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第二章〜大正篇その一
しおりを挟む玉川千津子は親の顔を知らない。
物心ついた頃、既に両親はなく、彼女は歳の離れた長兄夫婦に養われていた。
といっても、実家は多摩の農家であり、千津子一人くらいが居候していても、日々の暮らしに困るようなことはなかったのである。
千津子は本を読むのが好きな、大人しい娘であった。大人しいを通り越して、無口と言ってよかったが、この時代の若い娘は喋らないくらいで丁度良い、とされていたのだ。
それは、明治四十四年に青鞜社を結成した平塚らいてうが、『原始女性は太陽であった』と高らかに宣言し、日本各地で女性の自立や人権について議論が交わされるようになっていたことも影響していたかもしれない。
時代が変化する時は、反発が大きいものだ。
新聞社は、青鞜社の女たちが標榜する “新しい女” を揶揄し、揚げ足取りに必死であった。
青鞜社と同い年ではあるが、田舎暮らしの千津子にとって、 “新しい女” などというものは存在しない。
それどころか、新しい女とはなんなのか、そもそも自分は、古い新しい以前に、 “普通の女” ですらないというのに。
千津子が『自分は普通ではない』と気付いたのはいつだったろうか。
ある日突然ではなく、幼い頃からなんとなく気付いていたが、千津子が小学校の最終学年を迎えた年、事件は起きた。それで、彼女は病院に連れて行かれたのである。
診察の際、千津子に “いつもの症状” は見られず、医師も健康体の彼女に困惑していたが、後で思うと彼女にとって、それは幸運なことであった。もし仮に、その症状がバレていたら、そのまま千津子は瘋癲病院(注:精神病院のこと)送りになっていたかもしれず、そうなると家族に大変な迷惑がかかっていただろう。
玉川家の近所には “そういう人” がいる家があり、その人は座敷牢に何十年と押し込められていると聞く。彼はとても頭が良く、高等中学校に進学していたが、卒業の年に発作を起こして実家に戻ってきたという。
近隣の人々は皆、口を揃えて「天才と狂人は紙一重」と言っていた。
(でも、私はとりたてて頭も良くないのに、どうしてこんな病気になってしまったのだろう)と、千津子は不思議に思って、自分のこれからを思うと不安で仕方なかった。
そんな千津子の “症状” とは、他人の心の声が聞こえることだった。
幼い頃は当たり前のように思って、その声に返事していた千津子だが、成長するにつれ、それを隠すように気をつけるようになった。
しかし、ある日とうとう、千津子の “症状” は義姉に気づかれてしまった。
それは、部屋で本を読んでいた千津子に、農作業を終えて帰って来た義姉が放った一言であった。正確には、義姉が心の中で思ったことである。
「ちづさんは本ばっかり読んで、言われた手伝い以上のことは出来ない子ね、本当に気が利かないったら」
千津子は慌てて、「ごめんなさい、お義姉さん。これからはもっとお手伝いします」と答えたところ、「え?」と義姉が不審そうに眉を顰めている。
「ごめんなさい、気が利かなくって」と更に千津子が言うと、義姉は真っ赤になって、「何言ってるの」と、困惑している。
「お義姉さん、今、千津子のことを気が利かなくて手伝いしないって言ったから……」
おどおどしながら答えた千津子に対して、義姉は驚愕の表情を浮かべて黙り込んでしまった。
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