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Ⅳ Farvel―決別―
47 「アストリッド、駄目よ、逃げないで?」
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母の腕が自分の首に蛇のように絡みついてくる。冬なのに暑苦しさを覚えるその力強さに眉を顰める。今はこんな事をしている暇は無いと言うのに。
「お母様! 離して! 先にレオンを医者に診せに行かないと! 私は! その為に帰って来たのだから!!」
声を張り上げて抗議をする。
腕の中で暴れたのもあるからか、残念そうに唇を尖らせたロヴィーサがどこかつまらなさそうに言う。その表情に不快感が一気に表に出てきた。この人はリーナやレオンにした事を何とも思っていないのだ、と。
「レオン? ああ――」
「お母様は酷すぎます! リーナにあんな事をさせて……っ! レオンも見殺しにしようとしている! 私、お母様の事嫌いよ!!」
母の言葉を全て聞く前に拒絶の声を上げる。頭から被った液体の温もりを思い出すとまた涙が出た。
自分に絡まっている腕を振り払い、強引に屋敷の中に上がる。慌てふためく母もすぐに後を追い掛けてくる。
「いや、行っちゃ駄目! 貴女を守る為だったのよ! リーナも了承しての事よ! それにレオンはもう……!」
ロヴィーサの言葉には振り返らなかったが、レオンという単語に胸がざわついた。その言い方だと、もう――。
慌ててリーナの部屋に行くべく2階に上がり廊下に出て――目に飛び込んできた光景に我が目を疑った。ピタリと足が止まる。
「え。レ、レオン……?」
廊下に這っていたのは、癖のある茶髪の幼児。
小柄で、彫りの浅いサーミ人の顔。間違える訳がない、リーナの愛息子がそこには居た。
どういう事だろう。レオンは高熱だったのではないか。目の前で伝い歩きをしているこの幼児に、高熱の気配はどこにも感じられない。
もしかしてあの情報は嘘だったのだろうか。だとしたらリーナが死んだ意味は何処にあるのか。
「あー!」
呆然としているこちらに気付くとレオンはパッと笑顔を咲かして近くに向かってくる。後ろには痩せぎすの女中がレオンを見守っている。熱が出ているとはとても思えぬその動き。混乱は増すばかりだ。
這い寄ってきた小さな体を抱え上げ、その温もりを感じ目を見張った。
「やっぱり……熱が、無い?」
どういう事だろう。真相を聞こうと視線を女中に向けた時、背後から抱き締められた。
「アストリッド、駄目よ、逃げないで?」
耳元で囁かれる母の声。
自分を捕まえる腕の力は強く、視線を上向かせてすぐ近くの母に話しかける。
「お母様、これはどういう事なの? レオンの熱、無いわよ? どうして? リーナが嘘をついてたの? でもリーナは……」
「レオンの熱、ね……それは私も驚いてるわ、まさか魔法使いが目の前に現れるなんてね」
「!」
魔法使い。
ロヴィーサの口から飛び出た言葉に心臓が跳ねた。
リーナがウィルの存在に気付いていたのだから、ウィルの事を母が知っていても少しも不思議では無い。
しかし、ロヴィーサはウィルと会ったかのように話す。レオンの熱が無いと言うのも、もしや――。
どうしてウィルが。もう自分達に関わって来ないと思っていた。
心臓の音が早くなる。
「昨日までは確かに熱があったのよ、レオン。それが朝にはいきなり引くし、近くには知らない男が居て眠り出すし。貴女の情報を教えてくれた人が教えてくれたのよ。こいつはウィルって魔法使いで、きっとレオンに魔法を使ってその副作用で眠ったんだろう、ってね」
「ウィル? ウィルがトロムソに来てるの?」
あの青年の金色の髪を思い出して目を見開いた。
同時に、自分の中にあった頑固な雪が溶けていくのが分かった。
「ウィル、が……」
やっぱりそうだ。ウィルが人体魔法を使ってレオンを治してくれたのだ。
