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第4章 さん・さんプラザの体育館
第18話 「おっし。鴻野君どこさい行くと?」
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言うなり尚也をつれて志摩子は廊下を進んでいく。黒いブラウスを着た背中を見ながら、どこか唖然としている自分が居た。
「イケメンすぎんお母さん……?」
こっそり会計を済ませているなんて少女漫画の世界だと思っていたし、まさか自分がされる事になるとは思っていなかった。
「イケメンすぎんお母さん……?」
大事な事だとばかりに二回呟いた後、気を抜けば赤らんでしまいそうになる頬を堪えながら、歩も駐車場へと向かった。
そうと決まれば、交通法に抵触しないよう努めながらも急いでおおぞらに戻った。
怖かったのと時間が勿体なかったのもあり、小百合には連絡をしなかった。午後の仕事をサボってしまう事になるのだ、あのクールな所長は絶対怒るだろう。仕事は優先しろ、とも釘を刺されていた。
さすがにクビは飛ばないだろうが、法人に報告され減給はされるかもしれない。そうなったら両親への仕送りも家賃にも痛手すぎる。
来月は推し活が滞るかもしれないし、オフ会にも参加出来ないかもしれない。外食は勿論、高めのカレーもあんまり食べられないだろう。
けれども。
尚也に笑って欲しい、という自分の判断は間違っていないはずだ。
「とと……っ」
公園の多い大井町に戻りおおぞらの駐車場に車を入れた。
時刻は十四時過ぎ。車のドアを開けた途端熱気が肌にまとわり付き、間髪入れずに蝉のリサイタルも聞こえてきて一気に夏を感じた。
おおぞらの中に入る時間も惜しくて駐車場から直接事務所の窓をドンドンッ! と叩いた。
何にも事情を知らない人が見たら、自分はすっかり頭まで茹だってしまった変質者だろう。こちらに気付いた小百合が、一瞬痴漢でも見たかのように頬を強張らせたので余計思う。
ショートカットの女性はこちらに近寄って来て、窓を開けてくれた。
「変質者君、どうし――」
「藤沢さん俺鴻野君と居るけん送迎出れんくなったごめんっ! スマイリング・プリンスよ! やから宜しくたいっ!」
それだけ伝えると窓枠に鍵を置いて駐輪場に走っていく。視界の隅で目を丸めている小百合が僅かに映り、走り出した自分に合わせて消えていった。
「えっちょっどういう事!? ちょっ、こら! さこがわぁーっ!!」
後方から小百合の声が聞こえる。その声を無視して駐輪場に滑り込み、黒い車体に赤いラインの入った原付バイクを動かした。
こんなに暑いと少し走っただけで額を汗が伝う。普段なら鬱陶しいとすぐ拭うそれも、今は拭わずにさん・さんプラザへと向かった。
熱せられたお好み焼きの上で踊る鰹節の気持ちを味わいながら、南区にあるシンプルな建物に向かった。
西鉄天神大牟田線高宮駅から若干歩くその施設は、平日の昼間だからか利用者も少ないように感じる。『福岡市立障がい者スポーツセンター』と書かれた玄関に入ると、正面には車椅子に乗った紺色のTシャツを着た少年と、ミディアムヘアの黒いブラウスを着た女性の姿があった。どうやらあちらの方が早かったようだ。
「すみません、お待たせ致しました!」
「いえいえ、私達も本当に今着いたばかりでして……」
「車椅子の積み下ろしって結構時間掛かるし」
ぼそりと。志摩子の言葉を補足するように尚也が呟いた。夏祭りの開始を待つ子供のような表情を浮かべている。
「では佐古川さん、尚也の事お願い致します。この巾着袋の中に障害者手帳と、先生に作って貰ったラミネート加工のメニューが入っています。それで尚也のスマホから電話を頂けたら迎えに行きますので……宜しくお願い致します」
「はい。帰りはこちらこそ宜しくお願い致しますー」
黄色い巾着袋を受け取り頭を下げ、彼女が開けた自動ドアが閉まるまでその後ろ姿を見送った。扉が閉まると、まず受付に行った。黒髪を揺らしながら尚也がこちらを見上げて来る。
言いたい事が尚也の瞳の輝きだけで分かり、クスリと笑う。車椅子を持ちながら少年に話しかけた。
「鴻野君、まずは受付せんと駄目ばいよー」
「……分かってますよ」
唇を尖らせる尚也が面白くて肩を揺らしながら受付に向かった。
尚也の事を弟……と言うには年齢的に厚かましい物があるかもしれないが、もし弟が居たのならきっとこんな感じなのだろうと思った。それに、尚也がすっかり明るくなってくれた事もただただ嬉しかった。
が、こんなにも感情豊かな少年がどうしてあんな態度だったのか? という疑問は消えない。
受付で障害者手帳を見せ、拝見した証として尚也の手首に入院患者識別バンドと良く似た物を巻き付けて、受付を済ませた。帰る時にこのバンドを返して下さい、との事だ。
