琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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08入団試験

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 試験は、楽師団の敷地内にある堂で行われる。開始時間が近づくと、その付近は国中から集まってきたシェンシャン奏者の女達で埋め尽くされた。朝市よりも混み合った雑踏の中、路上にも関わらず演奏を始める者も少なくなく、ここかしこから美しい音色が流れ出ている。

 めかしこんで挑む女も多い。香を焚きしめた派手な衣が行き交い、息苦しい程に辺りは噎せ返っていた。

 試験資格は、クレナ国国民の女性であること、シェンシャンを持っていて弾くことができること、そして犯罪歴が無いことの三つだけである。出自の貴賤は問われない。合格すれば、衣食住が保証された都での生活が待っている上、少なくない給金も出る。さらに、由緒正しく格式高い楽師団試験に合格することは、適齢期の女にとって経歴に箔をつけることにもなる。辺境の名も無い村々から、わざわざ大勢の挑戦者がやってくるのも頷ける話だ。

 試験は年に一度きり。合格者の人数はその年によって異なる。だいたい数名が入団することになるが、過去にはゼロの年もあったというから、人数合わせよりもシェンシャンの腕の良さが何よりも問われることは間違いない。

 コトリは、民衆のこのような熱気に直接あてられるのは初めてのことだった。敷地の門が開くのを待つ長い行列に並びながら周囲を見渡す。今年の受験者は何名ぐらいいるのだろうか。この中のほんの一握りしか栄えある楽師団の舞台を踏むことができないと思うと、多少自信のあるコトリですら、緊張のあまり手に汗を握るのであった。

 今日のコトリは王女の衣を脱ぎ捨てて、サヨが用意した田舎娘の出で立ちだ。どこか灰がかった色合いの安っぽい薄生地でできた衣。背子は無い上、薄汚れた生成りの裳も肌触りが悪い。これから一大事を迎えるには、どことなく頼りなく感じる衣装だが、これこそが庶民の普通なのだと思うと、なぜか気分が高揚してしまうコトリである。そして、隠しきれない気品との不釣り合いな格好が、注目の的になっていることに気づけないでいるのであった。

 ようやく時間になった。
 懐に滑り込みで提出した願書の受付完了を示す札があるのを確認しつつ、コトリは楽師団の敷地内へと入っていく。これまでは馬車や輿での移動がほとんどだっただけに、何もかもが新鮮だ。

 まずは筆記試験だ。だだっ広い堂の床に座り、入り口で受け取った試験問題に答えていく。一般教養やクレナ国の歴史、地理について問われるもので、出題数は多いがコトリにとって非常に簡単なものであった。

 回答はある一定の割合を正解せねば、次の試験を受けることができない。
 堂を出たところにある採点の神具と呼ばれる箱に解答用紙を放り込むと、赤い炎が上がった。どうやらコトリは一次試験を通過できたらしい。

 次は、堂に隣接する殿に入っていく。造りは王宮とよく似ているようだが、建具や柱などに施された装飾類は若干質素に思われた。

 通された場所は大広間で、既に数十人が座して待っている。コトリがそれに加わって暫くすると、さらに二、三十名が遅れてやってきた。そして告げられた試験内容は、ただそこに座っていることだった。

 見ると、部屋の壁際高めの所にいくつもの窓があり、そこから中の様子が監視されているらしい。コトリは窓の向こうに人の目があるのに気づいたものの、特に何も感じることはなく、言われた通りシェンシャンの包を体に引き寄せたまま座り続ける。

 一刻ほど経った頃だろうか。

「お前、出なさい」

 コトリは、王宮の侍女とよく似た衣装の年嵩の女官から声をかけられる。それまでにも、数人が呼ばれて部屋を出ていった。それが、不合格故か、試験を通過したためか判断がつかず、不安を抱えながら女官の後ろをついていった。

 殿の中、奥深くまで磨き抜かれた床の廊下を進んでいく。庶民であれば一度見ると目が離せなくなるような美しさの庭園や中庭を通り過ぎると、小さな階段の登り降りを何度かやり過ごして、ようやく人気のする部屋の前へやってきた。

 見慣れた墨色の御簾が降りていて、その向こうには複数の人影が見える。コトリは女に促されるままに、その部屋へ入ることとなった。

 すぐに出てきた男へ札を渡し、案内された場所に進み出る。小綺麗な部屋だった。多くのお偉方の前に出ることに慣れたコトリは、気負うことなく眼前の試験官の顔ぶれに目をやる。

 その瞬間、コトリは息が止まりそうになった。

 七名のうち右から三番目にいたのは、王女時代からよく知る人物――――正妃だった。

 さらに、早速目が合ってしまったではないか。コトリの頭の中は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 おそらく正妃は、試験開始以前からコトリが入団試験を受けることを知っていたはず。そして、王がコトリに出した条件も把握しているにちがいない。

