上 下
38 / 61

37・毎日つけてね

しおりを挟む
 家に入って鍵をかけ、灯りをつけた途端。私は膝から崩れ落ちるようにしてしゃがみこんだ。残された僅かな体力を使って、近くに転がっていたリモコンへ手を伸ばす。ピという電子音と共にエアコンが起動した。

「あらあら、どうしたんだい?酷い顔だねぇ」

 すぐさま現れた黒づくめの美女。お化けらしく、足元は薄らと透けている。

「小百合。私に『良い風』を吹かせてくれてるって言ってたよね?」
「そうだよ。……結恵、何があったのか話なさいな」

 友達の小百合には、出会って以降何だって話してきた。でも今は何をどう話したらいいのかも分からない。

「ほっといて!」

 私は小百合と視線を合わさなかった。事情も何も知らない小百合は、口をきゅっと結んで私の後ろをついてくる。私は制服を脱いだ。

「ついてこないで!」
「寒気がするのかい?」

 ベッドの布団に潜り込んで、頭まですっぽり毛布を被った私は、カタカタと小刻みに揺れている。でもその理由は寒さではない。

「結恵、人生にはいろいろあるさ。憎い向かい風が突然上昇気流になってくれることもある。私は結恵の味方だよ。もっと良い風吹かせるから、今夜はよくお休み」

 私は少し息苦しくなって、毛布から顔を出した。顔は濡れている。エアコンからの風の質が柔らかになっていることに気づいた。小百合は私の手を取ると、しっかりと握りしめる。

「一人じゃないんだからね」

 その小百合の声を聞き終えるか否かの瞬間、ぶわっと大きな風が吹いた。私は魔法をかけられたかのように眠りに落ちる。流れ落ちた涙の粒は風に飛ばされて消えた。同時に小百合が低く呻いて蹲(うずくま)る。夢の世界へ旅立った私は、その異変に気づくはずもなく。













 翌日、エアコンをつけっぱなしだったお陰か喉が乾き、私は朝八時に目を覚ました。いつもより遅い起床。ベッド脇には眠る前と同じ格好で小百合が座り込んでいた。お化けは風邪なんかひかないかもしれないけれど、私はその肩にそっとブランケットをかける。

 私は新田くんに何も返事をしなかったけれど、無言はきっと肯定と見なされているだろう。我ながら律儀な私は、新田くんをガッカリさせないためにもシャワーを浴びて朝食に食パンを焼いて齧り、身支度を整えた。小百合は寝ぼけ眼のまま、ぼんやりとこちらを見つめている。私は、どうせまた私の蔵書を読み漁って夜更かししていたのだろうと決め込み、それ程気にもかけなかった。

「小百合、エアコン切るよ。小百合もよく休みなね?」

 十時十分前にアパートの一階へ降りると、既に新田くんは待っていた。羽織っているコートがいつもと違う。ファッション雑誌から飛び出してきたんじゃないかと思えるほどに、小ざっぱりとした垢抜けたコーディネート。特にシャツがオシャレで、ついつい目を奪われてしまった。

 そっか。これ、デートなんだ。

 今更その事実に気づいた私は、いつもスーパーに行く時と変わらない自分の格好を見下ろして恥ずかしくなった。だからと言って着替えに戻るわけにもいかず。どうせデート向きの服なんて持っていない。

「のりちゃん、おはよう」

 昨日の『結恵ちゃん』呼びは封印されたようだ。良かった。アレの破壊力はすざまじかったから、もう一度呼ばれた日には心臓がいくつあっても足りない。

「おはよう」

 私はなんとか声を絞り出して、新田くんの車に乗った。

 連れてこられたのは会社の近くの駅前百貨店。一階は広い化粧品売り場になっていて、高級ブランドが所狭しと並んでいる。売り場に立つ女性店員さんはもちろん完璧なメイクをしていて、私は格好からして場違いだ。化粧品なんて、ドラッグストアでしか買ったことがない。それも安いものばかり。確かに昨夜新田くんは「プレゼントさせて」と話していたけれど、まさか本気だったなんて。

 新田くんはしばらくキョロキョロしていたけれど、私の手を引いてある店のカウンターに立ち寄った。

「この子に合う口紅探してるんですけど」

 さすがの新田くんも、こういう女の子御用達のお店は不慣れらしい。言葉に詰まりながらも用件は話してくれたので、店員さんは早速キビキビと対応を始める。結局化粧水やらファンデーションやら、他のものまで勧められたけど、それは新田くんがうまく捌いてくれた。そして、手の甲にサンプルの口紅を試し塗りして好きな色を選ぶ。ちなみに、お値段がはっきりとは分からない。だけど見るからに高価そう。

「うん。のりちゃんにはやっぱりコッチかな」
「そうですね。お肌の色との相性を考えると、レッド系でしたらこちらがお似合いですね」

 新田くんと店員さんの意見が合致したところでお支払い。新田くんはわざわざプレゼント仕様のラッピングにと注文していた。レジのディスプレイは私から少し離れていて、結局値段は分からずじまい。

「新田くん、あのね、買い物に付き合ってくれたのは嬉しいけれど、ちゃんと自分のお金で買うから」

 私は店員さんの「ありがとうございました」に見送られながら、新田くんのコートの袖を引っ張る。

「駄目駄目。僕がのりちゃんにプレゼントしたいの」
「え、でも、私だって一人前に働いているから貯金ぐらいあるし、これぐらいちゃんと買えるもの! それにね、こういうことしたら男の子にたかってるみたいで、なんとなく嫌なのよ」
「好きでやってるんだから、気にしなくていいのに」

