石田部長

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石田部長

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1.
 それは、突然の出来事だった。
 ゴールデンウィーク明け最初の土曜日の午前十一時、恋人の川島里奈と二人でユニバーサルスタジオジャパンのアトラクションの列に並んでいたボクが手にしていたスマホのバイブが振動した。
 母親からの電話だった。
 「おかんからの電話」と里奈に電話の相手を伝えたボクは、「もしもし」と電話に出た。
 「哲也、今どこにおんの?」いきなり、母親の緊迫した声が耳に飛び込んできた。
 「どこにって、朝出てくる時、ユニバに行くからって言うたやろ」
 「今も、ユニバにおんのね?」
 「おるよ。どないしたん?」
 ボクは、母親の声に、ただならぬものを感じた。
 その予感は的中した。
 「哲也、落ち着いて聞いてくれる?」
 「オレは落ち着いているけど。落ち着いていないのは、母ちゃんのほうやろ」
 ボクは、冷静だった。隣で、里奈が、どうかしたのと目で語り掛けてきた。
 「あんなあ……。お父ちゃんが倒れてん」
 「はあ?」
 ボクは、大声で聞き返した。
 その声に、ボクたちの一つ前に並んでいたカップルが振り向いた。里奈も、不安げにボクの顔を見つめてくる。
 「どういうこと?」
 「ゴルフ場から家に電話がかかってきてね……」
 母親の説明によると、今朝早く友人とゴルフに出かけた父親が、プレイの最中に突然倒れ、病院に搬送されたということだった。
 病院から連絡を受けた母親が、慌ててボクの携帯に電話をしてきたということである。
 「で、今、どんな状態なん?」
 「わからへん。電話では何も言うてくれへんかったから。ともかく、今から、これから言う病院へ来てくれる?」
 母親が、父親が搬送された病院名と最寄り駅からの行き方を説明した。
 ボクは、里奈に事情を説明し、二人でユニバーサルスタジオジャパンを出た。
 そのまま、ボクは一人で病院へ向かった。

 ボクが病院へ到着した時、すでに父親はモノを言わぬ人間になっていた。
 医者の説明によると、急性心臓発作の可能性が高いということだった。正式な死因は、これから調べるということだ。
 病室のベッドの上で冷たくなった父親の身体に取りすがった母親が、むせび泣いた。医者と看護師が、ボクたちに遠慮をして病室の外へ出て行く。
 ボクは、父親の顔を見つめた。死に顔は苦しげではなかった。普段目にしていた父親の顔そのものである。
 ボクは、目の前の現実を受け止めることができずにいた。
 父親は、今まで病気らしい病気を患ったことが一度もなかったからだ。
 昨日も、元気にしていた。昼間は精力的に動き回り、夜も母親と一緒に楽しそうに晩酌をしていた。
 加えて、父親はまだ五十九歳だ。本人もそうだったと思うが、周囲の人間も、誰も父親が死ぬなんてことを思ったこともなかったはずだ。
 母親のむせび泣く姿を目にしたボクの瞳からも涙があふれ出た。尊敬できる父親だったからだ。
 親としても、人生の先輩としても、職場の上司としても、ボクは父親のことを尊敬していた。
 そんなボクの頭の中で、父親を失った悲しさと、今後会社がどうなっていくのだろうという不安とが駆け巡った。

2.
 その日の夜に、妹の真由夫婦が病院に駆けつけてきた。
 ボクより二歳下の真由は、四年前に結婚し、今は旦那の仕事の都合で岡山市内に住んでいた。
 医者に死亡診断書を書いてもらい、葬儀の手配を済ませたボクたち四人は、病院から紹介された葬儀屋に引き取られていく父親の遺体を静かに見送った。
 火葬場が混んでいるということであり、四日後の水曜日に通夜を行い木曜日に告別式を行うことになった。それまでの間は、遺体は葬儀屋の死体保管所で冷凍保存される。
 病院での手続きを済ませたボクと母親、妹夫婦は、大阪市阿倍野区にあるボクの実家へと戻った。

 家に帰り、妹が作ってくれた料理で食事を済ませたボクたち四人は、リビングで話し合いをした。誰もが疲れていたが、今後のことを考えておかなければならなかったからだ。
 まず考えなければならないのは、葬儀のことである。
 通夜は、主だった親族に声をかけることにしていた。
 問題は、告別式だ。以前から父親が病気を患っていていつ死んでもおかしくはないという状況であったのならば事前に葬儀の案内を準備しておくこともできたのだが、今回は急なことであり、何の準備もできていない。
 葬儀屋に対しても、事前に、どのような形式で、どの程度の規模の葬儀を行うのかを伝えておく必要があった。
 「社葬みたいな形にしたほうがええんかな?」母親が、ボクに問うた。父親は会社を経営しており、ボクも父親のもとで働いていた。
 「そんな大げさなことはせんでもええと思うんやけど。でも、主だった取引先の人たちには声をかけとかんとあかんのやろうね」
 「今の取引先のことは私にはわからへんから、あんたが選んで連絡しておいてくれる? お父ちゃんの友人関係は、私と真由で調べて連絡しとくから」
 「喪主は、母ちゃんがやるんやろ?」
 「私がやらな、あかんのかな?」
 「そら、そうやろ。普通、奥さんがおるんやったら、その人が喪主をするもんやん」
 妹の真由も、母親が喪主を務めるべきだと主張した。
 葬儀の段取りを決め、相続に関しては会社の顧問税理士に相談することを決めたボクたちは、会社を今後どうしていくのかについて話し合いをした。
 父親は、株式会社日本人材総合サービスという名前の会社を経営していた。
 社名に日本という文字が入っているが、実際には、ボクと父親以外に従業員が十一人しかいない小さな会社である。父親が創業した会社であり、ボクは、その会社で営業課長の肩書で働いていた。
 創業後しばらくの間は母親も社内で事務の仕事を手伝っていたが、今は実務を離れて監査役という肩書で事業に係っていた。
 母親は、ボクに、社長を継いで会社を続けていってほしいと主張した。それが、父親の希望だったのだという言葉も口にした。
 父親がボクに会社を継がせるつもりでいたことは、ボク自身承知をしていた。いつの日か、父親と二人で酒を飲んだときに、折を見て取締役にするつもりでいるという言葉を聞かされたからだ。
 いつぐらいを想定しているのかと問うたボクに対して、父親は、三、四年のうちかな、と胸の内を語ってくれた。
 ボクも、そのつもりで頑張ってきた。今から七年後、すなわちボクが四十歳の誕生日を迎えるころには会社を継ぐことのできる器でいられるように自分なりに努力を重ねていたのだ。
 でも、今はまだそのような器ではない。
 ボクは、その思いを打ち明けた。
 それに対して、事業には直接係わっていない妹が、「川相さんに相談しながらやっていけば、やれるんと違う?」という考えを口にした。妹の旦那までもが、「お義兄さんならやれますよ」と気軽に根拠のないことを言ってきた。
 川相さんというのは、父親が会社を興す前にサラリーマンをしていた時の先輩だった。父親よりも四歳年上で、取締役営業部長の肩書で営業の仕事を取りまとめていた。
 今の状態で会社を継ぐことに全くといってよいほど自信の持てないボクだったが、亡き父親の意思でもあり、母親も妹も希望しているため、川相さんの力を借りながらなんとかやっていくしかないのだろうなと覚悟を決めた。

3.
 週が明けた月曜日、ボクは、出勤してきた社員たちに父親が亡くなったという事実を告げた。
 そのことを知った社員たちの間に動揺が広がった。ほとんどの社員が「嘘でしょう……」と驚きの言葉を口にした。すすり泣きをする女性社員もいた。
 ボクは、社員たちを前にして、頑張って社長の代わりを務めていくつもりでいるのだという決意を伝えたうえで、葬儀のことなど、今後のことに関して説明できることを全て説明した。

 告別式の日は、会社を臨時休業にした。
 社員たちが率先して雑用を引き受けてくれたため、ボクは、参列者への挨拶や葬儀屋とのやり取りに専念することができた。
 告別式は葬儀屋が計画した式次第に沿って進められた。
 一通りの儀式を終え、会食の時間へと移る。
 別室の会食会場には、テーブルの上に仕出し弁当や飲み物が並べられていた。
 会食会場に移動した参列者たちは、思い思いに席に着いた。
 その後、ボクの挨拶で食事が始まり、父親をしのぶ会話が会場内のあちらこちらで広まった。
 そんな中、川相営業部長がボクのもとにやって来た。
 「藤田くん。ちょっとええかな」会場の外を指さした。藤田とは、ボクの名字である。
 二人きりで話したいことがあるのだろうと察したボクは、川相さんと一緒に会場の外へ出た。
 ボクたちは、ロビーの椅子に並んで腰かけた。
 束の間の時間、沈黙が流れる。
 「何か、お話があるのでしたよね?」ボクは、川相さんの顔に視線を当てた。
 「あのな……」川相さんが、言葉を選んでいるかのように口ごもる。
 ボクは、川相さんがしゃべり出すのを待った。
 しばらくして、川相さんが、思いもよらぬことをしゃべり始めた。
 「このような時にこのような話を口にするんは大変心苦しいんやけどな……。会社を辞めさせてもらいたいんや」
 「えっ?」
 ボクの頭の中で衝撃が走った。
 先ほどまで、川相さんの力を借りながら会社を支えていくことを考えていたからだ。
 「なんでなんですか?」
 「持病の喘息が、かなり悪化しているんや。加えて、気胸も発症していてな。入院して手術せんとあかん状態なんや」
 「だったら、治療している間だけ仕事を休んで、そのあと復帰されたらいかがですか?」
 「そうしたいのはやまやまなんやけど、医者から、空気の綺麗なところで一、二年は静養したほうがいいって言われていてな。これ以上喘息が悪化すると、命に係わるとも言われているんや」
 「……」
 「社長にも前々からこのことは伝えていて、そう遠くない時期に退職させてもらうということで了承を得ていたんや」
 ボクは、その話を父親から聞かされていなかった。そのうち話してくれるつもりでいたのか、あるいは父親の中で何かしらの対策があったからなのかもしれないが、初めて聞く話だった。
 「せめて、半年くらい居てもらうわけにはいきませんか?」ボクは、すがるように川相さんに聞いた。
 「そうできるものならそうしたい。せやけど、ほんまに体がやばい状態でな。正直、こうしているだけでもしんどいねん」川相さんが、つらそうな表情を浮かべた。
 その後も話し合いを続けたが、治療に専念したいという川相さんの意思を覆すことはできなかった。
 川相さんは、今月末に退職することになった。

 葬儀を終え、母親と二人で家に帰ったボクは、自分の部屋にこもり、今後のことを考えた。
 とりあえずは、取引先に社長を継ぐことの挨拶をして回る必要があった。そのことと並行して、川相さんがやっていた仕事の引継ぎも行う必要がある。
 問題は、川相さんがいなくなった後のことだ。
 社長と営業部長の仕事を同時にこなすわけにはいかないので、誰か川相さんの代わりを務めてくれる人を探さなければならない。
 残念ながら、今の社員の中で川相さんの代わりを務められそうな人はいない。ボクよりも年上の社員はいるが、いずれもボクの目には頼りなく映っていた。
 そうかといって、川相さんがいる間に外部からそのような仕事を任せられる人を見つけてくるというのも非現実的なことだった。キャリアを積んだ優秀な人を迎えるのであればそれなりの給料を払わなければならないし、そもそもうちのような小さな会社には来てもらえない可能性が高いからだ。
 しかし、会社を続けていくのであれば、この問題を何とかしなければならない。
 途方に暮れたボクは、このことを、ある人物に相談することにした。

4.
 ボクには、他人にはない変わった能力があった。霊感が強く、あの世の人間と交信することができたのだ。
 交信ができるといっても、不特定多数の霊とではない。ボクが交信できるのは、モモタさんという人の霊だけだった。
 モモタさんは、昭和二十年三月の大阪大空襲の時に四十六歳で亡くなった。亡くなったときの場所も、地下鉄なんば駅から徒歩五分のところに建つ父親の会社のあるビルの目の前だったということだ。
 あるときボクは、会社のビルの前で、地縛霊として浮遊していたモモタさんと遭遇した。
 そのときに、この世に未練があるというモモタさんのことを諭し、彼を成仏させた。
 それが縁で、あの世に旅立ったモモタさんと定期的に交信するようになった。交信するときは、モモタさんがボクの前に姿を現した。
 モモタさんは生前ある会社の役員を務めていたということであり、仕事に関する相談を彼にしたこともある。前回交信した時も、仕事に関する相談だった。

 ボクは、誰もいない空間に向って「モモタさん。ちょっといいですか?」と囁いた。
 やがて目の前に、モモタさんの輪郭が現れた。彼は、いつも白っぽい服をまとっていた。なぜそのような服装なのかをいつか聞いてみたいとボクは思っていた。
 「お待たせ。今回も、仕事に関する相談なのかな?」モモタさんがボクのベッドの上に腰を下ろした。
 ボクは、彼と向き合うように床に胡坐をかいて座り、「そうです」と返事をした。
 どのような相談なのかと聞いてきたモモタさんに、ボクは、父親が急に亡くなったことや営業部長も退職することになり大変困っているという事情を説明した。
 「そいつは大変だな」モモタさんが、神妙な表情を浮かべた。
 「で、ボクに相談したいことというのは、どのようなことなのかな?」
 「これからどうしていけばいいのかなということについてなんですけどね」
 「どうしていけば、というのは?」
 「営業部長が辞めた後のことです。ボクが一人二役をやるのは無理がありますし、他の社員で任せられる人もいないし、他所から来てもらおうと思っても高い給料なんて払えないし、そもそもうちみたいな小さな会社に来てくれる人なんていないだろうし、ということで、八方ふさがりみたいな感じになってしまっているんですよね」
 「他の社員で任せられる人がいないというのは、なぜ、そのように思うわけ?」
 「なぜって……。普段からの行動を見ていて、そのように感じるからですかね。みんな、自分から率先して周囲を引っ張っていこうという感じではないし、自分の仕事をこなすので一杯一杯のように見えるからです。うちの会社は、創業者である父親のリーダーシップのもとにみんながまとまっていたから」
 「だとすると、新しい部長に対する期待が、今までとは違ってくるね」
 「どういうことですか?」
 「今までは会社全体を社長であるお父さんが取り仕切って部長は営業の実務を取りまとめる役割だったと思うのだけど、これからは、藤田くんのもとで皆が一致団結していける体制を作らなければならないわけだから、社員の意識を変えさせることもしてもらわないと困るわけだ。それと、藤田くん自身社長の経験がゼロなわけだから、お父さんのやっていた仕事も手伝ってくれるような人でないといけないわけだよ」
 ボクは、単に川相さんの代わりを探せばいい状況ではないことを理解した。
 ボクが社長の仕事を継げば何もかもが解決するというわけではない。ボクの指示のもとで、社員のみんなが今まで以上の働きをしてくれるようにならないと、これからの会社はやっていけない。
 さらに、ボクが父親のやってきたことを完全にやれるようになるまでには時間がかかる。ボク自身が一人前になるまでの間、社長の仕事をサポートしてくれる人も必要だ。
 次の部長には、営業の実務を取りまとめながら社員を育てつつ社長の仕事をサポートするという一人三役を期待しなければならないわけだ。
 そのことを悟ったボクは、絶望感に襲われた。
 そのような期待に応えてくれる人は、相当のキャリアを積んだ能力の高い人だ。そういう人は、かなり高い給料を用意しないと来てくれない。しかし、今の会社の状態では、高い給料を払いたくても払えない。
 「どうしたらいいのですかね」ボクは、すがるような視線をモモタさんに向けた。

5.
 「いずれにしても外部から人を引っ張ってこなければならないわけだから、まずは、どのような人に来てもらうべきなのかを明らかにしたほうがいいと思うな」モモタさんが、資質という面に関して新しい部長に求める内容を明らかにしたほうがいいとアドバイスをしてくれた。
 「どのような人がいいのですかね?」ボクは、彼に問いかけた。
ボクの頭の中では、優秀でマネジメント能力のある人間というような漠然としたイメージしか浮かんでいなかった。
 「藤田くんは、どのような人に来てもらえたらいいと思っているのかな?」
 「上手く言えないんですよね。優秀でマネジメント能力があってみたいな……」
 ボクは、モモタさんの顔を見つめた。彼の意見を聞いてみたかったからだ。
 モモタさんが、頭の中で考えをまとめているような表情を浮かべた。
 ややあって、口を開いた。
 「藤田くんを立ててくれる人じゃないとダメだよね。社長は、藤田くんなのだから」
 「そうですね」
 「社員を育てるということに関して言えば、誰に対しても分け隔てなく接することができて、周囲から信頼されるようなタイプの人間でなければならないのだろうね。それも、周囲におもねるのとかではなくて、言うべきことはきちんと口にするタイプの人であってほしいね」
 「それも同感です」
 父親が、まさにそういうタイプの人間だった。ボクも含めたすべての社員に対して分け隔てなく接しており、社員からも信頼されていた。
 さらに、言うべきこともきちんと口にしていた。それも、立場の弱い相手に対してだけではなく、取引先のような立場の強い相手に対してもそうであった。
 ボクは、父親のそういった面を尊敬していたのだ。
 モモタさんは、さらに意見を続けた。
 「社長の仕事も手伝ってもらうのであれば、数字に強いことは絶対に必要だろうね。それと、機転が利いて、個人の利益よりも全体の利益という感覚が染みついているタイプの人が望ましいのだろうね」
 ボクの頭の中で、新しい部長の姿というものがイメージされつつあった。営業の実務を取りまとめながら社員を育てつつ社長の仕事をサポートするという一人三役を期待する人間に対する人物像である。
 「問題は、どうやって探すのかという部分だよね?」モモタさんが、ボクの目を覗き込んだ。
 「高い給料を払えないということで悩んでいるのでしょ?」
 「そうです」
 ボク自身人材事業を営む会社で働いているので、だいたいの給料の相場というものを知っていた。ボクが期待するような人間の給料の相場は、川相さんとボクの給料を足した金額よりも高い。
 相場通りの給料を払い続けていたら会社の業績が厳しくなることは明らかである。
 ボクは、モモタさんが解決に導いてくれることを期待した。
 その彼が、ボクに耳寄りな情報を教えてくれた。
 「実はね、あの世にいる有能な人材を現世に一年を限度として派遣する制度があるんだよ。その制度を利用すれば、藤田くんの悩みを解決できるかもしれないね」
 「どういうことですか? あの世にいる人間が、現世によみがえってくるということですか?」
 「そういうことになるのかな……」
 モモタさんの説明によれば、生きていた時に世の中に対して一定以上の貢献を与えたと認められた人物の中から本人が現世に対して貢献することを希望した者を、実在する人物として現世によみがえらせることのできる制度があるということだ。派遣に関する手数料は不要であり、現世によみがえっているときは現代人の格好と言葉で存在しているということである。
 その制度を使って有能な人材を一年間部長として迎い入れて、営業の実務を取りまとめながら社員を育てつつ社長の仕事をサポートすることに協力してもらったらどうかという意見であった。
 「一年過ぎた後は、どうすればいいのですか?」
 「一年の間に次の部長になれる人を育ててもらって、一年経った後にバトンタッチすることになるのだろうね」
 「そういうことか!」
 ボクは、合点がいった。育てるという意味の中には、部長の仕事を任せられる人間を育てるという意味も含まれているのだ。
 「ちなみに、モモタさんも派遣で来ることができるのですか?」
 「残念ながら、ボクは、生きていた時に世の中に対して一定以上の貢献を与えたと認められていないんだよ」
 貢献度は、生きているときに残した功績や他人からどの程度尊敬されていたのかなどを基準に判定されるということであり、かなりハードルが高いということである。
 ボクは、その制度を利用してみたいと思った。
 制度を利用するためには、来てもらいたい相手を選んだうえで、その相手と話し合いを行う必要があるということだった。基本的に派遣の対象者は現世に対して貢献することを自ら望んでいるので、よほど理不尽な要求を突き付けない限りは契約できるということだ。
 懐からタブレットのようなものを取り出したモモタさんが、ある画面を開いてボクに見せた。
画面には、現在派遣が可能な人物の名前の一覧が五十音順に表示されていた。日本人限定であり、歴史に名を遺した人物の名前も混じっている。
 ボクは、画面をスクロールしながら、順に目で名前を追っていった。

