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第一章 エルキルスの人々
1-8 「……はっ?」
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「……良いんか。まっ、僕も楽しみにしてるわ。んじゃそろそろ帰るよ」
すんなり受け入れられ小さく笑う。そろそろ帰らないとヴァージニアが心配するだろう。
「うん、本当にわざわざ有り難う。ノアさんは男の子だから大丈夫だと思うけど、帰り道は気を付けてね!」
「ああ、じゃあな」
手を振られノアも手を振り返し、白色のタイルが敷き詰められた道を戻る
思っていた以上にユスティンは嫌な奴だったが、イヴェットは喜んでくれたし、自分も気持ちが良かった。あの時、届けると決意して正解だった。
川沿いの道を歩きながら、ノアは今誇らしい気持ちだった。
***
エルキルス警察署に戻るには、中央公園を半周回ったところにある道から、橋を渡る必要がある。
その為、リチェ・ヴィーティはガス灯の下を不安そうに歩く女性達に目を向けながら、無表情の後輩と歩いていた。クルトは公園の中央で炊き出しの準備が進められている様子をチラチラと見ていた。ランタンのおかげで、テントの周りは明るい。
「クルト、初めて見るなら見学しておいて損は無いぞ。ついでにここでも聞き込みするか?」
炊き出しを興味深そうに見ている後輩に提案する。設営も済み調理に移っているスタッフも見られる。じゃあ、と後輩は頷いた。
「んじゃ行くかー」
芝生の上に足を踏み入れる。
エルキルス中央公園は子供達から腰の曲がった層にも愛されており、清掃ロボットが動き回り蒸気時計もある事から敷地が大きい。が、今は炊き出しの関係者やカレーを待っている人しか利用していないようだった。
「あー、腹減ったし俺も刑事課の分貰って署に持って帰るかなぁ」
余ったら他の課にやればいいし、と付け加えて笑うと、クルトが頷いた。署に泊まる状況が続き手作りの食事に飢えている連中が多い中、果たして余るだろうか。
まずは聞き込みだ。ここには色々な視点が集まっている。だが、後輩と色々な人に話を聞いていくものの、実になりそうな情報は得られなかった。
そうこうしてる内にカレーの配布も始まり、並ぶか、と後輩を促した瞬間、耳にある声が届いた。
「アンリ遅いぞ!」
「ごめん寝坊した! 盛り付け俺がするから!」
聞き覚えのある名前に思わず振り返ると、焦げ茶色の髪に黒色の作業服を着て息を切らしている青年と目が合った。
「あ……、あの時の刑事さん。こんばんは」
挨拶をしながら、アンリは慣れた様子で木箱に入っている紙皿の袋を取り出す。
「こんばんはー覚えていてくれてたんだな」
「職質されたの初めてでしたし、刑事さんの髪色珍しいから」
そう言われ、見えないと分かっていても思わず視線を上に持ち上げた。自分の髪は色が薄すぎる金髪だ。だが、一見白髪に見えるらしいので確かに珍しい。
「公園で何か事件でもありました?」
炊かれたばかりの白米をよそいながらアンリは聞いてくる。クルトが「良い匂い」と呟くのが聞こえた。反応の薄いこの後輩を反応させてしまう程、炊きたての白米の匂いは胃に訴えてくる物がある。
「いやー、ないけど。ちょっと寄っただけで、もう帰ろうかと思ってたところ。あ、その前に署に持って帰りたいから、カレー十個貰えるか?」
「……多っ。勿論いいですよ。ちょっと待ってくださいね」
個数を聞いて小さく呟いた後、アンリは蓋つきの紙皿の準備を始める。その後ろ姿を見ながら待っていると、後輩が「ねえ」と声を掛けてきた。視線を後輩に向け、どうした? と聞き返す。
「この人には聞かないの。……事件のこと」
そうだ、と思い出す。アンリは教会の人間だ。今までのどの視点とも違う情報になり得る。
