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Ⅳ Farvel―決別―
46 ――胸を張って生きて下さいね。
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「ア――クララ?」
ロヴィーサの読みが当たっていたと言う事なのだろうか。
ロヴィーサの屋敷でウィルを見た時も思ったが、どうしてアストリッドがトロムソに居るのか。カリンに何かあったのかと思うとゾッとした。
いや。自分が2人の情報を売った事。
何らかの理由でそれを知ったアストリッドが、自分を糾弾する為ではないか。その可能性もある事に後ろめたくなってゾッとした。この朗らかな笑顔が一拍後、悪魔になるのではないか。
しかし自分のその考えは見当違いにも程があったらしい。
自分が覚えていたからなのか、アストリッドは嬉しそうに笑った。まるで何も知らないかのように。
「やっぱりルーベンさん! どうして連絡船に?」
屈託のない笑顔は、海上で船員に向けていたものと少しも変わらない。体に力が入っていた事もあり毒気が抜かれる。
「あ、ああ……、事後処理の一環ってところだ。お前こそどうしてここに? カウトケイノには行ったのか? カリンはどうした?」
「行きましたよ。カリンさんの出産、手伝って来ました。ルーベンさんと同じ金髪の元気な男の子でしたよ! 赤ちゃんもカリンさんも元気で……魔法使いの手が必要無かったくらいです」
悪意のない少女から、聞きたかった言葉をようやく耳に入れる事ができ、後ろめたさが吹き飛んで自然と頬が持ち上がる。
「男……! そうか……有り難うな。1人か? ウィルは?」
じわじわと込み上げてくる喜びを噛み締めながら尋ねる。問いへの答えを知っているのに聞くのはとんだ道化だ。
一転して苦そうな表情になったアストリッドは、「まあ」と曖昧に頷くだけだった。
その反応は意外な物で、けれど合点がいく物だった。
驚きを禁じえないが2人は喧嘩でもしたのだろう。それも名前を呼びたくなかったり、別行動をするくらい大きな。あの2人の仲を裂いたのは自分のせいなのだろうか。
国旗が風ではためいているパタパタという音が、やけに大きく聞こえた。
「……」
罪悪感が目の前まで忍び寄ってきそうだったのもあり、双眼鏡を目に当てて少女から顔を背ける。海面スレスレを飛ぶ海鳥を丸くなった視界に認めながら、それとなく話題を変えた。
「俺は航海保険が下りる条件の1つとして、この連絡船で暫く働く事になったんだ。トロムソで過ごす家の目処も付いてる、おかげで息子も産まれたしカリンも呼んで、このままトロムソに引っ越すつもりだ」
航路に障害物が無い事を確認しながら口を動かすと、隣から聞こえる声がパッと明るくなった。
「わっ、じゃあ夢が1つ叶うんですね、おめでとうございます!」
「まあ1つだけだけどな、有り難うよ」
祝われて悪い気がせず、ふっと唇を歪める。何時の間にか本当の教会の尖塔が見えてきていた。
「カリンさんの出産、私は分娩の道具を用意するくらいで殆ど産婆の方がやってくれたんですけど、それでも凄い感動しました! 私もああやって産まれたんですね」
すっかり翳りの無くなったアストリッドの言葉にどう返事をしようか悩んでいると、船内から下船の準備を促す女性の声が聞こえる。
「もうすぐ本島の港に到着しまーす! 荷物の準備をお願い致しますー!」
その声に、風に吹かれていたアストリッドは船内を一度振り返った後、自分も戻ろうと別れの挨拶をしてきた。
「ルーベンさん、ではまた。……ルーベンさん」
改まって名前を呼ばれ「ん?」と返す。アストリッドの声が少し低くなった事に心がざわついた。双眼鏡越しに見た顔はまっすぐこちらに向けられている。