6.
 目で名前を追っていたボクの視線が、ある人物のところで止まった。
 その人物とは、石田三成だった。
 石田三成は豊臣秀吉の政権を支えた大名であり、秀吉の死後、徳川家康による政権の切り崩しを阻止するために全力で立ち向かった人物である。
 全国の大名が東西に分かれて戦った天下分け目の関ケ原の合戦に敗れ、四十歳の若さでこの世を去ったのだが、ボクは、石田三成に対して好い印象を抱いていた。
 さらに、ボクが知る限りでの彼の人物像が、先ほどモモタさんが口にしたボクを支える部長として望ましい人物像とも合致していた。
 「この人は、どう思いますか?」ボクは、石田三成の名前を指さしながらモモタさんの意見を聞いた。
 「石田三成さんか。たしか、関ケ原の合戦で徳川家康と戦った武将だったよね。この人に来てもらいたいの?」
 「モモタさんが言っていた部長としての望ましい人物像とも合っているような気がしたので。モモタさんは、どう思いますか?」
 「うーん、どうなのかなあ……。実は、ボクは彼のことを、あまりよく知らないんだよね」
 「そうなんですか」
 ボクは、がっかりした。モモタさんのお墨付きを得た上で決断したかったからだ。
 「とりあえず本人と会って話をしたうえで決めればよいのではないのかな」モモタさんが石田三成に会うことを勧めてきた。
 「どうやったら会えるのですか?」
 「これで連絡したら、この場に来てくれるよ」モモタさんが、タブレットのようなものを指さした。
 「じゃあ、さっそく呼んでみようか」モモタさんが、操作を始めようとした。
 「あっ、ちょっと待ってください」
 「どうしたの?」モモタさんが、いぶかしげな表情を向ける。
 ボクは、会った時に何を話せばよいのかがわからなかった。現世で人を雇う時のように本人の履歴書や職務経歴書を見たうえで面接をするかどうかを決めるようなやり方とは異なるからだ。亡くなった後の石田三成がどのような経験をしてきたのかもわからない。
 「石田三成さんは、今までどのような経験をしてきたのですかね?」ボクは、石田三成の現世での派遣経験を聞いた。
 「そこはわからないなあ。ここにも経歴は載っていないし。本人に直接聞くしかないだろうね」
 「そうなんですか……。ちなみに、会った時にどのような話をすればいいんですかね?」
 「藤田くんが期待していることを具体的に伝えればいいんじゃないのかな」
 「営業の実務の取りまとめと社長の仕事のサポートをやりながら、次の部長人材を育てるということですよね」
 「藤田くん自身がそのことを期待しているのなら、そのように伝えてみて、協力してもらえるのかどうかを聞いてみるべきだろうね」
 「契約して来てもらった後にいまいちだなあと思った時は、辞めてもらってもいいんですかね?」
 現世には人を雇う時に試用期間制度というものがあるが、あの世の人間にも通用するのだろうか。
 「どうなのだろう。ボク自身、現世への派遣をやったことがないからわからないな」
 「ちなみに、派遣制度を利用するときに守らなければならない特別なルールとかはあるのですか?」
 「申し訳ないけど、それもボクにはわからない。本人と会った時に確認するしかないみたいだね。どうする? 石田三成さんに来てもらう?」
 少し考えた末に、ボクは首を縦に振った。とにかく、会って話をしてみないことには判断できないからだ。ただ、ボクの中では、期待できそうだという気持ちのほうが強かった。
 「じゃあ、呼ぶよ」
 「ここに、ですか?」
 「もちろん」
 モモタさんが、操作を始めた。
 その数分後、ボクとモモタさんの前に、モモタさんが着ているのと同じ白っぽい衣服をまとった人物の姿が浮かび上がった。

7.
 目の前に現れた石田三成の顔は、巷でよく目にする肖像画の顔とよく似ていた。ちょんまげを結った頭も、体の割には大きい。背は、さほど高くはなかった。
 「初めまして。石田三成です」石田三成が、現代の言葉でボクとモモタさんに挨拶をした。モモタさんも、初めましてと挨拶をする。
 ボクは、歴史上有名な人物と直接話をすることへの緊張に見舞われていた。
 そんなボクは、初めましての挨拶の代わりに、とんちんかんな言葉を発してしまった。
 「本当に、石田三成さんなのですよね?」
 「そうですよ。石田三成です」
 「あの徳川家康と戦った石田三成さんですよね」
 「そうです」
 石田三成が笑みを浮かべた。モモタさんも笑っている。
 二人の笑顔を見たボクは、緊張から解放された。改めて、目の前の石田三成に挨拶をした。
 「藤田と申します。本日は、わざわざお出でいただきまして、ありがとうございます」
 「藤田さんですか。こちらこそ、よろしくお願いします」石田三成は、穏やかな表情で返事をした。
 ボクの中では石田三成は感情の起伏の激しい人物だというイメージがあったのだが、それとは正反対な印象である。
 ボクは、モモタさんに目をやった。彼が話し合いの進行役を務めてくれることを期待していたからだ。
 しかしモモタさんは、目で、自分から話をするようにと言葉を返してきた。石田三成との話し合いに対して口を挟むつもりはないようだ。
 ボクは、石田三成に視線を向けた。一呼吸した後に、質問を始める。
 「石田さんは、現世への派遣で、どのようなことを経験されてきたのですか?」
 「いろいろと経験させてもらいましたけどね。具体的に説明したほうがいいのですか?」
 「お願いします」
 「わかりました。それでは、最初は……」
 石田三成が、今まで経験したことを語り始めた。
 それによると、彼があの世に旅立った時すでに現世への派遣制度があったということであり、江戸時代から現代にかけて派遣の経験をしたということである。
 ただし、その中に、企業幹部のような内容のものは含まれていなかった。
 「それで、藤田さんは、私にどのような役柄を期待しているのですか?」石田三成が、派遣後に期待することを聞いてきた。
 ボクは現在自分自身の置かれている状況を詳しく話したうえで、社長の仕事をサポートしながら営業部長の仕事もこなしつつ次の部長人材を育てることに協力してくれる人を探していることを伝えた。
 「なるほど。参謀役みたいな存在ですね」石田三成は、瞬時に状況を理解したようだ。頭の切れる人物だという言い伝えは、本当のことのようだった。
 「引き受けていただけますか?」ボクは、石田三成に問いかけた。
 その言葉に、石田三成は「面白そうですね」と呟いた。
 ややあって、「いいでしょう。引き受けさせてもらいます」と返事をした。
 「それで、いつから始めさせてもらいましょうか?」
 派遣開始の時期を問われたボクは、頭の中で考えを巡らせた。本当は明日からでも来てもらいたかったのだが、川相さんやその他の社員たちに対する事前の説明も必要だ。
 今日は木曜日であり、明日社内の人間に説明したうえで、土日の休みを挟んで週明けの月曜日から来てもらう形がいいと判断した。
 「四日後からの開始でもいいですか?」
 「わかりました」石田三成が、頷いた。
 派遣期間は、一年間ということで合意した。
ボクは、石田三成に、会社や事業の内容を説明した。詳しいことは、派遣後に、その都度伝えることにした。彼は頭がいいので、すぐに呑み込んでくれるだろう。
 石田三成のほうからも、派遣開始日から一年が経過した日の午後十二時にこの世からいなくなるということと、このような制度があるということを他の人間に口外してはならないということを念押しされた。そのこと以外、派遣制度を利用する上での特別なルールはないということである。
 派遣を開始した後であっても、双方が話し合いのうえで合意した場合は、派遣を中止することも可能だということだった。
 「着るものや食べるものなどは、どうされるのですか?」彼の現世における生活のことを気にかけたボクに、石田三成が、「現代人としての生活をしますので、心配はご無用です」と笑いながら返事をした。

8.
 翌日、ボクは、自分が新社長に就任することと体調不良を理由に川相営業部長が退職すること、代わりに新しい営業部長が週明けの月曜日から出社することを社員たちに伝えた。
 ボクが新社長に就任するための手続きは、司法書士や税理士による支援もありスムーズに進んだ。
 石田三成に関しては、名前は石田三男で年齢は四十二歳、異業種交流会を通じて知り合ったのだという設定にしておいた。
 彼の在籍期間が一年間だということは言わなかった。社員たちに混乱を与えてしまうのではないかと考えたからだ。

 そして迎えた週明けの月曜日、石田三成が会社にやってきた。
 ビジネススーツに身を包んだ石田三成は、社員たちに向って如才ない挨拶をした。もちろん、現代の言葉である。
 突如現れた新部長の挨拶に、社員たちは戸惑いの表情を隠せずにいた。
 会社は、営業部と総務部とで構成されていた。
 営業部は、人材の募集、面接、登録、求人企業に対する営業活動、人材紹介・派遣後の人材フォロー、営業に関する事務の仕事を執り行う部門であり、六人の営業マンがいた。
 その中で主任という肩書のつく人物が二人いた。四十歳の和田と三十五歳の坂下である。
 彼ら以外のメンバーは、社内最年長の四十三歳の村本とその他三名の若手営業マンだった。
 総務部は、経理や労務管理など営業以外の事務全般の仕事を執り行う部門であり、正社員一人とパート社員二人で構成されていた。
 三人とも女性である。
 石田三成は、社員一人一人に向って、名前で呼びかけながら「よろしくお願いします」と声をかけていた。
 彼が上から目線的な態度を取ったらどうしようかと心配をしていたボクだったが、ホッと胸をなでおろした。

 石田三成に対しては、川相さんがいる間は営業部の副部長という肩書で仕事をしてもらうことにした。
 川相さんとは五月の末で退職するという約束ができていたが、彼自身の気持ちとしては、一日も早く仕事の引継ぎを終わらせて、できれば五月末よりも前に退職したいようであった。
 幸いにして何事に関しても呑み込みの早い石田三成が相手だったので、仕事の引継ぎはスムーズに進み、予定よりも早く川相さんが退職できる見通しになった。

 川相部長相手の業務引き継ぎを終え、今後自分の取るべき行動を考え始めた石田三成の頭の中に、戦国の世に生きていた時代に筆頭家老という立場で自分のことを支えてくれた島左近の顔が浮かんできた。
 彼は、大名である自分に対して軍略を授け、自分の打ち出した方針を家臣たちに伝え、家臣たちの心を一つにまとめ上げてくれた。
 彼がいてくれたおかげで城下の領民たちの暮らしを良くするための活動に力を注ぐことができ、豊臣秀吉亡き後、豊臣家を滅ぼさんとする徳川家康に対して全力で立ち向かうことができたのだ。
 残念ながら天下分け目の合戦には敗れ、島左近とも永遠の別れを迎えてしまったのだが、今の自分が社長の藤田から期待されている役割とは、まさにあの頃の島左近が果たしていた役割なのではないのだろうか。
 (藤田殿に対して意見をするためにも、まずは、現場を整える必要がある)石田三成は、営業部長という立場で結果を残さなければ社長の藤田も自分の意見を聞く気にはならないだろうと思っていた。そのためにも、営業部としての数字を上げていかなければならない。
 そういう意味で、前任者である川相のやり方は非合理的だったと石田三成は感じていた。
 川相は、部下の考えを尊重しながら、部下からの求めに応じて都度アドバイスを行うやり方を貫いていた。そのために、一人一人がバラバラな営業をしていたのだ。
 さらに、仕事の分担に関しても非合理的な部分があると感じていた。それは、一人の営業マンが、人材に対する面接から登録、営業活動、営業後のフォロー、営業事務の仕事を一から十まで負担しているやり方に関してであった。そのようなやり方をしていたから、営業相手に対する交渉を行うための時間が少なくなってしまっていたように見える。
 川相は、予定よりも五日早い今日をもって退職する。明日からは、正式な部長として営業部をまとめ上げ、社長の藤田を支えていかなければならない。
 石田三成は、営業部としての方針と戦略を打ち立てたうえで、全員で一致団結して取り組んでいけるやり方に変えていく必要があるのだと考えていた。
 彼は、営業部の数字を頭に叩き込み、今後の営業のやり方について頭の中で戦略を練った。

9.
 石田部長体制スタートの日は、朝からあいにくの雨が降り続く一日であった。今年は梅雨入りするのが早く、五月の下旬を迎えた時点で九州、四国、中国地方が梅雨入りをした。関西地方も、梅雨入りが秒読み段階だと言われている。
 その日の朝、石田三成は、営業部の六人を、オフィスと隣接する会議室に集めた。自分の考えた戦略を部下たちに伝えることが目的だった。
 全員を前にした石田三成は、営業部の数字に波があることに触れたうえで、一人一人がバラバラな営業をするのではなく、一つの方針に基づいて全員でまとまった営業をしていくほうが数字も伸びるのではないかという考えを口にした。
 「今までも営業部としての方針に基づいて営業をしてきたつもりなんですけど」六人を代表して主任の和田が反論した。彼の言う方針とは、営業部として掲げている目標数値のことだ。
 「私が口にしている方針というのは、全員で力を合わせて特定の分野を攻めることを考える必要があるのではないのかということです。全員で足並みを揃えて需要のある分野を攻めたほうが、効率が良いのではないのでしょうか?」石田三成は、方針の意味を説明した。
 「しかし、みんなそれぞれ得意な営業分野というのがあると思うので、無理に足並みを揃えなくても個人のペースで力を発揮していったほうが、最終の結果は良くなると思いますが」もう一人の主任である坂下も反論する。
 「部長が今までどのような営業をされてこられたのかはわかりませんが、それぞれの会社にあった営業のやり方というものがあると思うのですよね」最年長社員の村本が皮肉な表情を浮かべた。
 (実に生ぬるい者どもよのお)論より証拠でいく必要があると考えていた石田三成は、川相が作った過去三年間の営業マン一人一人の売上高と労働時間実績を月単位でまとめた資料を取り出した。一目で傾向がわかるように、きれいにグラフ化されていた。
 「これは、前任の川相部長から引き継いだ資料なのですが、全員、一時間当たりの売上高が上がったり下がったりしています。しかも、三年前から、年間を通じた会社全体の一時間当たりの売上高が下がり続けています。この会社にあった営業のやり方をしているのであれば、このような結果にはならないのではないかと私は思いますけどね」
 理詰めな反論に、二人の主任と最年長社員の村本は口をつぐんだ。
 「みなさんは、どう思いますか?」石田三成は、他の三人に問いかけた。
 「部長のおっしゃる通りかもしれませんが……」三人の中では最年長の石橋が、戸惑いの表情を浮かべながら答えた。残りの二人も、互いに顔を見合わせながら、小さく頷いた。
 「なので、数字の作れそうな分野を選んでみんなで営業をしていくやり方に変えていきます」石田三成は、六人の前でそう宣言をした。そうしていくのが当たり前だと思っていた。上に立つ人間が方向性をはっきり示さないと、下に付く人間も動くことができない。
 「過去の数字を見ていると、需要のありそうな分野は、医療、福祉、IT、企画営業、販売、経理事務であるように思えるのですが、みなさんもそのように感じていますか?」
 それに対して異なる見解を発言する者はいなかった。川相がまとめた資料からも、そのことが見て取れた。
 部下たちが理解をしてくれたと判断した石田三成は、六月の一カ月間、全員で束になって攻める分野を決めたいので、全員で意見をしてほしいと部下たちに問いかけた。
 彼の考えた作戦とは、一つの分野に対して一カ月間全員が協力して営業を行い、結果が出れば次の月も引き続き取り組み、結果が出なければ次の月は違う分野を全員で攻めるという内容だった。無論、継続している案件や確実に契約化できる案件については、異なる分野であってもきちんとした対応を行うつもりでいる。
 月ごとに全員で取り組む分野に関しては、部下たちの意見を聞きながら決めるつもりでいた。
 その問いかけに対して、二人の主任と最年長社員の村本が、そろって販売の分野がいいのではと発言した。他の三人は、口をつぐんでいる。
 石田三成は、六人の中に力関係があると感じていた。そのため、口をつぐみがちな若手の三人に対して積極的に発言を促した。
 その勢いに背中を押されたかのように、三人は、それぞれ遠慮がちに発言をした。
 三人のうちの二人は医療の分野が良いのではないかと意見をした。理由も、医療現場における看護師不足が社会問題化しており、医療事務の仕事に関しても事務コストを減らしたい医療機関が正社員から契約社員や派遣社員への切り替えを進めていきたいと考えているはずからだという理路整然とした内容だった。
 それに対して販売の分野を主張するベテランの三人が反論したが、反論する理由が彼ら自身のやりやすい営業が販売の分野だからなのだと察した石田三成は、医療の分野の需要が確実だと思えるので、六月は全員で医療の分野に取り組んでいこうと三人を説得した。
 それに対して、三人が渋々同意し、六月は営業部として医療の分野を重点的に攻めていく方針が決まった。

10.
 ボクは、石田三成のやり方に感心をしていた。
 彼は、辞めた川相が作成した資料を見て、会社全体で営業マンの時間当たりの売上高が減少傾向にあることに目をつけ、需要のある分野に向って組織的な営業を展開することで売上を伸ばしていくやり方を提唱した。
 組織的な営業を徹底するために、個人が入手した営業情報を営業部内で共有するための報告を行うルールや営業活動の状況を営業部内に報告し他の営業マンたちと見解合わせをしたうえで営業交渉を行うルールも設けたようだ。
 ボク自身、うちのような小さな会社が大きな会社に太刀打ちするためには、一人一人がバラバラな営業を行うよりも組織的な営業を行ったほうが良い結果を生むのではないのかと考えていた。
 組織的な営業を行うために、情報の共有や全員で考えることについてのルールを設けることに対しても賛成だった。
 自分が営業部長を兼任していたら、このようなやり方は思いつかなかっただろう。
 ボクは、石田三成に来てもらってよかったと感じていた。

 六月に入り、営業部における医療の分野をターゲットにした組織的な営業がスタートした。
 石田三成は、営業部を三つのチームに分けた。二人の主任と最年長社員の村本をそれぞれ若手の営業マン一人と組ませた。
 自分自身は、営業マンたちが持ち帰った情報や結果を精査、分析したうえでタイムリーに営業マンたちにフィードバックする役に徹していた。そうすることで、営業マンたちが営業を行うための作戦を立てやすくなるのではないかと考えたようだ。
 彼自身の頭の中で、全てのチームが着々と営業を進めていくストーリーが描かれていた。
 医療の分野に需要がありそうだという推測も的を射ていたようであり、どのチームも、それなりの成果を上げていた。

 そんな中、営業部内で事件が勃発した。
 主任の和田の率いるチームが、石田三成や他の営業マンたちとの見解合わせをすることなく交渉を進めた末に仕事を取ってきたことに対して、営業部の集まりの中で石田三成が和田にかみついたことが発端だった。
 「相手との交渉に入る前にみんなから意見を聞くというルールを決めていましたよね。なんで守らなかったのですか?」
 「ほかの業者も来ていましたし、相手も急いでいるようだったので、ここで押せば契約を取れると思って、ボクの判断で交渉を進めたんですよ。結果、契約が取れたのだから、いいじゃないですか」
 ルールを守らなかったという指摘に対して、和田は口を尖らせた。
 「契約が取れたことは良かったと思っています。ただ、そのこととルールを守らなかったこととは別の話です」
 「ルールがあるのは、わかっていますよ。でも、営業は仕事を取ってきてなんぼの世界なんですから、結果として仕事が取れたのなら、それでいいんじゃないのですか?」
 「ですから、仕事を取ってきたこととルールを守らなかったこととは別だということを私は言っているのです。組織の規律を守るためにルールを敷いているのですから、組織に属しているのならルールを守るべきです。誰かに前もって相談したうえでルールを守らなかったのならともかく、あなたの独断でルールを守らなかったのは問題だと思います。そのようなことが横行したら、組織の規律は維持できません」
 「何わけわからんことを言うてるんですか! ボクは、ルールを守るために営業をしているんとは違うんですよ。結果を出すために営業をしているんです。営業としての務めを果たしたのに、ほんのちょっとルール違反したくらいで、そんなにガタガタ言わんでもいいんと違いますか!」
 和田が、食って掛かるように反論した。興奮しているのが周囲の人間にも伝わった。
 そんな本人に向って、石田三成が冷静に話しかけた。
 「誰かがルールを破って、そのことを誰も指摘しなければ、他の人間もルールを守らなくてもいいと思ってしまうでしょう。そうなると、ルールは有名無実な存在になり、組織の統制が取れなくなります。そうなることが、全体の崩壊につながっていきます」
 「そんなの、極論でしょう? 一回や二回、ルールを無視したからって、会社には何の影響も与えませんよ。むしろ、取れる仕事を取り逃がすことのほうが、影響が大きいと思います」
 「無論、取れる仕事を取り逃がすことも影響を与えますが、組織のルールが守られないことも統率力や結束力を弱めることにつながり、全体の崩壊につながります」
 「わっけわからんわ!」和田が、そっぽを向きながら呟いた。
 他の営業マンたちも、どうしたらよいのかわからないという顔つきで、互いに顔を見合わせた。

11.
 石田三成と和田との間で言い争いが起きたという話は、ボクの耳にも伝わった。その時以来、二人の間がギクシャクとしていた。
 和田自身は営業活動に精を出していたが、このような状態が続くことで彼がヤル気をなくしてしまうことをボクは恐れた。
 (やはり、融通が利かない人間だったという言い伝えは本当のことだったんだな)
 石田三成に関しては、朝鮮出兵時の諸大名たちの行動を、戦地での状況や彼らの味わった苦しみを伝えることなくストレートに豊臣秀吉に対して報告をしたことで諸大名たちから恨みを買ったという話に代表されるように、融通の利かない人物であったというエピソードが数多く残されていた。
 ボクは、営業マンたちが全員外に出払った時を見計らって、石田三成を会議室に呼んだ。

