アストリッドと夏至祭の魔法使い

上津英

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Ⅲ Løy―嘘―

32 「リーナ、今頃安心してるだろうなあ……」

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「ううん、ちょっと疲れたし馬車の振動が心地良くてうとうとしてるだけ。貴方こそ具合悪そうよ?」
「俺は……大丈夫です。ちょっと酔いそうなだけですから」
「それを具合が悪いって言うの。無理せず寝たら?」

 そう笑いアストリッドは顎を引き僅かに俯いた。茶色い上着を羽織っているその肩に、赤い髪の毛が1本落ちている。
 そう言えば馬車に乗るなんて、あの13の夏ぶりだ。久しぶりで酔いもするわけだ。あの時はサーミ人が所有していた馬車だった。
 レオンの件で罪悪感があり、どうにも精霊魔法でトロムソに聞き耳を立てる気分になれなかった。
 その分アストリッドを守る事に注力したい。
 それには1つ、気になる事があった。人の少ない乗合馬車、やるなら今が良いだろう。

「……あ、肩に髪の毛が。後すみません、俺お言葉に甘えて大人しく寝ます。何かあったら叩き起こして下さい」
「あ、うん? 有り難うね。お休み」

 それだけ言って肩から髪の毛を取った後、フードを目深に被って咳払いをし人体魔法を発動させる。この程度の使用ならカウトケイノに着く頃には起きるだろう。
 昨日起きがけに見た、愛しい少女の背中の火傷。
 あれがどうも気になっていたのだ。
 人体魔法を使えば髪の毛からその人の体の状態を探る事が出来る。朝食べた食事は勿論、病歴、誰が親かですらも。
 首の力を抜いて寝る体勢に入る。頭に流れ込んできた情報を覚えながら、完全に眠る前にふと気付いた。

 ――あれ、今朝ラズベリー食べてる? 盗み食いかな、可愛い……。

 そのせいか、唇の端を微かに持ち上げて眠ってしまった。

***

 カウトケイノに到着したのは明け方、まだ町が眠っている頃。
 一言も話す事の無かった同乗者達は伸びをしながら思い思いの方角へ散っていく。扉が開いただけで感じる程、一気に冷気が滑り込んできて眠気が吹き飛んだ。

「寒っ! カウトケイノってこんなに寒いんですか? 寒い……寒い……」
「ここらへんは湖が多いし何より高原だからな、北欧の中でも一等寒ぃんだ。朝もまだだし。嬢ちゃん、あんたの連れをさっさと起こしてくれよ」

 はーい、とアストリッド・グローヴェンは震える声で御者に返事をし、この極寒の中大人しく眠っている青年を、腕で自分を抱きながら見下ろす。
 ウィルはあれからずっと良く眠っていた。自分もうたた寝はしていたが、昨日の今日でちょっと寝すぎではないかと思う。彼の背が高いのはノルウェー人だからではない、絶対に良く寝るからだ。

「ウィル起きて! もうカウトケイノだよ! 起きなさい!」

 声をかけながら揺さぶる事数秒。少しして長い睫毛に覆われた碧眼がゆっくりと開かれた。

「んー……?」
「お早う。早く降りて、もう残ってるのは貴方だけよ」

 まだ夢の中にでも居るかのように朦朧としていた青年は、暫く焦点を合わせる事しか出来ずに居た。が、この寒さの中それも長く続かず、すぐにガバリと顔を上げて周囲を確認するように顔を左右に動かす。

「あ……お早う、御座います」
「お早う、良く寝てたわね。ほら、早く降りて」

 先に降りてから降車を促すと、遅れて外に出た青年が杖を両手に持ちながら伸びをしていた。振り返って「有り難うございました」と御者に告げると、赤い髪も一緒に揺れた。

「酔いは大丈夫?」
「はい……お蔭様で。まだ暗いですね」
「そうね、まだ朝にもなってないそうよ。どこもやっていないでしょうし、酒場は女を入れてくれるかも怪しい。こんな時間にカリンさんの元を訪ねる訳にもいかない。少し休めそうなところで休まない? で、ソニアさんから貰ったケーキを頂きましょう」

 ウィルが頷くのを見て休めそうなところを探す。
 少し歩いたところで切り株を4つ見つけた。正面に湖、その奥に山、と見晴らしも良いので元々休憩場所なのだろう。
 荷から木製のコップとタルヴィクで購入したランタン、ソニアから貰ったラズベリー入りのライ麦ケーキを取り出す。ランタンの灯りの中、ケーキを見たウィルが「あっ!」と大きな声を上げる。

「なによ?」

 不自然な反応が気になり、笑っている青年を見上げる。

「いえ。ラズベリー、ここに入っていたんですね」
「それがどうかしたの?」
「いーえ、何でもありません」

 周囲に人は居ないと言うのに、こっそりとコップに白湯を作っていたウィルが合点がいったように笑った。何に目を細めているのか分からなかったが、教えてくれる気は無さそうだ。

「ふーん?」

 自分も聞くのを諦め、白湯を口にしてホッと一息つく。ケーキは甘さと酸味があって、長旅の疲れを労ってくれた。
 暗い水面と、辛うじて輪郭だけは見える山。ノルウェーの景色はどこでも同じで、17の自分ですら郷愁を感じる。
 ここがカウトケイノかと一息つくと、自然とある顔が浮かんだ。

「……私ね、カウトケイノの名前を聞くとリーナを思い出すの。ねえウィル。カウトケイノの反乱って知ってる?」

 だからか、気が付けば口を動かしていた。

「はい。2年前の11月、カウトケイノで起きたサーミ人による暴動ですよね。ノルウェー政府のサーミ人への不当な扱いに怒った彼らは、放火と殺人を犯した後別のサーミ人に鎮圧された。首謀者は斬首刑となり、その首は今クリスチャニアの大学にあります」

 白湯を飲んでいた青年は少しだけ怪訝そうな顔をした後、流石サーミ人と親しいだけあって教科書のような説明をしてくれた。

「これによりサーミ人はますます弾圧されました。カウトケイノはサーミ人が特に多い町でしたから、殊更厳しかったようです。……どうしてリーナの名前が?」
「リーナの夫はね。カウトケイノの反乱に参加して、お腹の子の顔を見る前に騒動中に殺されたのよ。あの事件、死者は少なかったのに」

 ぽつ、と理由を説明するとウィルの頬が強張るのが分かった。暫くの沈黙の後、事情を咀嚼したのかカップの中に青年が視線を落とす。

「…………やり切れない話ですね」

 うん、と頷く。自分もそう思う。だからかリーナとの会話でカウトケイノの名前が挙がった事は一度も無い。

「リーナ、今頃安心してるだろうなあ……」

 息子の熱が下がった事にさぞ胸を撫で下ろしている事だろう。
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