「おっし。鴻野君どこさい行くと?」
「体育館! 体育館に行ってバスケットボールに触りたいです」
「ういー」
希望通り一階にある体育館に向かう。
「イケメンすぎんお母さん……?」
こっそり会計を済ませているなんて少女漫画の世界だと思っていたし、まさか自分がされる事になるとは思っていなかった。
「イケメンすぎんお母さん……?」
大事な事だとばかりに二回呟いた後、気を抜けば赤らんでしまいそうになる頬を堪えながら、歩も駐車場へと向かった。
そうと決まれば、交通法に抵触しないよう努めながらも急いでおおぞらに戻った。
怖かったのと時間が勿体なかったのもあり、小百合には連絡をしなかった。午後の仕事をサボってしまう事になるのだ、あのクールな所長は絶対怒るだろう。仕事は優先しろ、とも釘を刺されていた。
さすがにクビは飛ばないだろうが、法人に報告され減給はされるかもしれない。そうなったら両親への仕送りも家賃にも痛手すぎる。
来月は推し活が滞るかもしれないし、オフ会にも参加出来ないかもしれない。外食は勿論、高めのカレーもあんまり食べられないだろう。
けれども。
尚也に笑って欲しい、という自分の判断は間違っていないはずだ。
「とと……っ」
公園の多い大井町に戻りおおぞらの駐車場に車を入れた。
時刻は十四時過ぎ。車のドアを開けた途端熱気が肌にまとわり付き、間髪入れずに蝉のリサイタルも聞こえてきて一気に夏を感じた。
おおぞらの中に入る時間も惜しくて駐車場から直接事務所の窓をドンドンッ! と叩いた。
何にも事情を知らない人が見たら、自分はすっかり頭まで茹だってしまった変質者だろう。こちらに気付いた小百合が、一瞬痴漢でも見たかのように頬を強張らせたので余計思う。
ショートカットの女性はこちらに近寄って来て、窓を開けてくれた。
「変質者君、どうし――」
「藤沢さん俺鴻野君と居るけん送迎出れんくなったごめんっ! スマイリング・プリンスよ! やから宜しくたいっ!」
それだけ伝えると窓枠に鍵を置いて駐輪場に走っていく。視界の隅で目を丸めている小百合が僅かに映り、走り出した自分に合わせて消えていった。
「えっちょっどういう事!? ちょっ、こら! さこがわぁーっ!!」
後方から小百合の声が聞こえる。その声を無視して駐輪場に滑り込み、黒い車体に赤いラインの入った原付バイクを動かした。
こんなに暑いと少し走っただけで額を汗が伝う。普段なら鬱陶しいとすぐ拭うそれも、今は拭わずにさん・さんプラザへと向かった。
熱せられたお好み焼きの上で踊る鰹節の気持ちを味わいながら、南区にあるシンプルな建物に向かった。
西鉄天神大牟田線高宮駅から若干歩くその施設は、平日の昼間だからか利用者も少ないように感じる。『福岡市立障がい者スポーツセンター』と書かれた玄関に入ると、正面には車椅子に乗った紺色のTシャツを着た少年と、ミディアムヘアの黒いブラウスを着た女性の姿があった。どうやらあちらの方が早かったようだ。
「すみません、お待たせ致しました!」
「いえいえ、私達も本当に今着いたばかりでして……」
「車椅子の積み下ろしって結構時間掛かるし」
ぼそりと。志摩子の言葉を補足するように尚也が呟いた。夏祭りの開始を待つ子供のような表情を浮かべている。
「では佐古川さん、尚也の事お願い致します。この巾着袋の中に障害者手帳と、先生に作って貰ったラミネート加工のメニューが入っています。それで尚也のスマホから電話を頂けたら迎えに行きますので……宜しくお願い致します」
「はい。帰りはこちらこそ宜しくお願い致しますー」
黄色い巾着袋を受け取り頭を下げ、彼女が開けた自動ドアが閉まるまでその後ろ姿を見送った。扉が閉まると、まず受付に行った。黒髪を揺らしながら尚也がこちらを見上げて来る。
言いたい事が尚也の瞳の輝きだけで分かり、クスリと笑う。車椅子を持ちながら少年に話しかけた。
「鴻野君、まずは受付せんと駄目ばいよー」
「……分かってますよ」
唇を尖らせる尚也が面白くて肩を揺らしながら受付に向かった。
尚也の事を弟……と言うには年齢的に厚かましい物があるかもしれないが、もし弟が居たのならきっとこんな感じなのだろうと思った。それに、尚也がすっかり明るくなってくれた事もただただ嬉しかった。
が、こんなにも感情豊かな少年がどうしてあんな態度だったのか? という疑問は消えない。
受付で障害者手帳を見せ、拝見した証として尚也の手首に入院患者識別バンドと良く似た物を巻き付けて、受付を済ませた。帰る時にこのバンドを返して下さい、との事だ。
「おっし。鴻野君どこさい行くと?」
「体育館! 体育館に行ってバスケットボールに触りたいです」
「ういー」
希望通り一階にある体育館に向かう。
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