「あっ、なあ、このポスターに載ってる人、誰か一人でも知ってるか?」
紙皿に白米をよそっているアンリに話し掛け、手に持ったポスターを広げて見せた。アンリは作業の手を止めポスターに視線を向ける。んーっと唸った後、口を開く。
「この子は見たことあるような、ないような……ごめんなさい、他は全員知りません」
アンリはそう言い眉を下げ、再び手を動かす。
「いやいや。見たことあるって子、どこで会ったか教えて貰っても? 教会?」
「ん? んー、どこだったかなあ、教会……じゃないな。一応事務なので、礼拝に来る人の顔は覚えていますから。この子は礼拝に来てません。俺工業区でバイトもやってますし、今みたいにあちこちのボランティアもやってるから、すみませんが分からないですね」
そうか、と頷くと「有り難う」と後輩に小さく礼を言われる。
「はい、カレー十個用意しましたよ。端で詰めて貰ってていいですか?」
紙袋を渡される。見ると机上にカレーが入った紙皿が十個、所狭しと並べられていた。アンリはリチェ達の後ろに並んでいた男性の分を作り始めていて、こちらに視線を向けることはもう無かった。
言われた通り端にずれ、貰った紙袋にカレーを詰めていく。この作業は大雑把な自分ではなくクルトにやって貰うことにした。
待っている間、指先で己のズボンを引っ掻きながら周囲に視線を巡らせる。公園内にはその場でカレーを食べている人が大勢おり、列に並んでいる人も絶えない。
列の中に一人、女性がいた。
こんな時間に危ないな、と思ったが顔を見て納得する。
あの金髪の女性は、先程行った喫茶店の女店長だ。目が悪くとも間違えない自信がある。すぐ近くに店があるなら公園に来てても不思議はない。先程よりも疲れているように見えたので、カレーを貰いたくなる気持ちも分かった。
「出来たよ」
クルトの声が聞こえ顔をそちらに向ける。渡された時は葉っぱのように薄かった紙袋が、今はぱんぱんに膨らんでいて存在感があった。
「サンキュー。ははっ、凄い重そうだな、俺が持つよ。じゃ、帰るか!」
重みのある紙袋を抱え、リチェは芝生の上を進んだ。視界の半分が紙袋で隠れているので前が見えにくい。つまずいて怪我しないようにしなきゃな、と思った。
***
気分が良いので、ノア・クリストフは少しだけ遠回りをしてポピーに戻ることにした。
夜空の下、一秒でも長く「いいことをした」という気持ちを味わっていたかったのだ。今夜の夢はきっと楽しい物になる。
来た時とは違う、川沿いの道から一本住宅街に入った道を行くことにした。住宅と住宅の間の、路地と呼ぶには窮屈な人一人が通れる程の道だ。
地元を把握しておきたいという気持ちもあり、ノアは路地を歩くことが好きなので地理には自信があった。両隣の民家は人が居ないのか、どちらも明かりが点いていない。
その時、路地を抜けた先にある通りを、会社帰りと思しき女性が歩いているのが見えた。
セミロングの髪が似合っている、黒色のロングスカートを履いた若い女性だ。その女性が居る通りを、一つの箱馬車が走ってきた。
ふと気が付いた。
箱馬車の扉が開いているのだ。そこに一人、帽子を深く被った体格のいい男性が立っているのだ。
様子がおかしい。そう思った矢先。
箱馬車に居る男性がすれ違いざまに女性の口をハンカチで塞ぎ、革手袋を嵌めた手で馬車に引きずり込んでいった。鳥が獲物を捕まえる時のように一瞬だった。馬車の扉は何事もなかったかのようにパシャリと閉められ、ノアの前を横断していく。
一瞬だった。暖炉に火を付ける方が時間が掛かるだろう。それだけにノアは、今目の前で起きたことを処理しきれずにいた。
「……はっ?」
これは連続連れ去り事件ではないのか。そう認識すると、心臓が大きな音を立て出す。とんでもない物を目撃してしまった。
女性が歩いていた通りに飛び出る。暗い道には自分以外誰もいなかった。女性を連れ去った馬車がどこに消えたのか分からないが、自分は確かに目撃した。
