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その九
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その日の午後、千津子は梅に連れられ、浅草の仲見世から芝居小屋の立ち並ぶ目抜き通りまでを歩いた。
どこもかしこも通行人で溢れ返り、彼らは人を見る目的でここに来たのかと思うほどだ。
「今日は何かのお祭りですか?」
千津子は梅に尋ねる。
「いいや? なんで?」
逆に梅に聞き返され、東京市内は普段からこんなに人が多いんだ、と千津子は今更ながら驚く。
地下鉄浅草駅の入り口は階段が見えないほど人が出入りしており、それらの人は、ほとんどが背広姿の男性であった。大きな幟を立てた芝居小屋が林立する通りでは、学校を終えて遊びに来ているのか、近所に住んでいるのか知らないが、千津子より小さな子どもも大勢、辺りをうろうろしている。
千津子と同じ年頃の娘は皆、ねんねこ半纏に赤子を背負っており、美しい梅と並んで歩く千津子の姿を興味深げにじろじろ眺めてくる。
「千津子ちゃん、あそこがあんたが出る予定の寄席だよ」
そこだけ、派手な芝居の絵看板が架かっていない芝居小屋の建物があった。
正面には『浅草第一寄席』という大きな木の看板が掛かっている。
中に入ると既に永井は来ており、彼の隣には、千津子とさほど歳の変わらないような坊主頭の少年が立っていた。
「おお、千津子ちゃん、待ってたよ。この小僧が、一緒に千里眼をやってもらう予定の噺家の卵だ。ほら挨拶しろ」
永井が少年に言い、彼は頭を下げた。
「花乃家三治です。よろしくお願いします」
千津子もお辞儀した。
「この子はね、見ての通りまだ修行中なんだよ。顔を覚えてもらう意味もあって、千津子ちゃんと組んで売り出したいんだがね」
永井の考える演し物は、客に引いてもらったトランプの札の絵柄を、千津子に当てさせるものであった。白けないように三治が上手く盛り上げることが大事だ、と永井は付け加えた。
「試しにやってみるよ」
永井はトランプを背広のポケットから出すと、一枚引いて、じっと千津子の顔を見た。
(千津子ちゃん、ダイヤの二だ)
永井の心の声が聞こえて千津子は、
「ダイヤの二」
と答えた。
永井はにやっと笑って、札を裏返して三人に見せた。
「ひゃあ!」
三治が素っ頓狂な声を上げる。
「すごいわ!」
梅も叫んだ。
「じゃあ、三治やってみな。いいかい、千津子ちゃんに向けて、よーく念を送るんだぜ」
緊張した面持ちの三治が札を一枚引いて、裏の方を千津子に向け、じっと彼女の顔を見る。
千津子も集中するが、なんの声も聞こえない。
一分近く経っただろうか。ハーッと大きくため息をついて、三治が嘆いてみせた。
「わかりませんか? 俺ぁ、必死で念を送ったんですけど」
「どういうことだ。三治、もう一回やってみな」
永井に言われ、三治がうなずいて再び千津子に念を送り始める。
しかし、何度やっても同じことであった。
永井と梅が困ったように顔を見合わせると、三治が「もう一回!」と千津子を拝む。その仕草がおかしくて、千津子は吹き出して笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ。もう一回頼むよ」
三治は口を尖らせるが、千津子の耳には彼の心の声は何も聞こえてこない。
「こいつは困ったね」
永井はそう言いつつも、さほど困った様子もなく、何か考えているようだ。
そして、三治からトランプを貰うと、梅に渡した。
「梅、お前さんやってみな」
「あたし?」
梅は驚きつつも、真剣な顔つきで、二人がやったのと同じように札を引いた。
千津子は梅の顔に注意を集中するが、やはり何も聞こえない。代わりに、梅の背後に、昨日の若い女がぴたっとくっついているのが見えてきた。
女は横を向いていたが、ゆっくり身体の向きを千津子の方に変えると、梅にそっくりの顔で、千津子を恨めしそうに見た。
彼女は真冬だというのに、藍色の浴衣を着ており、後ろにまとめた束髪は、ざんばらと言っていいほど乱れている。
(昨日は気がつかなかったけど、この人は幽霊だ!)
