2 / 33
嫁ぐことになりました
しおりを挟む
「お嬢様、お父上様がお呼びでございます」
私の妹分であり、小間使いであるフェリスが、慌てた様子でバタバタと廊下を走って来た。
「フェリス、お屋敷内は走っちゃダメでしょ。……でも、珍しいわね、お父様が私に何のご用かしら」
私とフェリスは、急いで父のいる執務室に向かう。父は書き物机に向かって、何か執務作業の最中らしかった。
「失礼いたします」
私の声で顔を上げた父が、驚くべきことを告げた。
私はおうむ返しに父の言葉を繰り返す。
「辺境伯のところに嫁ぐ?」
「お前も知っているだろう。我が国を夷狄から守ってくれている辺境伯のことを。辺境伯ことアンドレイ・ジョハンセン侯爵は、長年の功績の褒美として、高貴な一族から妻を娶りたいと仰っている。マリナ、その妻としてお前が選ばれたのだ。名誉なことではないか」
「辺境伯!」
私の近くで侍していたフェリスが叫んだ。
父は、お前は黙ってろと言わんばかりに、じろりと彼女を睨みつけた。フェリスは肩を震わせうつむく。
目の前の父は、威厳のある顔立ちはそのままに、でも口元は緩めている。
私はといえば、ただただ驚いて何も言えずにいた。
「早速、明日カザール地方に向けて出発してもらう」
「あ、明日?」
再びフェリスが叫ぶ。
父はまたも彼女を睨みつけ、一呼吸置いて話を続けた。
「心配するな、辺境伯が護衛の精鋭部隊を差し向けて下さった。そろそろ到着する頃だろう」
これ以上話すことは何もない、という態度で父は、再び机の上の書類に目を通し始める。
仕方なく私は、ドレスの脇を摘み貴婦人の礼をし、「失礼します」と挨拶した。
指で摘んだドレスの布地は、薄くなって擦り切れそう。
私はドレスと呼べるようなものは、これ一枚しか持っていない。いろんな部分を継ぎ当てして誤魔化して着ているけれど。
ため息をつきながら、フェリスと共に父の執務室から出た時、ちょうど廊下の向こうから継母と義姉のエレナが歩いてくるのが見えた。継母は私の姿を認めると、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「マリナ、お父上からお話は聞きましたか? 身分の高い家に貰われて行くなんて、あなたにとっては信じられない幸運ですよ。国王陛下やお父上に感謝なさい」
義姉のエレナは無言で、でも嘲るような笑みを浮かべている。二人はすれ違いざま「フン」と、わざわざ鼻を鳴らした。
「悔しいです!」
フェリスが頬を紅潮させ、涙を浮かべている。
「お母様がご存命でしたら、お嬢様はこんな縁談を押し付けられることもなかったのに」
「フェリス」
「そもそも、なんであんな女が旦那様の後添えとして偉そうにしているんだか」
「口を慎みなさい。お継母様は、お父様の大切な人なのですよ」
「でも、あいつのせいで、お嬢様は女中の身分にまで落とされて。理不尽です!」
「でも、それも今日まで、ってことよ。明日からは、私は辺境伯の奥方として、元の身分である貴族階級に戻れるのよ」
私はさっきから考えていたことを口にした。最初の衝撃が落ち着いてきて、良い方に考えなくては、と思い始めていたのだ。
最愛の母が亡くなった日から、私、マリナ・エレンザの生活は一変していた。
朝は暗いうちから起きて、継母たちの朝食の支度と洗面・化粧のお手伝い。その後は、部屋の片付けをし、衣服などの手入れ。義姉のバスの支度もある。薔薇の香油や花びらを用意して、お湯を沸かす。
公爵家の植物園の世話も、一部は私の仕事。
やることは、いっぱい。
「フェリスがいてくれないと、私一人では何も出来ないわ。本当にありがとう」
私は心底、フェリスを頼りにしていた。
「お嬢様、私も連れて行ってください、カザールに」
「もちろん、そのつもりよ。でも、カザールは寂しい土地だというし、あなたを連れて行ってもいいか迷ってたの。あなたのほうから言ってくれて嬉しいわ」
フェリスは可愛い顔をくしゃくしゃにして、ふにゃと笑った。
彼女は、ほぼ絶滅したと言われる猫耳一族の仔だった。城下で行き倒れていたところを、慈悲深い公爵夫人である私の母に拾われてきた。
以来、私の妹分兼小間使いとして、ずっと一緒に育った。怒ったり興奮したりすると、髪の毛の間から猫耳がピョコンと飛び出す。今もヘアバンドを押し上げるようにして、もふもふの耳が立っていた。
私の妹分であり、小間使いであるフェリスが、慌てた様子でバタバタと廊下を走って来た。
「フェリス、お屋敷内は走っちゃダメでしょ。……でも、珍しいわね、お父様が私に何のご用かしら」
私とフェリスは、急いで父のいる執務室に向かう。父は書き物机に向かって、何か執務作業の最中らしかった。
「失礼いたします」
私の声で顔を上げた父が、驚くべきことを告げた。
