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その九
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児島はそう言うが、米が自分に嘘をつくはずはないから、やはり辞めさせられたのが事実のような気がする。他の工女たちの手前もある。会社側としては、一旦辞めてもらうしかない、という判断だったのであろう。そして、そのことは児島の預かり知らぬことなのであろう。
梅が忙しく頭を働かせていると、児島ががっかりしたように言った。
「僕はもう一度、米さんとお話ししたかったのですが、どうやら無理そうですね」
『いいえ、米ちゃんはあなたに会いに来るつもりだったんです。ごめんなさい、ウチがでしゃばって邪魔してしもたんです』
言いかけて、また梅の内部からムクムクと嫌な感情が湧き起こる。
「米ちゃんは、あなたのことを恨んでいるかもしれません」
口をついて出たのは、とんでもない言葉だった。
児島は梅の発した言葉に驚いたようだが、梅は無視して続けた。
「せっかくいい仕事に就いて毎日頑張ってるのに、急に辞めてくれやなんて、ひどいです。米ちゃん、言うてました。一年分のお給金貰て辞めさせられた、て。それは誰のせいですか?」
児島は梅から目を逸らし、黙ってしまった。
その時、「どうぞ」と言って、店の女主人が丸盆に載った汁粉を机の上に置いてくれた。小さな机は、汁椀と番茶、箸休めの塩昆布の小皿でいっぱいになった。
「おおきに」
梅は澄ましてそう答えて、「いただきます」と、すぐに箸を取って汁粉を食べ始める。
蒸し蒸しする日であったが、夕方になって、ほんの少し冷たさの感じられる風が店の表から吹き込んでくる。外の喧騒も届かない暗い店の奥で、全然知らない男と向かい合って汁粉を食べている状況は、なんとも言えず奇妙なことに思えた。
児島は、まだ黙ってじっとしている。
「偉そうにすんまへんけど、ウチの奢りです。大阪のあんこものは美味しいですよって、召し上がってみて」
にがり切ったような表情をしている児島を宥めるように、梅は大人っぽく言った。
やがて、観念したように児島は汁椀を手に取ると、ひとくち食べた。暗い表情だった彼の顔が、みるみる明るく変わっていく。
「これはうまい」
彼の口元がほころび、夢中になって続きを食べ始める。
「おいしいでしょう?」
梅は自分が褒められたかのように嬉しくなる。
二人は無言で食べていたが、ふと梅が汁椀から顔を上げると、児島が梅を見つめていて、感心したように言った。
「本当に瓜二つですね。でも、僕には米さんじゃないと、一目でわかりました。なんだろう、雰囲気? いや、そうじゃない。そっくりなのに、顔が全然違う。不思議だなあ」
梅は内心、舌を巻く思いであった。
『そっくりだけど、顔が全然違う』
これは、両親の口癖であった。
梅と米は、幼い頃からずっとそう言われて育ってきた。
貧しい家だが、真面目に荷受けの仕事をする父と、内職と子育てに追われる母は、愛情たっぷりに育ててくれた。養女分として興福楼で暮らしているが、梅は両親や家族が大好きだから、今でも暇があれば、実家に顔出ししている。
この青年が、両親と同じことを言うのは、米に対して興味と強い好意を持っているからに違いない。
(米ちゃんのことを好きなら、きっとウチのことも好きになってくれるはず)
梅はそんな都合の良いことも考えていた。
なぜなら、児島のいかにも賢そうな端正な顔立ちも、声も喋り方も何もかも、梅は気に入っていた。
有り体に言えば、初見で好きになってしまったのである。
それなのに、児島のほうは、米のことしか眼中にないのだろう。
「とりあえず、今回はこの箱は持って帰ります。でも、次に大阪に来る時は、中に宝石を入れて来ます、って米さんにお伝えください」