 「組織的な営業に切り替えたことで、売上も伸びてきているようですね」会議室で石田三成と向き合ったボクは、手始めに彼の功績を褒める言葉を口にした。あるビジネスセミナーで学んだ『相手を褒めたうえで叱ることが効果的だ』という教えに見習ったのだ。
 今日は、社長という立場から融通の利かない行動を改めるようにと苦言を呈するつもりでいたのだが、石田三成に聞く耳を持ってもらうために、褒めるところから入ってみようと考えていたのだ。
 「過去の数字が表していましたからね。一人一人がバラバラな行動をしてしまうと成果が伸び悩むということを」石田三成が、得意げな表情を浮かべた。
 (こういったところも、戦国時代に周囲からの反感を食らっていたのだろうな)ボクは、福島正則や加藤清正といった武闘派の大名たちが、理詰めで鼻高々にしゃべる石田三成のことを忌み嫌っているシーンを想像した。
 頭の中ではそう思いつつも、石田三成のことを持ち上げる。
 「うちのような小さな会社がそれなりの成果を上げようと思ったら、情報を上手に活用しながら効率的な営業をしていかなければならないのではないのかとボクも思っていたのですよ。それに、人材事業といっても様々な市場がありますが、うちのような小さな会社は特定の市場に特化したうえで狭く深くの営業を行っていくべきだとも思っていました。そのように導いてくれたことを、とても感謝をしています」
 「そんな風に言ってもらえると、私も嬉しいですね」
石田三成が、照れ笑いをした。
 その様子を目にしたボクが、「ちなみに、石田さんに対して意見をしたいことがあるのですが」と本題を切り出した。
 「先日、石田さんと和田さんとが激しくやり合ったということを他の社員から聞いたのですが」
 「ええ、しましたよ」石田三成が、それがどうかしたのかというような表情で返事をした。やはり、本人は何とも思っていないようだ。
 「営業の交渉に入る前に他の営業マンとの見解合わせをしようというルールを守らずに契約に走ったことに対して、石田さんが注意をして、和田さんが反論をしたのでしたよね?」
 「そういうことですね」
 「和田さんは、納得がいかなかったみたいですよ」
 「そうみたいですね。ただ、ルールは守るべきだと私は思っています……」
 石田三成が、営業マンたちの前で主張したルールを守らないことが全体の崩壊につながるという考えを口にした。
 彼の話に一通り耳を傾けた後に、ボクは意見を言った。
 「ボクも、ルールを守ることは大事なことだと思っています。ただ、戦国時代に大名が作ったルールを守らない人が増えることで国が亡びるということと現代の会社でルールを守らない人が増えることで規律が維持できなくなることとは、なんて言えばいいのかな、次元の異なる話だと思うのですよ。和田さんの言う通り、会社を維持していくためには売上を伸ばしていく必要がありますから」
 「藤田社長も、和田さんがルールを守らなかったことに対して問題はなかったと考えているのですか?」石田三成が気色ばんだ。
 「そんなことは言っていませんよ。ルールは守るべきです。ただ、臨機応変さもあっていいと思うのですよ。売上を伸ばすことのような会社にとって重要なことに関しては、場合によってはルールを逸脱した対応があってもいいと思っています。和田さんも、はなからルールを破ろうと考えていたのではなくて、取れる売上を取ろうとしてルールを破ったのだと思っていますので」
 「藤田社長の言うこともわかります。では、あのとき私はどうしたらよかったのでしょうか?」
 「できれば、最初に和田さんが契約を取ってきたことを誉めてあげてほしかったですね。そうしたあとに、今後は例外的なことがない限りはみんなでルールを守っていこうと言えば、彼もすんなりと理解したと思うのですよ」
 「つまり、私が融通の利かない人間だったということなのでしょうか?」
 「そこまで言うつもりはないのですが」
 「構いませんよ。戦国の世に生きていたころより、他人からそのようなことを言われ続けてきましたから」
 石田三成が、恥ずかしそうに笑った。
 その様子を目にしたボクは、根はいい人間なのだろうなと思った。

12.
 石田三成は、自分が融通の利かないタイプの人間であることや、そのことが周囲から煩わしく思われていることを自覚していた。
 彼の頭の中で、数々の記憶が巡っていた。
 戦国の世に生きている時、彼は日本の政治の中心にいた。豊臣秀吉の打ち出した方針に則って、諸大名たちとの間で数々の調整を行ってきた。
 少しばかり融通を聞かせてほしいと頼まれたこともたくさんあったが、彼は、それらをすべてはねのけた。融通を利かせてしまうことで秀吉の立てた日本をまとめ栄えさせるための計画が骨抜き状態になり、日本を衰退させてしまうと信じていたからだ。
 関ケ原の合戦に敗れこの世の人間でなくなった後も、彼は何度も派遣を通じて現世によみがえり、依頼者の求めに応じて様々な役を演じてきたが、同じことの繰り返しであった。
 江戸時代、ある大名のもとで年貢を取り立てる代官の役を演じた時も、洪水の影響で収穫が激減した村の住人たちから年貢の一部を免除してほしいという申し出を受けたときに、いっさい耳を貸すことなく要求をはねのけた。そのようなことを認めてしまうと、今後の年貢の取り立てに支障が生まれてしまうと考えたからだった。
そんな自分に向って、村人たちが薄情者という言葉を浴びせかけた。
 明治の時にも、同じようなことがあった。ある店の経理役を任された時のことだった。
 奉公人に対して毎月決まった日にちに給金を支払っていたのだが、あるとき、一人の奉公人から子供が病気になり治療を行うためにお金が必要なので給金の一部を前払いしてもらえないかと泣きつかれたときに、問答無用で断った。前払いを許すという規則など、どこにもなかったからだ。
 その後、泣きついてきた奉公人の子供は満足な治療を受けられないまま死亡し、その奉公人は店を辞めた。
 一連の事情を知った派遣依頼主であった店主からも、臨機応変な対応をすべきであったと苦言を呈された。
 その時以来、石田三成は、融通を利かせることの意味を考えるようになった。
 それにより、以前よりは、世の中は融通を利かせることで良い結果が生まれることもあるのだということを理解できるようになっていた。
 また、融通を利かせないことが人間関係を悪くすることにつながり、そのことが自分にとっても損なことなのだとも考えるようになっていた。
 しかし、染みついた性分が邪魔をするのか、現実的な場面では四角四面な態度を貫いてしまう。
 (問題は、した後の対応なのであろうな)石田三成は、藤田から言われた「契約を取ってきたことを誉めたうえで今後もルールを守っていこうと言えば和田もすんなりと理解したと思う」という言葉を思い返した。
 彼の言う通り、会社にとって売上を伸ばすことは重要なことだ。
 そのことは、自分にとっても重要なことである。営業部長として一定の成果を上げたうえで藤田の仕事をフォローしようと考えていたからだ。
 今回のことも、順序が逆になっただけのことなのだと考えればよいのかもしれない。和田自身が、契約を取ってきた後に、状況をみんなに説明して、みんなもこのようなやり方で営業交渉を行うことに賛成だったことを確認するつもりでいたのだと考えれば、自分自身も納得できる。
 今後このような事態に直面したときは、言葉を発する前に、可能な限り深読みをしてみることにしよう。
 今回のことに関しては、和田へのフォローが必要だ。彼が営業の中心人物なのは間違いないことだからだ。
 藤田も心配しているようだが、彼がヤル気をなくしてしまうと、営業部の数字を伸ばしていくことに影響が生じる。
 フォローの内容に関しては、藤田の言う通り、契約を取ってきたことを褒めたうえで、ルールを守りながら組織的な営業を続けていくことへの理解を求めるのがよいのではないだろうか。
 そうしたうえで、彼を自分の良き協力者に仕立て上げれば、今後の物事がうまく進むはずだ。
 石田三成は、戦国の世に生きていた時代に、自分が今のような考え方を持って行動をしていれば関ケ原の合戦の勝敗はどうなっていたのだろうかと考えてみた。

13.
 和田へのフォローが必要だと考えた石田三成は、さっそく行動に移した。
 ある日、午後からしか外出の予定のなかった和田を、昼休みに食事に誘った。
 昼休み開始時刻の午前十二時になったのを確認して、和田と二人で会社から出た。
 会社のすぐそばにファミリーレストランがあり、二人はそこで食事を摂ることにした。お昼時ということもあり店内は混んでいたが、二人は待たされることなくテーブルに着くことができた。
 フリードリンク付きのランチセットを二人分注文した石田三成は、ドリンクを取りに行こうと席を立ちかけた和田に向って、「和田さんに話したいことがあるのですが」と、いきなり本題を切り出した。
 席に座り直した和田が、石田三成に顔を向ける。
 「この間の営業会議の時は、契約を取ってきた和田さんの苦労を顧みずにルール違反だと責め立ててしまい、申し訳なく思っています」
 「はあ……」突然の謝罪に、和田は戸惑いの表情を浮かべた。
 「私も、あれからいろいろと考えて、まずは契約を取ってきてくれたことをみんなで感謝するべきだったと思うようになりました。会社にとって、売上を伸ばすことは重要なことですからね。それなのに、ルールを守ることばかりを口にしてしまい、和田さんに不愉快な思いをさせてしまったようで、反省しています」
 「こちらこそ、みんなで決めたルールを守らないで、良くなかったと思っています」
 和田は、拍子抜けしたような気分になっていた。前任者の川相の時とは違い、融通の利かない堅物な人間が上司になり、今後どう接していけばよいのかわからないと思い悩んでいたからだ。
 自分とはそりが合わない人間なのだろうとも感じていた。
 それが、相手のほうから申し訳なかったと謝って来た。
 彼は案外いい人間なのかもしれないなと和田は思い直した。
 そんな石田三成が、自分は融通の利かない人間であり、それが原因で周囲の人たちの気分を害してしまうことがあることを自覚しているのだと認めたうえで、再び謝罪の言葉を口にした。
 なおもしゃべり続けようとする石田三成に向って、和田は、「ドリンクを取りに行きませんか?」と声をかけた。

 自分の謝意が相手に伝わったことを感じ取った石田三成は、今後の営業部の活動について、和田との間で気持ちを一つにするための話し合いをすることにした。
 二人ともがランチを食べ終えたタイミングを見計らって、その話を始めた。
 「今後の営業ですが、私は、今のやり方を続けていくほうが結果につながると考えているのですが、和田さんはどのように考えていますか?」
 そのように問われた和田は、つかの間考えを巡らせた。
 最初は、意味のないことだと思っていた。部長を入れても全員で七人の部隊である。大企業の営業部ならば組織的な営業を展開することもわからなくはないが、小さな部隊なのだから、各々が持てる力を最大限出し切りながら営業したほうが、全体としての成果に関しては良い結果が生まれるのではないかと思っていた。
 しかし今は、全員で同じ分野を攻めることで相乗効果が得られていると感じていた。
 加えて、営業部に集まってくる情報や結果を石田三成が上手に加工してくれていることが営業の効率を高めることにつながっているとも感じていた。
 それらのことを思い返したうえで、考えを口にした。
 「ボクも、部長と同じ考えですよ。実際に営業しやすくなっていますしね。今月の売上のペースも、今までよりも上がっているのではないですか?」
 「もうすでに、先月分の売上に追いついていますね」
 石田三成は、毎日目にしている営業部の数字を頭に思い返した。六月は三分の二を過ぎたところであるが、すでに五月の売上に達していた。五月はゴールデンウィークがあったことを考えても、明らかに売上のペースは上がってきている。
 「正直に言いますとね、部長のまとめてくれている情報が、ものすごく役に立っているのですよ。契約に結び付く可能性の高い相手に集中して営業できるようになりましたし、営業に行った時の話の持って行き方も考えやすくなりましたから」
 「そのように言ってもらえるのは嬉しいですね」石田三成は破顔した。
 「藤田社長から頼まれていることがたくさんあるのですが、まずは営業部の数字を上げることが第一なので、藤田社長から過去のやり方などを聞きながら、自分なりに考えてみました。そのうえで、個人の力に頼るだけのやり方では限界があるから、戦略的なやり方に変えていく必要があるのではないだろうかと考えました」
 「ボクも、そう思いますね。ボクや坂下や村本さんのようなベテランの成績はある程度安定していますけど、若手は、どうしても波がありますからね」
 「そのことを解消するために、経験の少ない人を育てる仕組みが必要だと考えたのですよ」
 「だから、交渉に入る前にみんなで見解合わせを行うルールを設けたのですね?」
 和田は、そのルールの意味がわかったような気がした。若手に対してベテランと一緒に考える機会を与えることで、若手の営業力を底上げすることができる。
 「その意味もありますし、独りよがりな狭い視野に陥ることを防ぐ意味もあります」
 石田三成が考えていた目的は二つだった。
 「でも、大事なのは、経験の少ない人を育てることのほうです。人は、成長する環境が与えられないと成長しませんから。みんなで考える時間を作ったことももちろん経験の少ない人の成長につながっていくと思っていますが、経験の多い人と一緒に仕事をする機会を与えたことのほうが、より成長につながっていくと考えています。そういう意味で、和田さんたちには、とても期待をしています」
 「わかりました」
 「これからも色々と工夫をしていきたいので、和田さんには、私と一緒に考えてくれることも期待したいのですが、構いませんか?」
 「もちろんですよ」
 和田が、はっきりとした声で返事をした。顔にも、生気がみなぎっていた。
 石田三成が、時間を確認した。時計の針は、午後零時五十五分を指していた。
 彼は、いきなり立ち上がった。午後一時からの仕事開始に遅れてはならないと思ったからだ。
 突然の行動に、和田が驚きの表情を浮かべる。
 そんな和田に向って「一時から仕事を始めなければならないですから」と石田三成が言葉を発した。
 (相変わらず融通が利かないなあ)和田は、胸の中で苦笑した。

14.
 父親の四十九日法要を九日後に控えたボクは、あることに対して思い悩んでいた。
 四十九日法要の手配は、すでに済ませてあった。家族と親族、父親の友人、主だった仕事関係者たちが参列する予定となっている。
 そこに、社員たちも呼ぶべきなのではないだろうかという思いが頭の中を巡っていた。
 父親は、生前社員のことを家族のような存在だと言っていた。その言葉通り社員のことを大切に扱っていた。その思いは、社員たちにも通じていたはずだ。
 四十九日法要は、故人を極楽浄土へ送り出すための儀式だ。
 (お父ちゃんは、社員たちにも見送ってほしいと思っているのではないのかな?)ボクは、父親の思いを察した。差し支えないのであれば、その思いを叶えてあげたい。今からなら、参列者の人数を増やすことも可能である。
 問題は、四十九日法要の当日が土曜日だということである。
 土曜日は、社員にとっては休日だ。この話を言い出せば全員で参列せざるを得なくなる雰囲気が出来上がってしまうのは間違いない。当日どうしても外せない予定のある社員がいた場合は、なぜもっと早く声をかけてくれなかったのだと思われてしまうだろう。
 四十九日法要が近づくにつれていっそう社員たちにも声をかけるべきではないだろうかという思いが強まってきたが、それらのことが引っ掛かり言い出せずにいた。
 葛藤し続けたボクは、石田三成に相談することにした。

 相談を持ち掛けられた石田三成は、頭の中で考えをまとめた。
 藤田が思い悩んでいるのは、社長である自分が声をかけることで、みんなが休日を返上して参列せざるを得なくなる雰囲気が生じてしまい休日に社員を拘束することになることと、参列したいのに外せない予定があるため参列できない人がいた場合に、もっと早く声をかけてくれたらよかったのにと思われてしまうことの二点だった。
 前者に関しては、声をかけるのであれば、藤田のほうから当日外せない予定がある人以外は全員参列してほしいとはっきり言うべきである。
 その場合、休日の時間を使わせてしまうことに対して手当を支給してあげれば、文句を言う人間はいないはずだ。
 考えなければならないのは、手当を支給する名目だ。拘束した時間分の残業代を支給するのが普通に考えられる対応だが、そうしてしまうと、いかにも会社が強制的に社員の休日の時間を拘束したように映ってしまう。
 加えて、たまたま時間の都合がついて参列できた人だけが特別な収入を得るというのも、どうしても外せない予定があって参列できなかった人からすると、すっきりとしないものが残るだろう。
 であるならば、故人からの形見分けという名目で社員全員に一律のお金を支給するのがよいのではないだろうか。
 当日参列した人に対しては、形見分けとしてのお金に加えて四十九日法要の進行の手伝いをしてくれたことへの感謝という名目で別途手当を支給してあげれば、参列しなかった人との金額の差を合理的に作ることができる。
 参列できない人からもっと早く声をかけてくれたらよかったのにと思われないためには、葬儀屋から最終的な参列者の人数を確認されたときに、社員を家族のように思っていた故人の思いを反映してあげたいという思いが湧いてきて急遽声をかけることにしたのだという言い方をすれば、角は立たないだろう。
 いずれにしても、今日中に全ての社員に声をかけ、参列できる人を確定することが望ましい。
 石田三成は、藤田に対して、そのように意見をした。
 「なるほど。故人からの形見分けという名目での手当支給ですか」
 ボクも、社員たちに声をかけると予定のない人以外は全員参列するという雰囲気になるのは間違いないので、何らかの手当が必要なのではないかと考えていた。
 彼の言う通り、残業代という名目で手当を支給してしまうと、いかにも会社のほうから強制的に拘束した感が生まれてしまう。そのような雰囲気が生まれることを父親は望んでいないはずだ。
 しかし形見分けという名目であれば、父親が社員のことを家族のように思っていたのだということをあらためて伝えることができるし、休みの日を拘束した感も生まれない。
 さらに、参列できた社員だけが何がしかのお金を手にしたというような不満も生まれることはない。
 直前になって声をかけたことについても、前々からそのような思いがあったのに言い出すことを先延ばしにしていたというような言い方をしてしまうと意に反して参列できなかった社員からの反発を食らうだろうが、直前になって社員にも参列してもらいたいという思いが湧いてきて声をかけたのだと言えば反発も生まれないだろう。
 (石田三成って、本当に機転の利く人物だったんだな)助言を受けたボクの胸の中でモヤモヤとしたものが薄れていった。

15.
 四十九日法要の日がやって来た。
 その日は、どうしても外せない家の用事があるために参列できない総務部の女性パート社員一名以外の社員が参列した。
 会場に着いた石田三成は、率先して法要の手伝いを行った。自分が率先して動くことで社員たちも手伝うための行動を取るようになり、そうなることで手伝ってくれたことに対して別手当を支給するという名目が得られると考えたからだ。
 法要は、僧侶による読経、焼香、法話、会食の順に進められた。

 会食は、葬儀の時と同様に、別室で高級な仕出し弁当と飲み物を摂る形式だった。
 僧侶と食事を摂らずに帰る一部の参列者以外の人たちが、思い思いに席に着いた。
 そのような中、石田三成の隣に、「よろしいかしら?」と声をかけ座った女性がいた。ボクの母親だった。ボクは、彼らとは少し離れた席に座っていた。
 母親が、「本日は、お休みのところお疲れ様でした」と言いながら、石田三成のグラスにビールを注いだ。石田三成も、母親のグラスにビールを注ぎ返していた。
 その後、ボクの挨拶で会食が始まった。
 「ご挨拶が遅れまして。私、藤田の母親でございます」母親が、石田三成に挨拶をした。
 普段会社に顔を出さない母親と石田三成とは、今日が初対面だった。
 石田三成も、丁寧な言葉で挨拶を返した。
 「とても頼もしい方に来ていただいたと息子が申しております」母親が、嬉しそうに話しかける。
 「大変恐縮です」石田三成は、照れたような表情を浮かべた。
 「なんせ、うちの人が突然逝ってしまいましたものでねえ。息子も、勉強不足なまま跡を継がなければならなくなって、苦労をしているようですわ」
 「そうでしたか……」
 「うちのような小さな会社の社長は、何から何までをこなしていかなければならないでしょう? 息子は、営業のことはわかっていると思いますけど、それ以外のことは一から勉強しなければならない状況ですので。本人は口にしていませんけど、社員さんたちをまとめていくことにとても苦労をしていると思うのですよ。息子よりも年上の方もおられますし、息子には先代のようなカリスマ性もないですから。石田さんは、どのようにご覧になられていますか?」
 「たしかに、人をまとめることに関して苦労はされていると思います」
 石田三成は、戦国の世で、年上の家臣や我の強い家臣などへの対応に苦心したときのことを思い浮かべた。
 力で押さえつけようとするやり方は、彼らには通用しなかった。あのころの武士たちは皆、自己顕示欲やプライドが強かったからだ。
 そんな彼らのことを御するために、石田三成は、人の上に立つ人間は『誰とでも分け隔てなく接すること』と『私利私欲にかられず全体の利益を優先すること』が重要なのだという考えを身に着けた。
 そのことは、現代の世においても通用することなのだろう。
 藤田は、そのことをわきまえているのだろうか。
 さらに、母親が話しかけてきた。
 「ちなみに石田さんは、うちの会社においでになる前は、どのようなところでお勤めをされていらしたのですか?」
 「商社系の会社で働いていました」
 誰かに問われた時のために、藤田との間で石田三男としての経歴を決めていた。母親は藤田のやることには口出しをしない主義であり、石田三男がどのような人物なのかも聞いていなかったということだった。
 「やはり、営業のお仕事をされておられたのですか?」
 「営業の仕事もしていましたし、経営企画の仕事もしていました」
 「そうなのですか。それは、とても頼もしいですわねえ。ちなみに、息子とは異業種交流会で知り合われたとか?」
 「そうです」
 「彼の依頼をよく引き受けてくださいましたわねえ。失礼ですが、お給料なんかも、以前の会社のほうが、かなり良かったのではありませんか?」
 ビールを飲む母親の口が滑らかになっていた。
 「給料面ではそうですけどね。私は、私のことを必要としてくれる人のもとで働きたいという考えがありますので、藤田社長の心意気に応えるべく、川相さんの跡を継ぐことにさせてもらいました」
 「そうだったのですか。本当にありがたい話です。営業のほうももちろんお願いしたいのですが、息子もまだまだ至らないところが多いですので、一人前の経営者に育ててあげてほしいのですよ。たぶん本人も、そのことを期待しているのだと私は思っています」
 母親からの最後の言葉を石田三成は重く受け止めていた。
 派遣の依頼をしてきたときに、藤田は、社長としての仕事のフォローをしてほしいという言葉を何度も口にしていた。彼にとって、営業部の取りまとめよりもそっちの期待のほうが大きいのかもしれない。
 石田三成は、そろそろ藤田に対する仕事のフォローを行える体制を整えていかなければならないのだろうなと思った。

16.
 石田三成は、藤田に対する仕事のフォローを行えるようにするためには、現在自分がやっている仕事を他の人間に任せることが必要だと考えていた。そのことが、次の営業部長を育てることへとつながっていく。
 石田三成は、次の営業部長の候補として主任の和田を想定していた。
 もともと次の営業部長になるべき人間は和田、坂下両主任、もしくは最年長社員の村本のいずれかだと考えていたが、坂下は周囲に気を使いすぎる面があり、村本は年齢が上であることへのプライドが垣間見えるため、和田が適任ではないかという判断を下していた。
 彼は年齢的にも村本に次いで二番目であり、会社のそばのファミリーレストランで話し合いをした時以来、ヤル気を前面に押し出している。
 石田三成は、どの仕事を任せたらよいのかを考えた。
 自分が現在行っている仕事は、営業部全体の計画を立てて管理をしながら定期的に藤田に報告すること、外部から営業に役立つ情報を収集すること、営業に関係する情報や結果を分析・加工することで営業をやりやすくする環境を作ること、営業マンたちの行動を観察しながら意見をすること、そして藤田と共に主要な取引先との調整に当たることだ。
 最終的には全ての仕事を次の営業部長になる人物に引き継いでいかなければならないのだが、まずは日常の営業活動の延長線上にある仕事から任せていくのがよいのではないか。
 石田三成は、外部からの情報収集と営業に関係する情報や結果の分析・加工の仕事を任せてみようと考えた。
 和田がそれらのことをこなせるようになった頃合いを見計らって、彼を遊軍として動ける位置に置いたうえで営業マンたちの行動を観察しながら意見をする仕事もやってもらい、最終的に社長の藤田との接点が生じる営業部全体の計画の作成管理と報告、主要取引先との調整の仕事を任せていくという筋書きを頭に思い描いた。

