半刻はかかるだろうが、すぐに着いてしまった。ちょうど辻角にある店で、国中にある社の総本山、琴鳴社前の大通り沿いにも面している。

「こちらです」

 訪いの先触れはしていない。サヨは、店の主が不在であることを祈りつつ、コトリを導いて中へ足を踏み入れる。

「店って、こんな雰囲気なのね」

 これまでコトリは、店という場所へ行ったことがない。必要なものがあれば、御用商人を王宮へ招いて購入していたからだ。

「どこも、この店のようだとは限りません。ここは庶民が手にするような物も多いので、たくさんの現物を展示しておりますが、もっと高級な品を扱う店では、客の身分に応じて出してもらえる品が変わります」

 サヨは解説しながら、店の中を見渡す。ここ、ヨロズ屋は、主に神具を扱っている店だ。神具は普通の道具に付加価値をつけたようなものが多い。そのため、庶民向けの日用品もかなりの数が取り揃えられていた。

「カナデ様、ご希望の品がおありでしたら、おっしゃってください」

 サヨは、できるだけコトリに不自由させたくない。できれば、王女時代程度の贅沢はさせてやりたいと思っている。またそれだけのことをするだけの金子も持っていた。
 しかし、コトリにはコトリの考えがある。

「ありがとう、サヨ。でもね、私、一度自分で買い物をしてみたいのよ」

 今のコトリは、格好こそ庶民を地で行くものだが、王女時代に溜め込んでいた金子があるため、そこいらの商人よりも裕福な懐具合なのである。
 そうして目を輝かせながら、店の中を物色していたコトリだが、ふと何かに気づいて顔を上げた。

「あの」

 先に声をかけたのはコトリだった。

「もしかして、私のシェンシャンを作ってくださったのは、あなたですか?」

 全身の肌が、何かを確実に捉えようと敏感になっている。目の前から伝わってくる気には、身に覚えがあった。これは、あのシェンシャンを弾いた際に感じるものと同じ。温かく、優しい、穏やかな桜色の流れ。そこに縫い留められたかのように、動けなくなる。

「はい」

 対する男は、しっかりと肯定した。

 滲み出る品格、控えめながらも庶民とは思えない雅な衣。そして何より、今にもとろけてしまいそうな極上の笑顔。

 コトリは、このような目で見られることには慣れているはずだが、それでも顔を赤らめてしまった。そして、胸の高揚に戸惑ってしまうのである。人に対してこのような気持ちになるのは、人生で二度目のことだった。そう、まるで、あの人物と同じような――――。

「私は、この店の主でソウと申します」

 耳障りの良い声だ。店主にしては、大変若い。

 そう、クレナ国に店を構える主なのだ。まさか、憧れの王子がこんな所にいるわけがない。名前も異なり、別人であることは明らか。それでもコトリは、ソウの立ち振る舞いにどこか既視感を覚えてしまう。

「私は、コト……失礼しました、カナデと申します」

 コトリは、すぐ近くにいるサヨからの強い視線を感じた。まだ、新たな名での自己紹介には慣れていないので仕方がない。

「この度は、私共の商店をお選びくださいまして、ありがとうございました」

 ソウ――――カケルは、深く頭を下げる。

「こちらこそ、素晴らしいシェンシャンをありがとうございました」
「お気に召していただけて何よりです。ところで、何も不都合は起きておりませんでしょうか? 実は、通常のシェンシャンよりも若干力の強い神気を放つような造りになっているのです」

 今度は、カケルがサヨからの睨みに耐えることとなった。が、気づかないフリをしてコトリに向き合い続ける。

「そうだったのですね。実は……」

 コトリは、楽師団試験のことは伏せた上で、シェンシャンが引き起こす現象のことを説明した。カケルは考え込むようにして、拳を口元にあてる。

「すみませんが、一度演奏を聞かせていただけませんでしょうか。原因を探れば、神気の流れを調整できるかもしれません」
「でも、聞いてくださるソウ様の体調に影響があるやも」
「ご心配なく。職人は神気に慣れておりますから」

 とは言え、店のど真ん中で演奏するのは目立つ上、何かあっては不味い。カケルは、コトリを別室に呼んで二人になろうとしたが、漏れなくサヨもついてきた。

 コトリは、カケルに誘われるままに店の奥へと進む。おそらく貴族と商談するための部屋なのだろう。店の表とは全く雰囲気が異なる。朱と金をところどころに使った贅沢で趣味の良い黒の調度類で揃えられていた。

「それでは、一曲弾きます」

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