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その五
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「わざわざ家を調べて訪ねて来てくれて。『今すぐは無理やけど、いずれは』言うて、約束の印にってウチに外国のお土産くれましてん」
そう言うと、米は風呂敷包みから何やら古い箱を出してきた。
細かい彫刻が施されたそれは、漆塗りの重箱や、庄三郎が大事にしている先祖伝来の螺鈿の文箱とは全然違う、梅が見たこともない石作りのものだった。
「なんやしらん、由緒正しいものに見えますなあ」
梅は箱に見惚れた。
「せやから、お返ししよ思って」
米が息せき切って言う。
「こんな立派なもの頂けませんって、お返しするつもりやねん」
「その人、今日はどこに泊まってはんの?」
「中之島の大阪ホテル」
ええっ、と梅は内心声を上げた。
大阪ホテルは大阪一の格式を誇るホテル。一般庶民はもとより、相当な資産家かつ身元が確かな人でなければ宿泊できないようなホテルなのだ。
「これからサッと行って、ちょっとお話したらすぐ帰って来るつもり」
「そうなんか。ええお話やと思うけど、米ちゃんはなんでお断りするん?」
「ええお家のお嫁さんなんて、ウチには勤まらん。周りの人にネチネチ嫌味言われたり、いじめられる生活が目に見えてんのに」
米は身震いする素振りをして笑う。梅も釣られて笑ってしまう。
(ウチなら平気なんやけどな)
梅はそう思い、同時に、色事の真っ只中に暮らす自分ではなく、朝から晩まで埃にまみれて工場で働いている米が、色恋沙汰に巻き込まれているのを不思議に思った。
「あっ! それで米ちゃん、帰ってきたんか? まさか辞めさせられたとか?」
米は再び真っ赤になった。
「せやねん。けど情けないことに、会社からものすごいお金を貰てしもた。あんたのせいやない、こちらの都合で辞めてもらうんやから言うて、一年分のお給金くれて。しばらく実家に置いてもろて、また新しい仕事探さなあかん」
梅は聞いているうちに腹が立ってきた。
勝手に恋慕を寄せてきた男のほうが悪いのに、なんの罪科もない米が仕事を奪われるのは、どう考えても理不尽極まりない。
新しい仕事を探そうにも、辞めさせられたとあっては中々大変そうである。
ふう、とわざとらしいため息を吐いて、梅はお土産とやらの箱を両手で持ちあげた。
目の前に掲げて、正面から横から底からじっくりと眺める。何かけちをつけてやりたい気分だった。
「なんの石やろ、腹立つけど綺麗やなあ。古いものに見えるけど」
「大理石いう石やて。外国ではよう使われてるんやて」
不意に箱が揺れた気がして、梅はびっくりした。
「地震? なんや手元が揺れたけど」
「え? 別に揺れてへんけど?」
いや、間違いなく揺れている。箱からカタカタ音がする。
「米ちゃん! なんや箱が揺れてる!」
「えー」
米が手を伸ばして、箱を触った。
「揺れてへんよ。どうしたん?」
「さっき音もしたんよ!」
しばらく二人は無言でじっとしてみた。
「揺れてへんよ」
米に言われ、梅は首を傾げる。たしかに今は揺れていない。しかし、今しがたまで箱は揺れていた。中から音も聞こえた。
「この中、何が入ってんの?」
「なんも入ってへんで。宝石箱言うて、大事な物を収めておく箱や」
梅は、こわごわ蓋を少し開けてみた。蓋や箱本体の内側には黒い天鵞絨布が貼られているようだ。
中を覗くと、光る二つの目が見返してきた。
「きゃっ!」
あわてて蓋を閉じる。
「米ちゃん! やっぱり何かおる!」
再び箱が大きく揺れた。
「怖い、怖い!」
箱を持つ手が恐怖で震えるのだが、貴重な品という意識が邪魔をするのか、放り出すことができない。
「梅ちゃん、どないしたん?」
米がおかしそうに言って、箱を受け取る。
「米ちゃん、目が、目が! うちのほうを見てた」
「ああ、それは」
米が蓋を開け、中を梅に見せてくれた。箱の側面に、小さな横長の鏡が付いている。
「こんなとこに鏡。さっきのは、ウチの目ぇやったん?」