「立派に父親して下さいね。……嘘つきに育てちゃ駄目ですよ。人の気持ちを聞けるような優しい子に育てて下さい。その為にはルーベンさんがちゃんと胸を張って生きて下さいよ。では」
そう言い、少女は赤毛を靡かせながら船内へと戻っていく。
「……」
どうしてか、その後ろ姿から目が離せなかった。周囲の同僚はもう下船の準備に入っていると言うのに。
まるで、自分のした事に気付いているかのような目と言葉だった。分かっていて、アストリッドはあんなに明るく接してくれたのか。
――胸を張って生きて下さいね。
自分の半分も生きていない少女の言葉が、頭から離れてくれない。
「分かっちゃいるんだよ……っ」
吐き捨てるような呟きは、下船の準備の音にかき消されて消えていく。
金が無いとままならなかった事も。しかし金が全てでも無い事も。全部全部分かっていた。
けれど。カリンの笑顔が曇る事を思うと、産まれてきた息子が苦労する事を思うと、部下が苦しむ事を思うと。あれは良い選択だったのだ。
――胸を張って生きて下さいね。
少女の言葉がまた頭を過ぎる。下船の準備を進めている間、ゆっくりと顔を出してきた太陽を見上げる事が出来なかった。
1日1回グローヴェンの屋敷に顔を出すよう言われているのだが、こんな気持ちであの女王様に――今日からはアストリッドも居るのだろう――負けやしないか不安だった。
***
ルーベンに別れを告げてトロムソ本島に到着したのは明るくなり始めた頃。そろそろ空腹を覚えてきた。
「はあ……っ」
走って三角屋根の赤い屋敷に向かったアストリッド・グローヴェンは、扉の前に到着するなり紐チャイムを何回も鳴らしながら叫んだ。
「お母様、私よ、アストリッドです!! 開けて!!」
暫くして勢い良く開け放たれた扉から出てきたのは、自分と良く似た顔立ちの女性。赤い髪を1つにまとめた女性は、自分を映すなり飛びついてくる。
「アストリッド!! 戻って来てくれたのね! 駄目じゃない、もう! 馬鹿!!」
ロヴィーサの読みが当たっていたと言う事なのだろうか。
ロヴィーサの屋敷でウィルを見た時も思ったが、どうしてアストリッドがトロムソに居るのか。カリンに何かあったのかと思うとゾッとした。
いや。自分が2人の情報を売った事。
何らかの理由でそれを知ったアストリッドが、自分を糾弾する為ではないか。その可能性もある事に後ろめたくなってゾッとした。この朗らかな笑顔が一拍後、悪魔になるのではないか。
しかし自分のその考えは見当違いにも程があったらしい。
自分が覚えていたからなのか、アストリッドは嬉しそうに笑った。まるで何も知らないかのように。
「やっぱりルーベンさん! どうして連絡船に?」
屈託のない笑顔は、海上で船員に向けていたものと少しも変わらない。体に力が入っていた事もあり毒気が抜かれる。
「あ、ああ……、事後処理の一環ってところだ。お前こそどうしてここに? カウトケイノには行ったのか? カリンはどうした?」
「行きましたよ。カリンさんの出産、手伝って来ました。ルーベンさんと同じ金髪の元気な男の子でしたよ! 赤ちゃんもカリンさんも元気で……魔法使いの手が必要無かったくらいです」
悪意のない少女から、聞きたかった言葉をようやく耳に入れる事ができ、後ろめたさが吹き飛んで自然と頬が持ち上がる。
「男……! そうか……有り難うな。1人か? ウィルは?」
じわじわと込み上げてくる喜びを噛み締めながら尋ねる。問いへの答えを知っているのに聞くのはとんだ道化だ。
一転して苦そうな表情になったアストリッドは、「まあ」と曖昧に頷くだけだった。
その反応は意外な物で、けれど合点がいく物だった。
