パンドラの予知

花野未季

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その十三

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 「梅ちゃん、無事なんか」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、美松が言った。
 梅は何も言わずうなずく。

「ほな、あそこで倒れてんのは……?」
「ウチのお姉ちゃんです」
 呆然として抱き合う二人をよそに、興福楼に多数の警察官や近所の男衆おとこしがなだれ込んで、大騒ぎしているようだった。

 翌日以降、連日のように事件の詳細が報道され、世間は大変な騒ぎとなった。以来毎日、惨劇の舞台である興福楼を見物に来る野次馬が多く、近隣の人たちは辟易しているという新聞記事も見られた。

 梅は、大事件の渦中の人として、近所の人や世間の好奇の目にさらされながら、実家で息を潜め、隠れるように暮らしていた。
 しかし、梅以上に注目されていたのは、児島のほうであった。

 彼の生家である、岡山の紡績工場は知らぬ人のいない日本有数の会社である。そこの三男坊が、なぜか大阪に滞在しており、難波新地の一隅にある芸者置屋で起きた大事件の現場にいた。
 一体、何があったのだろう、というわけだ。

 新聞社は聞き込みに余念がないが、誰もきちんと、それに答えられる人はいないのである。児島に事情聴取した警察は、内部で緘口令が敷かれているし、梅も児島家も沈黙を守っていたからだ。

 ひと月ほど経った真夏のある日、梅の許に一通の手紙が届いた。
 それは児島からであった。梅を心配する当たり障りのない内容であったが、予定を繰り上げて来月早々に東京に行くという。

「お元気でお過ごしください。またいつかお会いできたら幸いです」
 そう結ばれた手紙は、辛い日を送る梅にとって一筋の光明であった。

 あの日、返しそびれた宝石箱は、まだ梅の手許にある。
 興福楼の台所に置き忘れていたのを、警察署から「忘れ物ではないか?」と、白井家に問い合わせがあり、届けて貰ったのだ。

 宝石箱は風呂敷に包まれ、きれいなままで、それを見ると自分の振る舞いが思い出され、自然と涙が出てくる梅である。
(なんでウチはあんな意地悪したんやろ。ほんまやったら米ちゃんが児島さんに会いに行って、今頃は米ちゃんは無事でウチが死んでたはずやのに)

 一方で、初めから逃れられない運命だった気もする。
 罪悪感から逃れるために、毎回梅は心の中で呟く。
(ウチが見た幻では、米ちゃんがおとうはんに斬られていた。最初からそうなるのは決まってた事なんや……)


 それからまたひと月ほど経って、米の新盆を終えた直後、美松が梅を訪ねてきた。
 美松は違う置屋に引き取られていて、“事件から逃れることができた強運な娘” として、売れっ妓になっていた。

 美松は、廃人のような生活を送る梅に、自分も同じと告げた。
「お互い、あんな悲惨なもん見てしもたらなあ」
 と、美松はしみじみと言って、「けど、梅ちゃんとは立場が違うから、なんて慰めてあげたらええかわからんのや」とも言った。

「おねえさん、ウチなあ、夜も寝られへんのです」
 美松はうんうんとうなずいて、片袖で目尻を拭いた。
(美松ねえさんに言うてしまおか。ウチの見た奇妙な幻のこと。いや、けど信じてくれんやろなあ)

 悶々としている梅に美松が、今日ここに来た要件を、と言って話し始めた。
「こないだ、変わったお客さんが来てな。梅ちゃんを紹介してほしいって言うんや。なんでも東京のほうで、寄席や演芸小屋いう商売を手広くやってはるお人がおって、その人の下で働いてる、言うんやけどな」

 どうやら、大事件の生き残りの梅を、東京の芝居小屋に呼びたいらしい。
「えげつない話やけど、いっそ、そういう話に乗るのもええんかな? とも思て。今やったら、ぎょうさん稼げるし。そしたら、そのお金で梅ちゃんが新しい身の振り方、考えられるんちゃうかなあって」

 契約期間は一年ほどで、高給が約束されているという。
「しばらく大阪離れるんも、ええ思うねん」
 美松は真剣に考えて、梅にとっていい話と判断したのだろう。

「私のご贔屓さんが保証人になって、きちんと契約書交わしましょう、言うてくれてる。せやから、心配事はあらへん」
 そこまで言ってくれる美松に、梅は心を動かされた。
「わかりました。おおきに、おねえさん。ウチ、しばらく東京行って働いてみよかな」

 そうと決まれば話は早いと、美松は梅の両親への挨拶もそこそこに帰って行った。
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