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Ⅱ havn―海―
25 「条件……恋をする事、かあ……」
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「まあもう人間は昔程私達に興味が無いし、数人程度に存在がバレても問題無いとはお母さんだって思うわよ。私も麓の村に行ったりするしね。でもね、魔法使いが人間に利用されやすい事は変わらないから。杖が無ければ私達はとても弱いし、脅されやすい。今すぐ杖を返して欲しかったら代わりに村人全員殺せ、って命令されたい?」
コケモモのジャムを煮詰めながら、金髪の母親はそう笑って眉を下げる。魔法使いの杖は失くしても不思議と手元に戻ってくるが、確かにその間は何も出来ない。
「……嫌」
「でしょう。それにウィルはまだ精霊魔法が使えないんだから。そんな未熟な魔法使い、町になんて行かせられないわよ。長旅なんでしょう」
ノルウェーの夏至祭は退屈なんだし良いでしょ、と母は笑ってジャム作りに戻る。
「人体魔法は得意だよ? 精霊魔法も仕組みはわかってるし……」
母の言葉も、自分の未熟さも十分理解している。
でも、焚き火を囲んで思い思い過ごしているだけの祭りとは言え、夏至祭が退屈だなんてどうして母が決めるのだ。反抗心が芽生えたのもあり、むっと文句を垂れるように呟いていた。
「人体魔法だけ出来ても駄目。精霊魔法は条件があるから仕方無いわ」
「条件……恋をする事、かあ……」
なんで魔法を使うのにこんな変な条件があるのだろう、と目を伏せる。背を向けているのにそんな自分に気付いたらしく、クスリと母が笑うのが聞こえてきた。
「そ。精霊はロマンチストなの、彼女達は恋も知らない人間に応える事はしないのよ」
「恋ってどんな感じ? こんな生活してる僕でも出来ると思う?」
そんな条件、人と会う事の少ない自分には一生かかっても達成出来ない気がして、少し意地悪い言い方をしてしまった。
こんな環境だ。本当はもう、恋なんて諦めていると言うのに。
「思う」
――が、間髪入れず母が断言したので目を丸くする。こんなに強く言い切る母を見たのは久しぶりだ。
「でもね、恋は人に教わるものじゃない。いつの間にかしてるのが恋なのよ」
こちらを振り向きはしなかったが、力強い言葉は続いた。これだけ断言されると、あまりの力強さに叱られているような錯覚を覚える。
「お、お母さんの話、面白くないよ。サーミの子と遊んでくる……」
どう反応して良いか分からずしどろもどろになりながら返し、そそくさと家を後にした。
「ちょっとなによその言い草ー!」
扉を閉める直前、母の怒鳴り声が聞こえてくる。それもまた面白くなくて、無意識に唇を尖らせていた。
少し離れた高原で遊牧をしているサーミ人達は、何時会いに行っても自分を歓迎してくれた。白夜の季節、彼らは一層陽気になる。
「こんにちは」
だから今日も、トナカイの見張りをしている少し年上の少年に気兼ねなく話し掛ける。部落で毎年トロムソの夏至祭に行っているというこの少年が、町に興味がある自分を夏至祭に誘ってくれたのだ。
初夏の高原は青々しく、まだ春を残している為に柔らかい。色とりどりの花達もされるがまま風に吹かれていた。
「おーウィル。夏至祭どうするか決めたか? 前も言った通り4日は馬車の中だけど。連絡船には乗りたくないから本土のだけど」
すぐに笑顔で返してくる少年に首を横に振ろうとして――先程の母とのやり取りを思い出した。
叱られているようで、子供扱いされているようで、少しも面白くなかった。どうせすぐバレるのだ、だから最後まで反抗してやろうと思った。
「……行く。連れてって!」
眉を上げてそんな事を口走った。少年は、今まで何度も誘いを断ってきたというのに急に乗り気になった自分の決意に気付いたのか、にんまりと共犯者のような笑みを深める。
「おーし、んじゃ行くか!」
それから約1週間、母の顔を見ない生活を初めて送った。
