魔風恋風〜大正乙女人生譚

花野未季

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事件⑧

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「お嬢様、しっかりなすって!」
 そう叫んで、倒れている私のそばに来たのは喜代栄さんだった。
「お嬢様!」
 遅れて婆やの悲鳴も聞こえた。

 私はなんとか起き上がって、周囲を見回す。
「公威様!」
 部屋の入り口近くで、公威さんが利晴さんに馬乗りになっていた。

「遅かったな、公威。もう、文子さんは俺のものだ」
 利晴さんが、はぁはぁ言いながらうそぶいた。

「出鱈目を言うな!」
 裂帛の気合いれっぱくのきあいとも言うべき公威さんの声に、利晴さんの荒い呼吸音が一瞬止まる。

「大尉、お嬢様はご無事ですよ。どうぞ、お手を放しておあげなさい」
 喜代栄さんが、しゅるしゅるという衣擦れの音を立てながら、公威さんたちに近づく。

「合原様、なんて事をなさるんですか! 日本男児の風上にも置けない卑怯なお振舞い、お嬢様に謝ってください。さ、大尉も、そこをどいてくださいませ」

 喜代栄さんがてきぱきと、場を鮮やかに納めようとする姿をぼんやり見ていると、涙が溢れてきた。
 婆やはそんな私を見て、私の頭や頰を撫でてくれる。

「お嬢様、お顔が赤いですね」
「あ、ええ。お酒を」
「お酒?」

 婆やは視線を彷徨わせ、不審げに言う。
「お酒を飲まれたのですか? でも、それだけでこんなに? お嬢様、まさか、殴られた!?」
 
 私が頷くのを見た、公威さんの怒声が再び響く。
「おい、兄貴。どういうことだ」
「どうって。言うことを聞かない女は殴るしかないだろう」

「貴様……」
 公威さんの握り拳が震えている。

「大尉!」
 喜代栄さんが、公威さんの腕に縋りつく。
「真田大佐がお見えですよ!」

 私たち全員が、部屋の入り口に注目すると、そこには勲章を沢山付けた軍服姿の人が立っていた。

「助かった。公威、皆様の前で恥ずかしい真似はするなよ。真田大佐殿、単なる兄弟喧嘩です、どうぞお見逃しください」

 利晴さんは冷静さを取り戻したようだったが、公威さんは、利晴さんに馬乗りになり、右手の拳を上げたまま動かない。
「公威、拳を収めろよ。帝国軍人が一般人を殴ったりしたら、どうなるかわかってるだろ?」

「さあ? わからんね」
 公威さんはそう言って、拳を振り下ろした。
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