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Ⅴ Love―約束―
56 「来ないでっ!!」
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「ウィルこっち来てっ!」
四方を木に囲まれた森では、血走った目で自分の姿を捉えたロヴィーサを冷静にさせる事は出来ない。黒いローブを引っ張って森の奥へ逃げる事を促す。
「アストリッドから離れなさい!!」
実母とは言え、赤く濡れた短剣を持っていると思うと背筋が凍る。杖が草や落ち葉を踏むグサグサという無機質な音が、嫌に大きく鼓膜を刺した。
「っはぁ」
幾ら杖と魔法で傷付いた足を補っているとは言え、普通に歩くよりもずっと体力を使うようだ。ウィルの呼吸が荒くなる。
同時に暗い森を抜け遮蔽物1つない崖上に出た。この辺りの崖はトロムソの少年達が度胸試しで良く雪のある崖下に飛び降りては、骨折したり命を落としている。
「ここで良いわ」
夕焼けの下目の前に広がる波打つ海の青さに、今がぎりぎり昼だと言う事を思い出す。
「一体何をする気ですか……?」
振り返り、足が泥まみれになるのも構わずこちらを追い掛けてくる人物の到着を待った。3階程の高さがある崖は、ロヴィーサに追い詰められたら逃げ道が無い。強い風に髪がばさばさと揺れる。
不思議に思って尋ねてきたウィルに返事が出来なかったのは、この青年に詳細を伝えるべきではないと思ったから。
「待ちなさいアストリッドッ!」
数秒後、息を切らしたロヴィーサが木々の合間から躍り出てきた。
「もう逃げられないわよ、アストリッド。さ、こっちにいらっしゃい。ほらっ!!」
「来ないでっ!!」
森への出入りを禁じるように婦人が立ち塞がっている為、自然と自分とウィルは後退っていた。切り立った崖の為これ以上は下がれず、数歩下がるだけで足を止めると足元から波音が聞こえて来た。
「ロヴィーサ! 聞いて下さい! マグヌスは5年前にもう亡くなっているんです! ですからアストリッドがピアノを弾く障壁は何も無いんです! どうかアストリッドにピアノをやらせてあげて下さいっ!」
自分を庇うかのように1歩前に出た金髪の青年の言葉に、ロヴィーサは一瞬呆然とした表情を浮かべて固まった。しかしすぐに眉間に皺を刻んだ物に変わる。
「……お黙り! だから何だと言うの? アストリッドはやってはいけない事をやっているの! だから私が今度こそ守ってあげないと駄目なの……! そんな危ないところに居ないでこちらへ来なさい! 母が貴女を守ってあげるから!!」
ものの数秒も変わらなかった表情に、やはりあの手しか残っていないのだと強く感じる。
膝が震えそうになるのを堪えながら、1歩前に居るウィルのローブの裾を引っ張って囁く。
「駄目、あの人は何も変わらないわ。だから……」
「だから……?」
振り返ってこちらを見る青い瞳と目が合う。状況もあってかウィルの表情は何時もより険しかった。
「ウィル、私は貴方を信じている。だから貴方も私を信じて。私は逃げたりしない」
続いた言葉が意外だったのだろう。青年はどこかきょとんとしていた。
「えっ? あ、はい……?」
「有り難う」
瞬きを繰り返している青年が小さく頷いてくれたのを見て、頬を持ち上げて礼を言う。正面を向き、掌を握り締めて母親を見据える。
「お母様! どうしても私にピアノをさせてくれないと言うの? お父様が亡くなっていても?」
自分の問いは母親には今更すぎたようだ。ロヴィーサの表情は少しも変わらなかった。
「そうよ! ずっと言ってるでしょ! マグヌスが居なくたって音楽は男社会じゃない、危ないわ!」
「……そう。でしたら私にも考えがあります!」
毅然と言い返してロヴィーサから視線を外し、すぐ隣に居る青年から杖を奪い取る。突然杖を奪われた魔法使いは「うわっ!?」と僅かに体勢を崩しよろめきかけていた。
「ア、アストリッド……?」
身体を起こしたウィルが、自分の突然の行動に目を丸くしている中一際声を張る。
「お母様……私、もう嫌なの。少しも私の話を聞いてくれなくて疲れた。だから……死んでお母様の娘を辞めるわ!」
そう宣言してからの行動は早かった。
ほんの一瞬、隣の青年が息を飲み正面の母親も頬を強張らせるのが分かる中体の向きを変える。その際。
――助けないで。
と囁いた言葉に、どこか釈然としていなかった海色の瞳が見開かれた。
一瞬の間を利用し、ウィルがやっているように杖を回転させ先端を回してピッケルを表に出す。太陽の光を受け、銀色が存在を主張するようにキラリと光った。
「へっ――」
「アストリッド!?」
ロヴィーサの引き攣った声が遠くに聞こえる。構わず足に力を入れ――崖から飛び降りた。
「アストリッド! アストリッドォ!!」
母親の絶叫が落下している自分にも聞こえてくる。
崖上よりもずっと潮の匂いを近くに感じながら、杖を一層強く握り締め岩肌を見つめた。
***
まさかの事に一瞬反応が遅れてしまった。
杖は持っていなくても近くにあれば魔法は使えるので、それもウィルが油断してしまった理由だ。
「アストリッド!?」
今更自分の愚鈍さを責めても遅い。慌てて自分も崖に飛び込み――見てしまった。