 次の営業部長を育てる考えをまとめた石田三成は、和田と話し合う時間を作った。
 自らの派遣期間が一年間と決まっていることは藤田との約束で口にできないので、社長の仕事を手伝ってほしいという藤田からのリクエストに応えるために、現在自分の抱えている仕事を手伝ってほしいという言い方をした。
 営業に関することを自分と一緒に考えてほしいという気持ちは、すでに伝えてある。
 手伝ってほしいという仕事の内容を聞かされた和田は、自分にやれることなのだろうかと不安になった。少なくとも、石田三成が自分たちに提供してくれているような内容のものを作れる自信はない。
 和田は、その不安を口にした。
 「やり方については、私が一から教えていきます。最初は、私と一緒にやっていきましょう。大丈夫です。すぐに覚えられますよ」石田三成は、安心させるように声をかけた。
 しかし、和田の表情からは不安の色がなくならない。
 「まだ、それ以外に不安なことがあるのですか?」石田三成は確認した。
 「時間があるのかなと思って」
 「どういうことですか?」
 「今は数字を上げるために目いっぱい営業をしなければならない状況ですし、それをやりながら管理の仕事もしなければならなくなると、働く時間を相当増やさなければならなくなるから、やれるのかなって不安になります」
 (そのことを考えるべきであったか)彼はチームの一員として営業をしているが故に、自在に動ける時間を作りづらい状況に置かれているのだ。
 石田三成は、和田を遊軍として動ける位置に置く時期を早める必要性を感じた。
 「それでは、和田さんが遊軍として動くことのできる体制に変えていきましょう。そうすれば、先ほど私がお願いした仕事をやるための時間が作れるはずです」
 「でもそうしてしまうとボクの代わりに営業チームを引っ張っていく人間が必要になりますけど、それはどうしたらいいのですか?」
 「チーム編成の組み換えを考えてみませんか?」
 現在は、三チーム体制のもとで和田、坂下両主任と最年長社員の村本の三人がチームを引っ張る役を担い、それ以外の三人の若手営業マンがローテーションを組みながら定期的にチームを移動し活動するという体制を取っていた。
 「具体的に、どうするのですか?」
 「それを、今から一緒に考えましょうよ」
 二人は、どのようなチーム編成がよいのかを話し合った。
 和田は、若手営業マンの中では一番年上の石橋をチームを引っ張る側に異動させることで三チーム体制を維持して、残りの若手営業マン二人をローテーションでいずれかのチームで活動する体制を敷いたらどうかという意見をした。自分自身が遊軍という立場で、必要に応じてチームのサポートを行う体制であった。
石田三成はその意見に賛成だったのだが、ある狙いを胸に秘め、わざと異なる意見を口にした。
 それに対して、和田が、そうすることで石橋を育てていきたいのだという考えを強く主張した。
 石田三成の狙いとは、そのことだった。
 その後石田三成が賛成に回り、和田の考えた構想で営業チームの再編成を行うことが決まった。

17.
 石田三成は、和田が遊軍として動けるように営業部内の体制を変えた。それと共に、外部からの情報収集及び営業に関係する情報や結果の分析・加工に関して、自らがやってきたやり方を和田に教えていった。
 和田も懸命に勉強し、間がなく一人でそれなりの対応ができるようになった。
 他の営業マンに対する説明も和田自身が行うようになり、石田三成の藤田に対する仕事のフォローを行うための体制も整いつつあった。
 しかし、ここに一つの落とし穴が待ち構えていた。

 営業部主任の坂下と最年長社員の村本がボクに不満を漏らしたのだ。
 不満というのは、石田三成が和田だけを贔屓しているのではないのかという内容だった。彼だけに営業の管理仕事を任せていることについて彼らが石田三成に問うたところ、和田が適任だと判断したから任せているのだという答えが返ってきたということだ。
 二人とも営業部の最前線に立って仕事をしているという自負を持っており、和田だけがいろいろと仕事を任せられていることに納得がいかない様子であった。
 ボクは、石田三成が、自分の後継者として和田に白羽の矢を立てたのだなと思った。
 そのことに対して反対するつもりはないが、営業部内に軋轢を生むやり方は良くない。
 ボクは、石田三成と話をすることにした。

 その話を聞かされた石田三成は、戸惑いを感じた。
 彼らは、何に対して不満を口にしているのだろうと思った。
 適任と判断した人間に大事な役割を任せるのは上に立つ人間として当然の務めである。そのことに対して、下の人間が口を挟む余地などないのではないだろうか。
 石田三成は、その考えを口にした。
 それに対して、ボクが意見をした。
 「石田さんの言うことは正論だとボクも思います。しかし、相手は人間なので、特別扱いされたという感情が生まれてくるのも当然だと思うのですよ。そのことへの配慮も必要なのではないでしょうか」
 「配慮というのは、坂下さんや村本さんに対してですか」
 「そうです」
 「しかし、統率すべき人間がいちいち下の人間に配慮などしていたら、統率力が低下して、良い結果を生めなくなることにつながりませんか」
 「彼らがヤル気をなくしてしまうことも、結果が悪くなることにつながると思うのですけどね」
 「藤田社長の命令とあらば、何らかの対応は行いますが……」
 石田三成は、どこかスッキリとしないようだった。
 ボクは、石田三成に関する言い伝えを思い返した。その中に、『人の心が読めない人間である』、『他人に対する細かい配慮ができない人間である』という内容があった。関ケ原の合戦の直前に、島津義弘や小西行長らが行った西進する東軍の出鼻をくじくための献策を明確な理由を示さないまま却下し、それに対する何のフォローも行わなかったために、西軍に加わった大名たちの士気を下げてしまったというエピソードもある。
 今回のことも、坂下と村本からなぜ和田だけが任せられているのかと問われた時に、『今回の件はいろいろと考えたうえで彼に任せることにしたけれども、あなたたちのことも期待をしているから、今後協力してもらいたいことができた時は任せていきたい』とでも言えば、彼らもすんなりと理解をしたはずなのだ。
 ボクは、そのように石田三成に意見をした。
 「彼らの自分たちが営業部を引っ張っていくのだという気持ちも大事にしたほうがよいと思うのですが」
 「その気持ちを踏みにじろうなどという考えは、決してないのですが」
 「でも、今のままだと、坂下さんや村本さんは、自分たちは石田部長に認められていないのだと感じてしまうと思いますよ。そうなると、彼らの士気が下がって、営業部の成績も下がってしまうのではないかとボクは心配しています」
 「うーん……」
 「石田さんがそのような対応をするのが難しいのなら、代わりにボクがやってもいいですよ」
 ボクは、一刻も早く二人に対して何らかのフォローをしなければならないと考えていた。
 それに対して、石田三成が、少しだけ考えたいので待ってほしいと返事をした。

 石田三成は、思案した。
 そんな彼の頭の中で、親友の大谷吉継から言われ続けていた「お主の欠点は、他人に対して気持ちの面での配慮ができないことだ」という言葉が思い浮かんだ。
 感覚的にはわかっていることだった。しかし、上手に対処することができない。
 藤田が指摘することは、まさにその通りだと思う。彼らのヤル気を下げたままでは、営業部の成績は伸びない。
 やはり、フォローが必要だ。それも、営業部内における統率力を維持するために、藤田の力を借りずに自分自身で行う必要がある。
 石田三成は、藤田が口にした言い方で二人をフォローすることにした。和田を自分の後継者にするという考えを変えるつもりはなかったが、二人に対しても任せられることは任せていこうと思った。

18.
 石田三成が期待しているという思いを伝えたことで、坂下と村本も気持ちを治めた。彼らは、和田が営業の管理仕事を任されたことへの理解も示した。
 この問題を解決した石田三成は、ボクに対する仕事のフォローを開始した。
 手始めに、計画を作成して管理をする仕事に対して協力をしてくれた。
 社長であるボクは、会社としての方針を掲げたうえで、方針に基づいた計画を立てて管理をしていかなければならないのだが、経験不足で、いまだに満足な計画を作ることができずにいた。父親が作っていた計画を真似しようとしたのだが、上手くいかなかった。
 そんな中、彼は、ボクの頭の中の考えを引き出しながら、その内容を計画としてまとめる手本を示し、管理するやり方について意見をしてくれた。
 そのおかげで、ボクは、計画の作成や管理を行うことのコツをつかむことができた。
 さらに、石田三成は、予算管理の仕事のフォローも行ってくれた。
 様々なことに対する予算の割り振りや実績の管理を行うのも社長としての仕事である。
 これらは、彼が最も苦手としていた仕事だった。
 これにより、ボクの予算管理能力がめきめきと上達した。

 八月になり、賞与を支給する時期がやって来た。
 一般的には夏の賞与を七月に支給する会社が多いのだが、株式会社日本人材総合サービスでは、父親のお盆休み前に支給するほうが社員に喜ばれるだろうという考えから、毎年八月に支給をしていた。
 ボクは、石田三成に相談したうえで、会社として無理の生じない賞与の予算を決定した。
 問題は、誰にいくら支給するかである。
 父親は、社員は全員一律いくら、パート社員は全員一律いくらというような決め方をしていた。そうすることで不公平感が生じないだろうという考えからであった。
 ボクも、同じ考えだった。社員は皆頑張っているので、平等に報いてあげるべきだ。
 しかし、思いもよらぬことが発生した。ボクの考えに、石田三成が猛反対したのだ。
 「貢献に応じて差を設けるべきだと思います」
 何らかの評価を行ったうえで合理的な差を設けることが会社のためになるという意見だった。
 「なぜですか? みんなの頑張りで生まれた会社の利益をみんなに分配するのですから、平等に分けたほうが文句も出ずに良いと思いますけどね」
 「貢献してもしなくても同じだけの褒美がもらえるとなれば、組織を良くするために内部で競い合おうという機運が無くなり、全体が弱体化していきます。平等というのは、公平なようで公平ではありません」
 いつになく、石田三成の口調が厳しい。
 しかし、ボクは、彼の考えをすんなりと受け入れることはできなかった。
 彼が主張するような考え方で賞与を支給している会社があることも、もちろん知っていた。しかし、うちのような小さな会社は、全員で団結してやっていかなければ生き残ることができない。
 変に差を設けることで要らぬ軋轢が発生し、団結力が低下して、会社の業績を悪化させてしまうのではないだろうか。
 ボクと石田三成の意見は平行線を保った。
 ボクは、頭の中を整理するために、モモタさんの意見を聞いてみようと思った。

 モモタさんがボクの前に現れた。
 「石田三成さんは、上手くやってくれていますか?」現れるなり聞いてくる。
 「ええ。ものすごく助かっています。ボク自身、仕事を教えてもらっていますし」
 ボクは、会社の計画や予算に関して作成や管理のやり方を教わったことを話した。
 その話をした後に、ボクは、賞与の件で石田三成と意見が対立していることを伝えた。そのことに関してモモタさんの意見を聞きたいのだという気持ちも伝える。
 「難しい問題だねえ……」モモタさんが考え始めた。ボクは、彼が口を開くのを待った。
 「藤田くん自身は、上の人間がしっかりとした指示を与えて下の人間が指示に従いながら足並みを揃えて行動していく経営のやり方のほうが良いと考えているのか、それとも下の人間にも積極的に考えさせて競わせることで成長を促す経営のやり方のほうが良いと考えているか、どちらなのかな? つまり、守りの経営なのか攻めの経営なのかという話だけど」
 そのように問われたボクは、答えに窮した。どちらも必要なことだと思っていたからだ。
 モモタさんからの質問に対して、そのように答えた。
 「では、質問の仕方を変えてみようか。今の会社では、どちらの要素のほうがより不足していると感じているのかな?」
 今度の質問に対しては、答えはすぐに出た。ズバリ、後者だ。足並みは揃っていると感じているが、社員一人一人が考えながら競い合う雰囲気はない。
 「だとすると、答えを出すのは簡単だね。藤田くんは、社員が足並みを揃えて行動することと社員一人一人が考えながら良い意味での競争を生み出すことの両方ともが必要だと考えているわけだから、今の時期に、不足している競争を生み出す雰囲気作りに着手するべきだと考えるならば石田三成さんの言う評価をしたうえで差をつけることのほうが望ましいと言えるだろうし、そのことが時期尚早だと考えるのならば今まで通りの平等でよいということになるのではないのかな」
 モモタさんの助言を頭の中で消化したボクは、会社としてどちらの対応が必要なのかを考え、次の冬の賞与からは評価をしたうえで差をつけることを決めた。

19.
 夏の賞与の支給日が目前に迫る中、ボクは、次の冬の賞与の時からどのようなことをどのような形で評価すればよいのかについて石田三成の意見を聞いてみた。
 やるならやるで、仕組みを明確にしたうえで、社員たちに説明をしなければならない。
 突然評価しましたでは社員たちも戸惑うと思うので、夏の賞与支給の話をする時に今後の対応についての説明をしておく必要があった。
 「過去に、社員の評価をしたことはなかったのですか?」
 「ボクの覚えている限り、そういったことはなかったですね」
 石田三成から賞与以外のことで社員の評価をしたことはなかったのかと問われたボクは、過去の記憶を振り返りながら、そのように答えた。昇給に関しても昇格に関しても、具体的な評価に基づいて行われていた記憶はない。そういったことは、全て父親が一人で決めていたからだ。
 そのことを知った石田三成が、加点方式で評価を行ったらよいのではないかと意見をしてきた。
 彼の言う加点方式とは、全社員一律の支給金額を決めておいたうえで、評価の対象となる貢献があった場合、金額を加算するというやり方だった。
 例えば、一律金額が十万円で新しい取引先を開拓した場合は一件につき二万円を加算するルールを作ったとしたら、ある営業マンが三件の開拓に成功した場合は合計十六万円の支給となる。
 石田三成曰く、そのようなやり方をすることで組織のために競い合う雰囲気が生まれてくるということだ。戦国武将として活躍していた時代に、そのようなやり方で家臣たちを競わせたことがあったのだろう。
 話し合いの結果、営業部に所属する六人の加点評価の基準は石田三成が作り、総務部に所属する三人の加点評価の基準はボクが作ることになった。
 その後、石田三成が、営業部に所属する六人に対して、新しい取引先の開拓、終了する取引の継続、営業に役立つ情報の収集、他の営業マンに対する協力を加点評価の対象にしたいと提案してきた。
 チームで貢献した場合は、加算される金額をチームの全員で公平にもらえるようにするということだった。

 夏の賞与の支給日、ボクは、社員たちに感謝の気持ちを伝えた上で、次の冬の賞与から加点評価を行うことを告げた。加点評価の仕組みも具体的に説明した。金額に関しては賞与の予算が決まらないと確定できないので、支給日に説明するというように伝えた。
 仕組みを変えることに対して反発する社員がいるのではないかと内心ひやひやしていたのだが、社員たちは皆、加点評価を行うことを歓迎してくれた。
 ボクは、この雰囲気が、良い意味での競争につながっていくことを祈った。

 石田三成は、加点評価をスムーズに行うための体制も考えていた。
 新しい取引先の開拓や終了する取引の継続の評価は該当する事案が発生する都度記録が残るので自分一人でも対応できるが、営業に役立つ情報の収集や他の営業マンに対する協力の評価は広く目を光らせておかなければならないため、協力者が必要だった。
 このことを踏まえたうえで、営業に役立つ情報の収集の評価は自分と和田とで行うことにした。
和田は、すでに情報の分析・加工や外部からの情報収集の仕事を行っているので、彼がこれに関する評価を行うことについては他の営業マンたちからの理解を得ることができるだろうと考えていた。
 他の営業マンに対する協力の評価については、自分と和田、坂下、村本の四人で行うことにした。
 以前、和田だけを贔屓しているのではないかと不満を漏らした坂下と村本に対して、『今後協力してもらいたいことができた時は任せていきたい』と伝えていたが、さっそく実行に移すことができる。
 このような体制を取ることを伝えられた和田は、ますますヤル気を表した。
 坂下、村本の両名も、協力をしますと返事をしてきた。

20.
 会社のお盆休みを迎えた。
 今年の休みは、土日を含めた五連休だった。
 社員たちは皆、旅行や帰省の予定を立てていた。石田三成は、この世にいる間だけ暮らすために借りていたマンションの部屋で過ごすということである。
 ボクは、恋人の川島里奈と二人で、四泊五日の予定で中京地区を旅行する計画を立てていた。
 彼女は、大学時代のサークルの後輩だった。大学在籍中は付き合ってはいなかったのだが、卒業後のサークルOB会で再会し、それ以来付き合うようになった。交際期間は七年にも及んでいる。
 去年、彼女が三十歳の誕生日を迎えた時にプロポーズをしようと思っていたのだが、仕事が忙しくて言いそびれていた。
 ボクは、社長としての仕事が落ち着いたら彼女にプロポーズをするつもりでいた。

 彼女との旅行は、初日は知多半島にある温泉旅館に宿泊して、二日目は岐阜市内へ移動し、三日目と四日目は名古屋市内のホテルで宿泊する予定でいた。
 そして、二日目の夜を迎えた。
 ボクと彼女は、長良川の見えるホテルに泊まっていた。
 晩御飯をホテルのレストランで済ませた後に、部屋で彼女と子持ち鮎の姿煮をつまみに地元のお酒をチビチビと飲んでいた。
 「社長の仕事、慣れてきたん?」彼女が、おもむろに問いかけてきた。
 「そうやなあ……。ぼちぼちって感じかな」
 本当のところは、不安だらけだった。旅行中も、会社のことを考えてしまうときがあった。
 「そうなんや。新しく来た部長さんが、すごく頼りになるんでしょ?」
 「まあね」
 「歳、いくつやったっけ?」
 「四十二」
 「てっちゃんより九つも上なんや。でも、前の部長さんのときよりはましなんと違う? 前の部長さんは、お父さんの先輩やった人なんでしょ? その人が部長やったら、やりにくかったよね?」
 ボクのことをてっちゃんと呼ぶ彼女が、川相さんよりも石田三成のほうが年齢が近い分話しやすくてましなのではないかと口にした。
 たしかに、ボクは川相さんに対してはかなり遠慮をしていた。もし今でも川相さんが部長のままでいたら、ここまでいろいろと相談はできなかっただろう。
 そういう面で、部長が石田三成に代わってよかったのかもしれないが、彼は彼で頭がキレるし、気後れしてしまう面もある。
 なによりも、正体が歴史上の有名人だというところが、どこかで遠慮をしてしまう原因となっていた。
 ボクは彼女に、正体が歴史上の有名人だという部分を除いて、感じていることをしゃべった。
 「へえ、そんなに頭のキレる人なんや。態度は、どうなん? 上から目線的な人なん?」
 「そんなことはないよ。ボクのことも立ててくれているし、社員に対しても丁寧な言葉で接しているし」
 「下の人からも慕われているの?」
 「そうやなあ。今は、慕われているのかな」
 部長が交替した当初は営業部の中で石田三成に対して冷ややかな視線を送る社員もいたが、今の営業部は、彼を中心にまとまっていた。
 いつだったか、主任の坂下と最年長社員の村本が和田ばかりを贔屓していると不満を漏らしたときに、二人に対して何らかのフォローをしたほうがよいのではないかと諭し、彼がそのことを実行してくれたのだが、そのときを境に営業部がまとまり出したようにボクの目には映っていた。
 「それやったらええやん。頭も良くて、部下からも慕われていて、性格も謙虚で。てっちゃんの仕事も手伝ってくれてはるんでしょ?」
 「まあね」
 「そんな人がいてくれてはるんやったら、てっちゃんも、心配せんと社長の仕事ができるよね?」
 彼女が、笑顔で言った。しかし、目の奥は真剣だった。一日も早く社長の仕事を落ち着かせてプロポーズしてもらえることを待ち望んでいるのだろう。
 ボクは、切ない気持ちになった。
 石田部長体制は永遠ではない。来年の五月に派遣期間一年を迎えた時点で、彼はいなくなってしまうのだ。
 ボクは、彼のことを、人としても信頼していた。
 融通が利かず人の心が読めない面もあるが、律儀で私利私欲にかられずに誰とでも分け隔てなく接することのできる人間性の優れた人物である。
 そんな彼が残した功績も大きい。
 石田三成のことを思ったボクの頭の中に、ある思いが湧いてきた。関ケ原の古戦場を巡ってみたいという思いだった。
 明日は、岐阜のホテルをチェックアウトした後に、名古屋に移動し、市内観光をする予定を立てていたが、その予定を変更して巡ってみたいと思い立った。
 ボクは、そのことを彼女に伝えてみた。
 突然の話に彼女も驚いたようだが、嫌だとは言わなかった。彼女自身、戦国時代のことに興味を持っていたからだ。
 ボクは、スマホの移動アプリで、関ケ原を経由して名古屋に移動する時間を確認した。

21.
 岐阜から関が原へは、大垣駅で乗り換えをして三十分で到着した。
 JR関ヶ原駅の線路脇には、東軍と西軍のそれぞれ合戦に参加した主な大名の名前と率いた兵数の記された看板が掲げられていた。
 駅のホームに降り立ったボクと彼女は、スマホのカメラで看板を写真に収めた。
 駅の改札を出て道を進むと、太い字で関ヶ原町と書かれたカラフルな塔に出くわした。観光客向けの看板のようだ。
 そこでも彼女と一緒に写真を撮ったボクは、スマホの地図アプリで、石田三成陣跡への行き方を確認した。

