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Ⅲ Løy―嘘―
28 「……そいつ、青目か? 長髪で、10代の」
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「はい、70年程前にスウェーデンで本格的な生産が始まったあの炭酸です。俺、魔法で炭酸作れるんですよ」
「へえー。じゃあお願いしようかな。炭酸なんて久しぶり!」
にこにこと機嫌良く笑うアストリッドの横、コーヒーに炭酸水を注入していく。
「貴方、もしかして炭酸が好きなの? 意外だわ」
「ですね、1番好きな物かもしれません」
「ふーん……1番好きなんだ。ふーん……」
小声で含んだように少女は言い、早速コーヒーカップに口をつけおかしそうにふふっと笑う。
「美味しい、コーヒー炭酸って面白い味よね。でも私は炭酸はベリーのシロップで割るのが好きだわ」
「確かにコーヒーやチョコレート割りって結構通な飲み方ですよね。俺もビルベリーシロップで割るの好きですよ。甘いし、少し懐かしい。炭酸のこの飲み心地が魔法で作れないか1年間研究したくらいです。上手い具合に作れた時は嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした」
そう告げると、どこか不思議そうな表情でサンドイッチを頬張っていた少女がポツリと呟いた。
「……貴方なんか何時もよりも元気ねえ。数日寝てたせい?」
「え」
その指摘にコーヒーカップを煽る動きがピタリと止まった。ぱちぱちと唇の裏に残った炭酸が弾けている。
自分の嘘を見透かされた気がした。
頰を強張らせて正面の赤い髪を見たが、アストリッドの雰囲気におかしな所はない。
「……そ、そうかもしれませんね。すみません、うるさいですか?」
「別に責めている訳じゃ無いよ。ただちょっと思っただけ。魔法使いも大変ね」
そうですね、と小声で頷きサンドイッチに手を伸ばした。
そうだった。
自分は嘘が得意ではない。なにかしら態度に出ても少しもおかしくない。
これからは少し言動に注意した方が良さそうだ。
改めてそう思い、パンに齧り付いた。
***
タルヴィクの宿屋を出て馬車に飛び乗り、2日かけて大急ぎでトロムソに戻った。
ルーベン・ハンセンは今、痛む頭に滅入りながら雪降る夜のトロムソを歩いていた。自分の気持ちを表してくれているかのように、吹き付けてくる風が冷たい。
「あー頭がいてー……」
酒場がある通りを歩いてはいるが、酔って頭を痛くしているわけではない。金の工面をどう付けるか。先程からそればかりを考えていた。
航海保険は下りる。しかし、全員生きている事が足を引っ張った。喜ぶべき事が不利に働く不条理。舌打ちをするしかなかった。
船を親会社から借りている立場なので、会社も全額出す余裕はない。
その為、どうしても負債が出る。船員達と平等に背負ったとしても、自分は借金を負う。
船長としてはどちらかと言えば若い自分に、着いてきてくれた船員達には深く感謝している。病気の両親が居る部下も知っている。彼らに負債を負わせたくなかった。
画家になりたいという夢もあって、もうすぐ子供が産まれるというのに、悪夢でも見ているかのようだ。これでは何時までも船乗りだ。
――その時。
「すみません! 消息不明になった赤毛のお嬢様を探しているんですが、お心当たりありましたらお話を聞かせて頂けませんかっ!」
通りを行き交う人々に声を掛けては無視されている一際小柄な女性が見えた。その姿に、先程話した組合長の言葉を思い出す。
――最近町を歩く人にラップ人が執拗に話し掛けていましてね。人探しのようだけど親切にしたら最後、最終的には強盗になりますよ。ルーベンさんも気を付けて下さいね。
確か、眉を潜めながらこんな事を言っていた。
「……あ」
ふと思い出した。