どうしてそんな事をしたのか。レオンを治せば捕まる可能性は高かったろうに。
それでも治したのはきっとリーナの、レオンの、自分の為。ただ治したい、そう思ってくれたと言うのか。
「ウィル……」
彼はどこまでも優しい人だ。色々な事がありすぎて、分かりきっていた事実を信じる事が出来なかった。
あんな嘘を吐いた理由、それだって自分の為だったのだろう。夢を諦めて欲しくない、守りたい、と。
それなのにどうして自分は、自分の心を守る事しか考えられなかったのか。ウィルの気持ちを無視してしまったのだろう。
馬車で一緒だった親子は喧嘩してもすぐに仲直りしていた。ウィルもあんな風に自分を許してくれるだろうか。
「随分あの男に執心してるのね」
呆然と立ち尽くす自分の態度を、母はつまらなく思ったらしい。ふんと鼻を鳴らす大きな音が、日の差し込む廊下に響いた。
「家出中、あの男とずっと一緒だったようね。駄目じゃない、そんな情けない子に育てた覚え――」
「お母様教えて! ウィルがトロムソに居るの!?」
一旦レオンの事は正面に居る女中に託し、強引にロヴィーサへと向き直る。
「……そんなにあの男が大事なの。やっぱりあの男が貴女に音楽を勧めたのでしょう。でも安心して。あの男は捕まえたから!」
「え?」
唇がひん曲がったままの母は、気に入らない隣人を魔女だと告発するかのように高らかと言い放つ。
「明日には船でクリスチャニアに送る手筈よ。魔法使いを調べたい人なんてクリスチャニアには吐いて捨てる程居るでしょう。カウトケイノの反乱の首謀者のように、最後は首を斬られて大学にでも送られるんじゃないかしらっ!」
この話はしたくないとばかりに言い終え、母はいつものように自分の話から耳を背ける。
「何馬鹿な事を言ってるの、お母様! ……助けなきゃ、助けに行かないと! ねえウィルはどこに居るの? 居場所を知ってるのでしょう? どこ!」
「ああ、まだあの男に囚われているのね。だから音楽をやるなんて愚かな事も言ってしまうのよ。大丈夫、貴女は魔法をかけられているだけ。少し距離を置けばきっと元の貴女に戻るわ、だから安心して」
「お母様! 離して! 先にレオンを医者に診せに行かないと! 私は! その為に帰って来たのだから!!」
声を張り上げて抗議をする。
腕の中で暴れたのもあるからか、残念そうに唇を尖らせたロヴィーサがどこかつまらなさそうに言う。その表情に不快感が一気に表に出てきた。この人はリーナやレオンにした事を何とも思っていないのだ、と。
「レオン? ああ――」
「お母様は酷すぎます! リーナにあんな事をさせて……っ! レオンも見殺しにしようとしている! 私、お母様の事嫌いよ!!」
母の言葉を全て聞く前に拒絶の声を上げる。頭から被った液体の温もりを思い出すとまた涙が出た。
自分に絡まっている腕を振り払い、強引に屋敷の中に上がる。慌てふためく母もすぐに後を追い掛けてくる。
「いや、行っちゃ駄目! 貴女を守る為だったのよ! リーナも了承しての事よ! それにレオンはもう……!」
ロヴィーサの言葉には振り返らなかったが、レオンという単語に胸がざわついた。その言い方だと、もう――。
慌ててリーナの部屋に行くべく2階に上がり廊下に出て――目に飛び込んできた光景に我が目を疑った。ピタリと足が止まる。
「え。レ、レオン……?」
廊下に這っていたのは、癖のある茶髪の幼児。
小柄で、彫りの浅いサーミ人の顔。間違える訳がない、リーナの愛息子がそこには居た。
どういう事だろう。レオンは高熱だったのではないか。目の前で伝い歩きをしているこの幼児に、高熱の気配はどこにも感じられない。
もしかしてあの情報は嘘だったのだろうか。だとしたらリーナが死んだ意味は何処にあるのか。
「あー!」
呆然としているこちらに気付くとレオンはパッと笑顔を咲かして近くに向かってくる。後ろには痩せぎすの女中がレオンを見守っている。熱が出ているとはとても思えぬその動き。混乱は増すばかりだ。
