ルシフモートに安寧を

上津英

文字の大きさ
上 下
12 / 13

第12話 マンション

しおりを挟む
「この馬鹿皇子ッ!!」

 大きな声と、思いっ切り頬を殴った音が中庭いっぱいに響く。
 子供の姿だったのでそんなに力は出ないだろうと思っていたが、拳の勢いに乗って重心が崩れ、「うわっ」と地面に倒れ込んでしまった。シオンの血がぬめり、と握りこぶしを汚している。

「なっ……!?」

 血が塗り拡がった事により一層顔が汚れたシオンが、何が起きたか分からないとばかりに目を丸くして呆然としていた。

「黙るのはお前だ! 何が自分一人で大丈夫、だ! そんなんじゃ守れる物も守れないぞ! 絶対楽になるんだからもっと周囲を頼れよ! 誰かと一緒に守る事は負けなんかじゃないからな!?」

 堰を切ったように言葉が次々と出て来る。呆然とした表情で固まっているシオンに「言ってやったぞ」という気持ちが強まると、突然緊張の糸が切れた。

「今みたいな協力も、悪くない、だ……ろ……」

 地面にうつ伏せになっている時緊張の糸が切れると、当然のように眠気が襲って来る。太一さんも僕がキリエを使うと疲れるって言ってたっけ……。
 こいつの前で寝る危険性は、重たい瞼の前ではもう考えられなかった。

「この馬鹿、皇子っ……」

 最後にもう一度口を動かし吐き捨て、瞼を瞑っていた。
 意識が途絶える間際まで、呆然とした表情のシオンが珍しく何も言って来なかった。

***

 頬に残るジンとした痛みがあまりにも久しぶり――いや、初めてで。地面に突っ伏した夏樹が動かなくなった事に、シオンは暫く気付かなかった。
 風が吹いて血に濡れた頬に殊更冷たさを感じ、ようやく我に返れたくらいだ。
 夏樹の胸が微かに上下に動いている事を確認し、静まり返った中庭で収まらぬ頬の痛みをただ感じていた。青空を見上げながら考えるのは、夏樹の言葉だった。
 殴ってでもあんなにハッキリ、自分に言ってくる奴が居るなんて。

「……」

 次第に頬の痛みが薄れ、ようやく助手をこの場に呼び寄せる気分になった。
 突然ロビーにスーツ姿の男性が現れる。急に呼び出された助手は状況を把握しようと一瞬視線を巡らせた後、何も聞かずに深々と息をつき中庭まで移動してくる。

「皇子……いきなり呼ばないでくれよ……」

 太一の視線が夏樹に向けられ、息がある事を確認した後こちらを向く。

「夏樹君を殺さなくて良いのかい? 私は嬉しいが、今が絶好のチャンスだろうに」

 太一の言葉に何も返す事が出来なかった。
 黙っていると太一が目を細めて少し笑み立ち上がる。その表情に腹が立ったが、今はそれを咎める気にはなれなかった。
 代わりに訊いていたのは、先程からずっと思っていた事。

「なあ。…………俺は民を、他の奴を頼って良いと思うか?」

 自分の質問に太一が一瞬意外そうに瞬き、すやすやと眠っている夏樹に視線を落とす。

「思うよ。民と言わず、現地人だろうとね」

 穏やかに紡がれる助手の言葉が、今はストンと胸に落ちてきて、ふんっと鼻で笑い飛ばす。

「さてっ、私はギリギリまで車持って来るかな。終わったから呼んだんだろ?」

 そんな自分の気持ちに気付いたのかどうなのか太一は気持ちを切り替えるように言い、途中からは効率を重視してかインコになっていた。
 起きている人物が自分だけとなった今、改めて夏樹を見下ろす。

「ふん……っ」

 自分でも分かるくらいその視線には鋭さが無いと思いながら、午後を迎え段々風が暖かくなっていくのを感じていた。

***

「ん……」

 眩しい。
 瞼越しに伝わってくる目を刺す痛みに沈んでいた意識を無理矢理引きずりあげられ、僕は目を覚ました。
 頭はガンガン痛むし、体はガチガチ。それだけで自分が深く眠っていたと分かる。お腹も空いた。
 壁と同じ白色の真新しい天井に見覚えは無い。少ししてそれが彼らのマンションである事に思い至った。有り難い事にハンガーに黒いジャケットがかかってる。

『――』

 西日が眩しくて、今が夕方だと気付く。段々と脳もクリアになって、どこか遠くから英語が聞こえてきた。
 一瞬状況が理解出来なかったけど、少し遅れてBGMも流れてきて、誰かが洋画を観てるのだと気付く。ベッドボードに置かれている時計のカレンダーを見たら、あれから丸一日経っていた。
 何時までも寝ていられない。大学生に戻って部屋を出て、リビングのソファーで寝っ転がってタブレットで映画――やっぱり宇宙物――を観ている青年を見つけ思わず身構える。

「シオンッ」

 ウォーリーみたいな紅白ボーダースウェットの青年の名を呼ぶと、一瞬だけシオンはこちらを向いたもののすぐに液晶画面に視線を戻した。

「……安心しろ、もうお前を殺す気は無い。太一がお前に用意した作り置きがテーブルにあるから好きに食え。冷蔵庫の麦茶も好きに飲んでいい」

 タブレットから視線を外さずに、相変わらず不機嫌そうに言う。

「それってどういう……」

 お前を殺す気は無い。
 その言葉の真意をもう少し聞きたかったが、じっとタブレットを見ているシオンがこれ以上何か言う事は無さそうだった。
 なので一旦放置し、改めてテーブルの上を見る。そこにはたぬきおにぎり3個とポテトサラダ、フランクフルト3本と厚焼き玉子3切れが載った皿にラップが掛けられていた。皿の下に手紙があったので慌ててそれに目を通す。
 太一さんは日中仲間の部屋に事務仕事をしに行ってる事、食事は多かったら残してくれて構わない事、女装癖のあったシルフェは女になりたくて密航をし後日ルシフモートに引き渡されると言う事、そして今日は休みの皇子に敵意はもう無い事――それらが右上がりの読みやすい字で書かれていた。

 もう、敵意が無い?
 その言葉に僕は狐につままれた気持ちになっていた。
 が、液晶画面にしか興味が向いていない人物を見ていると確かに警戒しないでも良いような気がした。本人も一応言ってたし……。
 落ち着かなくはあるものの麦茶を用意して久しぶりの食事にありつく。
 大音量で再生されている洋画が、日本語しか分からない僕でも分かるくらいクライマックスを迎えている。
 しょっぱめの食事はちょっと多いかな、って思ったけど良く考えるとずっと食べてなかったので、寧ろ足りないくらいだった。
 最後のたぬきおにぎりが食べ終わったのと、タブレットの洋画が終わったのは同時だった。

「……シオン。怪我は、大丈夫か?」

 つい話しかけていたのは、心配だったのと、相手の真意が気になった為。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうぞご勝手になさってくださいまし

志波 連
恋愛
政略結婚とはいえ12歳の時から婚約関係にあるローレンティア王国皇太子アマデウスと、ルルーシア・メリディアン侯爵令嬢の仲はいたって上手くいっていた。 辛い教育にもよく耐え、あまり学園にも通学できないルルーシアだったが、幼馴染で親友の侯爵令嬢アリア・ロックスの励まされながら、なんとか最終学年を迎えた。 やっと皇太子妃教育にも目途が立ち、学園に通えるようになったある日、婚約者であるアマデウス皇太子とフロレンシア伯爵家の次女であるサマンサが恋仲であるという噂を耳にする。 アリアに付き添ってもらい、学園の裏庭に向かったルルーシアは二人が仲よくベンチに腰掛け、肩を寄せ合って一冊の本を仲よく見ている姿を目撃する。 風が運んできた「じゃあ今夜、いつものところで」という二人の会話にショックを受けたルルーシアは、早退して父親に訴えた。 しかし元々が政略結婚であるため、婚約の取り消しはできないという言葉に絶望する。 ルルーシアの邸を訪れた皇太子はサマンサを側妃として迎えると告げた。 ショックを受けたルルーシアだったが、家のために耐えることを決意し、皇太子妃となることを受け入れる。 ルルーシアだけを愛しているが、友人であるサマンサを助けたいアマデウスと、アマデウスに愛されていないと思い込んでいるルルーシアは盛大にすれ違っていく。 果たして不器用な二人に幸せな未来は訪れるのだろうか…… 他サイトでも公開しています。 R15は保険です。 表紙は写真ACより転載しています。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

異世界でダンジョンと過ごすことになりました

床間信生
ファンタジー
主人公の依田貴大(イダタカヒロ-26)は幼い頃より父と母の教え通りに真面目に生きてきた。 学問もスポーツも一生懸命挑んできただけあって、学生時代も優秀な成績をおさめ大学も一流大学を卒業後は一流企業に勤める毎日を送る。 ある日、自身の前で車に轢かれそうになる幼い少女を見つけた彼は、その性格から迷う事なく助ける事を決断した。 危険を承知で車道に飛び込んだ彼だったが、大した策も無いままに飛び込んだだけに彼女を助け出すどころか一緒に轢かれてしまう。 そのまま轢かれてしまった事で自分の人生もこれまでと思ったが、ふと気づくと見知らぬ世界に飛ばされていた。 最初は先程までの光景は夢なのではないかと疑った主人公だったが、近くには自分が助けようとした少女がいることと、自分の記憶から夢ではないと確信する。 他に何か手掛かりは無いかとあたりを見回すと、そこには一人の老人がいた。 恐る恐る話しかけてみると、老人は自分の事を神だと言って次々に不思議な事象を主人公に見せつけてくる。 とりあえず老人が普通の人間だと思えなくなった主人公は、自分の事を神だと言い張る老人の事を信じて、何故自分が今ここにいるのかをたずねて見たところ… どうやら神様のミスが原因で自分がここにいるというのが分かった。 納得がいかない主人公だったが、何やら元の世界へと生き返る方法もあると言うので、先ずはその老人の言う通り少女と三人で異世界に行く事を了承する。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~

モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎ 飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。 保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。 そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。 召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。 強制的に放り込まれた異世界。 知らない土地、知らない人、知らない世界。 不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。 そんなほのぼのとした物語。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

処理中です...