赤毛の少女と金髪の魔法使い。彼らをトロムソ本土で乗せたのだと言う事を。もしかして彼女が探しているのはあの2人では無いのか。
いっぱいいっぱいで彼らの事を忘れかけていたが、良く良く考えるとクララ――事故の時偶然聞こえたがアストリッドが本名なのだろう――こそ令嬢だったのではないか。
魔法使いが力仕事をした事が無いのは理解出来るが、アストリッドが照明の節約を分かっていなかったのはただの世間知らずだ。
彼女はトロムソ本島の人間で、良家だったと言う事か。このラップ人が探しているのはきっとアストリッドだ。
足を止めてラップ人を見ていたからだろう。視線に気付いた女性がこちらに駆け寄って来る。話し掛けられる、そう思った時には黒いお下げの女性に見上げられていた。
「あのすみません! 消息不明になったお嬢様を探しているんですが、お心当たりありましたらお話を聞かせて頂けませんかっ!」
やっぱり話し掛けられた。内心舌打ちをする。
カウトケイノに嫁の実家があるせいか、ラップ人は殊更嫌いだ。彼らは嘘つきで、酒乱で、暴力的だ。
露骨に眉間に皺を寄せながらも――これは金になる――そう悪魔に囁かれた。
彼らには大恩がある。
売るのはどうかと思ったが、生まれてくる子供の為、船員達の未来の為、己の夢の為、背に腹は替えられなかった。
寒空の中口を開けた時、きっと自分は薄く笑っていた。
「……そいつ、青目か? 長髪で、10代の」
自分が応じた事にか、それとも心当たりがあるからか、ラップ人の瞳が大きく見開かれる。
「クララって名を使ってたけど本当はあいつ、アストリッドだろ? 偶然聞こえたんだ」
「お、お嬢様です……! ど、どちらでお見かけになったんですか?」
信じて貰えなかったら得意の絵でアストリッドを描こうと思ったが、その心配はなさそうだ。
ここからは交渉になるだろう。
返済への希望が見えた事に正直ホッとした。自然と目元が緩み、コードからパイプタバコを取り出した。
「そう焦んなよ。高値で情報を買うってなら、俺の知ってる範囲でそれらも全部教えてやるよ」
「買います! だから! ひとまず屋敷に来て下さい!」
女性がどんどん食い付いて来るのが分かった。違和感を覚えるほどに必死に。
「へえー。じゃあお願いしようかな。炭酸なんて久しぶり!」
にこにこと機嫌良く笑うアストリッドの横、コーヒーに炭酸水を注入していく。
「貴方、もしかして炭酸が好きなの? 意外だわ」
「ですね、1番好きな物かもしれません」
「ふーん……1番好きなんだ。ふーん……」
小声で含んだように少女は言い、早速コーヒーカップに口をつけおかしそうにふふっと笑う。
「美味しい、コーヒー炭酸って面白い味よね。でも私は炭酸はベリーのシロップで割るのが好きだわ」
「確かにコーヒーやチョコレート割りって結構通な飲み方ですよね。俺もビルベリーシロップで割るの好きですよ。甘いし、少し懐かしい。炭酸のこの飲み心地が魔法で作れないか1年間研究したくらいです。上手い具合に作れた時は嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした」
そう告げると、どこか不思議そうな表情でサンドイッチを頬張っていた少女がポツリと呟いた。
「……貴方なんか何時もよりも元気ねえ。数日寝てたせい?」
「え」
その指摘にコーヒーカップを煽る動きがピタリと止まった。ぱちぱちと唇の裏に残った炭酸が弾けている。
自分の嘘を見透かされた気がした。
頰を強張らせて正面の赤い髪を見たが、アストリッドの雰囲気におかしな所はない。
「……そ、そうかもしれませんね。すみません、うるさいですか?」
「別に責めている訳じゃ無いよ。ただちょっと思っただけ。魔法使いも大変ね」
そうですね、と小声で頷きサンドイッチに手を伸ばした。
そうだった。
自分は嘘が得意ではない。なにかしら態度に出ても少しもおかしくない。
これからは少し言動に注意した方が良さそうだ。
改めてそう思い、パンに齧り付いた。
