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15・出陣式

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 結局私は、経理部に立ち寄ってから席に戻った。前回の周年行事でかかった経費についてまとめたデータを出力してもらえるように依頼したのだ。こういうイレギュラーな依頼は、実際に顔を合わせて頭を下げるに限る。メールと電話でもいいのだけれど、やはり足を運んでお互いの顔を見るというのは大切だ。お陰様で、予想よりも早い今週中に対応してもらえることになった。やったね!竹村係長が選定している企画会社や設営会社の数社から見積もりがあがってきたのだ。きっと良い比較材料になるはず。

 と、油断していたら、いつの間にか午前十時半になっていた。突然、天井のスピーカーから放送が始まる。

「本日、午前十一時より新機種PHC2280Aの出陣式を執り行います。皆様、正門前にお集まりください」

 声の主は、おそらく総務部の女性だ。そう言えばしばらく前に、この件について部内回覧が回ってきていたことを思い出した。

 出陣式。これは、新機種を初めて客先に出荷する際に行う社内行事の一つ。大型トラックの荷台に、紅白のリボンで飾り付けた新機種の裁断機を載せ、その前へ社員ほぼ全員が集合する。製造部の部長が新機種の主な特徴や出荷先の情報、そして今後の販売好調を祈念する旨を語り、最後は全員で万歳三唱をしてトラックを見送るのだ。

 私が正門前に駆けつけた時には、もう多くの社員が集まっていた。トラックの周りに控える物流部の方はトラックのタイヤにお神酒を注ぎかけている。製造部部長が集まった人の輪の中心に現れると、誰の号令も無いのにひとりでに辺りは静かになった。マイクを握った製造部部長の話がスタートする。

 今回は裁断幅が広く、先日の先端材料展で見たような特殊素材の裁断にも一部対応可能なもの。残念ながら今回の出荷先は客先ではなく海外の代理店で、しばらくはショールームの展示機扱いのようだが、うちの技術力をプレゼンテーションするのに存分に役立ってほしいと思う。

 部長の話が終わった。

 どうか、売れてくれますように!
 ついでに給料も上がりますように!!

 社長や役員さんも含め、全員が思いっきり万歳をする。あがった歓声と盛大な拍手は、小春日和の青い冬空へと吸い込まれて消えていった。



 その時、私の頭の中に一つのアイデアが舞い降りる。



 新機種、周年行事の際にも出せないだろうか?



 うちのような裁断機に限らず、産業機械含め大型機械の開発、製造には大変時間がかかる。今、こんな機械が欲しいと声をあげたところで、それが社長や開発部長の承認を経て形になるのは上手くいっても一から二年後のことだろう。それでも、この出陣式のような晴れやかさは魅力的すぎる。集客の目玉にもなりそうだ。せめて、新機能、もしくはプロトタイプ機であっても、何かを周年行事の場で発表できないものだろうか。

 早速竹村係長にでも相談したかったが、私には別の仕事もたくさんある。席に戻ってまず手をつけたのは、森さんが作った業界新聞の新年広告の校正だ。

「森さん?」

 私は隣の席に顔を向ける。若い森さんは、私よりも軽く百倍は可愛く制服を着こなしているように見える。

「あ、広告見てくださったんですね!」

 森さんは私からの講評を期待の眼差しで待っていた。どうやら、またしても本人の自覚は薄いらしい。

「これ、全然指示通りじゃないよね?」

 私は、これまで広告なんて作ったことがない素人さんのために、昨年広告のデータを渡してそれを変更する形で作るように指示したのだ。なのにできあがってきたものは、完全なる別物。別でもいいのだ。それが我が梅蜜機械の広告として相応しければ。でもこれは……ティーン向け雑誌のハイテンションさを彷彿とさせるもので、ポップなフォントと星柄が散らばっていて目がチカチカする。

「でも、私の作ったものの方が目立つと思うんです!」

 やれやれ。まずは、梅蜜機械がこれまでに築いてきたブランディングイメージのおさらいをして、製造メーカーとしての品格について話らねばなるまい。新年広告は、その会社の企業方針やイメージがはっきりと現れるもので、自社から新年早々お客様に差し出すお年賀とも言える。作らねばならないものが山ほどあるので、ついつい任せてしまったが、まだ早かったかもしれない。だけど、人手は足りないのだ。ここは実践を積みながら勉強していってもらおう!

 それに、広告デザインには最低限のお作法がある。

 社名は分かりやすい位置に。連絡先もよく見えるようにする。フォントサイズや色調のコントラストはご年配の方でも見えるようなものに。モノクロ広告ならば、白と黒の比率のバランスも考える。基本的に製品の宣伝なのだから、その製品がそもそも何なのかも書かなくてはならない。コピーも練りに練る。短く端的、かつ心に響くフレーズでなければならない。かと言って、会社的にも下品なフレーズやあからさまなものはNGだ。

 同じようなものをいくつか並べるならば基準線を設けて、その上に配置すると整って見える。間隔も揃える。与えられた狭い空間の中で秩序正しく、ある一定のルールに基づいてレイアウトしていくと、自然とまとまりのある外見になる。

 印刷物は全てカラースペースをCMYK(シアン・マゼンダ・イエロー・キーカラーの黒)に設定したものを使う。モノクロ広告はグレースケールにしたものを。完成したら、文字はアウトライン化(テキスト情報を消去してベクター化した画像状態にすること)し、断ち切り線を示すトンボ(トリムマーク)もつけて、指定されたバージョンの保存形式で保存する。納品する際は、配置画像のリンク切れにも注意すべきだし、サムネイルとしてPDFもつけておくと良い。

 他にも注意事項はたくさんあるけれど、一度に詰め込めるのはこれぐらいだろう。森さんは私物のノートへ必死にメモをとっていた。マニュアル化が間に合っていなくてすまないと思いつつ、ようやく本格的な業務の話ができたことに満足感を感じる。

 定時になると、森さんは元の部署の忘年会に参加すると言って、すぐに退社する準備を始めた。けっ。私は今日も残業ですよー。

「のりちゃん先輩!」
「なあに?」
「大晦日とか、お正月って空いてます?」

 何、その『どうせ予定なんて無いんでしょ?』みたいな目線は。確かに、例年実家に帰って堅苦しい年末年始を過ごすしか予定はない。けれど今年は迷っていた。なぜなら、エアコンお化け、小百合がいるから。

 私の勝手なリア充のイメージとしては、やはり年末年始というのは心安い『友達』などと楽しくワイワイして過ごすのが鉄板だと思うのだ。そして今年、私にはついに!友達ができた。ここで小百合を見離すようにして、肩がこるだけの帰省をするなんて意味があるのか?  いや、無い。

 そっか。私の中では、既に答えが決まっていたようだ。

「今年は帰省もしないから、何も無いよ」
「だと思いました! どうせ何もスケジュール埋まりそうにないかもしれませんけど、引き続きちゃんと空けておいてくださいね!」
「え? どういう意味?」
「家の中も掃除しておいてくださいよー」

 何なの?!
 もしかして、うちに来るの?!

 来週はいよいよ仕事納めだ。今年も残りあと僅か。森さんは走り去ってしまったので、私は自分のデスクトップパソコンのモニターに向き直る。途中、隣の竹村係長からの視線を感じたが無視しておいた。だって、禄でもない予感がするんだもの。

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