 石田三成陣跡は、小高い丘の上にあった。そこからは、眼下に関ケ原の合戦の決戦の地が見渡せた。
 ボクは、現在の石田三成の顔を思い浮かべながら、合戦当時の様子を頭の中で思い描いた。
 今ボクが立っているあたりに石田三成が本陣を構え、その前方で島左近や蒲生郷舎らの勇猛な家臣たちが、迫りくる黒田長政隊や細川忠興隊らの軍勢を相手に懸命に戦っていた。辺り一面に大一大万大吉の軍旗がはためいている。
 その模様を、本陣にいた石田三成は、どのような思いで見つめていたのだろうか。
 ボクは、大一大万大吉について勉強をしていた。その言葉には、『戦乱のない天下のもとで、一人が万人のために、万人が一人のために命を注げば、すべての人間の人生は吉となって太平の世が訪れる』という意味が込められていた。
 一人というのは国を治める領主のことであり、万人というのは城下で暮らす領民のことだ。
 領民のことをとても大切にしていた石田三成が人々から大変慕われていたというのは有名な話である。
 合戦に敗れはしたものの、石田軍はどの部隊よりも士気が高く、勝手に戦場を離脱する者もおらず、最後まで石田三成のことを守りながら戦い抜いたということだ。
 ボクは、三十分近くもの時間、石田三成陣跡に立ち尽くした。

 石田三成陣跡の近くにある関ヶ原ウォーランドに立ち寄り大谷吉継の墓地にまで足を延ばしたボクと彼女は、JR関ヶ原駅に戻り、名古屋へ向かった。
 電車の座席に揺られながら、ボクは、石田三成がいなくなった後のことを考え続けた。
 正直、不安なことだらけだった。
 一番不安なのは、自分よりも年上の社員と接することに関してだった。
 石田三成を除いた十人の社員のうちの半数が自分よりも年上である。今は石田三成がみんなを上手にまとめてくれているが、彼がいなくなった後に、自分一人で上手くまとめていくことができるのだろうか。
 社長と社員という関係なので遠慮することはないのだが、やはり一目置いてしまう。
 このこと以外にも、計画や予算の管理を行うことに関しては石田三成に頼りっぱなしであった。
 彼は数字にめっぽう強く、機転も利くため、予算の配分や計画の見直しを行うことに関して適切な助言を与えてくれていた。
 これらの能力は、ちょっとやそっとで身に着けられるものではない。持って生まれた資質という面でもあるし、後天的に習得する場合であっても相当の時間と経験を必要とする。
 ボクには、残り九カ月間という時間が、ものすごく短く思えていた。そのことが、恐怖にもなっていた。
 これからどうしていくべきなのかということを、ボクは懸命に考えた。
 そんな中、ある疑問が湧いてきた。一年間の派遣を終えた後に、新たな契約という形で引き続き一年間派遣として来てもらうことはできないのだろうか。
 それが可能なのであれば、石田三成に長く協力してもらうことができる。営業部長としての役割は一年が経過した時点で和田に引き継いだとしても、経営幹部として残ってもらえるのであれば、ものすごく助かる。
 仕事のことを相談する相手としてはモモタさんもいたが、彼は派遣という形で現世に姿を現すことのできる資格がないため、リアルな場面で相談することができない。
 ボクは、新たな契約という形で再び来てもらうことが可能なのかどうかを石田三成に確認してみようと思った。

22.
 休み明け、ボクは、石田三成と二人きりで話をする時間を作った。
 最初に、関ケ原へ行ってきたことを話した。その中の大谷吉継の墓地に出向いたという話に、石田三成が食らいついてきた。
 「刑部殿の墓が、関ケ原にあるのですか?」
 「ぎょうぶどの、ですか?」
 「大谷吉継さんのことです」
大谷吉継の官名が刑部少輔であり、周囲から刑部という通称名で呼ばれていたということだった。
 「ありましたよ」
 「どのあたりにあったのですか?」
 大谷吉継の墓地は、関ケ原ウォーランドから歩いて三十分ほどの山の中にあった。石田三成の陣跡からだと一時間近くはかかるだろう。
 ボクは、石田三成の陣跡から見た方向やおおよその距離、山の中にあったということを伝えた。
 その説明を聞いた石田三成が、時折首をひねりながら、何ごとかを考えるような表情を浮かべた。
 彼の表情が元に戻ったのを確認したボクは、話題を変えた。
 「話は変わるのですが、石田さんが来年の五月に派遣期間一年を迎えた時に、新たに派遣の契約を結んで、再び一年間来てもらうことはできないのですか?」
 「この会社にという意味ですか?」
 「はい」
 「大変申し訳ないのですが、同じ相手に対して二度以上派遣で現れることはできないのですよ」
 「そうなんですか……」
 ボクは、がっくりと肩を落とした。
 しかし、気になる言葉があった。同じ相手に対して二度以上派遣で現れることはできないということは、違う相手に対してなら可能だということなのだろうか。例えば、社員の誰かと石田三成が契約をしたという形で再び会社の面倒を看てもらうことは可能だということなのか。
 ボクは、そのことを確認した。
 それに対して、石田三成はこのように答えた。
 「不可能なことではないですが、現実的な話ではないですね。例えば社員の中であの世と交信できる能力を持った人物がいたとして、あの世の人間を通じてこの制度のことを知ったうえで私を指名して派遣の契約を結んだ場合のみ引き続いて藤田社長のお手伝いをすることができるわけですが、藤田社長はこの制度を利用していることを他人に口外することができないので、たとえそのような人物がいたとしても、私がこの制度を通じてこの会社に来ていることや私の正体について知る由もなく、私と契約を結ぶという状況が生まれる可能性も極めてゼロに近いものだと言えるでしょう」
 言われる通りだった。再び彼がこの会社に舞い戻ってくることは、ありえないことなのだ。
 ボクは、絶望感に覆われた。
 そんなボクの姿を、石田三成が見つめ続ける。
そして、語り掛けてきた。
 「なぜ、このことを聞こうと思ったのですか?」
 「……不安があるからです」
 「不安とは、どういうことですか?」
 ボクは、旅行中に考えていたことを口にした。石田三成がいなくなった後に社員を上手にまとめていくことができるのだろうか、計画や予算の管理を上手く行っていくことができるのだろうか、という不安である。
 「藤田社長は、私に甘えているのかもしれませんね」
 「甘えている、ですか?」
 「私のいる間に体制を整えなければならないのに、私にやってもらえている状況を当然のことのように受け入れてしまっていますよね?」
 「当然とは思っていませんよ!」
 「それならば、体制を整えるためにはどうすればよいのかを考えればよいだけではないのですか?」
 その言葉に、ボクはカチンときた。自らの力で体制を整えなければならないことくらい、言われなくてもわかっている。でも、今は不安なのだ。そのことをわかってほしくて相談をしているのに、冷静な顔をして考えればよいだけではないのかと口にしてくる。
(ほんとうに、人の心が読めない人間なんだな!)ボクは、胸の中で毒ついた。
 その声が聞こえたのか、石田三成が意見を続けた。
 「計画や予算の管理については、今後は、初めから口出しするのは控えようと思います。社員をまとめることについては、これからの藤田社長の社員との接し方について一緒に考えましょう。藤田社長を中心に社員がまとまる体制を作るための接し方を一緒に考えていきましょう」
 その言葉に、ボクは目が覚めた。愚痴っている暇があるのなら、対策を考えて実行に移すべきなのだ。あと九カ月しか時間は残されていないのだから。
 「社員との接し方に関して、石田さんに、何かいい考えがありますか?」
 「ないこともないのですが、藤田社長に考えてもらったうえで意見をします。藤田社長自身がまとめていかなければならないのですから、藤田社長が考えたことに対して意見をする形のほうがよいと思います」
 石田三成の意見は、正論だった。

23.
 年上の社員に対して遠慮をしてしまう理由は、自分の中ではわかっていた。
 父親が社長だった時は上からの指示を受ける側の人間だという意味でボクと社員たちの立場は同じだったので、一般的な感覚で、自分よりも年上の社員のことを敬っていた。営業課長という肩書はあったが、実際は他の社員と同じように父親の指示を受けて働いていたからだ。
 敬うという気持ちは、今も同じである。
 だからといって遠慮をしているのではない。互いの考えをわかり合えていないと感じてしまうから遠慮をしてしまうのだ。
 ボクが指示をしたことに対して相手が理解を示してくれなかった時に、相手が年上の社員だった場合、上手に説明する自信がないのだ。年上の社員たちは皆仕事に関して自分よりも知っている部分が多く、説得性に欠けると感じてしまうのだ。
 このような引け目を解消し年上の社員と普通に渡り合える接し方を考える必要がある。
 (そうしていくためには、互いの考えをわかり合うことを第一に考えるべきなのだろうな)そのように思ったボクの頭の中で、ある記憶がよみがえってきた。
 定期的に参加している異業種交流会で、社員一人一人が仕事に関する目標を立てて定期的に上司と面談することで上司と部下との間のコミュニケーションを深めていくことができるという話を聞いたことがあった。
 この話を上手に活用すれば、自分が今抱えている悩みを解消することができるのではないだろうか。
 つまり、こういうことだ。自分のほうからそれぞれの社員に対して期待していることを伝えて、相手の考えや思っていることも理解して、そのうえで一人ずつ目標を立ててもらい、その後定期的に面談する機会を設けることで、互いの考えをわかり合うことができるようになり、指示を与えやすくなる状況も生まれてくるのだ。
 ただ、この話にも一つ問題があった。
 総務部の社員に関しては直接自分とやり取りをしてもおかしくはないが、営業部の社員は石田部長がいるのに直接自分とやり取りをするのはおかしいのではないかということだ。現状では石田部長の任期が来年の五月までだという話をすることはできないので、直接自分とやり取りをすることの理由も作れない。
 しかし、この話は、自分と社員が直接やり取りをしなければ意味のないことだ。自分自身が特に遠慮をしてしまっている相手が、営業部の主任である和田、坂下と最年長社員の村本だったからだ。
 目標面談の仕組みを取り入れることが効果的なのだという確信を持つことはできたが、営業部の社員と直接やり取りをする理由に関して思考が中断してしまった。
 ボクは、モモタさんの力を借りることにした。

 すぐにでも相談をしたかったボクは、会社を抜け出し、会社の近くにある一人カラオケ専用のカラオケボックスの中に入った。モモタさんは、交信を始めればどこへでも現れる。
 「ここは、どういうところなのかな?」カラオケの存在を知らないモモタさんが、今いる場所のことを聞いてきた。
 それに対して、ボクが、伴奏だけの録音を再生する装置を使って自由に歌う場所なのだという説明をした。
 目を丸くしながらへえという言葉を繰り返すモモタさんに向って、ボクは、石田三成がいなくなった後に社員をまとめていくために目標面談の仕組みを取り入れようと考えたことや、営業部の社員と直接やり取りをする理由が作れずに困っていることを伝えた。
 モモタさんの関心が、カラオケからボクが相談したことへと移り変わった。
 しばしの時間考えていたモモタさんが「昇給の時とかって、どうしていたのだっけ?」と質問をしてきた。
 「どうしていたとは、どういう意味ですか?」質問の意味がわからなかったボクは聞き返した。
 「何を基準にして、昇給するしないや昇給の金額などを決めていたのかなという質問なのだけど」
 「基準は社長の頭の中にありましたね」
 四月が昇給の時季だったが、毎回父親が一人で考え決めていたのだ。
 「だったら、昇給の評価を行う時の材料にするために、一人一人が目標を立てて定期的に社長と面談を行う仕組みを取り入れるとかでもいいのではないのかな? 藤田くんがそういったことで昇給を決めたくないと思うのなら、ダメかもしれないけど」
 「いえ。別にそんなことは思わないですし……。というか、そのやり方、いいですね。いただいちゃいます!」
 ボクは、手を叩いた。さすがはモモタさんだ。発想が豊かで素晴らしい。
 石田三成は頭がキレるという面で優れ者だったが、モモタさんは柔軟性があるという面で優れ者だった。
 ボクは、あの世の人間である二人の頭脳をリスペクトしていた。

24.
 石田三成も、目標面談の仕組みを取り入れることや昇給評価の材料にするという名目でボクと営業部の社員が直接やり取りをすることに対して賛成をしてくれた。
 そのうえで、社員に期待する役割のレベルを体系化してみたらどうかと助言をしてくれた。
 体系化するというのは、例えば、営業部のベテラン社員にはこの程度の仕事を期待する、中堅の社員にはこの程度の仕事を期待する、などという内容を、誰が見てもわかるようにまとめるという意味である。
 石田三成は、まとめた内容と給料の水準をリンクさせたらよいのではないかという意見も口にした。
 ボクの頭の中では、課長や主任といった肩書とリンクさせることを思いついていた。

 石田三成の意見を参考にしながら社員に期待する役割のレベルを体系化したものをまとめ上げたボクは、社員一人一人と面談したうえで、それぞれに期待をしたい内容を伝えた。そのうえで、来年三月までの間に意識をしながら取り組んでいく仕事の目標を一人ずつ立ててもらい、毎月一回面談を行うことを約束した。むろん、話をしていく過程で、社員一人一人の考えや思いに対して耳を傾けた。
 社員の中には、目標面談のことを知っている人間もいた。
 すべての社員との面談を終えたボクは、それぞれから聞かされた考えや思いをパソコンに記録していった。その中には、初めて聞かされ、あるいは気づいた内容もあった。
 ボクが何を伝えて、それに対して社員からどのような反応があったのかということも記録した。

 社員に期待する役割のレベルを体系化したことで、石田三成が行う営業マンたちへの指導も今まで以上に効力を発揮した。指導を受ける側が、自分がどの程度のことを期待されているのかということがはっきりとわかるようになったからだ。
 石田三成は、営業マンたちに対して、ボクとの面談の中で立てた目標に取り組んでいくことに対する助言も行っていた。
 彼の後継者として指名した和田の目標は、他の営業マンたちの行動を観察しながら意見をすることだった。これは、営業部長としての仕事の一つでもある。
 和田だけを贔屓をしていると思われないために、ボクと石田三成とで話し合って、彼に覚えてもらいたい営業部長としての仕事の一つを目標にするように仕向けたのだ。
 それにより、和田は、ますますヤル気を表に出すようになった。

 目標面談をスタートさせてから一カ月が経過した。
 ボクは、約束通り、全ての社員との間で第一回目の面談を行った。
 立てた目標に関して一カ月間どのような取り組みをしたのかを確認したうえで、互いに意見を出しあい、今後どのように取り組んでいくのかを明らかにしていった。
 年上の社員に対しても臆することなく意見を口にし、期待していることをはっきりと伝えた。
 彼らにも、急遽社長になった年下のボクに対してどのように接したらよいのかがわからずに気を使っていた面もあったようであり、思うことを遠慮なく口にしてくれた。
 それに対して、ボクも、思うことを遠慮なく返した。
 そうしたことで、ボクの胸の中にあった年上の社員と接することへの不安も和らいでいった。

25.
 今年は、十月に入ってからも日中の最高気温が三十度を超える真夏日が続いた残暑の厳しい年だったが、十月の十日を過ぎたあたりからは急速に秋の気候となり、気温の変化に鼻風邪をひく社員もいた。
 そんな中、社員との第二回目の面談も終了し、ボクも社員をまとめていくことに対する自信を深めていた。
 その面談の中で、若手営業マンの一人が、社内でハロウィンパーティをやらないかと提案をしてきた。
 最近では、国内で十月三十一日にハロウィンの行事を行うことが定着していた。
 営業部内でも、ハロウィンパーティをやらないかという話で盛り上がっているということだった。
 「石田部長も、やろう言うてるのかな?」ボクは、若手営業マンに聞いてみた。そもそも石田三成は、ハロウィンという風習があることを知らないだろう。
 「部長には、まだ話していません」若手営業マンが首を横に振る。
 「やるなら、みんなを誘ってやりたいね」
 「もちろん、そのつもりです。社長がオーケーしてくれるのでしたら、部長も誘いますけど」
 「ボクは、構いませんよ」
 「では、部長にも話をしてみます」
 若手営業マンが、目を輝かせた。

 今年の十月三十一日は金曜日だった。
 ハロウィンパーティは、午後五時半の業務終了後にレンタルしたパーティールームで行うことになった。
 案の定、石田三成はハロウィンのことを知らなかった。しかし、社員たちの前では知っているふりをした。社員たちは彼のことを現世の人間だと思っているわけであり、現世の人間がハロウィンのことを全く知らないというのは不自然なことだからだ。
 ここは知っているふりをしたほうが良さそうだという勘が石田三成に働いていた。
 ボクは、ハロウィンとは何なのかということを彼に説明した。
 石田三成も、仮装を行うことに対して興味を示した。

 ハロウィン当日の午後六時、パーティ会場に仮装した十一人が集まった。
 ボクは、東急ハンズで買ったスパイダーマンの姿に変身した。
 社員たちも、個性的な衣装に身を包んでいる。
 中でも注目を浴びたのは石田三成の仮装だった。彼は、羽織を着てちょんまげのついたかつらをかぶっていた。時代劇や大河ドラマに出てくる武将の姿そのものである。
 何人かの社員が、その姿を似合っていると口にした。石田三成も、まんざらではない表情を浮かべている。
 会場内に用意された食べ物と飲み物でしばしの時間歓談をした後、それぞれが余興を行うことになった。
 ボクは、先頭を切って、映画の中に出てくるスパイダーマンの真似をした。
 それに続いて、何人かの社員が余興を演じた。
 率先してやりたい者たちの余興が終わり、まだ余興を演じていない者たちが顔を見合わせた。互いの胸の内でけん制し合っている。
 そんな中、最年長社員の村本が「部長も、何かやってくださいよ!」と声を上げた。
 酒で顔を赤くした営業部主任の坂下も「お代官様とかご奉行様とかがいいんと違いますか!」などとはやし立てる。
 皆の視線が、石田三成に集まった。
 石田三成が、戸惑い顔をボクに向けた。
 ボクは、「やりましょう!」と目で言葉を返した。
 「ええ、それでは、僭越ながら……」堅苦しい言葉を口にした石田三成が、余興を始める。
 戦国時代の言葉で『ないふどの』と声をかけた相手を痛烈に批判する演技を見せ、『だんじょうしょうひつどの』と声をかけた相手と密談を交わす演技を見せた。
 ないふとは内大臣を務めていた徳川家康の通称名である内府のことであり、だんじょうしょうひつとは弾正小弼という官名を有していた上杉景勝のことだ。
 石田三成の正体を知っているボクは、豊臣秀吉が亡くなった後の五大老五奉行でのやり取りを演じているのだろうと察した。
 同じように感じた社員が、「今のは、石田三成ですよね?」と口にする。
 「そうですよ」石田三成が、済ました表情で返事をした。
 その様子を見ていた別の社員が、「そういえば、部長、肖像画の石田三成に似ていませんか?」と声を発した。
 「ほんまや。似ている」スマホで石田三成の肖像画を検索した社員が、スマホの画面を周囲に見せながらはやし立てる。
 会場内が「ほんまや。ほんまや」と盛り上がった。
 その様子を目にした石田三成が、即興で「拙者は石田治部少輔三成と申す者で、太閤殿下亡き後、五奉行の一員となりましたるは……」としゃべり出した。
 その対応に、会場内が湧き上がる。
 ボクは、今の対応を石田三成が機転を利かせたのだろうと思った。こうすることで、皆の関心が真に迫った演技のほうに向けられ、風貌が似ているという部分からは逸れる。
 ハロウィンパーティが盛り上がりを見せる中、終わりの時間を迎えた。
 ボクは、社員たちに一層近づけたように感じていた。

26.
 石田三成が入社してから半年が経過した。
 彼は、営業部を上手くまとめてくれていた。
 ベテランに対しても若手に対しても分け隔てなく接することで、若手営業マンたちからの信頼も得ていた。
 当初は反発していたベテラン社員たちも、彼の会社のことを一途に考え続ける姿勢や取引先、社長などの強い立場の相手に対しても臆することなくモノを言う姿に好感を抱き、今では上司として認めていた。
 ボクも、彼のそのような働きにとても満足をし、信頼を寄せていた。

