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59・屁理屈

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 『解散』って何のことだったっけ? 飲み会が終わって、「お疲れ様! また週明け!」ってサヨナラして、皆それぞれが家へ帰るみたいな。ああいうことだろうか。私はポカンとして高山課長の顔をぼんやり眺めた。

「これから話すことは部内秘で頼む」

 高山課長はそう言うけれど、辺りは静まり返っている。隣の営業部や社長秘書さん達には丸聞こえだった様子。二階フロアの全員がこちらへ聞き耳を立てているように見えた。

「突然のことで驚かせてしまってすまない。実は昨年の暮れから出ていた話だ。来月からはここにいる全員が経営企画部以外の部署へ配属されることになる」

 つまり、創立三十周年行事という大イベントを運営事務局として成功させたこの素晴らしいチームがバラバラになるということ。せっかく芽生えた強固な結束力も、これでは台無しだ。経営企画部のメンバーは日頃は一人ひとり違う仕事をしているけれど、いざとなったらかなり協力的で頼もしい人材が揃っている。危機に面しても助け合って乗り越えられることができた。それを証明したばかりなのに、あまりの仕打ち。しかも全員が異動なんて前代未聞。もしかして、経営企画部自体が無くなってしまうのだろうか?

 お祝いムードから一転。声にこそ出さないが、それぞれの腹の中に憤りや疑問などの燻りが膨らみつつあるのは明らかだ。高山課長は小さくため息をついた。

「悪いが、早速異動先を発表しておく。気になるだろうしな」

高山課長は背広の内ポケットから紙を取り出して広げた。

「まず、我社は来月初めに機構改革を行うことになった。営業部の直下に『営業支援課』という新たな部署が新設される。ここには、従来営業部内にあった顧客サポートチームも含まれる」

 顧客サポートチームとは、梅蜜機械の製品を買ってくださったお客様に使い方などを教える講習をしたり、お客様により効果的に使ってもらえるような提案をしたりするチームだ。展示会などでは、機械のデモンストレーションを行うことも受け持っている。

「ここへ行くのは、白岡さんと紀川さんの二人」

 え? そこ?

「今後、営業支援分野においては、顧客サポートと広報の連携が重要視されることになった。仕事内容はこれまでとほぼ同じだと考えてほしい。次は……」

 高山課長の話は続く。福井係長は製造部の事務方に入り、同じく仕事内容はほぼ変わらず。これには雪乃ちゃんがついていくことになった。せっかく仲良くなり始めていたのに、離れてしまうなんてとても寂しい。

 坂田さんは開発の事務方、高山課長は営業部の事務方へ。そして残るは二人。

「最後に、浜寺主任は総務直下に新設される情報システム課へ。竹村係長は総務部の総務課だ」

 総務? 思わず竹村係長の方を振り向く。その表情からするに、当人も今初めて知ったようだ。

「竹村係長だけは今とは完全に違う仕事、しかも初めての内容を受け持ってもらうことになる。どうやら、飯塚部長に気に入られたみたいだな。でも、前から異動希望出していたぐらいだし、良かったじゃないか」

 異動希望。つまり、竹村係長はこの部署に居たくなかったということ? いつ出したのだろう。やはり、年末から今年にかけて直属の部下である私が迷惑をかけすぎていたことに関係しているのだろうか。私は無意識に胸元に手を当てた。制服のシャツの下では、もらったダイヤモンドのネックレスがついている。

 じゃぁ、これは何なのよ。

 私から離れたがってるのに、どうしてこんなものをくれたの? やはり、『好き』と『一緒にいたい』とは別ものなのか。

 その後は、今後の経営企画部についての話もあった。結果的に言うと、経営企画部自体は無くならない。ただ、メンバーが総入れ替えになるということらしい。新たなメンバーは現在様々な部署に在籍している主任級以上の役職者ばかりで、全て飯塚部長と仲が良い人達ばかりだった。これまで梅蜜機械が全くできていなかった中長期計画の策定や、製品企画の一端を担うことになるとか。私は少し上の空のままそれを聞いていたけれど、他の人達は一層強く動揺していた。

「納得できませんね」

 白岡さんは吐き捨てるように呟く。

「理由は何なんですか?」

 竹村係長も尋ねる。何もこれらを決定したのは高山課長ではないのだから、責め立てたところでどうしようもないのに。二人に詰め寄られて、高山課長は居心地悪そうに肩を竦めた。

「副社長からは、こう言われている。今の経営企画部のチームは最高のチームだ。新しいことへのチャレンジ精神、会社への思い、裁断機メーカーとして誇り、そして実際の仕事力や発想力、協調性。どれをとっても社内一だ。だからこそ、こう小さくまとまっているのはもったいない。是非そのパワーを全社に広めてほしい。そのためには一度解散するしかないってな」

 製造部へ出戻ることになってしまった雪乃ちゃんは、人一倍悔しそうにしている。

「そんなの、ただの屁理屈じゃない!」
「そうかもしれないけれど、そうとも言いきれないよ。僕達は見事に散り散りになるけれど、今後また社内で大きなことをしようとなった時には再び集まって力を合わせることができる。ご存知のように梅蜜機械は部署間の壁がまだまだ厚い。お陰で進めるべき案件が進まないばかりか、実務レベルでの効率も大変悪い。でも、僕達のような『元経営企画部』が仲間として繋がり続けることで、事態を大きく改善することはできる」

 高山課長が話す『元』という言葉が切なすぎる。私は何かから身を守るように身体を小さく縮めて視線を床に落とした。

「それに、あまり言いたくはないが僕達はサラリーマンだ。置かれた場所で最善を尽くすしかない。新たな戦場で新しい武功を挙げられるように日々鍛錬し、剣を磨き、志を強くする。できることはそれしかないし、これは僕達に与えられたチャンスでもあるはずなんだ。まずは三年。三年だけがんばってみよう」

 高山課長は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。







 機構改革はかなり大きなニュースだ。昼休み前にはすっかり社内に広がってしまい、妙にテンションが上がった社員をあちらこちらで見かけた。その中で経営企画部だけは別世界。完全に気が立っている人達ばかりで、私もそのうちの一人だ。時間が経てば経つほど竹村係長の『異動希望』が許せなくなり、意図的に竹村係長とは目を合わさないようにして午前中を過ごした。

 そして昼休み。

「紀川さん、谷上さんに報告しましょうかねぇ」

 机に突っ伏す私に向かって、向かいの坂田さんが声をかけてきた。もちろん、機構改革や経営企画部解散についてのことだろう。子会社まで噂が広がるには時間がかかるので、確かにまだ谷上さんは知らないかもしれない。でも、一応部内秘だ。

「放っておいても夕方には知ることになるんじゃないですか?」
「……そうですね」

 少しキツイ言い方をしてしまい、言い終わってから後悔した。坂田さんと一緒に仕事できるのも後僅かなのに、こんな感じ悪いことをしてしまうなんて本当に馬鹿。生理前のPMSが酷い時にでもこんなことはしないのに。我ながらどうしちゃったのだろうと頭を抱えたくなってしまう。早めに謝ろうと思って席を立つと、ちょうど坂田さんのさらに向こう側にいた越智さんと目が合ってしまった。

「紀川さん、ちょっと」
「……はい」

 どことなく怠さを感じる身体に鞭打って、私は越智さんの席へ向かった。

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