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その七
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物音はどうやら押し入れからしているようだ。
彼女は起き上がり、真っ暗な部屋の中をいざりながら移動して、ぼうっと白い襖の前に座った。
「カタカタカタ」
千津子が近づくのに呼応するかのように、音が大きくなる。
驚きつつも、千津子は思い切って襖を開けた。
押し入れの中は、少しの衣類と柳行李、ブリキの缶がある以外はがらんとしており、野良猫や鼠のような動物が隠れているような気配もない。
しかし、千津子の目を惹くものが奥に隠れていた。
それは何やら白っぽい箱のようなもの。
千津子は手を伸ばし、その箱に触れた。
瞬間、箱はガタリ、と大きな音を立てて少しだけ前に移動してきた。
「え!」
千津子はびっくりしてのけぞった。
しばらく驚きで硬直していた彼女だが、そのあとはしんとして音は完全に止み、箱が動く気配はない。
千津子は訝しみつつ、両手でそっとその箱を持ち上げた。
箱は白い石で出来ており、唐草模様の彫刻が施されている。
暗い部屋に浮かび上がる白い箱を、目の高さまで持ち上げた時、再び箱が揺れた。
「きゃっ!」
悲鳴を上げ、思わず箱を取り落としてしまう。
畳に転がった箱の蓋が開いて、がらんどうの中身を千津子の方に向けてきた。
「なに? なにごと!」
驚きと心細さに思わずひとりごちて、彼女は箱の中から何か出て来るのでは? と身構え、じっとしていた。
しかし何も出て来ず、何も起きないので、彼女は箱を押し入れに戻そう、と恐る恐る手を伸ばした。
天鵞絨貼りの中を覗いた時、
「火事だ!」
誰かが叫ぶ声がした。
えっ、と千津子が窓を見ると、外はもう真っ赤である。
千津子はあわてて、玄関から外に出た。
長屋のあちこちから出火しており、千津子はぼうぜんとなった。
熱い。
しかも、長屋の家々は既に全部壊れており、大勢の人が下敷きになっている様子だ。
壊れた材木の隙間から、人間の身体の一部がのぞいていたり、意識を失って倒れている人の姿も見えた。
その人たちはぴくりともしない。
あちこちから、うめき声がしてくる。
千津子は、何も考えず走り出した。
(何が起きたんだろう?)
長屋の住人だろうか、大勢の老若男女がひしめくようにして逃げて行く。しかし、どこに行っても火災が起きており、どこに逃げればいいのかわからない。ガラスの割れる激しい音がして、熱風が千津子の顔に吹きつけてきた。
狭い通りは黒煙が充満して、千津子の恐怖を増幅させる。片手で鼻と口を覆い、とにかく逃げている人たちについて行こうとした千津子は、
「千津子ちゃん!」
と、彼女の名を呼ぶ女性の声に立ち止まる。
「あっ! おねえさん?」
興行師の奥さんである梅が、すぐ後ろに立っていた。梅はきれいに結い上げた島田を乱し、薄浅葱の絽のお召しは埃まみれだった。
「千津子ちゃん、こっちよ」
梅は、千津子の背に手を回して抱えるようにした。人の波とは反対方向に進もうとするが、押し戻されたりぶつかったりと、なかなか進めない。
ようやく狭い通りから広い道路に出たが、あたり一帯、煙と熱気に包まれていて、空は真っ暗である。
下を見ると、瓦礫の山だが、その上に十二時を指した大きな掛時計が転がっていた。
梅は千津子に引きずられるようにして走る。
どのくらい走ったかわからないが、二人とも髪と着物は乱れ、はあはあ言っている。
それでも、少し火災からは離れることができたようである。浴衣の背が張り付いて気持ち悪い、と千津子は思った。
「千津子ちゃん」
梅の呼びかけに、「はい!」と返事した千津子は、いつのまにか元の長屋の部屋に戻っていた。
「えっ!!」
月明かりが煌々と、千津子の座っている周辺を照らし出しており、先ほどまでの熱気はどこへやら。