――動きましょうよ。
どうしてか、こんな時にユスティンの声が聞こえた気がした。
すんなり受け入れられ小さく笑う。そろそろ帰らないとヴァージニアが心配するだろう。
「うん、本当にわざわざ有り難う。ノアさんは男の子だから大丈夫だと思うけど、帰り道は気を付けてね!」
「ああ、じゃあな」
手を振られノアも手を振り返し、白色のタイルが敷き詰められた道を戻る
思っていた以上にユスティンは嫌な奴だったが、イヴェットは喜んでくれたし、自分も気持ちが良かった。あの時、届けると決意して正解だった。
川沿いの道を歩きながら、ノアは今誇らしい気持ちだった。
***
エルキルス警察署に戻るには、中央公園を半周回ったところにある道から、橋を渡る必要がある。
その為、リチェ・ヴィーティはガス灯の下を不安そうに歩く女性達に目を向けながら、無表情の後輩と歩いていた。クルトは公園の中央で炊き出しの準備が進められている様子をチラチラと見ていた。ランタンのおかげで、テントの周りは明るい。
「クルト、初めて見るなら見学しておいて損は無いぞ。ついでにここでも聞き込みするか?」
炊き出しを興味深そうに見ている後輩に提案する。設営も済み調理に移っているスタッフも見られる。じゃあ、と後輩は頷いた。
「んじゃ行くかー」
芝生の上に足を踏み入れる。
エルキルス中央公園は子供達から腰の曲がった層にも愛されており、清掃ロボットが動き回り蒸気時計もある事から敷地が大きい。が、今は炊き出しの関係者やカレーを待っている人しか利用していないようだった。
「あー、腹減ったし俺も刑事課の分貰って署に持って帰るかなぁ」
余ったら他の課にやればいいし、と付け加えて笑うと、クルトが頷いた。署に泊まる状況が続き手作りの食事に飢えている連中が多い中、果たして余るだろうか。
まずは聞き込みだ。ここには色々な視点が集まっている。だが、後輩と色々な人に話を聞いていくものの、実になりそうな情報は得られなかった。
そうこうしてる内にカレーの配布も始まり、並ぶか、と後輩を促した瞬間、耳にある声が届いた。
「アンリ遅いぞ!」
「ごめん寝坊した! 盛り付け俺がするから!」
聞き覚えのある名前に思わず振り返ると、焦げ茶色の髪に黒色の作業服を着て息を切らしている青年と目が合った。
「あ……、あの時の刑事さん。こんばんは」
挨拶をしながら、アンリは慣れた様子で木箱に入っている紙皿の袋を取り出す。
「こんばんはー覚えていてくれてたんだな」
「職質されたの初めてでしたし、刑事さんの髪色珍しいから」
そう言われ、見えないと分かっていても思わず視線を上に持ち上げた。自分の髪は色が薄すぎる金髪だ。だが、一見白髪に見えるらしいので確かに珍しい。
「公園で何か事件でもありました?」
炊かれたばかりの白米をよそいながらアンリは聞いてくる。クルトが「良い匂い」と呟くのが聞こえた。反応の薄いこの後輩を反応させてしまう程、炊きたての白米の匂いは胃に訴えてくる物がある。
「いやー、ないけど。ちょっと寄っただけで、もう帰ろうかと思ってたところ。あ、その前に署に持って帰りたいから、カレー十個貰えるか?」
「……多っ。勿論いいですよ。ちょっと待ってくださいね」
個数を聞いて小さく呟いた後、アンリは蓋つきの紙皿の準備を始める。その後ろ姿を見ながら待っていると、後輩が「ねえ」と声を掛けてきた。視線を後輩に向け、どうした? と聞き返す。
「この人には聞かないの。……事件のこと」
そうだ、と思い出す。アンリは教会の人間だ。今までのどの視点とも違う情報になり得る。
「あっ、なあ、このポスターに載ってる人、誰か一人でも知ってるか?」
紙皿に白米をよそっているアンリに話し掛け、手に持ったポスターを広げて見せた。アンリは作業の手を止めポスターに視線を向ける。んーっと唸った後、口を開く。