脇の下を冷や汗が流れるのを感じる。
千津子の様子がおかしいのに気づいた梅が、
「千津子ちゃん?」
と呼びかけるが、千津子は身体が動かない。喉の奥が締め付けられるようで、声も出ない。
女はそんな彼女の様子を見て、嬉しそうである。
「消えて!」
千津子は心の中で必死で叫ぶ。すると女は、梅の後ろからすーっと移動してきた。
千津子の真正面にぴたりと顔をくっつけんばかりにして、彼女はささやいた。
「いやや。あんたに私が見えてるんなら尚更」
「よしな! 米さん!」
永井が大声で言うと、女はフッと消えた。
「米ちゃんがいるの?」
梅が困惑したように永井に尋ねて、千津子はその場にへなへなと崩れ落ちた。
どこもかしこも通行人で溢れ返り、彼らは人を見る目的でここに来たのかと思うほどだ。
「今日は何かのお祭りですか?」
千津子は梅に尋ねる。
「いいや? なんで?」
逆に梅に聞き返され、東京市内は普段からこんなに人が多いんだ、と千津子は今更ながら驚く。
地下鉄浅草駅の入り口は階段が見えないほど人が出入りしており、それらの人は、ほとんどが背広姿の男性であった。大きな幟を立てた芝居小屋が林立する通りでは、学校を終えて遊びに来ているのか、近所に住んでいるのか知らないが、千津子より小さな子どもも大勢、辺りをうろうろしている。
千津子と同じ年頃の娘は皆、ねんねこ半纏に赤子を背負っており、美しい梅と並んで歩く千津子の姿を興味深げにじろじろ眺めてくる。
「千津子ちゃん、あそこがあんたが出る予定の寄席だよ」
そこだけ、派手な芝居の絵看板が架かっていない芝居小屋の建物があった。
正面には『浅草第一寄席』という大きな木の看板が掛かっている。
中に入ると既に永井は来ており、彼の隣には、千津子とさほど歳の変わらないような坊主頭の少年が立っていた。
「おお、千津子ちゃん、待ってたよ。この小僧が、一緒に千里眼をやってもらう予定の噺家の卵だ。ほら挨拶しろ」
永井が少年に言い、彼は頭を下げた。
「花乃家三治です。よろしくお願いします」
千津子もお辞儀した。
「この子はね、見ての通りまだ修行中なんだよ。顔を覚えてもらう意味もあって、千津子ちゃんと組んで売り出したいんだがね」
永井の考える演し物は、客に引いてもらったトランプの札の絵柄を、千津子に当てさせるものであった。白けないように三治が上手く盛り上げることが大事だ、と永井は付け加えた。
「試しにやってみるよ」
永井はトランプを背広のポケットから出すと、一枚引いて、じっと千津子の顔を見た。
(千津子ちゃん、ダイヤの二だ)
永井の心の声が聞こえて千津子は、
「ダイヤの二」
と答えた。
永井はにやっと笑って、札を裏返して三人に見せた。
「ひゃあ!」
三治が素っ頓狂な声を上げる。
「すごいわ!」
梅も叫んだ。
「じゃあ、三治やってみな。いいかい、千津子ちゃんに向けて、よーく念を送るんだぜ」
緊張した面持ちの三治が札を一枚引いて、裏の方を千津子に向け、じっと彼女の顔を見る。
千津子も集中するが、なんの声も聞こえない。
一分近く経っただろうか。ハーッと大きくため息をついて、三治が嘆いてみせた。
「わかりませんか? 俺ぁ、必死で念を送ったんですけど」
「どういうことだ。三治、もう一回やってみな」
永井に言われ、三治がうなずいて再び千津子に念を送り始める。
しかし、何度やっても同じことであった。
永井と梅が困ったように顔を見合わせると、三治が「もう一回!」と千津子を拝む。その仕草がおかしくて、千津子は吹き出して笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ。もう一回頼むよ」
三治は口を尖らせるが、千津子の耳には彼の心の声は何も聞こえてこない。
「こいつは困ったね」
永井はそう言いつつも、さほど困った様子もなく、何か考えているようだ。
そして、三治からトランプを貰うと、梅に渡した。
「梅、お前さんやってみな」
「あたし?」
梅は驚きつつも、真剣な顔つきで、二人がやったのと同じように札を引いた。
千津子は梅の顔に注意を集中するが、やはり何も聞こえない。代わりに、梅の背後に、昨日の若い女がぴたっとくっついているのが見えてきた。
女は横を向いていたが、ゆっくり身体の向きを千津子の方に変えると、梅にそっくりの顔で、千津子を恨めしそうに見た。
彼女は真冬だというのに、藍色の浴衣を着ており、後ろにまとめた束髪は、ざんばらと言っていいほど乱れている。
(昨日は気がつかなかったけど、この人は幽霊だ!)
脇の下を冷や汗が流れるのを感じる。
千津子の様子がおかしいのに気づいた梅が、
「千津子ちゃん?」
と呼びかけるが、千津子は身体が動かない。喉の奥が締め付けられるようで、声も出ない。
女はそんな彼女の様子を見て、嬉しそうである。
「消えて!」
千津子は心の中で必死で叫ぶ。すると女は、梅の後ろからすーっと移動してきた。
千津子の真正面にぴたりと顔をくっつけんばかりにして、彼女はささやいた。
「いやや。あんたに私が見えてるんなら尚更」
「よしな! 米さん!」
永井が大声で言うと、女はフッと消えた。
「米ちゃんがいるの?」
梅が困惑したように永井に尋ねて、千津子はその場にへなへなと崩れ落ちた。
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