アストリッドがピッケルを一瞬崖壁に突き刺し、すぐにまた杖ごと落下していた光景を。頑丈な杖なのでそんな事をしても杖は折れず、寧ろピッケルが抜けた。
四方を木に囲まれた森では、血走った目で自分の姿を捉えたロヴィーサを冷静にさせる事は出来ない。黒いローブを引っ張って森の奥へ逃げる事を促す。
「アストリッドから離れなさい!!」
実母とは言え、赤く濡れた短剣を持っていると思うと背筋が凍る。杖が草や落ち葉を踏むグサグサという無機質な音が、嫌に大きく鼓膜を刺した。
「っはぁ」
幾ら杖と魔法で傷付いた足を補っているとは言え、普通に歩くよりもずっと体力を使うようだ。ウィルの呼吸が荒くなる。
同時に暗い森を抜け遮蔽物1つない崖上に出た。この辺りの崖はトロムソの少年達が度胸試しで良く雪のある崖下に飛び降りては、骨折したり命を落としている。
「ここで良いわ」
夕焼けの下目の前に広がる波打つ海の青さに、今がぎりぎり昼だと言う事を思い出す。
「一体何をする気ですか……?」
振り返り、足が泥まみれになるのも構わずこちらを追い掛けてくる人物の到着を待った。3階程の高さがある崖は、ロヴィーサに追い詰められたら逃げ道が無い。強い風に髪がばさばさと揺れる。
不思議に思って尋ねてきたウィルに返事が出来なかったのは、この青年に詳細を伝えるべきではないと思ったから。
「待ちなさいアストリッドッ!」
数秒後、息を切らしたロヴィーサが木々の合間から躍り出てきた。
「もう逃げられないわよ、アストリッド。さ、こっちにいらっしゃい。ほらっ!!」
「来ないでっ!!」
森への出入りを禁じるように婦人が立ち塞がっている為、自然と自分とウィルは後退っていた。切り立った崖の為これ以上は下がれず、数歩下がるだけで足を止めると足元から波音が聞こえて来た。
「ロヴィーサ! 聞いて下さい! マグヌスは5年前にもう亡くなっているんです! ですからアストリッドがピアノを弾く障壁は何も無いんです! どうかアストリッドにピアノをやらせてあげて下さいっ!」
自分を庇うかのように1歩前に出た金髪の青年の言葉に、ロヴィーサは一瞬呆然とした表情を浮かべて固まった。しかしすぐに眉間に皺を刻んだ物に変わる。
「……お黙り! だから何だと言うの? アストリッドはやってはいけない事をやっているの! だから私が今度こそ守ってあげないと駄目なの……! そんな危ないところに居ないでこちらへ来なさい! 母が貴女を守ってあげるから!!」
ものの数秒も変わらなかった表情に、やはりあの手しか残っていないのだと強く感じる。
膝が震えそうになるのを堪えながら、1歩前に居るウィルのローブの裾を引っ張って囁く。
「駄目、あの人は何も変わらないわ。だから……」
「だから……?」
振り返ってこちらを見る青い瞳と目が合う。状況もあってかウィルの表情は何時もより険しかった。
「ウィル、私は貴方を信じている。だから貴方も私を信じて。私は逃げたりしない」
続いた言葉が意外だったのだろう。青年はどこかきょとんとしていた。
「えっ? あ、はい……?」
「有り難う」
瞬きを繰り返している青年が小さく頷いてくれたのを見て、頬を持ち上げて礼を言う。正面を向き、掌を握り締めて母親を見据える。
「お母様! どうしても私にピアノをさせてくれないと言うの? お父様が亡くなっていても?」
自分の問いは母親には今更すぎたようだ。ロヴィーサの表情は少しも変わらなかった。
「そうよ! ずっと言ってるでしょ! マグヌスが居なくたって音楽は男社会じゃない、危ないわ!」
「……そう。でしたら私にも考えがあります!」
毅然と言い返してロヴィーサから視線を外し、すぐ隣に居る青年から杖を奪い取る。突然杖を奪われた魔法使いは「うわっ!?」と僅かに体勢を崩しよろめきかけていた。
「ア、アストリッド……?」
身体を起こしたウィルが、自分の突然の行動に目を丸くしている中一際声を張る。
「お母様……私、もう嫌なの。少しも私の話を聞いてくれなくて疲れた。だから……死んでお母様の娘を辞めるわ!」
そう宣言してからの行動は早かった。
ほんの一瞬、隣の青年が息を飲み正面の母親も頬を強張らせるのが分かる中体の向きを変える。その際。
――助けないで。
と囁いた言葉に、どこか釈然としていなかった海色の瞳が見開かれた。
一瞬の間を利用し、ウィルがやっているように杖を回転させ先端を回してピッケルを表に出す。太陽の光を受け、銀色が存在を主張するようにキラリと光った。
「へっ――」
「アストリッド!?」
ロヴィーサの引き攣った声が遠くに聞こえる。構わず足に力を入れ――崖から飛び降りた。
「アストリッド! アストリッドォ!!」
母親の絶叫が落下している自分にも聞こえてくる。
崖上よりもずっと潮の匂いを近くに感じながら、杖を一層強く握り締め岩肌を見つめた。
***
まさかの事に一瞬反応が遅れてしまった。
杖は持っていなくても近くにあれば魔法は使えるので、それもウィルが油断してしまった理由だ。
「アストリッド!?」
今更自分の愚鈍さを責めても遅い。慌てて自分も崖に飛び込み――見てしまった。
アストリッドがピッケルを一瞬崖壁に突き刺し、すぐにまた杖ごと落下していた光景を。頑丈な杖なのでそんな事をしても杖は折れず、寧ろピッケルが抜けた。
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