 そんな中、あることを巡って、ボクと石田三成との間が気まずくなった。
 冬の賞与に対する意見の対立がきっかけだった。
 賞与の支給時期が一カ月後に迫り、ボクは、石田三成に相談しながら賞与の予算を立てていた。
 今回の賞与に関しては、会社の業績が良くなったわけではないのだが、夏の時よりも多めに支給してあげたいという思いがあった。
 社員たちは、カリスマだったボクの父親がいなくなったことで、会社の将来に対して不安を感じているはずだ。跡を継いだボクが自分たちのことを大事にするつもりでいるのかということに関しても不安を感じているだろう。
 そんな社員たちのことを、ボクは、社長という立場で上手くまとめていかなければならない。
 賞与を多めに支給するというのは、社員たちに向って、安心をしてくださいというメッセージを伝えるためのことだった。
 その思いを胸に抱きながら、ボクは、冬の賞与の予算を夏の時よりも増やしたいという考えを石田三成に伝えた。具体的な予算の数字も説明した。
 それを聞いた石田三成の表情が曇った。難しそうな表情を浮かべながら口を真一文字に結ぶ。
 しばらくの後、会社の業績をまとめた資料をボクに示しながら口を開いた。
 「それは、ちょっと無謀ではないですか?」
 「無謀、ですか?」
 「今回、賞与でこれだけのお金を使ってしまったら、現時点の見立てでは、会社に残るお金はこれだけになります。この見立ても、あくまでも一年先まではこのように進んでいけるだろうと見通せるだけのことであって、そこから先のことは正確な見通しが立っていません。もしかしたら、売上が減ってしまうかもしれません。しれないというよりも、可能性が大きいと私は思っています。取引先の周辺には競合がひしめいていますし、取引先がこの先延々と紹介や派遣の人材が必要となる状況でい続けるという保証もないからです。このような状況なのですから、お金が出て行くことを抑えることを考えるべきだと私は思います」
 彼の言うことは、もっともなことだった。
 会社の業績が安泰ではないということは、ボク自身百も承知だ。しかし、そのことを踏まえたうえでも、夏の時よりも多めに支給してあげたいと思っていた。これは、社員たちを上手くまとめていくための投資だと考えてもよいのではないだろうか。
 「投資ですか?」ボクの考えを聞いた石田三成が、怪訝な表情を浮かべた。
 「投資をするのであれば、営業力を強化するために人を増やすことや自分たちのサービスを知ってもらうための広告宣伝に使っていくべきではないのですか?」
 「そういうのも当然必要ですけど、今いる人間に対して投資をすることも必要ではないですか?」
 「今いる人間には充分投資をしているではないですか。毎月給料を支給していますし、夏も賞与を支給しています。人間の欲などというのはきりがないので、今回賞与の支給を増やしたからといって、社員たちが藤田社長のことをより一層好きになって、まとまりが強くなるなんてことはないと思いますが」
 「そういうことが言いたいのではないのですよ」
 「そういうことが言いたいのではないとは、どういうことですか? 藤田社長は、社員たちをまとめていくために自分のことを好きになってもらいたいのですよね? そうするために、賞与をたくさん支給してあげたいのではないのですか?」
 ボクは、石田三成に対して腹が立ってきた。彼は、なぜボクの思いを察してくれないのだろうか。
 別にいい格好をしたくて言っているわけではない。社員たちが不安に感じている部分があるのではないのかと思って、それを払しょくしてあげたいがために言っているのだ。
 ボクは、その思いを察してくれない石田三成と、そのことを上手く説明できない自分にいら立っていた。
 そんなボクをさらにいら立たせるような発言を、石田三成は口にした。
 「藤田社長の中には、社員に対していい格好をしたいという思いがあるのかもしれませんが、ここは冷静になって、先々のことを考えたほうがいいと思います」
 その言葉に、ボクはついに切れてしまった。
 「いい格好したいなんて、一言も言うてないやん! あんたが勝手にそんな風に思っているだけやろうが!」
 突然飛び出た関西弁に、石田三成が目を丸くする。
 「何をそんなに怒っているのですか?」
 「別に、怒ってなんかいないですよ!」
 「私は、会社の利益が第一だと思って意見をしているだけなのですが」
 「もう、このことに対して口出しをしなくてもいいです。自分で決めますから!」
 その言葉を耳にした石田三成が、哀しげな表情を浮かべた。

27.
 ボクと石田三成との関係が気まずくなった。
 これまでは、ことあるごとにボクに対して意見をしてくれていた石田三成だったが、話しかけてこなくなった。
 二人の間に漂う空気が社員たちにも伝わったようであり、会社全体がピリピリとしてしまっていた。
 ボクは、あれから一人で賞与の予算を試算し、社員たちに支給する総額を決定した。しかし、気持ちは晴れずにいた。石田三成に指摘をされたことが無視できずにいたからだ。
 そんなボクの中で、葛藤が生じていた。
 社員たちは夏の時と同じくらいもらえたらいいのになあというような感じで思っていたと思うので、夏の時よりも多く賞与を支給してあげれば、彼らに会社の将来に不安を感じる必要はないのだと思ってもらえるだろうし、新しく社長になったボクに社員のことを大事にしていきたいという気持ちがあるのだとも感じてもらえるだろう。
 そうなれば、ボクを中心にして社内がまとまっていくことに対する良い影響も生まれてくる。
 反面、たくさん賞与を支給してしまうことが今後の会社にとってのリスクを生んでしまうことも事実だ。今の業績が今後も続いていくのだと断言できるのであれば問題はないのだが、いつどのようなことが起こるかわからない。一度支払ってしまったものを返してくれとは言えないので、何かが起きたときは会社が苦境に立たされる。
 営業力を強化していくための営業マンの採用や宣伝広告も、投資としての優先度が高い。
 ボクは、何が正しいのかわからなくなっていた。しかし、今さら石田三成に相談するのも気が引けた。
 仕事を終え、自宅の部屋にこもったボクは、あの世にいるモモタさんを呼び出した。

 いつもは、一、二度の呼びかけで目の前の空間に白い服をまとったモモタさんが現れるのだが、その日は、三度、四度と呼びかけても姿を現さなかった。
 (何かあったのかな?)ボクは、モモタさんのことが心配になった。もともと死人なのだから病気や事故に見舞われたのではないだろうかというような心配をする必要はないのだが、あの世の仕組みが変わってしまったのではないだろうかという心配をしてしまった。
 何らかの事情で、彼は、目の前に現れることができなくなったのではないだろうか。
 自分にとって、彼は良き相談相手である。父親の跡を継いで社長になった今後は、ますます彼の知恵を必要とすることが現れるはずだ。
 (モモタさん。現れてくれよ……)ボクは、祈るような気持ちで目の前の空間を見つめた。
 そのとき、背後から「呼んだ?」と声がした。
 後ろを振り返ったボクの目に、モモタさんの姿が映った。
 「びっくりした。脅かさないでくださいよ!」
 「ごめん、ごめん。今日は、いつもと違って後ろから現れてみました」
 「いつからここにいたんですか?」
 「いつもと同じようなタイミングで降りて来たよ」
 「じゃあ、何ですぐに声をかけてくれなかったんですか?」
 「藤田くんが真剣に悩んでいるみたいだったから、何があったのかなって考えていたんだよ。もしかして、石田三成さんと喧嘩でもした?」
 モモタさんは、勘が鋭い。相談内容を口にする前からどのような相談事なのかを彼が言い当てたことが過去にもあった。
 ボクは、冬の賞与を巡って石田三成と意見が対立していることを伝えた。
 「なるほどねえ……」モモタさんが何度か頷いた。
 「ボクの考えと石田三成さんの考え、どっちが正しいと思いますか?」ボクは、彼がどっちの意見に賛成するのかを聞いてみた。
 「どっちも正しいんじゃないの」モモタさんは、あっさりと答えた。
 「どっちも正しいって、どういうことですか?」
 「どちらかが正しくてどちらかが誤りなどという話ではないから、どっちも正しいのではないのかと答えたんだよ。カリスマ社長がいなくなったという状況を考えると藤田くんを中心に社員をまとめていくというのは重要なテーマだから社員を安心させるために多めに賞与を支給するという判断は間違いではないけど、業績が安定していないという状況を考えた場合会社に極力資金を残しておくという判断も間違いではない。つまり、どちらも経営的には重要なテーマだってことだよ」
 「でも、どちらを選んでも、もう片方を選ばなかったことによるリスクが残るから、正直選びづらいんです」
 「それをやるのが社長の仕事でしょう」
 「それはわかっているんですけど、どっちを選ぶべきなのかを判断するのが難しくて、モモタさんに相談しようと思ったんですよ」
 「悪いけど、この問題は、ボクは力になれないな」
 「なぜですか?」
 「どっちのリスクがましかなんてことは、ボクにはわからないからだよ。今まで通りの賞与金額だった場合に社員さんたちがどう感じるかってこともわからないし、今回多めに賞与を支給した場合今後の経営にどう影響するかってこともわからないから」
 「じゃあ、どうしたらいいんですかね?」
 「このようなことは誰にもわからないんだから、社長が腹をくくって選ぶしかないってことだよ。腹をくくるっていうのは、決断したことで悪い結果が生じた場合に責任を持って対処するという気持ちを持つということ。世の中の社長は皆、そういう風にして決断をしているんだよ」
 霧が晴れるようにボクの胸の中がすっきりとし始めた。
 どちらがましかなんてことは、考えても答えが出ないのだ。
 そういったことで頭を悩ませるのではなく、自分が責任を取るのだという覚悟のもとに決断を下すべきなのだ。
 ボクは、社員の不安を取り除くことを優先したいと考えている。そのことを優先したことによって今後の経営に何らかの支障が生まれたら、最後まで責任を持って立ち向かおう。
 ボクは、その決意を石田三成に伝えようと思った。
 そうすることで、一切の迷いが消えるだろうと信じていた。

28.
 次の日、ボクは、社内の会議室に石田三成を呼び、冬の賞与に関する自分の考えを伝えた。社員たちをまとめていくために彼らが抱えているであろう不安を解消したいのだという思いも伝えた。
 「社員たちが、そのような不安を抱えているのですかね?」ボクの話を聞いた石田三成が、小首をかしげた。常に人の上に立ってきた彼には、下で働く者の気持ちがピンとこないのだろう。
 十一年間人の下で働いてきたボクには、社員たちの気持ちが理解できた。
 ボクの話に納得をした石田三成が、一枚の資料を取り出し、ボクの前に置いた。今後の会社の売上と利益が複数のパターンでシミュレーションされており、それぞれに関して冬の賞与予算がどのような影響を与えるのかが数字で示されていた。
 資料の中身を確認したボクは、首をひねった。賞与予算の金額が、ボクが決定した数字よりも少なくなっていたからだ。
 その訳を問うたボクに、石田三成が、「私には、賞与は不要です」と返事をした。
 来年の五月中旬までしかこの世にいることができないので、余分なお金は不要なのだというのが理由だった。残したお金をあの世に持って帰るわけにもいかないので、毎月の給料の中から残ったお金を、この世から旅立つときにまとめて返すという言葉も彼は口にした。
 そう口にした石田三成が、「もしそれでも私に特別な褒美をいただけるというのでしたら、藤田社長にお願いをしてみたいことがあるのですが」と、遠慮がちにボクの顔を伺う。
 「どんなことですか?」
 「私を、関ケ原の合戦の跡地に連れて行ってほしいのです。いつか、藤田社長が旅をした話を聞かせてくれましたよね……」
 お盆休みに彼女と旅行をした時の話だった。その話を聞いた彼の中で、現世での関ヶ原の跡地を見てみたいという思いが膨らんできたということだ。
 「それくらい簡単なことですから、連れて行ってあげましょうか?」
 「申し訳ありません。それと、許されるのであれば、他にも連れて行ってもらいたいところがあるのですが」
 「どこですか?」
 「合戦の跡地の近くにあるという大谷刑部殿の墓と、佐和山城の跡地と、島左近殿の墓です」
 「佐和山城の跡地と島左近さんの墓というのは、どこにあるのですか?」
 「佐和山城は、近江の国彦根の北側にある佐和山に築いた城です。関ケ原の合戦があった当時の私の居城でした。島左近殿の墓のことは、私にはわかりません」
 ボクは、ネットで佐和山城の跡地と島左近の墓の所在地を調べてみた。
 佐和山城の跡地は、現在でも佐和山城址という名称でこの世に存在していた。場所も、彦根城から近い。
 島左近の墓は、京都市内にあるお寺の中にあった。
 ボクは、これらのことを石田三成に説明したうえで、どのようにして案内をするかを考えた。
 関ヶ原は冬になると雪が降るため、行くのならば早いほうが良い。
 車で回れば、大阪市内からだと日帰りで行けないこともないが、日程的にはきつい。石田三成が車の免許を持っているはずもないので、ボク一人で運転をしなければならない。そのことを考えた場合、一泊二日の日程で案内するのが妥当だろう。せっかくだから、彼とゆっくり話をしてみるのもよいのかもしれない。
 ボクは、会社が休みになる土曜日と日曜日に二人で巡ってみないかと提案した。
 その言葉を聞いた石田三成が、嬉しそうな表情でお願いしますと頭を下げた。普段感情を表に出さない人間がこのように喜ぶということは、大谷吉継や島左近という人物が彼にとってとても大事な存在だったのだなとボクは思った。
 石田三成ゆかりの地を巡る旅行は、十一月最後の土日に行うことにした。

29.
 十一月最後の土曜日は快晴に包まれた小春日和な一日だった。天気予報では、明日も同じような気候だということだ。
 朝食を食べた後、車で家を出たボクは、石田三成の暮らすマンションに立ち寄り、助手席に彼を乗せた。
 その後名神高速道路に乗り、名古屋方面へ向かって車を走らせる。
 関ケ原へは、昼前に到着した。
 ボクは、石田三成を、石田三成陣跡へ案内した。
 陣跡に立ち、眼下に広がる関ケ原の合戦の決戦の地を見渡した石田三成の表情が険しくなった。
 お盆休みに訪れたときにボクがしたように、微動だにせず佇んだまま、前方の一点に視線を向けていた。
 ボクは、気のすむまで居させてあげようと思い、そばを離れた。
 三十分ほど経ち、石田三成がボクのもとに戻って来た。顔の表情は穏やかだった。
 「もう、いいんですか?」ボクは、この場を離れてもよいのかを確認した。
 石田三成が、静かに首を縦に振る。
 彼を車に乗せたボクは、大谷吉継陣跡へ向かって移動した。陣跡や墓のある小高い山の麓の駐車場に車を止め、二人で山に足を踏み入れた。
 石田三成は、無言だった。数々の思いが、彼の頭の中を駆け巡っているのだろう。
 しばらくして、大谷吉継陣跡が見えてきた。墓は、その先にある。
 無言を貫いたままボクたちは大谷吉継の墓のある場所まで歩き、墓前に立った。石田三成が、墓碑に手を合わせ、瞑想する。
 ボクも、彼の隣に立ち、瞑想した。
 二言三言胸の中であの世の大谷吉継に声をかけ、石田三成が瞑想し終えるのを待つ。
 静まり返った山中に風がそよそよとそよぐ音が、やけに大きく聞こえた。
 やがて、石田三成が瞑想を終えた。
 ボクは、ネットで調べた大谷吉継の最後に関する情報を彼に説明した。
 「大谷吉継さんは最後陣地で切腹したのですが、そのとき湯浅五助という家臣に自分の首を敵に晒すなと命令したみたいです。命令を受けた湯浅五助が陣地から少し離れた場所に首を埋めたのですが、その姿を東軍の藤堂高刑という武将に見られてしまい、自分の首と引き換えに大谷吉継さんの首をこの地に埋めたことを黙っていてほしいと頼んだそうです。その頼みを聞き入れた藤堂高刑は、徳川家康から問い詰められても首を埋めた場所のことは口にしませんでした。後日、そのときのことが明らかになって、この地に墓が立てられたみたいですよ」
 ボクの説明を聞いた石田三成が、二度、三度と頷いた。
 目を潤ませ、肩を小さく震わす。
 自分のために命を投げ出した親友のことを思い浮かべながら涙を流す漢の姿が、そこにあった。
 ボクは、彼を一人にするために、そっとその場を離れた。

 関ヶ原を後にしたボクたちは、佐和山城址に向った。
 事前に調べておいた登山道の入口付近の駐車場に車を止め、二人で山を登った。歩く距離はそんなにないはずだったのだが、本格的な登山に近い山道だった。
 そのような山道を、石田三成がすたすたと登っていく。
 やがて、佐和山城跡と彫られた石碑の立つ場所にたどり着いた。前方には、盆地に広がる田畑と幾重もの山々が連なる光景が広がっていた。
 石田三成は、その場に無言で佇んだ。自分が城主だったころの光景を思い起こしているかのようであった。
 しばしの間周囲の光景に目をやり、その後大きく頷いた石田三成が、後ろを振り返り、「ありがとうございました」と言葉を発した。
 「もう、いいんですか?」腕時計の時間を確認しながらボクは聞き返した。
 石田三成は、首を縦に振った。
 ボクたちは、来た道を引き返した。

30.
 今夜は彦根市内のビジネスホテルに泊まり、明日、京都市内の立本寺というお寺にある島左近の墓を参る計画を立てていた。
 ホテルにチェックインした時、時刻は午後五時を回ったところだった。
 時間は早かったが、ボクは、石田三成と夕食を摂ることにした。スマホのアプリで感じの良さそうな店を探し、店に向かった。個室タイプの和風居酒屋だった。
 二人用の個室に案内されたボクは、生ビールを二人分と食べ物を適当に注文した。石田三成が、何でもいいと言ったからだ。
 間がなく運ばれてきた生ビールで、石田三成と乾杯をした。
 「あんなに高いところにお城があったんじゃ、毎日上り下りするのが大変だったのではないですか?」ボクは、佐和山城址に向かう登山道を思い返しながら、石田三成に語りかけた。
 今回は車で登山道の入口まで移動したが、当時は麓から上り下りしていたはずであり、相当な苦労があったのではないかと思ったからだ。
 「それが普通だったから、大変だと意識したことはなかったですね」
 「石田さんは、家来たちが担ぐ籠とかで移動をしていたのですか?」
 「ちゃんと自分の足で上り下りしていましたよ」
 石田三成が、笑いながら答えた。
 ボクは、その当時の人々の暮らしや城内における生活のことなどを彼に聞かせてもらった。

 酒を飲みながらの会話は弾んだ。主にボクが昔のことを質問して石田三成が答えるという内容だったが、ボクにとっては新鮮な話ばかりであり、彼も思い起こすことを楽しんでいるように見えた。
 そのような会話が一段落した後に、ボクは話題を変えた。石田三成という偉大な人物に学んでみたいことがあったからだ。
 彼に向って、おもむろに「人の上に立つ人間に必要なことって、何なのでしょうかね?」と問いかけてみた。
 「いろいろとあるでしょうね」
 「ちなみに、石田さんは、どのようなことを思い浮かべますか?」
 「大局観に優れていることが必要ですね。組織がどのような状況に置かれているのかを正確に見極めたうえで、どうすることがよいのかを正確に判断する力が必要でしょう」
 「大局観を身に着けるためには、どうすればよいのですか?」
 「広い視野で置かれた状況を見渡す習慣をつけることがよいのではないでしょうか。そうしたうえで、何が最善なのかを考えてみるのです」
 その言葉は心に染みた。
 ボクは、社長としての決断を迫られた時に、毎回のように不安に駆られた。決断した先のことが見えないため、漠然と悪い結果が待ち構えているように感じてしまうからだった。
 大局観を磨くことで、その悩みが解消されるのだ。
 ボクは、今後社長としての決断を迫られた時に、冷静に、広い視野で今置かれている状況を見渡してみようと心に誓った。
 石田三成との議論が続いた。
 彼の口からは、知恵、愛、行動力という言葉も語られた。
 知恵というのは方法論としての戦術や戦略などを考える能力のことであり、愛というのは慈愛の心でもって人と接することで周囲を共感させることであり、行動力とは周囲に対して進むべき方向を指し示しながら自ら先頭に立って突き進んでいくことだった。
 ボクは、彼の掲げた大一大万大吉という言葉を思い浮かべた。戦乱を治め、国を治める者と治められる者とが心を通じ合わせて、誰もが幸せになれる世の中を作っていきたいという彼の思いが込められた言葉だ。
 そのために、彼は、大局的に物事を見て、愛する領民のために知恵を注ぎながら率先して行動しようとしていたのだ。
 ボクの中に、石田三成のことをリスペクトする気持ちが湧き出てきた。
 それと同時に、ちょっとした意地悪をしてみたくなる気持ちも湧いていた。
 そして、ある質問を彼にぶつけた。
 「人の心を読む力も必要なのではないですかね?」
 「人の心を読む力とは、どういう意味ですか?」
 「周囲の人間が今どのような気持ちでいるのかということを察して、その内容に配慮した言動を行うことで、人間関係の軋轢を生まないようにする力のことです。周囲の人間に共感してもらうためには、そういった部分も必要ではないですか?」
 彼には、人の心が読めない人物だったという言い伝えが数多く残されている。加藤清正や福島正則といった豊臣秀吉子飼いの大名たちを軒並み徳川家康に取り込まれてしまったのも、西軍に付いた大名たちの気持ちをまとめることができなかったのも、彼が人の心を読めなかったからだというのが通説だった。
 「藤田社長の言う通りでしょうね。人々の共感を得るためには、人々の心がわからなければならない」
 「石田さん自身は、そこらへん、どうだったのですか?」
 「どうだったというのは?」
 「怒らないで聞いてほしいんですけど、石田さんに関する言い伝えの中に、石田さんが人の心を読めない人物だったという内容のものが多いのですよ」
 酒の勢いもあって、ボクは調子に乗った発言をした。
それを聞いた石田三成が苦笑いをした。
 「そうですか。そういう風に伝わっているのですか」
 「本当は、違うのですか?」
 「どうでしょうか。ただ、周りから、お前は人の心が読めないのが欠点だと言われたことはあります。刑部殿にも何度となく言われました」
 刑部とは、親友の大谷吉継のことだ。
 「藤田社長の目から見ても、私は、人の心が読めない人間に映りますか?」
 「そう感じたこともありましたね」
 ボクは、仕事を通じたやり取りの中でそのように感じてしまった事例をいくつか口にした。それに対して、石田三成が、なるほどと言いながら一つ一つに納得をした表情を示した。
 相手から耳の痛い話を聞かされた時に聞く耳を持つというのは素晴らしいことだ。ボク自身、感情的になって耳をふさいでしまうこともあった。
 しかし、ここである疑問が湧いてきた。彼自身、戦国の世に生きていたころから周囲の人間からそのことを指摘されていたということだ。その当時も彼は聞く耳を持っていたはずだ。それなのに改まらなかったというのは、一生かけても治らない性格というものもあるということなのか。
 ボクは、そう一人で納得をした。

31.
 翌日、ホテルをチェックアウトしたボクたちは、京都の立本寺に向った。
 島左近は、石田三成の参謀役として活躍した人物だ。石田三成が、所領の半分を差し出してまで彼を召し抱えたというのも有名な話である。
 その話を、目の前にいる石田三成は否定しなかった。
 さらに石田三成は、島左近が自分よりも二十歳も年上だったということを教えてくれた。
 そのことを知ったボクは驚いた。自分には、二十歳も年上の人間を使いこなせているイメージなど湧かない。
 石田三成が会社を去った後、営業部主任の和田が営業部長に昇格することが予定されていたが、彼は、ボクより七歳も年上だ。
 今のボクには、彼のことを思うままに使いこなせる自信はない。
 そのことに関しても、いずれ石田三成からアドバイスをもらわなければならないだろう。
 そのようなことを思ったボクは、石田三成の享年が四十歳だったことを思い出した。社員の前では四十二歳ということにしてあったが、今の彼は四十歳なはずである。つまり、和田と同じ年齢だということだ。
 ボクは、和田が石田三成の跡を継ぐことが必然なことのように思えてきた。