あっさりしたものだ。
ウチがさっき、『米ちゃんは、あんたのことを恨んでる』とまで言うたのに、何を聞いてたんや。梅は自分のでっち上げを棚に上げて、(阿呆かいな)と心の中で児島をののしる。
梅が忙しく頭を働かせていると、児島ががっかりしたように言った。
「僕はもう一度、米さんとお話ししたかったのですが、どうやら無理そうですね」
『いいえ、米ちゃんはあなたに会いに来るつもりだったんです。ごめんなさい、ウチがでしゃばって邪魔してしもたんです』
言いかけて、また梅の内部からムクムクと嫌な感情が湧き起こる。
「米ちゃんは、あなたのことを恨んでいるかもしれません」
口をついて出たのは、とんでもない言葉だった。
児島は梅の発した言葉に驚いたようだが、梅は無視して続けた。
「せっかくいい仕事に就いて毎日頑張ってるのに、急に辞めてくれやなんて、ひどいです。米ちゃん、言うてました。一年分のお給金貰て辞めさせられた、て。それは誰のせいですか?」
児島は梅から目を逸らし、黙ってしまった。
その時、「どうぞ」と言って、店の女主人が丸盆に載った汁粉を机の上に置いてくれた。小さな机は、汁椀と番茶、箸休めの塩昆布の小皿でいっぱいになった。
「おおきに」
梅は澄ましてそう答えて、「いただきます」と、すぐに箸を取って汁粉を食べ始める。
蒸し蒸しする日であったが、夕方になって、ほんの少し冷たさの感じられる風が店の表から吹き込んでくる。外の喧騒も届かない暗い店の奥で、全然知らない男と向かい合って汁粉を食べている状況は、なんとも言えず奇妙なことに思えた。
児島は、まだ黙ってじっとしている。
「偉そうにすんまへんけど、ウチの奢りです。大阪のあんこものは美味しいですよって、召し上がってみて」
にがり切ったような表情をしている児島を宥めるように、梅は大人っぽく言った。
やがて、観念したように児島は汁椀を手に取ると、ひとくち食べた。暗い表情だった彼の顔が、みるみる明るく変わっていく。
「これはうまい」
彼の口元がほころび、夢中になって続きを食べ始める。
「おいしいでしょう?」
梅は自分が褒められたかのように嬉しくなる。
二人は無言で食べていたが、ふと梅が汁椀から顔を上げると、児島が梅を見つめていて、感心したように言った。
「本当に瓜二つですね。でも、僕には米さんじゃないと、一目でわかりました。なんだろう、雰囲気? いや、そうじゃない。そっくりなのに、顔が全然違う。不思議だなあ」
梅は内心、舌を巻く思いであった。
『そっくりだけど、顔が全然違う』
これは、両親の口癖であった。
梅と米は、幼い頃からずっとそう言われて育ってきた。
貧しい家だが、真面目に荷受けの仕事をする父と、内職と子育てに追われる母は、愛情たっぷりに育ててくれた。養女分として興福楼で暮らしているが、梅は両親や家族が大好きだから、今でも暇があれば、実家に顔出ししている。
この青年が、両親と同じことを言うのは、米に対して興味と強い好意を持っているからに違いない。
(米ちゃんのことを好きなら、きっとウチのことも好きになってくれるはず)
梅はそんな都合の良いことも考えていた。
なぜなら、児島のいかにも賢そうな端正な顔立ちも、声も喋り方も何もかも、梅は気に入っていた。
有り体に言えば、初見で好きになってしまったのである。
それなのに、児島のほうは、米のことしか眼中にないのだろう。
「とりあえず、今回はこの箱は持って帰ります。でも、次に大阪に来る時は、中に宝石を入れて来ます、って米さんにお伝えください」
あっさりしたものだ。
ウチがさっき、『米ちゃんは、あんたのことを恨んでる』とまで言うたのに、何を聞いてたんや。梅は自分のでっち上げを棚に上げて、(阿呆かいな)と心の中で児島をののしる。
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