「ウィルは良い子だね」と両親の知り合いにも良く言われていた自分が、母の言いつけを破ったのはこの時くらいだ
「北部ノルウェーじゃトロムソの夏至祭が1番大きいんだ。本島は勿論本土のでも凄いぞ。焚き火も会場も大きいし、肉屋が宣伝でソーセージを振る舞ってくれたり、ピアノも用意されてて手続きを踏めば好きに弾ける。まっ晴れたらだけどなー」
寝床の準備を共にしながら、少年が教えてくれた。
聞いているだけで楽しそうな祭りなのに、母はどうして退屈だなんて言えるのだろう――そう思った時、そう言えば母が探しに来ない事に気が付いた。自分が山を下りた事に気付いていないわけがない。人間が近くに居るからだと当時は思っていたが、そうじゃなかった。
母はこの日、わざと退屈がる息子を町に行かせてくれたのだ。息を引き取る直前教えてくれた。
トロムソまでこっそり着いてきたのだとも言う。家に帰った時、窓枠に埃が積もっていた理由を知った。
そして。
夏至祭でとても大きな大きな出会いがあり、初めて恋をし、少女とある約束をしたのだ。
それからと言うものの、精霊魔法を使えるようになった自分の世界は一変した。
世界中の魔法使いと話せるようになり、寂しいと思う暇が無くなった。
あの時の少女の為に生きるようになった。少しでも役に立ちたくて、有名な音楽家のコンサートは聴いたし、色々な国の言語も勉強した。
一昨年母が、去年自分以外の最後の魔法使いが死んだ。悲しかったが不思議と寂しくはなかった。
何故かは分かっている、少女との約束があったからだ。
あの時の記憶。
それは彼女から消したので、彼女は自分の事を忘れているだろう。あの時の事はむしろ、忘れたままでいて欲しかった。
少女の隣に誰か居たって良い。少女は必ず決行するだろうから、自分はそれを手伝うだけで満足だった。
――でも。約束の日の前に顔だけでも見たくて。
「好きな子に精霊魔法でこっそり聞き耳を立てる男は腐ったチーズ以下」と、恨めしそうに父を見ながら言う母にキツく言われて育って来たので、今まで一度も彼女の様子は探っていないが、探し当てる時に使うくらいなら良いだろう。
あの時の少女に――アストリッドに早く会いたい。
そう思って約束の日の半年前、雪に閉ざされた山を下りたのだった。
コケモモのジャムを煮詰めながら、金髪の母親はそう笑って眉を下げる。魔法使いの杖は失くしても不思議と手元に戻ってくるが、確かにその間は何も出来ない。
「……嫌」
「でしょう。それにウィルはまだ精霊魔法が使えないんだから。そんな未熟な魔法使い、町になんて行かせられないわよ。長旅なんでしょう」
ノルウェーの夏至祭は退屈なんだし良いでしょ、と母は笑ってジャム作りに戻る。
「人体魔法は得意だよ? 精霊魔法も仕組みはわかってるし……」
母の言葉も、自分の未熟さも十分理解している。
でも、焚き火を囲んで思い思い過ごしているだけの祭りとは言え、夏至祭が退屈だなんてどうして母が決めるのだ。反抗心が芽生えたのもあり、むっと文句を垂れるように呟いていた。
「人体魔法だけ出来ても駄目。精霊魔法は条件があるから仕方無いわ」
「条件……恋をする事、かあ……」
なんで魔法を使うのにこんな変な条件があるのだろう、と目を伏せる。背を向けているのにそんな自分に気付いたらしく、クスリと母が笑うのが聞こえてきた。
「そ。精霊はロマンチストなの、彼女達は恋も知らない人間に応える事はしないのよ」
「恋ってどんな感じ? こんな生活してる僕でも出来ると思う?」
そんな条件、人と会う事の少ない自分には一生かかっても達成出来ない気がして、少し意地悪い言い方をしてしまった。
こんな環境だ。本当はもう、恋なんて諦めていると言うのに。
「思う」
――が、間髪入れず母が断言したので目を丸くする。こんなに強く言い切る母を見たのは久しぶりだ。
「でもね、恋は人に教わるものじゃない。いつの間にかしてるのが恋なのよ」
こちらを振り向きはしなかったが、力強い言葉は続いた。これだけ断言されると、あまりの力強さに叱られているような錯覚を覚える。