梅は、米から蓋が開いたままの箱を受け取り、再び中を覗く。
箱の中は間違いなく空っぽであった。
そう言うと、米は風呂敷包みから何やら古い箱を出してきた。
細かい彫刻が施されたそれは、漆塗りの重箱や、庄三郎が大事にしている先祖伝来の螺鈿の文箱とは全然違う、梅が見たこともない石作りのものだった。
「なんやしらん、由緒正しいものに見えますなあ」
梅は箱に見惚れた。
「せやから、お返ししよ思って」
米が息せき切って言う。
「こんな立派なもの頂けませんって、お返しするつもりやねん」
「その人、今日はどこに泊まってはんの?」
「中之島の大阪ホテル」
ええっ、と梅は内心声を上げた。
大阪ホテルは大阪一の格式を誇るホテル。一般庶民はもとより、相当な資産家かつ身元が確かな人でなければ宿泊できないようなホテルなのだ。
「これからサッと行って、ちょっとお話したらすぐ帰って来るつもり」
「そうなんか。ええお話やと思うけど、米ちゃんはなんでお断りするん?」
「ええお家のお嫁さんなんて、ウチには勤まらん。周りの人にネチネチ嫌味言われたり、いじめられる生活が目に見えてんのに」
米は身震いする素振りをして笑う。梅も釣られて笑ってしまう。
(ウチなら平気なんやけどな)
梅はそう思い、同時に、色事の真っ只中に暮らす自分ではなく、朝から晩まで埃にまみれて工場で働いている米が、色恋沙汰に巻き込まれているのを不思議に思った。
「あっ! それで米ちゃん、帰ってきたんか? まさか辞めさせられたとか?」
米は再び真っ赤になった。
「せやねん。けど情けないことに、会社からものすごいお金を貰てしもた。あんたのせいやない、こちらの都合で辞めてもらうんやから言うて、一年分のお給金くれて。しばらく実家に置いてもろて、また新しい仕事探さなあかん」
梅は聞いているうちに腹が立ってきた。
勝手に恋慕を寄せてきた男のほうが悪いのに、なんの罪科もない米が仕事を奪われるのは、どう考えても理不尽極まりない。
新しい仕事を探そうにも、辞めさせられたとあっては中々大変そうである。
ふう、とわざとらしいため息を吐いて、梅はお土産とやらの箱を両手で持ちあげた。
目の前に掲げて、正面から横から底からじっくりと眺める。何かけちをつけてやりたい気分だった。
「なんの石やろ、腹立つけど綺麗やなあ。古いものに見えるけど」
「大理石いう石やて。外国ではよう使われてるんやて」
不意に箱が揺れた気がして、梅はびっくりした。
「地震? なんや手元が揺れたけど」
「え? 別に揺れてへんけど?」
いや、間違いなく揺れている。箱からカタカタ音がする。
「米ちゃん! なんや箱が揺れてる!」
「えー」
米が手を伸ばして、箱を触った。
「揺れてへんよ。どうしたん?」
「さっき音もしたんよ!」
しばらく二人は無言でじっとしてみた。
「揺れてへんよ」
米に言われ、梅は首を傾げる。たしかに今は揺れていない。しかし、今しがたまで箱は揺れていた。中から音も聞こえた。
「この中、何が入ってんの?」
「なんも入ってへんで。宝石箱言うて、大事な物を収めておく箱や」
梅は、こわごわ蓋を少し開けてみた。蓋や箱本体の内側には黒い天鵞絨布が貼られているようだ。
中を覗くと、光る二つの目が見返してきた。
「きゃっ!」
あわてて蓋を閉じる。
「米ちゃん! やっぱり何かおる!」
再び箱が大きく揺れた。
「怖い、怖い!」
箱を持つ手が恐怖で震えるのだが、貴重な品という意識が邪魔をするのか、放り出すことができない。
「梅ちゃん、どないしたん?」
米がおかしそうに言って、箱を受け取る。
「米ちゃん、目が、目が! うちのほうを見てた」
「ああ、それは」
米が蓋を開け、中を梅に見せてくれた。箱の側面に、小さな横長の鏡が付いている。
「こんなとこに鏡。さっきのは、ウチの目ぇやったん?」
梅は、米から蓋が開いたままの箱を受け取り、再び中を覗く。
箱の中は間違いなく空っぽであった。
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