這い寄ってきた小さな体を抱え上げ、その温もりを感じ目を見張った。
「やっぱり……熱が、無い?」
どういう事だろう。真相を聞こうと視線を女中に向けた時、背後から抱き締められた。
「アストリッド、駄目よ、逃げないで?」
耳元で囁かれる母の声。
自分を捕まえる腕の力は強く、視線を上向かせてすぐ近くの母に話しかける。
「お母様、これはどういう事なの? レオンの熱、無いわよ? どうして? リーナが嘘をついてたの? でもリーナは……」
「レオンの熱、ね……それは私も驚いてるわ、まさか魔法使いが目の前に現れるなんてね」
「!」
魔法使い。
ロヴィーサの口から飛び出た言葉に心臓が跳ねた。
リーナがウィルの存在に気付いていたのだから、ウィルの事を母が知っていても少しも不思議では無い。
しかし、ロヴィーサはウィルと会ったかのように話す。レオンの熱が無いと言うのも、もしや――。
どうしてウィルが。もう自分達に関わって来ないと思っていた。
心臓の音が早くなる。
「昨日までは確かに熱があったのよ、レオン。それが朝にはいきなり引くし、近くには知らない男が居て眠り出すし。貴女の情報を教えてくれた人が教えてくれたのよ。こいつはウィルって魔法使いで、きっとレオンに魔法を使ってその副作用で眠ったんだろう、ってね」
「ウィル? ウィルがトロムソに来てるの?」
あの青年の金色の髪を思い出して目を見開いた。
同時に、自分の中にあった頑固な雪が溶けていくのが分かった。
「ウィル、が……」
やっぱりそうだ。ウィルが人体魔法を使ってレオンを治してくれたのだ。
どうしてそんな事をしたのか。レオンを治せば捕まる可能性は高かったろうに。
それでも治したのはきっとリーナの、レオンの、自分の為。ただ治したい、そう思ってくれたと言うのか。
「ウィル……」
彼はどこまでも優しい人だ。色々な事がありすぎて、分かりきっていた事実を信じる事が出来なかった。
あんな嘘を吐いた理由、それだって自分の為だったのだろう。夢を諦めて欲しくない、守りたい、と。
それなのにどうして自分は、自分の心を守る事しか考えられなかったのか。ウィルの気持ちを無視してしまったのだろう。
馬車で一緒だった親子は喧嘩してもすぐに仲直りしていた。ウィルもあんな風に自分を許してくれるだろうか。
「随分あの男に執心してるのね」
呆然と立ち尽くす自分の態度を、母はつまらなく思ったらしい。ふんと鼻を鳴らす大きな音が、日の差し込む廊下に響いた。
「家出中、あの男とずっと一緒だったようね。駄目じゃない、そんな情けない子に育てた覚え――」
「お母様教えて! ウィルがトロムソに居るの!?」
一旦レオンの事は正面に居る女中に託し、強引にロヴィーサへと向き直る。
「……そんなにあの男が大事なの。やっぱりあの男が貴女に音楽を勧めたのでしょう。でも安心して。あの男は捕まえたから!」
「え?」
唇がひん曲がったままの母は、気に入らない隣人を魔女だと告発するかのように高らかと言い放つ。
「明日には船でクリスチャニアに送る手筈よ。魔法使いを調べたい人なんてクリスチャニアには吐いて捨てる程居るでしょう。カウトケイノの反乱の首謀者のように、最後は首を斬られて大学にでも送られるんじゃないかしらっ!」
この話はしたくないとばかりに言い終え、母はいつものように自分の話から耳を背ける。
「何馬鹿な事を言ってるの、お母様! ……助けなきゃ、助けに行かないと! ねえウィルはどこに居るの? 居場所を知ってるのでしょう? どこ!」
「ああ、まだあの男に囚われているのね。だから音楽をやるなんて愚かな事も言ってしまうのよ。大丈夫、貴女は魔法をかけられているだけ。少し距離を置けばきっと元の貴女に戻るわ、だから安心して」
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