「お、お母さんの話、面白くないよ。サーミの子と遊んでくる……」
どう反応して良いか分からずしどろもどろになりながら返し、そそくさと家を後にした。
「ちょっとなによその言い草ー!」
扉を閉める直前、母の怒鳴り声が聞こえてくる。それもまた面白くなくて、無意識に唇を尖らせていた。
少し離れた高原で遊牧をしているサーミ人達は、何時会いに行っても自分を歓迎してくれた。白夜の季節、彼らは一層陽気になる。
「こんにちは」
だから今日も、トナカイの見張りをしている少し年上の少年に気兼ねなく話し掛ける。部落で毎年トロムソの夏至祭に行っているというこの少年が、町に興味がある自分を夏至祭に誘ってくれたのだ。
初夏の高原は青々しく、まだ春を残している為に柔らかい。色とりどりの花達もされるがまま風に吹かれていた。
「おーウィル。夏至祭どうするか決めたか? 前も言った通り4日は馬車の中だけど。連絡船には乗りたくないから本土のだけど」
すぐに笑顔で返してくる少年に首を横に振ろうとして――先程の母とのやり取りを思い出した。
叱られているようで、子供扱いされているようで、少しも面白くなかった。どうせすぐバレるのだ、だから最後まで反抗してやろうと思った。
「……行く。連れてって!」
眉を上げてそんな事を口走った。少年は、今まで何度も誘いを断ってきたというのに急に乗り気になった自分の決意に気付いたのか、にんまりと共犯者のような笑みを深める。
「おーし、んじゃ行くか!」
それから約1週間、母の顔を見ない生活を初めて送った。
「ウィルは良い子だね」と両親の知り合いにも良く言われていた自分が、母の言いつけを破ったのはこの時くらいだ
「北部ノルウェーじゃトロムソの夏至祭が1番大きいんだ。本島は勿論本土のでも凄いぞ。焚き火も会場も大きいし、肉屋が宣伝でソーセージを振る舞ってくれたり、ピアノも用意されてて手続きを踏めば好きに弾ける。まっ晴れたらだけどなー」
寝床の準備を共にしながら、少年が教えてくれた。
聞いているだけで楽しそうな祭りなのに、母はどうして退屈だなんて言えるのだろう――そう思った時、そう言えば母が探しに来ない事に気が付いた。自分が山を下りた事に気付いていないわけがない。人間が近くに居るからだと当時は思っていたが、そうじゃなかった。
母はこの日、わざと退屈がる息子を町に行かせてくれたのだ。息を引き取る直前教えてくれた。
トロムソまでこっそり着いてきたのだとも言う。家に帰った時、窓枠に埃が積もっていた理由を知った。
そして。
夏至祭でとても大きな大きな出会いがあり、初めて恋をし、少女とある約束をしたのだ。
それからと言うものの、精霊魔法を使えるようになった自分の世界は一変した。
世界中の魔法使いと話せるようになり、寂しいと思う暇が無くなった。
あの時の少女の為に生きるようになった。少しでも役に立ちたくて、有名な音楽家のコンサートは聴いたし、色々な国の言語も勉強した。
一昨年母が、去年自分以外の最後の魔法使いが死んだ。悲しかったが不思議と寂しくはなかった。
何故かは分かっている、少女との約束があったからだ。
あの時の記憶。
それは彼女から消したので、彼女は自分の事を忘れているだろう。あの時の事はむしろ、忘れたままでいて欲しかった。
少女の隣に誰か居たって良い。少女は必ず決行するだろうから、自分はそれを手伝うだけで満足だった。
――でも。約束の日の前に顔だけでも見たくて。
「好きな子に精霊魔法でこっそり聞き耳を立てる男は腐ったチーズ以下」と、恨めしそうに父を見ながら言う母にキツく言われて育って来たので、今まで一度も彼女の様子は探っていないが、探し当てる時に使うくらいなら良いだろう。
あの時の少女に――アストリッドに早く会いたい。
そう思って約束の日の半年前、雪に閉ざされた山を下りたのだった。
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