ダーナの館

上津英

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見つけた仕事(前)

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『お母さんへ。
 私今、これを城下町デアドラの宿屋で書いています。そう、今日デアドラに到着したの!
 仕事を探す前にちょっと街を歩いてみたの。さすがデアドラといった感じ、村とは比べ物にならないくらい賑やか。お母さんが住みたがってただけあって、とてもいい所だね。私も気に入っちゃった。
 通りにはデアドラ名物の路上芸人達がいて、いつも誰かの笑い声が聞こえてくるんだ。 本を読むしか暇が潰せなかったあの小さな村とは大違い。

 だけどそんなデアドラにも事件はあるものだね。女の人だけが誘拐される事件がここ数年続いてるんだって。
 私も宿屋の女将さんから「女一人で出稼ぎに来たんなら気をつけなさい」って言われたよ……。本当に気をつけないと。お母さんの治療費を稼ぐためにデアドラに来たんだから、私が誘拐されたら笑えないもんね。
 それじゃあ仕事が決まったらまた手紙を書くよ。ううん、毎日書く。
 またね、お母さん。お大事に。
 ナタリアより』


 手紙を郵便局員に預け、ナタリアは仕事を探そうと午後過ぎのデアドラを歩き始めた。
 デアドラで得られる仕事なら村のどんな仕事よりも高給だ。
 単に都会と田舎だからという大きな違いもある。
 加えてナタリアの場合、父親が村長を殺害した日から村の人が腫れ物に触るように接してきて、カウンターに立とう物ならみなに避けられてしまい疫病神扱いされるようになってしまったからだ。
 小さな村でこういうことが起きると居心地が悪くなり、村の人間に裏切られたようだった。逃げられるものなら逃げたいくらいだ。

 そんな排他的な村に肺の病気を患ってしまった母親を残してくるのは、治療費を稼ぐために仕方ないとはいえ心辛かった。あの村から出れるお金も貯められたらよかったが、田舎から出てきた小娘にそんな大金が稼げるわけがない。

 一番見つかりやすそうな接客の仕事を探そうと、ナタリアは店の前の貼り紙に目を通していく。
 従業員募集の貼り紙を求め、蟹のように横へ横へ移動しながらいくつもの店の貼り紙に目を通していく。従業員を募集しているところはあるにはあるが、どれも調理経験者募集で歯痒い思いをした。自分も少しは料理ができるが、人に出せる程のものではない。

 憲兵の頓所らしい建物の貼り紙にも一応目を通してみたが、従業員の募集ではなく「誘拐事件の有益な情報を提供した人には城から高額な賞金が出る」という旨の貼り紙だった。
 女将も言っていた誘拐事件のことだろう。影響力の強さに改めて身を引き締めると共に、こういうことでお金が貰えることに羨ましさを覚え、思わず深い深いため息をついていた。

「あの……」

 貼り紙を見ているとふと後ろから声をかけられナタリアは振り返った。
 そこには女性が立っていた。
 ふわりとした赤色の髪の毛はふくよかな胸まで伸びており、大きな若葉色の瞳を長い睫毛が守っている。線の細さも手伝い、絵画から抜け出てきたような印象を受ける背の高い女性だった。

 美人な人だと、ナタリアは声をかけられたことも忘れてしばらく女性に見入ってしまった。絹のストールや指輪のきらびやかな宝石から、上流階級の華やかな人なんだろうと思った。
 同時に自分が恥ずかしくなり肩を縮こませる。飾り気といえば母親から貰った髪飾りなだけの自分がいたたまれなくなってきたからだ。
 こんな綺麗な人が自分に何の用があるというのだろうか。

「私ダーナと言う者です。……あなた仕事を探してますの? さっきから熱心に貼り紙を見ているようでしたので」

 柔らかい声と口調に思わず背筋を伸ばし女性に向き直る。

「は、はい。私地方からデアドラに出稼ぎにきたばかりなので」
「まあ……そうなんですか。実は私の館、ちょうど住み込みの家政婦を探してましたの。あなた、詳しい話を聞く気はないでしょうか?」

