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新生活が始まる

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 目覚めた時は、昨日の素敵なベッドの上でふかふかの寝具に包まれていた。
 あれは夢だったのだろうか?
 私の足元には、フェリスが幸せそうな顔で丸くなって眠っている。

 彼女を起こさないようにして、ベッドから降りると部屋着に着替えた。
 そして、部屋から出て厨房を探した、洗面のお湯をもらうために。

 厨房はすぐにわかった。
 とてもいい匂いがしてくるから。
 私は、そうっと厨房の中を覗き込む。

「おはようございます!」
 大きな声で挨拶したところ、厨房にいた人たちが一斉にこちらを見てきた。何人かは昨夜のパーティにいたのだろう、見覚えがあった。

 私は「ええと。お湯を頂けますか?」と、内心どきどきしながらも微笑んでみせる。
 そこからは大騒ぎになってしまった。
「奥方様が自らお出ましになられるとは!」
「申し訳ございません! ただ今すぐに、洗面と朝食のご用意を」

 女中頭を名乗る女性が、部屋にお戻りください、と恐縮したように言ってくれるが、私は、自分で朝の支度をすることは慣れているから気にしないで、と答えた。
「どうぞ、私のことは奥方様なんて呼ばないで、マリナとでも呼んで下さい。それに、自分のことは自分でやらせて下さいね」

 その場がシーンと静まり返ってしまった。
 変なことを言ってしまったかしら……?
 部屋にお湯を運びながら、今日は何をしようかな、と考えた。辺境伯は、私に好きなように暮らしていい、と言ってくれたけれど。


「刺繍でもなさいますか?」
 フェリスが輿入れこしいれの道具から裁縫箱を出してきた。
「そうね。今日はとりあえず刺繍でもしましょうか。手始めに、この真っ白なベッドカバーをリメイクね」

 自分のためだけに刺繍をするのは久しぶりだ。裁縫といえば、継母と義姉のためにやらされるものだったから。
 私とフェリスは、時間を忘れて黙々と針を動かす。

 ふと、フェリスが手を止めて言った。
「お嬢様、じゃなかった、奥方様」
「いやだわ。お嬢様のままでいいわ」
 なんだか照れ臭い。

「お昼のご用意に行ってきます」
「あら、もうそんな時間? 一人で大丈夫?」
 フェリスは頷いて、部屋から出て行った。

 しばらくして、フェリスは昨日の可愛い召使いの子と共に、大きなお盆とパン籠を提げて帰ってきた。
 お盆の上にはオムレツと、いい匂いを漂わせている陶器のスープポット。パン籠には山と積まれたライ麦パン、白パン、蜂蜜やバターといった美味しそうなものが。

 それらをテーブルにセッティングしながら、フェリスが話しかけてきた。
「お嬢様、今夜もパーティに行かれますか?」
「えっ?」
 やはり、あれは夢じゃなかった。
「こちらのメアリーさんから誘われました」

 メアリーという召使の子は、片膝を床に着けて丁寧な挨拶をしてくれた。
「ここでは、お祝い事があったら、しばらくの間は毎晩のように城館の住人が集まって、ダンスしたり歌ったりおしゃべりしたり、素敵な夜を過ごします。リヒャルト様はいつも仰います、無礼講だと。奥方様も是非」
 断る理由はない。

 その日の夜。
 夕食を終え、フェリスが厨房に食器を返しに行った時。
 外から窓を叩く音に、私は椅子から飛び跳ねた。

「リヒャルト様!」
「待ちきれず、お迎えに来ました」
 リヒャルト様は、窓ごしに手を伸ばす。
「窓から?」
「ここからのほうが早い」

 確かに。
 私は窓の桟に上る。リヒャルト様は、飛び降りようとした私を両腕で抱え、そのまま歩き始めた。
「リヒャルト様! おろして下さい、恥ずかしいです」

「軽いですね、もっとたくさん食べないと」
 そう言って笑い、青い瞳は優しく見つめてくる。密着した胸がドキドキする。この方は夫の弟君なのに。

 そういえば、今日は一度も辺境伯にお会いしていない。
 黙ってしまった私を見て、リヒャルト様はそうっと私を下ろしてくれた。

「どうかしましたか?」
「あの。私はアンドレイ様に嫁いできたというのに、昨日ご挨拶しただけなのです。本当に奥方なんて名乗っていいのでしょうか?」
 リヒャルト様は困惑した様子である。

「兄の姿を見て、貴女はどう思われましたか?」
「……正直に申し上げますと、驚きました。戦さで怪我をなさった、というお噂でしたが」
「いいえ、兄は怪我などしていません。隣国との戦さに勝つために魔女と契約したので」
「魔女と契約?」

「カザールの当主は代々、魔女と契約しているのです。その代償として、兄は魔女によって化物に変えられています」
「そんな! 化物だなんて」

「申し上げにくいのだが、貴女がその、あの。兄との間に御子をもうけることになったら、第一子も魔女との契約で」
 リヒャルト様は申し訳なさそうに言うが、私は恐れ慄いておそれおののいて返事できない。

「ですから、兄は貴女を名目上の妻として遇するつもりなのかも。子供をもうけたり、本当の家族となる気は」
 リヒャルト様は、そこでため息をついた。
「おそらく無いでしょう」
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