 となると、この場はコトリが王女であることを見抜かれたとされるのだろうか。否、さすがにそれはないだろう。ないと信じたい。

 しかし、相手は正妃だ。コトリの母親を追い落とし、これまでコトリを宮中の茶会へ一度も招待したことがない女。早速、王の条件を破ったと言い募る嫌がらせをする可能性は十分にある。

 だが見方を変えてみよう。もしコトリが王女に復帰してしまえば、それこそ正妃の本意では無いのではないか。そう考えると、少しは冷静になれるのである。

 ここまで考えを巡らせつつ、コトリは完璧な作法で試験官に挨拶を終えていた。淀みない洗練された動きに、その身なりの悪さから侮ってかかっていた数人の試験官は、一斉に息を飲む。コトリにも、余裕が取り戻されつつあった。

 許可を得て、シェンシャンを持ってきた包から取り出し、膝の上に乗せる。神具の助けを借りて音を合わせると、準備ができたことを中央に座る男へ告げた。

「始め」

 いよいよ、コトリの本領を発揮する時がやってきた。

 シェンシャンを抱えて構え直すと、自然と余分な力が体中から抜けていく。そこにいるのは、自分とシェンシャンだけのような感覚になっていく。

 初めに奏でるのは、予め定められていた楽曲だ。シェンシャンの曲の中でも一、ニを争う有名なもので、クレナ国では収穫を寿ぐ際によく弾かれている。特別難しい技量は必要ないものの、それ故に弾き手の経験値やセンスが如実に表れる課題でもあった。

 コトリは、その曲の意図や解釈をよく学んだ上で奏でる重要性を知っている。それは、はっきりと演奏の効果の出方に関わってくるからだ。

 この「碧玉節」――――一般に「実りの調べ」と呼ばれる曲は、作物の実りをもたらした神々に感謝を示し、次の年も恵みがもたらされるように祈念する調べとなっている。さらに、子孫繁栄や健康長寿の願いも込められていた。

 コトリはそっと目を閉じる。
 散らばっていた意識が一つの縄のようにより合わされ、遥か高みに登っていく。尊き存在に、ここへその御力を示したまえと呼びかけた。

 鈴の音が鳴った気がした。
 何かが、繋がった。
 
 コトリの奏でが始まる。

 一音、また一音。爪弾きだされた淡く光る金の雫が静かな水面に落ちて、その波紋がどこまでもどこまでも広がっていくようだ。

 傍目には、彼女の様子は人ならざるもののようであった。シェンシャンの演奏は、神々との対話でもある。

 次第に賑やかになる旋律。祭りでも使われるような土臭い曲でもあるのだ。にも関わらず、コトリの奏では楽しげでありながらも、格調が高く、神聖さに満ちている。

 コトリの両手は、取り憑かれたようにシェンシャンの上を行き来し、最後の一音まで弾き終えた。

 ようやくコトリは意識を現実に取り戻す。
 そこで初めて、問題に気づいてしまった。

 目の前の七名。全員が、意識を定かにしていなかったのだ。
 ある者は幽体離脱した抜け殻のように口を半開きにし、ある者は眠り込んでいる。正妃だけは姿勢を崩していなかったものの、それでも瞳には何も映さず、放心しているのは明らかだった。

 多少は予測していたことだった。前の日、コトリの演奏を聞いたサヨがよく似た反応をしている。面食らったコトリはサヨの体調を心配したが、奏でを耳にした後はむしろ調子が良いと話していたので、気には留めていなかったのだ。

 以前、王女として貧困外や都近くの村で演奏した際も、聞いた人々がしばらく使い物にならなくなる――――つまり、感動のあまりなかなか正気に戻らない――――ということはあったが、ここまで酷くはならなかった。

 しかし、これが試験となれば話は違ってくる。果たして、コトリの演奏はどう判断されるのだろうか。むしろ、判断自体をしてもらえるのだろうか。

 半ば現実逃避を始めたコトリは、すぐに次の曲へと移った。最後の曲、二曲目は好きなものを弾いて良いとされている。

 コトリは準備していた通り、荘厳な響きのゆったりと流れる大河の如き旋律を奏でた。案の定、試験官全員が正気を取り戻すことはなく、一曲を終えてしまう。

 誰も何も口にせぬ静寂が重かった。

 コトリは、再び丁寧な挨拶をし、すごすごと部屋を辞す。妙な達成感はあるが、胸には不安しかない。

 だが、やるだけやったのだ。真剣に取り組んだことだけは確かだ。

 合否が出るのは、三日後の朝。

 それまでコトリは、サヨに用意してもらった王宮近くの宿で身を隠すこととなる。
 
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