 目を見張った。
 住み込みの仕事。この上ない好条件の話が幸運にも舞い込んできたのだ。こんなに良い話はどこの貼り紙にも書かれていないだろう。
 興奮気味に返していた。

「えっ。私でいいんですか?」

 ナタリアが尋ねると、微笑を浮かべた女性がこくりと頷く。

「もちろんですわ、そうでもなかったら直接声なんて掛けません。今から家を見に来ませんこと? それと私のことはダーナと呼んでくださいな。呼び捨てで構いません、これから一緒に住む仲になるかもしれませんし。ふふ、妹ができたみたい。さ、こっちですわ」
「……はい、ダーナ! あ、私のこともナタリアと呼んでください」

 ナタリアはダーナに向かってにっこりと笑いかけ、ぶんっと首を縦に振って頷いた。
 こんな簡単に好条件の仕事が見つかるとは思わなかった。都会は違うな、とナタリアは一人感心していた。


 ダーナに着いて入った先は路地裏だった。
 デアドラの路地裏は大通りよりもずっと静かで人通りも少ない。ぽつぽつと並んでいる店も、仕立て屋や楽器屋など大通りよりも落ち着きがある。
 通りを歩いている人物に「署名をお願いしまーす」と声をかけている青年がいたが、こんなに人通りのない場所で署名を集めるのは効率が悪いと思う。通りにも署名を集めている団体がいたので、彼は貧乏くじを引かされここの担当になってしまったのだろう。

「ここですわ」

 その声に立ち止まり、ナタリアは視線を上げ、ダーナに案内された建物を映した。
 思った通り貴族の館に連れてこられた。大きいが古びた館だった。館を囲んでいる柵には雑草が蔓を這わせており、館を構築している石材もどこかくたびれて見えた。
 華やかなダーナの印象とは異なるだらしない館が意外で、思わずダーナの顔に視線を向ける。

「掃除や整備が苦手なものでして……自分が使っている場所以外放っていましたら、このようになってしまいました……だから家政婦を探していたのですが」

 はにかみながらそう告げダーナは鉄柵を押し開く。辺りにギギギ……という鈍い音が響いた。
 あはは、とダーナに見えない位置で苦笑いを零し、それでもどこか親近感を抱きながらナタリアは館内に足を踏み入れた。


 館内は広かった。
 館の窓から差し込んでくる昼の明かりはどこか頼りない。

「では一階から見ていきましょう。まずは食堂から……」

 ガチャリと背中から鈍い音がし、玄関を閉め歩きだしたダーナの後を歩く。大きな廊下にちょっとしたホール、それに奥に大きな部屋が一つという不思議な間取りだった。

「ここが食堂ですわ」

 そう言いダーナは一階で唯一の部屋の前に立った。

「大きい食堂。というか、一階ってここしか部屋がないような……?」
「はい、そうしたかったものですから」

 はあ、とあまりよく判っていないながらも相槌を打つとダーナが食堂の扉を開いた。
 開いた扉からむわっと腐敗臭がし、なぜ館にこのような臭いがするのだと不思議に思った。ナタリアは顔を上げる。
 明るい緑色をしているそれは、食堂の中央に存在していた。
 獰猛な熊よりも大きな二枚の緑色の葉を天井に向けているそれは縦にも横にも巨大で、牙のように鋭く伸びた無数の棘が葉の周囲を縁取っている。ちらりと見えた葉の表側は口内のように赤く、南の大陸にいるという鰐を連想させた。

 これはなんだろう。分からない。
 だが、これはまずい。
 物語の挿絵にある怪物の方がまだ可愛いと思える奇妙な物体を前に、ナタリアの頭は考えるということを放棄していた。鳥肌が止まらない。

「っ!」

 気付けばナタリアは廊下に向かって走り出していた。食堂からふふ、と機嫌良く笑うダーナの声が聞こえてきた気がした。
 食堂から玄関まではそんなに離れていない。それでも息を切らして玄関に向かい、館に入ってきた扉から出ようと試みる。
 全体重を乗せて扉を開けようとしたがどうしてか開かなかった。ウンとも寸とも言わない扉を前に、なにか突っ掛かっているのかと疑問が湧き上がる。