***
タルヴィクの宿屋を出て馬車に飛び乗り、2日かけて大急ぎでトロムソに戻った。
ルーベン・ハンセンは今、痛む頭に滅入りながら雪降る夜のトロムソを歩いていた。自分の気持ちを表してくれているかのように、吹き付けてくる風が冷たい。
「あー頭がいてー……」
酒場がある通りを歩いてはいるが、酔って頭を痛くしているわけではない。金の工面をどう付けるか。先程からそればかりを考えていた。
航海保険は下りる。しかし、全員生きている事が足を引っ張った。喜ぶべき事が不利に働く不条理。舌打ちをするしかなかった。
船を親会社から借りている立場なので、会社も全額出す余裕はない。
その為、どうしても負債が出る。船員達と平等に背負ったとしても、自分は借金を負う。
船長としてはどちらかと言えば若い自分に、着いてきてくれた船員達には深く感謝している。病気の両親が居る部下も知っている。彼らに負債を負わせたくなかった。
画家になりたいという夢もあって、もうすぐ子供が産まれるというのに、悪夢でも見ているかのようだ。これでは何時までも船乗りだ。
――その時。
「すみません! 消息不明になった赤毛のお嬢様を探しているんですが、お心当たりありましたらお話を聞かせて頂けませんかっ!」
通りを行き交う人々に声を掛けては無視されている一際小柄な女性が見えた。その姿に、先程話した組合長の言葉を思い出す。
――最近町を歩く人にラップ人が執拗に話し掛けていましてね。人探しのようだけど親切にしたら最後、最終的には強盗になりますよ。ルーベンさんも気を付けて下さいね。
確か、眉を潜めながらこんな事を言っていた。
「……あ」
ふと思い出した。
赤毛の少女と金髪の魔法使い。彼らをトロムソ本土で乗せたのだと言う事を。もしかして彼女が探しているのはあの2人では無いのか。
いっぱいいっぱいで彼らの事を忘れかけていたが、良く良く考えるとクララ――事故の時偶然聞こえたがアストリッドが本名なのだろう――こそ令嬢だったのではないか。
魔法使いが力仕事をした事が無いのは理解出来るが、アストリッドが照明の節約を分かっていなかったのはただの世間知らずだ。
彼女はトロムソ本島の人間で、良家だったと言う事か。このラップ人が探しているのはきっとアストリッドだ。
足を止めてラップ人を見ていたからだろう。視線に気付いた女性がこちらに駆け寄って来る。話し掛けられる、そう思った時には黒いお下げの女性に見上げられていた。
「あのすみません! 消息不明になったお嬢様を探しているんですが、お心当たりありましたらお話を聞かせて頂けませんかっ!」
やっぱり話し掛けられた。内心舌打ちをする。
カウトケイノに嫁の実家があるせいか、ラップ人は殊更嫌いだ。彼らは嘘つきで、酒乱で、暴力的だ。
露骨に眉間に皺を寄せながらも――これは金になる――そう悪魔に囁かれた。
彼らには大恩がある。
売るのはどうかと思ったが、生まれてくる子供の為、船員達の未来の為、己の夢の為、背に腹は替えられなかった。
寒空の中口を開けた時、きっと自分は薄く笑っていた。
「……そいつ、青目か? 長髪で、10代の」
自分が応じた事にか、それとも心当たりがあるからか、ラップ人の瞳が大きく見開かれる。
「クララって名を使ってたけど本当はあいつ、アストリッドだろ? 偶然聞こえたんだ」
「お、お嬢様です……! ど、どちらでお見かけになったんですか?」
信じて貰えなかったら得意の絵でアストリッドを描こうと思ったが、その心配はなさそうだ。
ここからは交渉になるだろう。
返済への希望が見えた事に正直ホッとした。自然と目元が緩み、コードからパイプタバコを取り出した。
「そう焦んなよ。高値で情報を買うってなら、俺の知ってる範囲でそれらも全部教えてやるよ」
「買います! だから! ひとまず屋敷に来て下さい!」
女性がどんどん食い付いて来るのが分かった。違和感を覚えるほどに必死に。
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