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Ⅲ Løy―嘘―
38 「……貴方って結構格好つけたがりよね」
しおりを挟む首を傾げていると青年はハッとしたような表情を浮かべ、決まり悪そうに視線を窓に向けて声を上げる。
「あっ、オーロラ! オーロラが出ていますよ!」
釈然としない物がありつつも窓の外を見てわっと息を飲む。紺色の夜空を背景に、赤色の光のカーテンが脈打っていて、生き物のように轟いていた。
「本当だ、今日のオーロラは赤いのね。やだなあ、赤いオーロラって不吉って言うじゃない。こんな日に……」
「それで! あの……頑張ったアストリッドに、俺からプレゼントがあるんです。こっちに来てくれませんか」
露骨に話を変えるな、と思ったが、それだけ触れられたくない話題だったと言う事なのだろう。約束していた人と言い、ウィルはどうもそういう話題が多いようだ。
ふう……と深く息をつき、窓際に移っていったウィルの後を追いかけ、コップを持ったまま隣に並ぶ。換気している影響か、コーヒー独特の匂いがふわっと鼻先を掠めていく。
プレゼント。
この青年に私的な物を購入出来る時間があっただろうか……と最近の動向を思い出し、ふと閃いた。
「なに? あ、もしかしてタルヴィクで買ってたやつ?」
ソニアから貰ったお金を早々に使っていた事を思い出す。時が来れば教える、とかそんな事を言っていたが、今がその時のようだ。
「はい、どうせならオーロラの下で渡したかったんですよ。赤いのは少し残念ですが」
「……貴方って結構格好つけたがりよね」
ウィルはそう言うとコーヒーカップを近くの椅子に置き、己の毛皮のローブを漁って掌サイズの麻袋を取り出した。
長い指が白い袋の中から取り出したのは、青いレザーネックレス。
トナカイの角を加工して作られた白いコインに、白い極細のピューターで雪の結晶が刺繍された青い布が嵌め込まれている。
「……可愛い」
愛らしいデザインに目を細める。マリー・アントワネットが着けているような派手さはどこにもないが、丹精に作られたこれはサーミの伝統工芸品だ。
「すみません。本当は宝石が装飾されているのにしたかったのですが、高くて……」
「ううん、これ凄く可愛い。有り難う! 私が貰って本当に良いの?」
頬を持ち上げ、目線の高さに掲げられているラピスラズリよりも輝いて見えるネックレスをまじまじと見つめる。
「勿論です。そのネックレス、お守り代わりに着けていてくれませんか? 1回だけではありますが俺の魔力が込められているので、貴女でも精霊魔法が使えます」
このネックレスは「可愛い」以外にも意味があるようだ。船内で飲んだコーヒー豆、あのような代物だという。
「これからストックホルムまでは今まで以上に長旅でしょうから、貴女の隣に俺が居ない瞬間もあるでしょう。そんな時、少しでも助けになれたらと思って……プレゼントしたかったんです」
自然と頬が緩む。空に出ているのが赤いオーロラで良かった。
「どう使うの?」
「それを握り締めながら周囲の自然に頼むつもりで語りかけて下さい。浮かせて、とか、あそこに火をつけて、とか」
分かったと頷き、改めて青いコインを視界に映す。確かに、今回の分娩の時のように別行動を取るケースは、これから幾らだってあるだろう。
この魔法使いの気遣いが嬉しかった。初めて稼いだお金を自分に使ってくれる、それだけの事で体温が上がる。
「有り難う。ねえ、それ掛けてくれる?」
助産後に貰ったから、と言うのもあってか、余計感情が揺さぶられる。だからか、そんな言葉が口をついた。
「えっ? どうして、ですか?」
明らかに狼狽える表情に、少し情けない声。今はそれらもつまらなく感じてしまって。
「それくらい良いじゃない。私今コーヒー持ってて、手が塞がっているのだもの」
むっと返すと、「では失礼します……」と決心がついたらしい青年の腕が伸びる。頭にネックレスをかける動作中、ウィルの手指が己の髪に触れては離れていく。こそばゆさに自然と笑いが漏れる。
「有り難う」
礼を言い、胸に下がったネックレスの重みが嬉しくて笑みを深める。
ふと、この青年は自分の事をどう思っているのか不安になった。
大切にしてくれているのは間違いないが、それが自分と同じ気持ちなのかは分からない。トロムソに来た理由である人物の存在だって気になる。
顔も知らぬその人物の事を考えるとモヤモヤする。ハッキリ言うと面白くない。この気持ちの名前がなんだか分からぬ程自分は馬鹿ではない。
だから、分かっていてウィルに凭れ掛かった。
「えっ、あの、アス――」
伝わって来る温もりに、ささくれ立ちかけていた気持ちも凪いでいく。背の高いウィルの表情を見られないのが、つまらなくもあり安心する。
コーヒーを一口飲んだのは、口内に広がる気恥ずかしさを誤魔化す為。
「窓際って寒いのよ。トロムソの海上で私を抱いたんだし良いじゃない」
「へ、変な事言わないで下さいよ……。あの時はああするのが1番だったんですっ!」
分かりやすく狼狽える金髪の青年の体温は暖かくてホッとする。
窓の外、紺色の空に広がる光を見上げる。
腕から伝わる温もりは、不思議と暖炉よりも暖かい。その状態で飲むコーヒーは、いつもより飲み切るのが遅かった。
「……有り難うね、ウィル。いつも助けてくれて感謝してる、貴方が信じられる人で良かった」
波打つオーロラを見ながらぽつ、ぽつと呟く。ストックホルムに落ち着いたらこの青年はノルウェーに――トロムソに――戻るのだろうか。もう良い、なんて言っていたがこの青年の性格上結局良くならないだろう。
ストックホルムの安アパートに1人で居る自分を考えると、胸が締め付けられる。
「…………貴女のお役に立てているようで何よりです」
少し遅れた返事は、何を考えての事だったのだろうか。気になったが、温もりの心地良さの前で尋ねられる物では無かった。
音が無くなった部屋、温もりを感じながらただ赤いオーロラを見上げていた。
少し経ってから考えるのは昨日の出産の事。長い夜が明けた後、愛おしそうに息子を見る母親の眼差しが忘れられない。
ロヴィーサもあんな眼差しを自分に向けていたのだろうか。だったら今、何を思っているのだろうか。どうしてあんな出産を経ているのに、自分の話を聞いてくれなくなったのだろう。
――いっ!
ふと、外で誰かが話している声がして思考が中断した。耳が良いのはこういう時損だ。
――教えて下さいっ!
鼓膜を震わせた女性の声。誰の声なのか最初すぐにピンと来なかった。
――カリンという妊婦の家を教えて下さい!
聞こえて来た単語に、浸っていた幸福はあっという間に吹き飛んだ。
瞬間、理解する。この声が誰の物かと言う事を。
「っリーナ!?」
頭が真っ白になった。リーナが夫を殺された地に来る理由、そんなの1つしかない。
「え? リーナ?」
「今外から声がしたの! ここがバレたんだわ! どうして!?」
慌てて窓際から離れてウィルに事情を説明する。
トロムソに行ったルーベンが自分を売ったのだろうか。その可能性を考えると胸が苦しくなる。
あの人がお金を欲しがる理由は多い。偽の事実を吹聴して貰うつもりで船に乗ったが逆効果だったのか。
しかし、一概にルーベンだとも言い切れない。自分達はタルヴィクにも滞在していたのだし、馬車にも乗った。どこかで誰かが不審に思った可能性は高い。
とにかく、バレたのだ。
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