底冷えのする冬の寒さに、千津子の全身はがたがた震える。
彼女は起き上がり、真っ暗な部屋の中をいざりながら移動して、ぼうっと白い襖の前に座った。
「カタカタカタ」
千津子が近づくのに呼応するかのように、音が大きくなる。
驚きつつも、千津子は思い切って襖を開けた。
押し入れの中は、少しの衣類と柳行李、ブリキの缶がある以外はがらんとしており、野良猫や鼠のような動物が隠れているような気配もない。
しかし、千津子の目を惹くものが奥に隠れていた。
それは何やら白っぽい箱のようなもの。
千津子は手を伸ばし、その箱に触れた。
瞬間、箱はガタリ、と大きな音を立てて少しだけ前に移動してきた。
「え!」
千津子はびっくりしてのけぞった。
しばらく驚きで硬直していた彼女だが、そのあとはしんとして音は完全に止み、箱が動く気配はない。
千津子は訝しみつつ、両手でそっとその箱を持ち上げた。
箱は白い石で出来ており、唐草模様の彫刻が施されている。
暗い部屋に浮かび上がる白い箱を、目の高さまで持ち上げた時、再び箱が揺れた。
「きゃっ!」
悲鳴を上げ、思わず箱を取り落としてしまう。
畳に転がった箱の蓋が開いて、がらんどうの中身を千津子の方に向けてきた。
「なに? なにごと!」
驚きと心細さに思わずひとりごちて、彼女は箱の中から何か出て来るのでは? と身構え、じっとしていた。
しかし何も出て来ず、何も起きないので、彼女は箱を押し入れに戻そう、と恐る恐る手を伸ばした。
天鵞絨貼りの中を覗いた時、
「火事だ!」
誰かが叫ぶ声がした。
えっ、と千津子が窓を見ると、外はもう真っ赤である。
千津子はあわてて、玄関から外に出た。
長屋のあちこちから出火しており、千津子はぼうぜんとなった。
熱い。
しかも、長屋の家々は既に全部壊れており、大勢の人が下敷きになっている様子だ。
壊れた材木の隙間から、人間の身体の一部がのぞいていたり、意識を失って倒れている人の姿も見えた。
その人たちはぴくりともしない。
あちこちから、うめき声がしてくる。
千津子は、何も考えず走り出した。
(何が起きたんだろう?)
長屋の住人だろうか、大勢の老若男女がひしめくようにして逃げて行く。しかし、どこに行っても火災が起きており、どこに逃げればいいのかわからない。ガラスの割れる激しい音がして、熱風が千津子の顔に吹きつけてきた。
狭い通りは黒煙が充満して、千津子の恐怖を増幅させる。片手で鼻と口を覆い、とにかく逃げている人たちについて行こうとした千津子は、
「千津子ちゃん!」
と、彼女の名を呼ぶ女性の声に立ち止まる。
「あっ! おねえさん?」
興行師の奥さんである梅が、すぐ後ろに立っていた。梅はきれいに結い上げた島田を乱し、薄浅葱の絽のお召しは埃まみれだった。
「千津子ちゃん、こっちよ」
梅は、千津子の背に手を回して抱えるようにした。人の波とは反対方向に進もうとするが、押し戻されたりぶつかったりと、なかなか進めない。
ようやく狭い通りから広い道路に出たが、あたり一帯、煙と熱気に包まれていて、空は真っ暗である。
下を見ると、瓦礫の山だが、その上に十二時を指した大きな掛時計が転がっていた。
梅は千津子に引きずられるようにして走る。
どのくらい走ったかわからないが、二人とも髪と着物は乱れ、はあはあ言っている。
それでも、少し火災からは離れることができたようである。浴衣の背が張り付いて気持ち悪い、と千津子は思った。
「千津子ちゃん」
梅の呼びかけに、「はい!」と返事した千津子は、いつのまにか元の長屋の部屋に戻っていた。
「えっ!!」
月明かりが煌々と、千津子の座っている周辺を照らし出しており、先ほどまでの熱気はどこへやら。
底冷えのする冬の寒さに、千津子の全身はがたがた震える。
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