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その十四
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千津子は今見たものが衝撃的すぎて、しばらく動けなかった。表から聞こえてきた梅と松子の声に我に帰って、慌てて押し入れの襖を開け箱を元通りに戻した。
梅は帰りが遅い日は隣で泊まっているので、千津子はひとり、一晩中まんじりともせず布団の中で震えていた。
翌朝、部屋の拭き掃除を終えた頃、梅が帰って来た。
「もう一眠りさせてもらうね」
と梅が言うので、床の用意をしていると、彼女の二度寝を許さないかのように、ガタン、と大きな音が押し入れから響いてきた。
思わず顔を見合わせた二人だったが、千津子が怯えているのを見た梅が、大したことじゃないといった調子で押し入れを開け、箱を引っ張り出した。彼女は黙って蓋を開け、中を覗き始める。
かなり長い時間、梅が微動だにせず座っているので、千津子は不安になってしまった。やがて梅が大きく息をついて、箱を元通りにしまい込んだ。
「千津子ちゃん、正直に言っておくれ。昨日、何もなかったかい?」
千津子は仕方なく、昨夜もさっきのように箱が動いたので、中を見たことを告げる。
「この箱は不思議な箱でね、近々起こる不幸を教えてくれるんだよ。でも、見えたところでどうしようもないんだよ。今もまた見えたけど、もうじき大変な災厄が来るようだね。地震と大火だ」
梅の言葉に、千津子はびっくりした。
「でも、案外何も起こらないかもしれないし」と、梅は自分の言葉を打ち消すように言ったが、千津子は溜め込んでいた恐怖を吐き出すかのように大声で泣き出してしまった。それを見て、梅はなんとも言えない悲しげな顔をした。
その日、梅は一年ぶりに東京を訪れた児島と会った。
彼は、手がけている慈善事業や仕事で定期的に東京に来ており、そのたびに梅をお座敷に呼んでくれていた。
しかし、お座敷には必ず米も梅について来ていた。
同席している客の中には、「このお座敷は暗いですなあ。こんな華やかなお姐さんがいらっしゃるのに。どういうことでしょう?」などと言い出す勘の鋭い人もいた。
その日も、「夏だというのに、寒気がしませんか?」という客がいて、梅は気まずい思いがする。
米の姿は見えていないようだが、梅の爪弾く三味線に合わせて「うあああ……」と、女のうめき声のようなものが聞こえる、とまで彼は言い出した。
その後、その客は早々に帰ってしまい、「あたしのせいで児島さんにご迷惑をおかけしますね。楽しいお座敷にしたいんですけど」と、梅は詫びるしかない。
児島は優しい声で、梅さんのせいではなくて、自分が悪いのでしょう、と言ってくれる。
もう何度目かわからないやりとりである。
そして、やはり何度目かわからない質問をしてみる。
それは、あの箱を本当に児島に返さなくていいのか? ということだ。
「思い出の品として、あなたがお使いください」と毎回言われ、結局ずっと梅の物となっている。だが、梅はこれ以上は持ち重りがするというか、不幸は知りたくなくて今回も聞いてみた。
しかし、また同じ答えが返ってきて、ふと梅は、『自分は箱に選ばれてしまったのかもしれない』と思う。
児島自身は、箱自体の不思議を知らないようであるし、かつて米も何も感じなかったのである。
しかし、千津子が自分と同じ幻を見たとしたら、大袈裟な言い方をすれば、『選ばれし者』のみに、箱は不幸な未来を教えてくれるのかもしれない。
ちょうど、米の亡霊を永井だけが見ることができるように。
梅は帰りが遅い日は隣で泊まっているので、千津子はひとり、一晩中まんじりともせず布団の中で震えていた。
翌朝、部屋の拭き掃除を終えた頃、梅が帰って来た。
「もう一眠りさせてもらうね」
と梅が言うので、床の用意をしていると、彼女の二度寝を許さないかのように、ガタン、と大きな音が押し入れから響いてきた。
思わず顔を見合わせた二人だったが、千津子が怯えているのを見た梅が、大したことじゃないといった調子で押し入れを開け、箱を引っ張り出した。彼女は黙って蓋を開け、中を覗き始める。
かなり長い時間、梅が微動だにせず座っているので、千津子は不安になってしまった。やがて梅が大きく息をついて、箱を元通りにしまい込んだ。
「千津子ちゃん、正直に言っておくれ。昨日、何もなかったかい?」
千津子は仕方なく、昨夜もさっきのように箱が動いたので、中を見たことを告げる。
「この箱は不思議な箱でね、近々起こる不幸を教えてくれるんだよ。でも、見えたところでどうしようもないんだよ。今もまた見えたけど、もうじき大変な災厄が来るようだね。地震と大火だ」
梅の言葉に、千津子はびっくりした。
「でも、案外何も起こらないかもしれないし」と、梅は自分の言葉を打ち消すように言ったが、千津子は溜め込んでいた恐怖を吐き出すかのように大声で泣き出してしまった。それを見て、梅はなんとも言えない悲しげな顔をした。
その日、梅は一年ぶりに東京を訪れた児島と会った。
彼は、手がけている慈善事業や仕事で定期的に東京に来ており、そのたびに梅をお座敷に呼んでくれていた。
しかし、お座敷には必ず米も梅について来ていた。
同席している客の中には、「このお座敷は暗いですなあ。こんな華やかなお姐さんがいらっしゃるのに。どういうことでしょう?」などと言い出す勘の鋭い人もいた。
その日も、「夏だというのに、寒気がしませんか?」という客がいて、梅は気まずい思いがする。
米の姿は見えていないようだが、梅の爪弾く三味線に合わせて「うあああ……」と、女のうめき声のようなものが聞こえる、とまで彼は言い出した。
その後、その客は早々に帰ってしまい、「あたしのせいで児島さんにご迷惑をおかけしますね。楽しいお座敷にしたいんですけど」と、梅は詫びるしかない。
児島は優しい声で、梅さんのせいではなくて、自分が悪いのでしょう、と言ってくれる。
もう何度目かわからないやりとりである。
そして、やはり何度目かわからない質問をしてみる。
それは、あの箱を本当に児島に返さなくていいのか? ということだ。
「思い出の品として、あなたがお使いください」と毎回言われ、結局ずっと梅の物となっている。だが、梅はこれ以上は持ち重りがするというか、不幸は知りたくなくて今回も聞いてみた。
しかし、また同じ答えが返ってきて、ふと梅は、『自分は箱に選ばれてしまったのかもしれない』と思う。
児島自身は、箱自体の不思議を知らないようであるし、かつて米も何も感じなかったのである。
しかし、千津子が自分と同じ幻を見たとしたら、大袈裟な言い方をすれば、『選ばれし者』のみに、箱は不幸な未来を教えてくれるのかもしれない。
ちょうど、米の亡霊を永井だけが見ることができるように。
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