魔風恋風〜大正乙女人生譚

花野未季

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事件⑩

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 喜代栄さんが手配してくれた車で帰宅した時には、かなり遅い時間になっていた。
 茶屋で起きたことを説明すると、母は真っ青になって、しばらく私を無言で抱きしめてくれた。

「奥様、申し訳ございません。私がついていながら」
「婆やは悪くないわ。私たちって本当に甘いわね。おかしいかもしれないって、まずは疑わないと」
「お姉様が、ご無事でよかった! それにしても、利晴様って蛇みたいに執念深い人ね。許せないわ!」

 婆やと母、そして律子は、密やかに、しかし強い調子で利晴さんをなじっている。
 私は、といえば、家に帰ってようやく人心地ついた状態なので、三人の話は頭に入ってこない。

「お嬢様、お床を延べましたから、もうおやすみになられてはいかがですか?」
 千代に言われて、私は頷いた。

 部屋を出て行こうとした私に、母が声をかけてくる。
「公威様は、お詫びに伺います、って仰ったのよね? なんだか気が重いわ」
 
「公威様は別にいいじゃない」
 律子は笑うが、私も母同様、公威さんにお会いするのは気が重かった。
 彼のあの怒りに満ちた横顔が、頭に浮かんでくる。

 翌週、公威さんは、うちまでお詫びに来られた。
 彼はいつも通り、穏やかな顔つきで丁寧な言葉遣いだったので、私は少し胸を撫で下ろした。

「文子さんたちに、私のあのような姿を見せてしまい、申し訳なく思っています」
 公威さんは、まず自分のことを謝ってきた。利晴さんの名前や、彼のしたことは口に出さずに。

「しばらく、外地で頭を冷やしてきます」
「外地?」
「正式に辞令が下りましてね、シベリアの居留民保護に向かいます」
「えっ?!」

 母も私も、お茶を運んできた千代も、硬直したようになってしまった。
「シベリアに!」

「文子さんには、以前ちらとお伝えしてあったのですが、その時はまだ決まっておりませんでした」
 公威さんが私を見て頷いたので、私もつられて頷いた。
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