魔風恋風〜大正乙女人生譚

花野未季

文字の大きさ
上 下
1 / 144

およそ人の世は

しおりを挟む
「およそ人の世というものは儚いものだ」
 そんなことを口癖のように言っていた父が、流行り病で、あっさりこの世を去ることになってしまったのは、なんという皮肉だろう。

 遠く欧羅巴ヨーロッパで繰り広げられた戦争の影響で、日本は債務超過国家から債権国へと変貌したとか。そんなことは、私にはよくわからないことだけれど。
 でも、そのおかげで、我が家の蔵もすこぅし潤っていたらしい。

 実家は運送業を営んでおり、陸路水路関係なく、米や塩、海産物を運んでいた。一時は日本全国の業者と関係があったほど、手広く商売をやっていたそうだ。

 “らしい” “そうだ” ばかりだが仕方ない。
 私は当時、女学校に通う16歳。
 家のことやお金の流れなど、世間のことは何も知らない娘だったのだし。
 よく言えば幸せに、悪く言えば “うすらぼんやり” と、私は平々凡々たる日々を過ごしていた。

 しかし、一寸先は闇、とはよく言ったもの。
 大流行していたスペイン風邪の暴風おおあらしに、我が家もさらされてしまったのだ。
 家族全員が罹患して、大黒柱である父だけが亡くなってしまった。

 そこからはもう大混乱。
 なにしろ、父が実務面から全てひとりで差配さはいしていたのだから。

 当面は、大番頭や小番頭といった、生え抜きの雇い人たちが商売を続けてくれることになった。
 父を喪った悲しみの中、母は気丈にも夜寝る暇もなく、おそらく生まれて初めて商売に取り組んだ。

 その頃の母のことを思い出すと、涙が出てくる。綺麗に結った艶髪つやがみが、一気に白髪が目立つようになった。それほど苦しい日々だったのだ。なのに私ときたら、毎日父のことを思い出して泣くばかりで、何もお手伝い出来なかった。


 ある朝のこと、母の悲鳴が家中にとどろいた。
 金庫にあった債券や現金が全て消えていたのだ。
 見つけたのは、祖父の代から働いてくれている大番頭さん。

「ど、泥棒?」
「いや……」
 漏れ聞こえる母と大番頭さんの会話に、私と妹の律子は息をらして聞き入る。
「八助のやつかもしれません」
「え?」

 八助とは、小番頭さんだ。
「さっき慌ててあいつを呼びにやらしたんですが、家はもぬけの殻でした」
「うそ!」
 その後は、「奥様!」という婆やの切羽詰まった声と、母の泣き声が響くばかり。

 この日を境に、我が家の暮らしは一変してしまった。
 商売を続けようにも、元手も無く後継者もいない。いずれは長女である私文子ふみこか、律子が嗣ぐつぐ予定であった淡路屋海運は、一夜にして瓦解がかいしてしまったのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

独孤皇后物語~隋の皇帝を操った美女(最終話まで毎日複数話更新)

結城 
歴史・時代
独孤伽羅(どっこ から)は夫に側妃を持たせなかった古代中国史上ただ一人の皇后と言われている。 美しいだけなら、美女は薄命に終わることも多い。 しかし道士、そして父の一言が彼女の運命を変えていく。 妲己や末喜。楊貴妃に褒姒。微笑みひとつで皇帝を虜にし、破滅に導いた彼女たちが、もし賢女だったらどのような世になったのか。 皇帝を操って、素晴らしい平和な世を築かせることが出来たのか。 太平の世を望む姫君、伽羅は、美しさと賢さを武器に戦う。 *現在放映中の中華ドラマより前に、史書を参考に書いた作品であり、独孤伽羅を主役としていますが肉付けは全くちがいます。ご注意ください。

処理中です...