 新田くんはのんびりとした調子で、クスクス笑いながら百貨店の出口へ私を誘う。

「あ、それじゃ、今日は私がランチ奢るよ! 口紅の方が高いかもしれないけどね」
「すっごく魅力的な提案だけど、それはまた今度ね。今日はこれぐらいにしておこう?」

 百貨店を出た途端、新田くんは立ち止まった。

「え、何で?」
「この辺りはあの人のテリトリーだから。僕も生命が惜しいから、ゆっくりと攻めるつもりだよ」
「テリトリー?」
「行こう、結恵ちゃん。家まで送るよ」

 ハートを射抜かれるって、こういうことなのか。この歳で『ちゃん』付けで呼ばれるのはどこかくすぐったい。だけど、悪くない。

 家に着くまでの間、私は何度も何度も口紅のお礼を言った。新田くんは、「絶対に似合う色だから、できるだけ毎日つけてね」と言った。どうせ今持っている地味なベージュの口紅は残量が少なかったので、私は素直に頷いた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

化想操術師の日常

茶野森かのこ
キャラ文芸
たった一つの線で、世界が変わる。 化想操術師という仕事がある。 一般的には知られていないが、化想は誰にでも起きる可能性のある現象で、悲しみや苦しみが心に抱えきれなくなった時、人は無意識の内に化想と呼ばれるものを体の外に生み出してしまう。それは、空間や物や生き物と、その人の心を占めるものである為、様々だ。 化想操術師とは、頭の中に思い描いたものを、その指先を通して、現実に生み出す事が出来る力を持つ人達の事。本来なら無意識でしか出せない化想を、意識的に操る事が出来た。 クズミ化想社は、そんな化想に苦しむ人々に寄り添い、救う仕事をしている。 社長である九頭見志乃歩は、自身も化想を扱いながら、化想患者限定でカウンセラーをしている。 社員は自身を含めて四名。 九頭見野雪という少年は、化想を生み出す能力に長けていた。志乃歩の養子に入っている。 常に無表情であるが、それは感情を失わせるような過去があったからだ。それでも、志乃歩との出会いによって、その心はいつも誰かに寄り添おうとしている、優しい少年だ。 他に、志乃歩の秘書でもある黒兎、口は悪いが料理の腕前はピカイチの姫子、野雪が生み出した巨大な犬の化想のシロ。彼らは、山の中にある洋館で、賑やかに共同生活を送っていた。 その洋館に、新たな住人が加わった。 記憶を失った少女、たま子。化想が扱える彼女は、記憶が戻るまでの間、野雪達と共に過ごす事となった。 だが、記憶を失くしたたま子には、ある目的があった。 たま子はクズミ化想社の一人として、志乃歩や野雪と共に、化想を出してしまった人々の様々な思いに触れていく。 壊れた友情で海に閉じこもる少年、自分への後悔に復讐に走る女性、絵を描く度に化想を出してしまう少年。 化想操術の古い歴史を持つ、阿木之亥という家の人々、重ねた野雪の過去、初めて出来た好きなもの、焦がれた自由、犠牲にしても守らなきゃいけないもの。 野雪とたま子、化想を取り巻く彼らのお話です。

少年、その愛 〜愛する男に斬られるのもまた甘美か?〜

西浦夕緋
キャラ文芸
15歳の少年篤弘はある日、夏朗と名乗る17歳の少年と出会う。 彼は篤弘の初恋の少女が入信を望み続けた宗教団体・李凰国(りおうこく)の男だった。 亡くなった少女の想いを受け継ぎ篤弘は李凰国に入信するが、そこは想像を絶する世界である。 罪人の公開処刑、抗争する新興宗教団体に属する少女の殺害、 そして十数年前に親元から拉致され李凰国に迎え入れられた少年少女達の運命。 「愛する男に斬られるのもまた甘美か?」 李凰国に正義は存在しない。それでも彼は李凰国を愛した。 「おまえの愛の中に散りゆくことができるのを嬉しく思う。」 李凰国に生きる少年少女達の魂、信念、孤独、そして愛を描く。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

春風さんからの最後の手紙

平本りこ
キャラ文芸
初夏のある日、僕の人生に「春風さん」が現れた。 とある証券会社の新入社員だった僕は、成果が上がらずに打ちひしがれて、無様にも公園で泣いていた。春風さんはそんな僕を哀れんで、最初のお客様になってくれたのだ。 春風さんは僕を救ってくれた恩人だった。どこか父にも似た彼は、様々なことを教えてくれて、僕の人生は雪解けを迎えたかのようだった。 だけどあの日。いけないことだと分かっていながらも、営業成績のため、春風さんに嘘を吐いてしまった夜。春風さんとの関係は、無邪気なだけのものではなくなってしまう。 風のように突然現れて、一瞬で消えてしまった春風さん。 彼が僕に伝えたかったこととは……。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

イケメン政治家・山下泉はコメントを控えたい

どっぐす
キャラ文芸
「コメントは控えさせていただきます」を言ってみたいがために政治家になった男・山下泉。 記者に追われ満を持してコメントを控えるも、事態は収拾がつかなくなっていく。 ◆登場人物 ・山下泉 若手イケメン政治家。コメントを控えるために政治家になった。 ・佐藤亀男 山下の部活の後輩。無職だし暇でしょ?と山下に言われ第一秘書に任命される。 ・女性記者 地元紙の若い記者。先頭に立って山下にコメントを求める。

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

処理中です...