驚きを禁じえないが2人は喧嘩でもしたのだろう。それも名前を呼びたくなかったり、別行動をするくらい大きな。あの2人の仲を裂いたのは自分のせいなのだろうか。
国旗が風ではためいているパタパタという音が、やけに大きく聞こえた。
「……」
罪悪感が目の前まで忍び寄ってきそうだったのもあり、双眼鏡を目に当てて少女から顔を背ける。海面スレスレを飛ぶ海鳥を丸くなった視界に認めながら、それとなく話題を変えた。
「俺は航海保険が下りる条件の1つとして、この連絡船で暫く働く事になったんだ。トロムソで過ごす家の目処も付いてる、おかげで息子も産まれたしカリンも呼んで、このままトロムソに引っ越すつもりだ」
航路に障害物が無い事を確認しながら口を動かすと、隣から聞こえる声がパッと明るくなった。
「わっ、じゃあ夢が1つ叶うんですね、おめでとうございます!」
「まあ1つだけだけどな、有り難うよ」
祝われて悪い気がせず、ふっと唇を歪める。何時の間にか本当の教会の尖塔が見えてきていた。
「カリンさんの出産、私は分娩の道具を用意するくらいで殆ど産婆の方がやってくれたんですけど、それでも凄い感動しました! 私もああやって産まれたんですね」
すっかり翳りの無くなったアストリッドの言葉にどう返事をしようか悩んでいると、船内から下船の準備を促す女性の声が聞こえる。
「もうすぐ本島の港に到着しまーす! 荷物の準備をお願い致しますー!」
その声に、風に吹かれていたアストリッドは船内を一度振り返った後、自分も戻ろうと別れの挨拶をしてきた。
「ルーベンさん、ではまた。……ルーベンさん」
改まって名前を呼ばれ「ん?」と返す。アストリッドの声が少し低くなった事に心がざわついた。双眼鏡越しに見た顔はまっすぐこちらに向けられている。
「立派に父親して下さいね。……嘘つきに育てちゃ駄目ですよ。人の気持ちを聞けるような優しい子に育てて下さい。その為にはルーベンさんがちゃんと胸を張って生きて下さいよ。では」
そう言い、少女は赤毛を靡かせながら船内へと戻っていく。
「……」
どうしてか、その後ろ姿から目が離せなかった。周囲の同僚はもう下船の準備に入っていると言うのに。
まるで、自分のした事に気付いているかのような目と言葉だった。分かっていて、アストリッドはあんなに明るく接してくれたのか。
――胸を張って生きて下さいね。
自分の半分も生きていない少女の言葉が、頭から離れてくれない。
「分かっちゃいるんだよ……っ」
吐き捨てるような呟きは、下船の準備の音にかき消されて消えていく。
金が無いとままならなかった事も。しかし金が全てでも無い事も。全部全部分かっていた。
けれど。カリンの笑顔が曇る事を思うと、産まれてきた息子が苦労する事を思うと、部下が苦しむ事を思うと。あれは良い選択だったのだ。
――胸を張って生きて下さいね。
少女の言葉がまた頭を過ぎる。下船の準備を進めている間、ゆっくりと顔を出してきた太陽を見上げる事が出来なかった。
1日1回グローヴェンの屋敷に顔を出すよう言われているのだが、こんな気持ちであの女王様に――今日からはアストリッドも居るのだろう――負けやしないか不安だった。
***
ルーベンに別れを告げてトロムソ本島に到着したのは明るくなり始めた頃。そろそろ空腹を覚えてきた。
「はあ……っ」
走って三角屋根の赤い屋敷に向かったアストリッド・グローヴェンは、扉の前に到着するなり紐チャイムを何回も鳴らしながら叫んだ。
「お母様、私よ、アストリッドです!! 開けて!!」
暫くして勢い良く開け放たれた扉から出てきたのは、自分と良く似た顔立ちの女性。赤い髪を1つにまとめた女性は、自分を映すなり飛びついてくる。
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