 京都市内に入ったボクは、立本寺近くの駐車場に車を止め、石田三成とともに立本寺の境内に入った。
 事前に調べた情報では、島左近の墓は、墓地が立ち並ぶ一角に立てられているということだった。
 やがて、ボクたちは目指す墓を見つけた。墓碑に、はっきりと島左近という文字が刻まれていた。
 ここでも、石田三成は長い時間瞑想をした。
 瞑想を終えたボクたちは、墓の裏側に回った。そこには、島左近の没した年月日が刻まれている。
 その文字を目にした石田三成が、「ん?」と声を上げた。
 どうかしましたかと、ボクは視線を向けた。
 「これは、おかしいです」石田三成が、怪訝な表情で墓碑の裏面に刻まれた年月日を指さした。
 「何がおかしいのですか?」
 「墓碑に刻まれた年月日です。寛永九年六月二十六日となっていますが、左近殿が亡くなった関ケ原の合戦があった年の年号は慶長五年のはずです。しかも、合戦当日は九月十五日でした。これは、何かの誤りではないのでしょうか?」
 ボクには答えられないことだった。
 石田三成の疑問を解決するために、ボクは、寺の人間に、墓碑に刻まれた年月日のことを聞いてみた。
 それによると、島左近が関ヶ原の合戦を生き延び、合戦後に立本寺に僧として住みついたことからこの寺に墓が立てられたという言い伝えがあるのだということだった。ちなみに、寛永九年とは西暦一六三二年のことだそうだ。
 その説明を、石田三成は険しい表情を浮かべながら聞いていた。
 説明を聞き終えたボクたちは、境内を後にし、駐車場に止めておいた車に乗り込んだ。
 「どうも、腑に落ちないですね。左近殿は、関ケ原の合戦の折に死んだはずです。私は、黒田長政隊の鉄砲に打たれた左近殿が息を引き取ったという伝令を戦場で受け取りました。左近殿が死んだことで、私の率いる本隊も壊滅状態に陥ったのですから」助手席のシートベルトを閉めながら、石田三成がまくしたてた。
 「傷を負ったけど、実は生きていたってことは考えられないのですか?」
 「それならば、そのことを伝える伝令が再び私のもとに来るはずです。それに、左近殿は戦える能力があるのに戦場を離脱するようなことはしないはずです。死ぬまで指揮を執り続けようとする人間ですから」
 石田三成が、強い口調で語った。島左近のことを心の底から信頼していたことを感じさせる言い方だった。
 ボクは、没年齢の謎は別にして、一般的に島左近の墓だと言われているのが立本寺の中にある墓なのだということを説明した。スマホで島左近の墓を検索し、そのような説明がされているページを指し示した。
 それに対して、石田三成が「私も、あの墓に左近殿の霊が眠っているのだと信じています」と言葉を返してきた。

32.
 師走の日々は、あっという間に過ぎ去っていった。
 ボクも、得意先や銀行などへのあいさつ回りに忙殺された。
 営業担当だったときも年末のあいさつ回りはしていたのだが、社長と一営業マンとでは意味合いが異なる。
 社長は会社の看板であり、会社同士の関係性をどのように考えているのかを試される場でもあったからだ。
 仕事納めの十二月二十八日、午前中で仕事を切り上げ、午後からは全員で社内を掃除し、夕方に軽く打ち上げを行い、今年の仕事の全日程を終了した。

 大みそかの夜、恋人の川島里奈と初詣を済ませ、その足で夜行バスに乗り広島県内にある実家に帰省する彼女を大阪駅のバスターミナルまで見送ったボクは、終日運行している地下鉄御堂筋線に乗った。
 車内は、これから家に帰る人たちやこれから遊びに行く人たち、初詣に行く人たちでごった返していた。どの顔も、無事新年を迎えられる喜びに包まれている。
 車両の吊革につかまりながら、ボクは、今年一年を振り返った。
 ゴールデンウィーク明けの最初の土曜日を境にして、ボクの生活はがらりと変わった。
 それまでは、普通の三十三歳の男として、お気楽に過ごしていた。いつかは父親の跡を継ぐことになるのだということは自覚していたが、まだまだ先の話だと思っていたため、実感すら湧いていなかったのが正直なところであった。
 それが、父親が急逝したことにより、何もかもが変わってしまった。会社の存続も社員たちの生活も何もかもがボクの背中にのしかかってきたからだ。毎日がプレッシャーとの戦いだった。
 そんなボクを支えてくれていたのが、恋人の川島里奈であり、石田三成だった。
 仕事の面では、かなり石田三成に助けられた。彼のおかげで数字に対する理解も深まり、人の上に立つ人間としての心構えも身についた。
 しかし、その彼も、あと四か月半もすればこの世からいなくなってしまう。
 彼から学べることは、まだまだたくさんあるはずだ。
 明日の昼間、彼がうちの実家を訪ねてくることになっていた。
 ボクは、彼と話をしてみたいことを、あれこれと頭に思い浮かべた。

 元旦の昼間、実家のダイニングに、ボクと母親、妹の真由夫婦、そして石田三成が顔をそろえた。
 テーブルの上に、母親がデパートで買いそろえたおせち料理が並べられた。金箔入りの日本酒も用意されていた。
 妹が、お雑煮を皆の丼によそい、それぞれの前に置いた。
 ボクも、皆のグラスに酒を注いで回った。
 あけましておめでとうございますの挨拶で全員が乾杯をした後に、それぞれが小皿に食べたいおせち料理を取り分けた。そんな中、石田三成は箸を取ろうとしなかった。
 「遠慮なさらずに食べてくださいね」母親が、石田三成に声をかけた。
 ありがとうございますと返事をした石田三成だったが、依然として箸を取ろうとしない。
 現世のおせち料理のことがわからずに戸惑っているのだろうと察したボクは、彼の小皿を取り、適当に料理を取り分けながら、数の子や栗きんとんなどの明らかに彼が知らなさそうな料理の内容をさりげなく説明した。
 ボクに礼を言った石田三成が、小皿の料理を少しずつ口に運びながら、グラスの酒をチビチビと口にした。
 そんな石田三成に向って、母親が、出身はどちらなのですかと問いかけた。母親は母親で、料理が彼の口に合わないのではないのかと感じたようだ。
 「滋賀です」母親に顔を向けた石田三成が答えた。
 「滋賀のどちらなのですか?」
 「坂田郡というところです。現在は長浜市になっていますが」
 実際の石田三成の出身も、近江国坂田郡石田村であった。
 「ご両親は、今もそちらで暮らしておられるのですか?」
 「いえ。両親は、もうこの世におりません」
 「ご兄弟は?」
 「それも……おりません」
 石田三成が、苦しげな表情を浮かべた。
 彼のプライベートを知ろうとする母親の関心をそらさなければならないと思ったボクは、「今年のおせち、美味いやん。どこでこうたん?」と母親に問いかけた。
 「どこでって、いつもと同じやで。阿倍野の近鉄やけど。いつものと、味が違う?」
 「お兄ちゃん、社長になって食べるもんも変わって、味覚も変わってしまったんと違う?」
 「社長になっても、食うもんは変わってへんわ。ボク、全然贅沢していませんよね?」
 茶々を入れてきた妹に言い返したボクは、同意を求めるために石田三成に顔を向けた。
 「私が来る以前のことはわかりませんが、私が見る限り、藤田社長は人よりも贅沢なものを食べているようには映りませんよ」生真面目な表情で石田三成が答える。
 「慣れてきたら、タガが緩むんと違う?」
 「真由。それは、義兄さんに失礼だろう」
 「ほんま、失礼な奴やでえ」
 妹夫婦とボクが戯れる。
 その様子を横目に見ながら、「石田さん。この子は、まだ右も左もわからないと思うので、これからもそばにいて、力になってあげてくださいね」と母親が石田三成に頭を下げた。
 石田三成が、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、はいと頷く。
 そのやり取りを目にしたボクの胸が、切なさで一杯になった。

33.
 家族との食事を終えたボクは、石田三成を自分の部屋に連れて行った。今後のことに関して、いろいろと彼の意見を聞いてみたかったからだ。
 部屋に戻ったボクに、この場にモモタさんを呼んでみたら面白いのではないだろうかという考えが湧いてきた。彼の意見と石田三成の意見とが果たして一致するのかなと思ったからだ。
 「ここに、モモタさんを呼んでもいいですかね?」
 「モモタさんとは、どなたですか?」
 「石田さんをボクに引き合わせてくれた人ですよ」
 「ああ。あのときの」
 石田三成は、初めてボクと顔を合わせたときのことを思い出したようだ。
 「モモタさんもあの世の人間なのですが、石田さんと彼とは全く面識がなかったのですよね?」
 「ないですね。もしかしたら、藤田社長は、あの世にいる人間は全員面識があると思われたのかもしれませんが、一人一人が異なる空間に存在しているので、生前に交わりがない限りは面識など生まれないのですよ」
 このことは初耳だった。
 あの世にいる人間が一人一人異なる空間に存在するという話に興味を持ったボクは、そのことを詳しく教えてくれないかとお願いした。
 それに対して、石田三成が、あの世は無限の世界であり、人は死んだ後も魂が己の精神の追い求める方向へ移動していくのだということを説明してくれた。
 ボクは、死後の自分があの世をさまよっている様を頭の中で思い描いてみた。

 部屋にモモタさんがやって来た。改めて、石田三成とモモタさんは挨拶をしあった。
 役者がそろったところで、ボクは、二人に対して、年上の部下を上手に使いこなすためにはどうすればよいのかという質問をぶつけてみた。
 二人とも、すぐには答えなかった。
 やがて、石田三成が口を開いた。
 「和田さんのことですか?」
 「そうです」
 返事をしたボクは、モモタさんに、石田三成がいなくなった後に営業部主任の和田が営業部長になる予定であることを説明した。
 なるほどねとモモタさんが呟く。
 その後石田三成が意見を口にしないので、ボクのほうから、「石田さんは、島左近さんという二十歳も年上の参謀を上手に使いこなしたじゃないですか。何かコツがあるのであれば、教えてもらえませんか?」と問いかけてみた。
 それに対する返事は、こうだった。
 「コツと言えるのかどうかはわかりませんが、私は、左近殿のことを敬っていました。戦乱の世を私よりも二十年も長く生きぬいてこられ、合戦の経験も豊富であったが故、自分には思いつかぬような知恵をあらゆる場面で発揮されていました。そのことに対する敬いの心を常に表していましたが、決しておもねることはしませんでした。私の思いをすべて伝え、期待すべきこともすべて伝えた上で、力になっていただきたいとお願いをしました。さらに、あなたの力が必要なのだという気持ちもハッキリと伝えました。左近殿がなぜ私に対してここまで尽くしてくれたのか、その理由は知る由もないのですが、私は、自分の思いをすべて伝えたことが、あの偉大なお方と心を一つにすることができた要因ではなかったのかと思っています。藤田社長と和田さんとの関係も、そのようにして築いていけばよいのではないでしょうか」
 相手に必要なのだという気持ちを伝えた上で、敬意を表し、自分の思いもさらけ出し、期待している内容を伝えることで、年上の部下と心を一つにすることができるのではないかという見解だった。
 ボクは、モモタさんに視線を向けた。彼は、無言で頷いた。
 ボクは、再び石田三成に視線を向けた。
 そんなボクに向って、石田三成が「これからの営業部の体制に関して意見をしたいことがあるのですが」と話を切り出した。
 意見とは、年明け早々に営業マンを補充したほうが良いのではないかということと、最年長社員の村本を主任に昇格させたほうが良いのではないかということだった。
 営業マンの補充に関しては、石田三成があの世に戻る時までに彼が今までやってきた仕事を百パーセント和田に引き継がなければならないため、和田が日常的に行っている営業の仕事を引き継ぐための新しい戦力が必要となるのだが、和田が営業部長になった時に一人前の営業マンとして機能させたいのであれば、一日も早く新しい戦力を確保しておく必要があるのではないかという意見だった。
 村本の主任昇格に関しては、石田三成の発案で始めたチーム営業が成果を発揮しているため、その体制を維持していくために主任二名体制のほうが良いのではないかという意見だった。そうすることで、村本の能力を今まで以上に発揮させることにもつながっていくのではないかと石田三成は口にした。
 そのやり取りを聞きながら、モモタさんが、そうだろうなあと相槌を打った。
 彼も、石田三成の意見に賛成なようだ。
 石田三成が意見を言い終えた後に、モモタさんが「私からもいいかな?」と遠慮がちに口を開いた。
 ボクは、モモタさんに視線を向けた。
 「和田さんだったっけ? 石田さんの後を引き継ぐ人。その人に対して、一日も早く五月の中旬以降に営業部長職を引き継ぐことになることを知らせたほうがいいと思うな。本人の気持ちを整理するための時間を与えてあげる必要もあると思うし、万が一本人が営業部長になることを拒んだ場合に違う体制を整えるための時間を確保しておく必要もあるからね」
 「拒否するなんてこと、あり得るんですかね?」
 「あり得ると思うよ。自分には荷が重いと感じてしまう人もいるから」
 「じゃあ、慎重に対応しなければならないですね。ボクと石田さんとで、彼に話をしましょうか?」
 ボクは、石田三成に協力を求めた。
 そんなボクに向って、モモタさんが「藤田くんと和田さんの二人で話をしたほうがいいと思うけどな」と主張した。
 「どうしてですか?」
 「さっき、石田さんがおっしゃったことを忘れてしまったのかな? 藤田くんの口から和田さんのことを必要としているのだと伝えた上で、あなたの経験を買っています、ボクはこのようにやっていきたいと思っています、あなたにはこのようなことを期待したいのです、ですからボクと一緒にやっていきませんか、と言わなければ駄目なわけでしょう? 和田さんは石田さんについていくのではなくて藤田くんについていってもらいたいのだから」
 モモタさんの助言はボクの胸に響いた。
 石田三成なき後の体制を築いていくためには、和田と心を一つにしなければならない。そうするためにも、自分のほうから彼と向き合わなければならないのだ。
 ボクの頭の中で、これからやらなければならないことの整理がつき始めた。

34.
 仕事始めの一月五日、ボクは、さっそく石田三成とモモタさんから言われたことを実行に移した。
 人材紹介や派遣希望のために登録している人たちの中からこれはと思う人物に対して、うちの会社で営業として働いてみないかというメールを送った。面接も、直接ボクが行うつもりでいた。
 さらに、和田に対して、定時後に二人で話をする時間が欲しいとお願いをした。今日は、取引先も仕事始めなので、二人とも定時で仕事を終えることができるはずだった。

 定時の午後五時半を迎えたことを確認したボクは、和田を促し、昼間のうちに予約をしておいた静かに話をすることのできる店に向った。
 店は、個室形式の和食創作料理の店だった。食事は、予めコース料理を頼んである。
 個室に、注文した生ビールが運ばれてきた。
 乾杯のあと、一口ビールを飲んだボクは、ジョッキをテーブルに置き、和田に視線を向けた。
 和田も、ジョッキをテーブルに置いた。
 「今日は、突然すみませんね」ボクは、急に付き合わせたことをわびた。
 「特に予定もなかったですし、構いませんよ。でも、社長と二人きりで店に行くのって、初めてかもしれませんね?」
 「そうかもしれませんね」
 彼と二人きりで食事に行った記憶は、ボクの中にもなかった。これからは、増えるだろう。
 「これからお話しすること、しばらくは誰にも言わないでおいてほしいんですけど」
 「はあ」和田が、いぶかしげな表情を浮かべた。
 「実は……。石田部長が五月に退職するんですよ」
 「ええっ、マジですか? なんでなんすか?」
 「一身上の都合ということなんですけどね」
 正式な理由として、友人から新しく興す会社を手伝ってほしいと頼まれて、悩んだあげくに手伝うことにしたのだという内容を用意してあった。
 「それで今日和田さんにお時間をいただいたのは、石田部長が退職した後に、和田さんに営業部長をやってもらいたいからなんですよ。実は、すでに営業のほうの募集をかけていて、最終的には新しい人を二人入れようかなと考えています」
 石田三成に支払っている給料で若手の営業マンを二人雇うことができるという計算が立っていた。
 二人の新人を同時に教育するのは現場の状況から見て厳しいだろうという石田三成からの意見もあったので、とりあえず直近に一人採用して、石田三成が在籍している間にもう一人採用しようという計画を立てていたのだ。
 石田三成からは、今月から退職するまでの間、給料の半分を返上するとも言われていた。
 突然の話に、和田が黙り込んだ。
 ボクは、事前に頭の中でまとめておいた自分の思いを彼に伝えた。
 「正月早々、いきなりの話で驚かせてしまったと思うんですけど、ボクは和田さんしかいないと思っています。うちの会社の営業のことを一番よく知っていますし、若い営業マンたちをまとめてくれていますし、ボクの中では、和田さんが一番信頼できる人なんです」
 「……」
 「石田部長が抜けるのは正直痛いんですけど、ボクは、今よりも営業を強くしていって、お客様からも社員からも満足してもらえる会社にしていきたいと思っています。そのために、和田さんにボクの片腕になってもらいたいんです。営業の現場もまとめていってほしいですし、会社の方針や戦略なんかも一緒に考えてほしいんです。ボクと一緒に会社を盛り上げていってほしいんですよ!」
 ボクの声のボルテージが上がった。
 言葉を切り、和田の顔に視線を当て、彼の答えを待った。
 しばしの沈黙の後に、和田は口を開いた。
 「なんて言えばいいのかな……。ほんとに、ボクで務まるんですかね?」
 「ボクは、和田さんしかいないと思っています」
 「具体的に、何をすればいいんですか?」
 「まずは石田部長がやっている仕事を五月までに引き継いでもらって、それから先のことは、一緒に考えませんか?」
 「みんな、ボクが部長になることを納得しますかね?」
 「大丈夫ですよ。和田さんは、みんなからも信頼されているから。もちろん、ボクのほうからも、みんなのことも期待や信頼をしているし、みんなでこの会社を盛り上げていこうよと言うつもりです。石田部長とも相談したのですが、二月から村本さんを主任に昇格させるつもりでいます」
 それと同時に、和田を営業部の副部長に昇格させるつもりでいた。
 「この場で即答しないといけないのですかね?」
 「そういうわけではないですけど……。でも、この場で答えを聞かせてもらえたらうれしいですね」
 「……。社長から信頼してもらえているのはすごくうれしいですし、ボクもこの会社のことが好きやから……。ただ、本当にボクでええんかなと思ってしまいますね」
 「何度も言いますけど、ボクは、和田さんしかいてないと思っています」
 「……。わかりました。やらせてもらいます」
 「ほんまですか! 嬉しいですわ!」
 ボクは、和田の手を握った。和田も、強く手を握り返してきた。
そこには、男同士の絆が生まれていた。
 「この話、みんなには、どのくらいのタイミングで話をするつもりでいるのですか?」
 「とりあえず、新人の営業マンを一人採用できた段階で、みんなに話をしようと思っています。どのような話し方をするのかは、石田部長と和田さんにも相談させてもらいます」
 和田の表情から硬さが抜けた。
 ボクも、肩の荷を下ろした気分になった。
 その後も、ボクたちは、会社の今後のことを熱く語り合った。

35.
 新人営業マンの採用に関しては、二十六歳のフリーター出身の男性を採用した。
 正社員として働いた経験のない人物だったが、礼儀正しく、ヤル気も表に出ていたため、採用することに決めた。
 新人営業マンの採用が決まったことを受けて、ボクは、新体制を社員たちに説明することに関して、石田三成と和田から意見を聞いた。

 和田からは、今後のビジョンを社員たちに伝えたほうがよいのではないかという意見が出された。
 ボク自身が、これからこの会社をどのようにしていきたいと考えているのかが見えない状況であることが社員たちを不安にさせてしまうのではないかという指摘だった。
 社員たちは、会社という舟に乗り、大海原を航海している。舟の運命は、船頭の手にゆだねられている。波の穏やかな海を進みながら無事目的地までたどり着けるのか、あるいは荒波にもまれながら漂流してしまうのかは、船頭の判断次第である。その船頭役を担っているのがボクであった。
 ボクは、和田からの意見を真摯に受け止めた。
 石田三成からは、今後会社が目標としていく数字をわかりやすく説明したらどうかという意見をもらった。
 どのような商売のやり方をしていって、どの程度の売上や利益を実現させることを目標として、目標が実現できた場合今と比べて何がどのように変わるのかということを社員たちに伝えることで、彼らにこの会社で働くことの意義というものを見出してもらい、今後に希望を抱いてもらえるのではないかという主張である。
 数字に強く頭の中で先々の展開を読む力に優れている石田三成らしい意見だった。

 ボクは、石田三成の助言を受けながら、和田も巻き込んで、社員たちに発表するための経営計画作りに着手した。
 和田から指摘を受けたビジョンについては、今後事業を行っていくうえで大事にしていきたいと思っていることや将来このような会社にしていきたいという思いを、わかりやすくまとめた。
 石田三成から指摘を受けた会社の目標については、理想とする商売のやり方を貫くことで売上や利益がこのように変わっていくだろうという予測を明らかにしたうえで、それが実現できたときに今と何がどのように変わるのかを具体的に表した。
 何がどのように変わるのかについては、社員の給料を上げたり、今まで以上に賞与を払ったり、みんなで旅行を楽しんだりなどの社員たちが希望を持てることを書き連ねた。