私はおうむ返しに父の言葉を繰り返す。
「辺境伯のところに嫁ぐ?」
「お前も知っているだろう。我が国を夷狄から守ってくれている辺境伯のことを。辺境伯ことアンドレイ・ジョハンセン侯爵は、長年の功績の褒美として、高貴な一族から妻を娶りたいと仰っている。マリナ、その妻としてお前が選ばれたのだ。名誉なことではないか」
「辺境伯!」
私の近くで侍していたフェリスが叫んだ。
父は、お前は黙ってろと言わんばかりに、じろりと彼女を睨みつけた。フェリスは肩を震わせうつむく。
目の前の父は、威厳のある顔立ちはそのままに、でも口元は緩めている。
私はといえば、ただただ驚いて何も言えずにいた。
「早速、明日カザール地方に向けて出発してもらう」
「あ、明日?」
再びフェリスが叫ぶ。
父はまたも彼女を睨みつけ、一呼吸置いて話を続けた。
「心配するな、辺境伯が護衛の精鋭部隊を差し向けて下さった。そろそろ到着する頃だろう」
これ以上話すことは何もない、という態度で父は、再び机の上の書類に目を通し始める。
仕方なく私は、ドレスの脇を摘み貴婦人の礼をし、「失礼します」と挨拶した。
指で摘んだドレスの布地は、薄くなって擦り切れそう。
私はドレスと呼べるようなものは、これ一枚しか持っていない。いろんな部分を継ぎ当てして誤魔化して着ているけれど。
ため息をつきながら、フェリスと共に父の執務室から出た時、ちょうど廊下の向こうから継母と義姉のエレナが歩いてくるのが見えた。継母は私の姿を認めると、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「マリナ、お父上からお話は聞きましたか? 身分の高い家に貰われて行くなんて、あなたにとっては信じられない幸運ですよ。国王陛下やお父上に感謝なさい」
義姉のエレナは無言で、でも嘲るような笑みを浮かべている。二人はすれ違いざま「フン」と、わざわざ鼻を鳴らした。
「悔しいです!」
フェリスが頬を紅潮させ、涙を浮かべている。
「お母様がご存命でしたら、お嬢様はこんな縁談を押し付けられることもなかったのに」
「フェリス」
「そもそも、なんであんな女が旦那様の後添えとして偉そうにしているんだか」
「口を慎みなさい。お継母様は、お父様の大切な人なのですよ」
「でも、あいつのせいで、お嬢様は女中の身分にまで落とされて。理不尽です!」
「でも、それも今日まで、ってことよ。明日からは、私は辺境伯の奥方として、元の身分である貴族階級に戻れるのよ」
私はさっきから考えていたことを口にした。最初の衝撃が落ち着いてきて、良い方に考えなくては、と思い始めていたのだ。
最愛の母が亡くなった日から、私、マリナ・エレンザの生活は一変していた。
朝は暗いうちから起きて、継母たちの朝食の支度と洗面・化粧のお手伝い。その後は、部屋の片付けをし、衣服などの手入れ。義姉のバスの支度もある。薔薇の香油や花びらを用意して、お湯を沸かす。
公爵家の植物園の世話も、一部は私の仕事。
やることは、いっぱい。
「フェリスがいてくれないと、私一人では何も出来ないわ。本当にありがとう」
私は心底、フェリスを頼りにしていた。
「お嬢様、私も連れて行ってください、カザールに」
「もちろん、そのつもりよ。でも、カザールは寂しい土地だというし、あなたを連れて行ってもいいか迷ってたの。あなたのほうから言ってくれて嬉しいわ」
フェリスは可愛い顔をくしゃくしゃにして、ふにゃと笑った。
彼女は、ほぼ絶滅したと言われる猫耳一族の仔だった。城下で行き倒れていたところを、慈悲深い公爵夫人である私の母に拾われてきた。
以来、私の妹分兼小間使いとして、ずっと一緒に育った。怒ったり興奮したりすると、髪の毛の間から猫耳がピョコンと飛び出す。今もヘアバンドを押し上げるようにして、もふもふの耳が立っていた。
1
お気に入りに追加
216
あなたにおすすめの小説
拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。
石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。
助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。
バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。
もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。
妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています
今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。
それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。
そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。
当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。
一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。
私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです
風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。
婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。
そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!?
え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!?
※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。
※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。
※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。
【完結】初恋の人に嫁ぐお姫様は毎日が幸せです。
くまい
恋愛
王国の姫であるヴェロニカには忘れられない初恋の人がいた。その人は王族に使える騎士の団長で、幼少期に兄たちに剣術を教えていたのを目撃したヴェロニカはその姿に一目惚れをしてしまった。
だが一国の姫の結婚は、国の政治の道具として見知らぬ国の王子に嫁がされるのが当たり前だった。だからヴェロニカは好きな人の元に嫁ぐことは夢物語だと諦めていた。
そしてヴェロニカが成人を迎えた年、王妃である母にこの中から結婚相手を探しなさいと釣書を渡された。あぁ、ついにこの日が来たのだと覚悟を決めて相手を見定めていると、最後の釣書には初恋の人の名前が。
これは最後のチャンスかもしれない。ヴェロニカは息を大きく吸い込んで叫ぶ。
「私、ヴェロニカ・エッフェンベルガーはアーデルヘルム・シュタインベックに婚約を申し込みます!」
(小説家になろう、カクヨミでも掲載中)
公爵子息に気に入られて貴族令嬢になったけど姑の嫌がらせで婚約破棄されました。傷心の私を癒してくれるのは幼馴染だけです
エルトリア
恋愛
「アルフレッド・リヒテンブルグと、リーリエ・バンクシーとの婚約は、只今をもって破棄致します」
塗装看板屋バンクシー・ペイントサービスを営むリーリエは、人命救助をきっかけに出会った公爵子息アルフレッドから求婚される。
平民と貴族という身分差に戸惑いながらも、アルフレッドに惹かれていくリーリエ。
だが、それを快く思わない公爵夫人は、リーリエに対して冷酷な態度を取る。さらには、許嫁を名乗る娘が現れて――。
お披露目を兼ねた舞踏会で、婚約破棄を言い渡されたリーリエが、失意から再び立ち上がる物語。
著者:藤本透
原案:エルトリア
《完結》《異世界アイオグリーンライト・ストーリー》でブスですって!女の子は変われますか?変われました!!
皇子(みこ)
恋愛
辺境の地でのんびり?過ごして居たのに、王都の舞踏会に参加なんて!あんな奴等のいる所なんて、ぜーたいに行きません!でブスなんて言われた幼少時の記憶は忘れないー!
【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。
海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】
クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。
しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。
失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが――
これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。
※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました!
※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる