蒸気の中のエルキルス

上津英

文字の大きさ
上 下
39 / 48
第六章 不便な世界

1-38 「……なあ、お前このまま警察署帰る?」

しおりを挟む
第六章 不便な世界



 ノア・クリストフは今、イヴェットと二人で教会の前にいた。
 自分の様子を察してかクルトは、「一人で大丈夫」と己を鼓舞しながら教会に向かった。アンリに発信器を返すのと、電話を借りに行っている。

「ノアさん、クルトさんを待てなくて申し訳ないんだけど、あたし先教会に戻ってるね……クルトさんにお礼言っといて貰えるかな? 今日も有り難う御座いました、って」
「ん、分かった。僕の方こそ今日は有り難う。……嫌なもん見せちまったな、悪い」

 ううん、とイヴェットは首を横に振り、珍しく挨拶もそこそこに戻っていってしまった。立ち直りの早い少女も思うところがあったらしい。

「……お待たせ」

 自分もあれこれ考えていると、警察官の制服に着替えた黒髪の少年が戻ってきた。

「っとお帰り。イヴェットはさっき牧師館に戻ったよ。今日も有り難う、ってお前に伝えておいてってさ」
「えぇえっ……や、イヴェットが居てくれて助かったのはこっちなんだ、し、……良いのに、そんな、お礼とか」

 この場にイヴェットは居ないと言うのに、思った通りクルトは挙動がおかしくなった。その様子に目元を和らげた後、本題に入ろうと何時もより声を潜めた。

「……なあ、お前このまま警察署帰る?」

 自分の雰囲気が変わったからか、クルトも表情が固くなった。コクリと頷くクルトを見て、改めて拳を握る。

「ちょっと頼みたいことがあるんだ。遠回りになって悪いんだけど、ポピーに寄ってくれないか? 外で待ってて欲しいんだ」

 ガス灯の下、黒色の瞳がこちらを向いたので詳細を話す。

「それで鑑識? 科捜研? に回して欲しいもんがあるんだ。警察だったら設備も充実してるし簡単だろ? 頼んでいいか?」

 クルトは一度瞬き暫く自分をじっと見た後頷いた。
 サンキュ、と礼を言い橋へ向かう。ポピーに向かう間会話は無かったが、到着がやけに早く思えた。

「……悪ぃ。ちょっとそこで待っててくれ、すぐ戻る!」

 そう言い、合鍵を使って店の扉を開ける。家に行った方がグミはあるだろうが、ヴァージニアに勘繰られる可能性も高い。店にも持ってきているのを前見たので、だったらこっちのを拝借した方が早い。
 泥棒にでもなったような気分でカウンター周りを漁っていく。電気も点けなかった。
 調味料が置かれているシェルフ棚に探していた紙袋を見つけた。それを掌に乗せ、隠し持っていた紙袋も横に並べて月明かりの下見比べた。
 紙の色も、熊のプリントも、グミの色と大きさも同じだ。それでもまだこれが単なるグミで、偶然あそこにあった同じメーカーの市販品だという可能性は残っている。そうあって欲しかった。
 祈るような気持ちで、紙袋からグミを一粒とティッシュを一枚失敬した、その時。

「……ノア君? 帰って来たの?」
「っ!?」

 不意に連絡通路の扉からヴァージニアの声が聞こえ、心臓が口から飛び出すかと思うくらい驚いた。慌ててしゃがみ込み、キッチンの影に隠れる。
 万全を期して忍び込んだものの、扉の開閉音を察してやって来たのだろう。ここまで気配に敏感な人だとは思わなかった。
 手にしたグミをティッシュに包み、音を立てぬよう気を付けながらベストのポケットに忍ばせる。

「あら……? 誰も居ないの? ……」

 誰の姿も無かったら戻るだろう、と思ったが店長という立場にある人はそうもいかなかった。ペタリ、ペタリ、とサンダルの音をさせながら店内を歩き始める。気付かれるんじゃないかという不安と緊張が一気に高まった。
 住人が裏口から家に入らないだけでも変なのに、その上こうして隠れてる。不審がられる事間違いない。
 着実に足音が近付いてる中、どうか見つからないようにと信じていない神様に頼み込んだ。
 が。

「……ノア君? そんなところで何してるの?」

 神様は不敬者の頼みは聞かない主義のようで、すぐ頭上から声をかけられてしまった。頭の中がパニックになり、体のこわばりが抜けてくれなかった。

「でもノア君で良かった~……。泥棒だったらどうしよう、って心臓が張り裂けるかと思ったわ」

 自分の緊張に反してヴァージニアはいつも通りだった。その声に安心して、恐る恐る反応する。

「……あー、驚かせて悪ぃ」
「本当よ! そんなところで何してるの? 家じゃなくてお店だし」

 おずおずと立ち上がり、暗い室内モップを持っているヴァージニアに向き直る。

「あーっと……近くを通りかかったから、ちょっとお茶を。外で人、待たせてるから。店にしただけ」

 何とか言い訳を口に出来た。しかしそんな言い訳を信じて貰える訳もなく、「ふーん?」と睨まれ思わず後ずさる。

「見付かったら怒られると思って、つい。悪ぃ!」
「何で怒られると思ったのよ」

 完全に言葉に詰まった。たしかにヴァージニアの言う通りだ。これではやましい事があると言ってるものだ。

「いや、その、ほら」
「何よ、歯切れが悪いのね。あ~、もしかしてデート中だった? 昨日のあの子と?」

 昨日のようにこちらをからかいに来ているヴァージニアが目を細め、笑いながら外に面しているガラスに近寄る。

「っ、おい見んなよっ!」

 焦った。外で待っているのはクルトなのだ。
 警察が待っていたら、ヴァージニアが何を思うか分からない。

「あら……? あの子、たしか……。…………」

 だが静止も虚しくヴァージニアは外を見てしまった。しかも、外の人物が誰か気付いたようだった。
 ヴァージニアは急に黙ってしまった。それがとても怖い。
 店内を静寂が支配する。今ヴァージニアが何を考えているのか、そもそもこの間はどんな意味があるのか。何を言われるのかを思うと、怖くて堪らなかった。
 ヴァージニアは窓の外から不意に視線を外し、立ち尽くしている自分に向き直る。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

銀河英雄戦艦アトランテスノヴァ

マサノブ
SF
日本が地球の盟主となった世界に 宇宙から強力な侵略者が攻めてきた、 此は一隻の宇宙戦艦がやがて銀河の英雄戦艦と 呼ばれる迄の奇跡の物語である。

リ・ユニバース 〜もしニートの俺が変な島に漂流したら〜

佐藤さん
SF
引きこもりのニート青年・佐藤大輔は謎空間から目覚めると、どことも知らない孤島に漂着していた。 この島にはかつて生きていた野生生物が跋扈しているとんでもない島。これは新たな世界を舞台にした、ニート脱却物語だ。

死んだ一人の少女と死んだ一人の少年は幸せを知る。

タユタ
SF
これは私が中学生の頃、初めて書いた小説なので日本語もおかしければ内容もよく分からない所が多く至らない点ばかりですが、どうぞ読んでみてください。あなたの考えに少しでもアイデアを足せますように。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

処理中です...