上 下
8 / 41

彷徨う姫

しおりを挟む

 姫を引き上げてみたものの。
 漁師は途方に暮れた。
「マズいもん、釣り上げちまったな」
 嘆息する彼に、姫は何度も土下座する。
「ああ、いいんだ。仕方ねえ。しかし、お前さんは何故、そんな怪体けったいな格好してるんだ?」

 姫は少し水を飲んでいたし、苦しくて息も絶え絶えであるから喋れない。
 漁師は困ったように言った。
「口がきけねえのか。…… そこの岸に着けるからよ、悪りぃわりぃけども降りてくれるか?」
 姫は鉢頭を大きく上下させた。

 漁師の舟を降り、川岸で姫は何度もお辞儀して漁師を見送った。
 長いさおを器用に操りながら、漁師は姫のほうを振り向いた。

(妖? いや、違うな。なんとなく高貴な人のような気がするが)
 仮に今日、ボウズ一匹も釣れなかったとしても、良い土産話が出来たな、と彼は思ったのだった。

 ーー助かったのは、観音様の思し召し。そう思うしかない。
 遠ざかる漁師の舟を見送っていた姫は、しばらくの後、再びとぼとぼと歩き始めた。

 あてどなく歩いているうちに、姫はみやこの外れに行き着いた。すれ違う人たちは、一瞬立ち止まったり、ヒソヒソと囁き合ったりするが、姫は奇異な目で見られたり、爪弾きつまはじきにされることには、もう慣れっこなので無感情である。

 そんな姫の姿を、さる高貴な方が興味を持って眺めていた。
 その方は山蔭中将やまかげのちゅうじょうという方で、大変な権勢を誇る藤原氏の一族であり、その地方の国司くにのつかさであった。彼は風流を解する方で、この日は歌を詠むために、従者をひとりだけ連れて出かけようとしていた。

「奇妙な格好のむすめが歩いておる」
 山蔭卿やまかげきょうは門の内側で立ち止まり、呟いた。
「は? 何と仰いましたか?」
「あれを見よ」
 山蔭卿の後ろから姫を見た従者の明石左馬介あかしさまのすけは、
「うわ……」
 と言ったきり黙り込んで、卿の次の言葉を待った。

「明石、あの者を連れて来てくれ」
「ええ? 連れて来るのは構いませんが、どうなさるおつもりで?」
「いや、とりあえず話をしてみたいだけだ」
 明石は姫の後を追いかけて、背後から「もし、そこのお人!」と声を掛けた。



【註】
 国司)地方行政を任されている行政官、現在の知事のような地位にある人

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

最後の想い出を、君と。

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:10

煌めく氷のロマンシア

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:565

いかつい顔の騎士団長を絶対に振り向かせて見せます!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:134pt お気に入り:1,788

遠い昔からの物語

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:76

お江戸を指南所

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:860pt お気に入り:26

夏姫の忍

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:647pt お気に入り:4

処理中です...