「この子は見たことあるような、ないような……ごめんなさい、他は全員知りません」
アンリはそう言い眉を下げ、再び手を動かす。
「いやいや。見たことあるって子、どこで会ったか教えて貰っても? 教会?」
「ん? んー、どこだったかなあ、教会……じゃないな。一応事務なので、礼拝に来る人の顔は覚えていますから。この子は礼拝に来てません。俺工業区でバイトもやってますし、今みたいにあちこちのボランティアもやってるから、すみませんが分からないですね」
そうか、と頷くと「有り難う」と後輩に小さく礼を言われる。
「はい、カレー十個用意しましたよ。端で詰めて貰ってていいですか?」
紙袋を渡される。見ると机上にカレーが入った紙皿が十個、所狭しと並べられていた。アンリはリチェ達の後ろに並んでいた男性の分を作り始めていて、こちらに視線を向けることはもう無かった。
言われた通り端にずれ、貰った紙袋にカレーを詰めていく。この作業は大雑把な自分ではなくクルトにやって貰うことにした。
待っている間、指先で己のズボンを引っ掻きながら周囲に視線を巡らせる。公園内にはその場でカレーを食べている人が大勢おり、列に並んでいる人も絶えない。
列の中に一人、女性がいた。
こんな時間に危ないな、と思ったが顔を見て納得する。
あの金髪の女性は、先程行った喫茶店の女店長だ。目が悪くとも間違えない自信がある。すぐ近くに店があるなら公園に来てても不思議はない。先程よりも疲れているように見えたので、カレーを貰いたくなる気持ちも分かった。
「出来たよ」
クルトの声が聞こえ顔をそちらに向ける。渡された時は葉っぱのように薄かった紙袋が、今はぱんぱんに膨らんでいて存在感があった。
「サンキュー。ははっ、凄い重そうだな、俺が持つよ。じゃ、帰るか!」
重みのある紙袋を抱え、リチェは芝生の上を進んだ。視界の半分が紙袋で隠れているので前が見えにくい。つまずいて怪我しないようにしなきゃな、と思った。
***
気分が良いので、ノア・クリストフは少しだけ遠回りをしてポピーに戻ることにした。
夜空の下、一秒でも長く「いいことをした」という気持ちを味わっていたかったのだ。今夜の夢はきっと楽しい物になる。
来た時とは違う、川沿いの道から一本住宅街に入った道を行くことにした。住宅と住宅の間の、路地と呼ぶには窮屈な人一人が通れる程の道だ。
地元を把握しておきたいという気持ちもあり、ノアは路地を歩くことが好きなので地理には自信があった。両隣の民家は人が居ないのか、どちらも明かりが点いていない。
その時、路地を抜けた先にある通りを、会社帰りと思しき女性が歩いているのが見えた。
セミロングの髪が似合っている、黒色のロングスカートを履いた若い女性だ。その女性が居る通りを、一つの箱馬車が走ってきた。
ふと気が付いた。
箱馬車の扉が開いているのだ。そこに一人、帽子を深く被った体格のいい男性が立っているのだ。
様子がおかしい。そう思った矢先。
箱馬車に居る男性がすれ違いざまに女性の口をハンカチで塞ぎ、革手袋を嵌めた手で馬車に引きずり込んでいった。鳥が獲物を捕まえる時のように一瞬だった。馬車の扉は何事もなかったかのようにパシャリと閉められ、ノアの前を横断していく。
一瞬だった。暖炉に火を付ける方が時間が掛かるだろう。それだけにノアは、今目の前で起きたことを処理しきれずにいた。
「……はっ?」
これは連続連れ去り事件ではないのか。そう認識すると、心臓が大きな音を立て出す。とんでもない物を目撃してしまった。
女性が歩いていた通りに飛び出る。暗い道には自分以外誰もいなかった。女性を連れ去った馬車がどこに消えたのか分からないが、自分は確かに目撃した。
――動きましょうよ。
どうしてか、こんな時にユスティンの声が聞こえた気がした。
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