パンドラの予知

花野未季

文字の大きさ
上 下
9 / 52

その八

しおりを挟む
 十分後、露草柄の浴衣を脱いで絽の着物に着替えた梅は、晴々とした表情で興福楼を後にした。
 待ち合わせ場所の道頓堀まで徒歩で十分ほどだ。宝石箱を返したら、すぐに引き上げるつもりだから、晩餐には充分間に合うだろう。

 しかし、雨も上がり、まだ新しい高級な着物を身につけた梅は気分が高揚し、いつまでも大阪市内をうろついていたい気分だった。
 なぜなら。

 自分を見る周りの男たちと女たちの反応が、梅の自尊心をくすぐるから。
 男たちはうっとりと見惚れ、女たちは驚きとやっかみの視線を投げかけてくる。

 やや急ぎ足で歩く梅は、母親と小学校上級生くらいの娘の親子連れとすれ違った。その際に、その女の子が立ち止まって叫んだ。

「びっじん! おかあはん、なあ、あの人みたいなんを美人って言うんやろ?」
 梅は、え? と振り返る。少女は立ち止まって、呆然としたように梅の姿を見送っている。その子に微笑みかけた梅は、再び早足で歩き出した。

 じろじろと無遠慮な目で、梅の頭のてっぺんから爪先まで眺めてくる中年男性、ちらちらと遠慮気味の視線を投げかけるまだ若い書生風の男まで、普段お座敷を勤めていても、ここまで称賛の目つきで見られたことはない。
 不思議だ。

(どういうことやろ。さっきの子が言うてたように、ほんまにウチは『美人』になってるんかもしれん)

 待ち合わせ場所である夷橋えびすばしが見えて来た。梅は武者震いした。
 橋のたもとで、ぽつねんと所在なげに立っている若い男がいる。

(あれが児島正三郎さんやな)
 梅は少し離れた場所から、じっと見つめた。すると、梅の視線に気づいたのか、児島らしき青年は、あっという顔をした。
 梅は、しずしずと彼に近づいて行った。

「こんにちは」
 梅は膝を少し曲げて、首を傾げるような芸妓風の挨拶をしてみた。
 それを見た児島は、微笑んで言った。
「梅さん? ですね。米さんから伺ったことがあります。いやあ、本当にそっくりですね」

(米ちゃん、ウチのことをこの人に言うてたんや)
 そのことをどう解釈したものか。
(そらまあ、仲良うなったら家族の話はするだろな。隠しても仕方ないし)

 それよりも、児島が想像以上に感じの良い好青年であることが、梅にとって驚きであった。
 素直で明るく、おそらく彼は、身分だの仕事だので差別するような人ではない、と梅は直感した。

「米さんは?」
 児島が視線を梅の後ろに向ける。梅はそれには答えず、落ち着き払って彼を誘ってみた。
「ここではゆっくりお話しできませんね。どこか座れるところへ行きませんか?」
 
「はあ」
 児島の戸惑ったような態度と返事を無視して、梅はくるりと向きを変え、さっさと歩き出す。
(たしか、この辺にお汁粉屋があったな)
 梅は商店が連なる通りに向かう。後から児島も仕方なくついて来ているようだ。

 目当ての店は、すぐに見つかった。入口で大判焼きを売っている店だが、奥には座って汁粉や焼餅を食べることが出来る場所がある。

「空いてますか?」
 梅の問いに「へえ、どうぞ」と店の女主人が答え、梅は店内の奥まで進む。児島も真面目な顔をして店に入り、二人は向かい合って丸椅子に腰掛けた。

 汁粉二人前を注文したあと、梅はすぐに切り出した。
「これ、お返ししてって米ちゃんから頼まれました」
 風呂敷包みを開けて箱を出した梅に対して、児島がたまりかねたように言った。
「待ってください。あの、その。米さんはどうかされたのですか? お具合が悪いとか?」

『いいえ、ウチが返して来てあげるって無理言うて、米ちゃんの代わりに来たんです』
 そう答えるつもりが、なぜか全然違う言葉が口をついて出た。

「米ちゃんは元気です。けど、仕事を辞めさせられて、ええ気はしてません。児島さんに、ほんまは会いとうなかったんちゃうかなあ」

「仕事を辞めさせられて?」
「ええ。違うんですか? 米ちゃんからそう聞きましたが」
「いいえ、米さんが突然辞めたんですよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

不埒な社長と熱い一夜を過ごしたら、溺愛沼に堕とされました

加地アヤメ
恋愛
カフェの新規開発を担当する三十歳の真白。仕事は充実しているし、今更恋愛をするのもいろいろと面倒くさい。気付けばすっかり、おひとり様生活を満喫していた。そんなある日、仕事相手のイケメン社長・八子と脳が溶けるような濃密な一夜を経験してしまう。色恋に長けていそうな極上のモテ男とのあり得ない事態に、きっとワンナイトの遊びだろうとサクッと脳内消去するはずが……真摯な告白と容赦ないアプローチで大人の恋に強制参加!? 「俺が本気だってこと、まだ分からない?」不埒で一途なイケメン社長と、恋愛脳退化中の残念OLの蕩けるまじラブ!

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

処理中です...