「その扉は開かないように特別な仕掛けを施しておりますのよ」

 後方から歌うように軽やかな声が聞こえてくる。その声を聞いた瞬間ごくりと唾を飲み込んでいた。そういえば先程鈍い音がしていた。

「実は私食虫植物が好きで、財産を投げ打ちながらあの食虫植物を育ててますの。ちょっと大きくなりすぎてしまいましたが、それも可愛いでしょう? ……でもあの子よく食べますの。普段はチーズをあげておりますがそれじゃあ栄養が足りないみたいなんです。やっぱり生き物かと兎や猪とか色々試してみたのですが、人間が一番栄養価が高いと気付きまして」

 扉が開かないと分かり、ナタリアはゆっくりと振り返る。ホールの隅にいるダーナとの距離はあるのに、話しかけられる度に鼓膜が震えた。
 先程見た物。あれは巨大な食中植物のようだ。村で読んだ本に食中植物のことが載ってあったことが思い出す。
 食中植物。
 南の大陸に生息している植物のことだ。
 なにかに触れると反射的に葉が閉じる奇妙な性質を持っており、その性質を利用して虫を捕食し、葉から出る消化液でじっくりと日にちをかけ挟んだ獲物の養分を吸収していくとあった。
 この大陸では珍しい植物だが、愛好家の間では高値で取引されていると聞く。ダーナは客の一人だったんだろう。
 どうやら自分はとんでもない館に招き入れられたらしい。おそらく、あれの餌として。
 好条件の仕事を持ち掛けられ食いついた自分を呪いたい。品のよさそうな同性や、親近感を抱くところに騙されてしまった。

「……私をあれに食べさせる気?」
「はい。あの子は充分な養分を取ると綺麗な花を咲かせますので……私、定期的に街に出ては女性を誘拐してましたの。おかげで誘拐事件なんて騒がれてしまいまして……、これからはデアドラを訪れてきた人から探すことにしましたの。その方が騒がれないと思って」

 花が咲いたところを思い出しているのか、ダーナは王子から求愛されることを夢見る少女のように恍惚の表情を浮かべ、一人で話し始める。
 その表情を見て思った。ダーナはおかしくなっている。あの気色の悪い植物に魅了されている、と。

「だからお願いです。あの子のために食べられてくださらない?」

 おやつのおねだりでもするように女性はあどけなく笑い、こちらに近寄ってきた。その手にはなにも持っていなかったが、一歩ずつ確実に近寄ってくるのが怖かった。ダーナの後ろにはなにかがあるような気がして仕方ない。
 ナタリアはダーナと距離を開けようと壁に沿って逃げていく。もし自分が屈強な男ならダーナに襲いかかれるだろう。しかし自分は女で、ダーナよりも背が低い。ダーナに襲いかかったところで返り討ちに遭うに決まっていた。そしてあの食虫植物の栄養になるのだろう。

「……っ」

 もし自分がここで命を落としてしまったら、村に残してきた母親はどうなってしまうだろう。あんな息苦しい村で一人になってしまうのだろうか。
 ……逃げねば、と心に決めナタリアは唇を噛み締めて自分に渇を飛ばす。
 ちょうど近くに二階へ続く階段があった。二階の部屋の窓から庭の芝に飛び降りたら逃げられるだろう。ナタリアはどたどたと音を立てて階段を上がる。

「あら」

 ホールからどこか呑気な声が聞こえてきたが、構っている余裕なんてなかった。
 はあはあと息を切らしながら二階に上がり、近くに部屋はないかとガバッと顔を上げる。ホールから出たすぐ先に扉を見つけ、迷いこんだ洞窟で光を見付けた人間のように手を伸ばしながら駆け寄った。
 ドアノブに手をかけ、勢いよく部屋の中に入る。
 と、ナタリアはあるはずの床がないことに気が付き、体が下に落ちる感覚に襲われた。
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