 新入社員が入社した日の定時後、社内に顔をそろえた社員たちを前にして、ボクは、五月に石田三成が退職することを告げた。
 突然の発表に、社員たちはざわめいた。
 社員たちが落ち着くのを待って、二月から和田が営業部の副部長になり村本が主任になる人事を発表した。和田に関しては、石田三成退職後に営業部長になることも伝えた。
 和田が石田三成の跡を継ぐことに関しては、誰からも異論は出なかった。誰もが、彼の人柄や能力を評価していたからだ。
 今後の体制について説明したボクは、時間をかけてまとめた今後のビジョンと会社の目標の説明を行った。
 事前に作っておいた資料をスライドに映し出し、その内容を社員たちに見てもらいながら、一つ一つ詳しい説明をした。
 一つ一つの説明を終えるたびに、社員からの質問に答える。
 質問の出ない時は、社員たちにとって重要な部分を再び説明したうえで、質問がないかどうかの確認を行った。その対応も、石田三成からの助言によるものだ。
 今後のビジョンと会社の目標の説明に関しては、今日入社した新入社員を除いたすべての社員が質問をした。
 おかげで、予定していた終了時刻を三十分超えてしまった。
 今日はこの後、会社の近くの居酒屋で新入社員の歓迎会が予定されていた。
 ボクは、最後のほうは巻き気味に社員とのやり取りを行い、何とかギリギリ間に合う時刻に説明会を終わらせた。

36.
 今後のビジョンや会社の目標の説明をしたことで、社員たちの言動が変わり始めた。
 今まで漠然と仕事をしていた人たちも、自分自身で目標を掲げながら行動するようになっていった。時間を大切にしようとする意識も社員たちの中に芽生えていた。
 石田三成曰く、大変良い兆候だということだ。
 彼自身、戦国時代に、家臣たちに対して国造りに関するビジョンや国を栄えさせることについての目標を語り、家臣団の結束を高めたという経験があった。
 そのときの話を、石田三成は懐かしそうにボクに語った。
 村本を主任に昇格させた人事も、良い結果を生み出した。
 今まで、彼自身の最年長であるという意識が邪魔をして周囲とのコミュニケーションを取りづらくさせてしまうことがあったのだが、今の彼は、率先してボクや石田三成、和田といった層と社員との間のクッション役になり、社内全体のコミュニケーションを取りやすくするための行動を取るようになっていた。
 和田の念願であった若手営業マンの中では最年長の石橋を育てることも、思い描く結果が生まれつつあった。
 彼は、新人営業マンの教育係となった。
 営業のイロハや株式会社日本人材総合サービスの営業に関する知識、社会人としてのマナーなどを徹底して教え込んだ。
 人に教えることで、彼自身も成長していった。
 和田の中では、彼に一日も早く主任の仕事を任せられるように成長してもらいたいという思いがあるようだった。

 石田三成による和田に対する指導にも熱が入った。
 和田は今まで、営業マンとしての活動をやりながら、営業に役立つ情報を収集し、それを他の営業マンたちが活動をしやすくなるように分析・加工する仕事を率先して行っていた。最近では、後輩営業マンたちの様子に目を配りながら、積極的なアドバイスも行っていた。
 石田三成は、これらの仕事に加えて、営業部全体の計画を立て、管理しながらボクに対して定期的に報告する仕事や、ボクと連携して主要な取引先との調整を行う仕事も彼に任せていった。
 和田も、懸命に食らいついていた。
 彼は、石田三成のような頭の切れるタイプではないが、努力家で、スケジュールを管理しながら物事を着実に進めていく能力に秀でていた。周囲に対する細かい配慮を行うことに関しては、石田三成よりも優れている。
 必死に取り組んだ和田は、三カ月後には、石田三成が担っていた仕事を基本的にカバーできる状態にまで成長した。

 ボク自身も、石田三成から学ぼうと必死だった。
 彼からは、将来的な計画を立てて管理をすることや数字を上手に操ること、戦略的に物事を考えることなど、社長として必要なことをたくさん学んだ。
 そのようなこと以外にも、彼がいる間に学びたいことがあった。それは、人に関するマネジメントだった。
 世の中には、適材適所という言葉がある。人には皆得手不得手というものがあるので、それぞれが持つ能力がフルに発揮されるように時々の状況に応じた最適な役割分担や人の配置を考えることが、組織にとって最善の結果をもたらすという意味合いの言葉だ。
 メンバーたちのヤル気に火を付けながら適材適所を実現していくことが、人に関するマネジメントである。
 石田三成は、メンバーたちのヤル気に上手に火を付けることに関してはクエッションな部分もあったが、適材適所の実現に関してはパーフェクトであった。
 そのおかげで、営業部の成績が着実に伸び、一人一人の能力も成長していた。
 社員たちに語ったビジョンや目標を実現していくためには、適材適所をやり続ける必要がある。
 ボクは、懸命に彼から教えを乞うた。

 ゴールデンウィークの連休に入る直前に、もう一人の新人営業マンの採用が決まった。今度は、二十八歳の女性だった。
 彼女は、前の会社でも営業の仕事をしていた。性格も明るく、誰とでも話ができるタイプの人間だった。
 石田三成も和田も彼女が一番いいと言ってくれ、ボクは自信を持って彼女を採用した。
 彼女の初出社日は、ゴールデンウィーク明けの初日に決まった。

37.
 ゴールデンウィーク開け最初の日曜日、父親の一周忌が、大阪府内にある霊園で行われた。
 親族が集まり、全員で墓参りをした後に、霊園近くの料理屋で食事をすることが予定されていた。
 その一周忌に、前の営業部長だった川相さんが飛び入り参加した。本人たっての希望だった。
 集合場所に集まった参加者たちは、墓のある場所へと移動した。
 僧侶がお経をあげた後に、参加者たちが順に墓前に立つ。
 最初に立ったのは、母親だった。合掌し、首を垂れながら何事か呟く。
 次は、ボクの番だった。
 墓前に立ったボクは、墓石に刻まれた藤田家の墓石を見つめた。この下には、曾祖父母や祖父母、父親たちが眠っている。
 ボクは、目をつむり、あの世の父親に話しかけた。
 「父ちゃん。あれからいろいろと大変やったけど、何とかここまで来ることができました。社内もまとまってきましたし、みんなもヤル気になっていますし、売上のほうも何とかキープしています。石田部長がいなくなるのは辛いですけど、何とかやっていけると思います。いや、やっていきます。だから、父ちゃんも安心して、天国から見守っていてください……」
 ボクは、今後に向けた決意を天国にいる父親に誓った。
 今日から九日後の火曜日をもって、石田三成はこの世から去っていく。その後は、彼の力を借りずにやっていかなければならない。
 正直不安だらけだったが、ボクは、どのようなことがあっても乗り越えていかなければならないのだと決意を新たにした。
 祈り終えたボクは、社員たちに語った会社のビジョンや目標を実現させることを改めて胸の中で誓った。

 墓参りが終わり、参加者たちは料理屋に移動した。
 懐石料理の詰まった弁当の並べられたテーブルに、それぞれが自由に座った。
 ボクの隣には川相さんが座った。ボクも、彼と話したいことがいろいろとあった。
 母親が乾杯の挨拶に立ち、食事が始められた。川相さんのグラスには、ウーロン茶が注がれていた。
 ボクは、川相さんのグラスにウーロン茶を足しながら、「お身体のほうは大丈夫なのですか?」と訊ねた。
 「ボチボチやねえ」川相さんは寂し気に笑った。
 「今は、どちらに住まわれているのですか?」
 「兵庫の山の中やねん。ほんま、自然しかない所や。おかげで、体も少しはましになったけどな」
 喘息や気胸の症状も落ち着いてきたということだ。ただし、酒を飲むと症状が悪化するため、酒は飲まないようにしているということだった。
 「それだけが、いまだに辛いねん」川相さんは苦笑いした。
 「ところで、あの人は上手くやってくれてはるんかな? なんていうたっけ? 石何とかさんやったっけ?」
 石田三成のことである。
 「あの方に関しては、本当に満足しています。営業の体制もいいように変えてもらいましたし、メンバーたちも育ててもらいましたし、ボクも社長としてやらなあかんことをいろいろと教えてもらいました」
 「そりゃ、よかったなあ。というか、言い方が過去形なんが気になるんやけど。彼、今もいてるんやろ?」
 「いますけどね。実は、来週の火曜日で退職しはります」
 「なんか、あったんか?」
 「本人の希望です。友達が興した会社を手伝わなければならなくなったとかで」
 「ふーん。しかし、彼が辞めたら大変なんとちゃうんか? 悪いけど、わしはもう営業部長に復帰はでけへんで」
 「そこは大丈夫です。和田さんが営業部長になることが決まっていますから……」
 ボクは、正月明けから準備をしてきたことや社員たちの意識が変わってきていること、新人営業マンを二人採用したことを川相さんに説明した。会社のビジョンや目標を社員たちに示し、共感を得たことも伝えた。
 「それなら安心やな。しかし、石田さんはすごい人やったんやな。まだ四十を過ぎたくらいやったやろ?」
 「四十二歳です」
 実際は、四十歳である。
 「まあ、よかったやん。わしも、ずっと気になっとったからな。……たぶんやけどな、わしが元気でいて、あのまま営業部長の立場でおったとしても、やはり誰かに跡を継がせることを考えたと思うわ。わしは、前社長、つまりあんたの父ちゃんの片腕として頑張ってきたつもりやったけど、あんたの片腕になれたかどうかは、正直クエッションやからな。片腕は、極力年が近いほうがええと思う。わしが言うまでもないことやけど、社員さんたちを大事にしてやってな」
 「それだけは、肝に銘じています」
 「そっか……。まあ、今の姿を見て、あんたの父ちゃんもあの世で喜んでいるやろ。突然のことやったし、かなり心残りやったろうからな」
 ボクも、父親の思いを顧みた。
 まだまだいくらでもやりたいことがあったはずだ。会社のことも、家庭のことも、自分自身の人生に関しても。
 ふと思い立ったボクは、誰も使っていない空のグラスにビールを注ぎ、ボクと川相さんの間に置き、「乾杯しませんか?」と川相さんに声をかけた。
 「さっき、せえへんかったっけ?」川相さんが、不審げな表情を浮かべる。
 「ここに、前社長の分のビールを注ぎました。たぶん、今ボクらの間に座っていると思います」ボクは、二人の間に置いたグラスを指さした。
 「せやな。乾杯するか」川相さんが、ウーロン茶の入ったグラスを手に取った。
 ボクたちは、それぞれの思いを胸に秘めながら、天国の父親に向って乾杯をした。

38.
 石田三成がこの世にいることのできる最後の日、定時で仕事を終えたボクと石田三成、その他社員たちは、会社の近くの居酒屋の個室に顔をそろえた。
 石田三成の送別会だった。
 幹事役を引き受けた営業部主任の坂下が、ボクと石田三成を中央の席に向かい合わせに座らせた。
 店員が、個室に料理を運び入れる。
 飲み物をどうするかと聞かれた坂下が、後ほど注文すると答え、店員を下がらせた。
 「それでは、石田部長の送別会を始めたいと思います」坂下が、送別会の開始を告げた。
 ゴールデンウィーク明けから働き始めた女性営業マンが、花束を抱え、石田三成のもとに歩み寄った。
 花束を受け取った石田三成が、挨拶を口にする。
 「今日は、私を見送る会を催してくれて、とても感謝しています。私も、本音ではこれからも皆さんと一緒にこの会社で働き続けたかったのですが、事情があって、その願いはかないません。しかし私は、一年間皆さんと一緒に働くことができて、とても幸せでした。ものすごくやりがいのあった一年間だったと感じています。私は、この会社が、これからも発展し、いつかは天下を取るような存在になることを祈り続けています。私は、志半ばでこの会社を去らなければならなくなりましたが、皆さんは、誇りを持ってこれからの会社を支えていってください。本当に今まで私についてきてくれて、ありがとうございました」
 石田三成が、深々と頭を下げた。
 それと同時に、割れんばかりの拍手が沸き上がった。
 何人かの社員は目に涙を浮かべていた。涙を浮かべていない者たちも、心の底から別れを惜しむ表情を浮かべている。
 石田三成は、社員たちの心をつかんでいた。誰とでも分け隔てなく接し、部下を大事にしながら会社のために先頭に立って行動する姿勢が、社員たちに伝わっていた。
 彼の存在を知るボクには、今の挨拶が、国元を去らなければならなくなった大名が家臣や民に別れを告げるときの挨拶を現代の言葉で言い表したように聞こえていたのだが、彼のことを現代人だと信じ切っている社員たちは誰もそのような違和感を覚えなかったようだ。
 やがて拍手が止み、幹事役の坂下が店員に飲み物を持ってくるように告げ、石田三成を囲んでの食事が始まった。

 食事中の会話も、石田三成中心だった。
 どの社員も、別れを惜しむように、彼に向って積極的に話しかけた。
 勢いよく酒を飲み続けていた営業部主任の村本が、「上司と部下という関係は今日で最後やけど、また会う機会はありますよね?」と石田三成に視線を合わせた。
 明日から営業部長になる和田も、「たまには、遊びに来てくださいよ」と言葉を重ねた。
 その言葉を耳にした和田からの期待の厚い石橋が、「遊びに来てくれた時は、和田さんがご馳走してくれるみたいですよ。明日から、給料がめちゃくちゃ増えるみたいやし」と茶化す。
 「あほ。そんなに増えへんわ!」和田が、真顔で弁明する。
 「なんで、そんなにむきになるんですか?」
 「本当は、めちゃくちゃ給料が増えるんでしょ? 社長、そうなんですよね?」
 その場の話題が、和田の昇給の話しにすり替わった。
 社員たちからの問いかけに対して、ボクも「めちゃくちゃ増えるでえ」と悪乗りした。
 「ちょっと、社長、誤解させるようなことを言わんといてくださいよ!」と、和田が慌てる。
 そんな和田に向って、周囲の人間が、更なるツッコミを入れた。
 その様子を、石田三成が楽しそうに見つめていた。彼にとっては、また遊びに来てくださいという言葉に対して答えることがとても苦しかったはずだ。話題が違うところに逸れて、ホッとしているのだろう。
 ボクも、話題が元に戻らないように和田を突っ込む会話に加わった。

 楽しい時間は瞬く間に過ぎていき、宴の終わりを迎えた。
 個室の中は、最後まで石田三成を中心にした会話が続いた。石田三成も、今までに見せたこともないほど饒舌になっていた。酒も、いつになくたくさん口にしていた。
 「それでは最後、社長の挨拶をお願いします」幹事役の坂下が、ボクに締めの挨拶を求めてきた。
 ボクは立ち上がり、正面に座る石田三成と視線を合わせた。
 一度頷き、おもむろに口を開く。
 「本日はみなさん、忙しい中、石田部長の送別会に参加してくれて、ありがとうございました。それから、石田部長、一年間本当にお疲れ様でした。私は、本当に石田部長に感謝をしています。たぶん、石田部長がいなかったら、この会社は無茶苦茶になっていたと思います。言いたいことはいろいろとあるのですが、うまく言えませんね」
 しゃべりながら、ボクの胸が熱くなった。言葉に詰まり、目頭が熱くなる。そして、涙があふれてきた。
 ボクは、鼻をすすりながら、目頭を手の甲で抑えた。
 その様子を目にした社員たちが、もらい泣きをする。
 石田三成も、つらそうな表情を浮かべていた。
 このままでは締められないので、ボクは深呼吸をし、挨拶を続けた。
 「これから石田部長の力を借りられなくなるのは本当につらいんですけど、残った社員たちと力を合わせて、必ずこの会社を立派にしていきます。石田部長と約束をしたことを、必ず実行に移してみせます」
 彼と約束をしたことというのは、社員たちの前で語った会社のビジョンと目標の実現のことであった。

39.
 しーんと静まり返った社内のフロアーで、ボクは石田三成と向かい合っていた。
 送別会が終わり、カラオケルームでの二次会を楽しんだ社員たちは、最後の別れを惜しむかのように、皆が石田三成に握手を求め、それぞれの家へと帰っていった。
 そんな中、ボクと石田三成は会社に戻った。
 石田三成は、すでに家財道具を処分しマンションの部屋も明け渡していた。
 ボクは、一人であの世に戻る石田三成を見送るつもりでいた。

 時刻は、午後十一時四十分を回った。
 あと二十分経てば、目の前から石田三成が消えてしまう。
 最後に彼に聞いてみたいことがたくさんあったはずなのに、何も聞くことができずにいた。
 明日から、何かが変わってしまうのだろうか。
 今までと同じように、営業部の人間は、交渉を行うために取引先に出向き、外からの電話やメールに対応し、登録を希望する人たちとの面談を行う。総務部の人間は、伝票を処理し、派遣で働くスタッフたちの労働時間や給料を計算し、営業部から回ってきた経費の精算を行う。ボクはボクで、計画や予算のチェックをしたりいろんな人と会ったりなどしているのだろう。
 同じような出来事が繰り返されるだけなのだろうが、確実に言えることは、大きな支えとなってくれていた石田三成という存在がいなくなるということだ。困った時に、迷った時に、どうすればよいのかがわからなくなった時に、真っ先に頼りたいと思う存在がいなくなるということだ。
 ボクの心は、いまだにそのことを受け入れられずにいた。
 でも、受け入れるしかないのだ。
 ボクの理性が、ボクの心に向って懸命に語りかけていた。

 ボクは、石田三成に「また、この世のどこかに、違う存在として舞い戻ってくるのですよね?」と問いかけた。
 それを聞いた石田三成が、ほほ笑む。
 「また、どこかで会えたらいいですね」
 「……もう、お会いすることはないと思います」
 「どうしてですか?」
 「私は、今回で、この世に舞い戻る派遣の登録から外れようと思っています」
 「え? なんでなんですか?」
 「この世に舞い戻ることをしてみたいと思っていたのは、私自身に未練があったからなのだと思うからです。私には、思い残すことがたくさんありました。自国の経営のことも、秀頼殿が立派に成長した姿を見届けることも、日ノ本が豊かになってゆくのを見届けることも……。その思いが、私をこの世に呼び戻していました。しかし、私は悟りました。何もかもが運命(さだめ)だったのだなということを。私が戦いに敗れ首をはねられたのも、徳川殿が天下を取ったのも、逆らうことのできない運命(さだめ)だったのです。私は、そのように生かされていたのです。私は、四十年という時間の中で、自分自身がなすべきことをなしてきました。もともと、それ以上のことは、私には求められていなかった。そのように考えることで、己の死を受け入れることができる。藤田社長に連れられて合戦跡や佐和山の城跡を見た時に、そう思いました。私が生きていたころは、戦いを起こす場として、自国を治めるための場として存在していたのですが、今は、何でもないただの地として存在しています。しかし、現代の人々が、以前にあったことを語り継いでくれている。それは、私がなしたことの証ともなっています。私は、過去の人間として存在しなければならない。だから、もうこの世に舞い戻るべきではない。私は、そう決意しました」
 「……」
 「藤田殿には、大変感謝をしています。私に気づくきっかけを与えてくれました。そのおかげで、私は本来あるべきところへ戻ることができます」
 石田三成が、ボクの手を握りしめてきた。
 ボクも、彼の手を強く握り返した。そうしたまま、彼の顔を見つめ続けた。
 普段は聞こえない壁の時計の秒針を刻む音が、はっきりと耳に聞こえていた。

 気がつくと、目の前の石田三成の輪郭が薄くなり始めていた。手を握っている感触はしっかりとあるのだが、ボクの目に映る彼の全身がぼやけ始めていた。
 秒針の音と共に、ぼやける面積が広がっていく。
 「藤田殿。生かされているということは、実に素晴らしいことです」
 「そう……ですね」
 「この世に己が存在し、なすべきことを背負わされているということは、実に素晴らしいことです」
 「……」
 「藤田殿は……」
 ボクの手を握る力が弱まった。目の前が、急速に透明化していく。
 「石田さん! 石田さん!」ボクは、目の前の空間に向って懸命に呼びかけた。
 それに対する答えはない。
 やがて、手を握られている感覚がなくなった。
 その瞬間、目の前の空気が動いた。
 ボクは、石田三成がお辞儀をしたように感じた。
 壁の時計に目をやる。長針と短針が、零度の位置で重なっていた。

 石田三成の消えた空間で、ボクは、彼の最後の言葉を思い返した。
 彼は、ボクに何を伝えたかったのだろうか。
 あのとき、彼は、生かされていることやこの世に己が存在しなすべきことを背負わされていることが実に素晴らしいことだと語っていた。
 ボク自身が背負ったなすべきこととは、何なのだろうか。
 ボクの頭の中で、それに対する答えがすっと浮かんできた。
 ボクのなすべきこととは、運命に逆らわずに生きることだ。
 父親が急にこの世を去り、石田三成が一年間だけ舞い降りたのも、運命なのだ。
 大学の時の後輩だった川島里奈と付き合うことになり、それが今も続いているのも運命なのだ。
 その中で、ボクは生かされている。
 明日からボクを取り巻く景色が少しだけ変化するが、ボク自身のなすべきことは変わらない。
 明日は明日のなすべきことが、明後日は明後日のなすべきことが、一年後の今日は一年後の今日になすべきことが当たり前のように存在するのだろう。
 ボクは、生かされていると思うことが自分自身の気持ちを楽にするのだと感じていた。

 社内のコピー機からA4の用紙を一枚抜き出したボクは、マジックで『人は皆生かされている』という文字を書いた。
 その紙を、自分の机の片隅に貼りつけた。
 迷った時、わからなくなった時、この文字を眺めながら、その都度自分自身のなすべきことを考えるつもりでいた。
 ボクは、窓辺にたたずみ、窓の外を眺めた。隣接するビルの所々に光が灯り、繁華街のネオンが遠くに輝いている。夜空に星は見えなかった。
 顔をあげ、つかの間漆黒の闇を見つめていたボクは、闇間の向こうに向って、小さな声で「ありがとうございました」と呟いた。
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