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第1話「何もない場所の真ん中」
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★
17歳の春休み、俺は京都の叔父の家に行った。地元にいても暇だったし、何より父親の顔を見たくなかったからだ。
叔父は喫茶店を経営していて、自宅の1階部分が店だ。この店はほとんど常連しか来ないが、もう10年以上も続いていた。
「お前、家にいてばかりだな」カウンターの向こうにいる叔父が、熱いカフェオレを出しながら言った。
「……んん?」俺はスマホから顔を上げた。
「観光してこいよ。せっかくの京都だぞ」
「いや、なんかダルくてさ」俺はカフェオレにフーフーと息を吹きかけた。
「ところでお前、絵はどうした?」
「最近、描いてないな」
「オッサンになってから後悔するぞ。青春は有意義に使わないと」
「じゃあ叔父さんは後悔してんだ」
なにィ、と叔父がにらんだ。
「怒るってことは図星なんだろ?」
少しして、カランカランと涼しげな音と共に、客が入ってきた。
その客は青年で、俺と同い年くらいだった。金属縁の眼鏡をかけていた。青いシャツを着て、オリーブグリーンのチノパンツを履いていた。スラッとした体型だった。
「おお、しばらく」と叔父が言った。
「久しぶりです、マスター」と彼は微笑んだ。綺麗で自然な笑顔だった。
「何にする?」
「アイスコーヒーを」彼は答えたあと、俺から1つ離れた席に座った。
叔父が俺のほうを親指で示した。「俺の甥っ子だ。同い年だし、話し相手になってやってくれよ」
「こんにちは」彼も俺のほうを向き、微笑んだ。
「……どうも」俺も笑顔を作ったが、なんだか俺のはぎこちなかった。
「君、ここらへんの人じゃないよね?」
「え?……ああ、東京の方から」
「やっぱり。雰囲気がなんとなくそうだ」
……俺はそんな東京っぽい雰囲気を出してるのだろうか?(東京といっても、住んでる所は下町だが)むしろ彼の方が垢抜けた印象がある。
「あ、僕は北村せいじといいます」よろしく、と彼は俺に手を差し出した。
「俺は松本ゆうじ」俺も手を出し、ぎこちなく握手した。
★
「今日、来た子いるだろ?」夕食を取っていた時、テーブルの向こうの叔父が言った。
「北村くんだっけ?」俺は言いながら、箸で煮魚をつついた。
テーブルの上にあるのは、インスタント食品と店の残りものだった。店を閉めてからだと、料理をしてる暇がなかったからだ。
俺が作ればいいのかもしれないが、料理をする気にはどうしてもなれなかった。さすがに食品の買い物くらいはしたが。
「彼、作家なんだよ」と叔父が言った。
「……。作家ってプロの?」
「らしいな。去年、新人賞でデビューして、いま2冊目を書いてるとのことだ」
「……。すごいヤツなんだな」思わず箸が止まってしまった。
★
翌朝の10時ごろ、俺は京都駅のロータリーをぶらついていた。叔父に言われたからではなく、その日は外出したい気分だった。
駅前は人でごった返していた。リュックサックを背負っていたり、キャリーバックを転がしている観光客が多かった。外国人の姿もちらほら見えた。
彼らを尻目に、カフェに入った。朝食を抜いていたので、何か腹に入れたかった。
俺はカウンターでモーニングを注文し、席を探した。そのとき、ぐうぜん彼に出会った。北村だった。ノートに書きものをしていた。
北村は俺に気づいて微笑んだ。「座る?」
「お邪魔します」俺はおどけて、手前の席に座った。「……執筆活動?」
「マスターから聞いたんだね」と北村は言った。「あまり進まないんだけどね」ノートを閉じ、うーんと伸びをした。
「スランプってやつだ」
「スランプは天才が煮詰まったときを言うんだよ。残念ながら僕はそうじゃないな」
「でも、その歳で作家ってなかなかいないぞ」
「現役高校生で作家なんて、いくらでもいるさ」
「……俺には自慢できることは何もないな」と自嘲気味に言った。
「そんなことないだろう」
「……まぁ、絵は好きでノートによく落書きはしてる」身の入らない授業中なんかは、特に熱心に。
「僕は絵心がないから羨ましいな」と北村が微笑んだ。そして、「何か描いてみせてよ」とノートを開き、俺に差し出した。
「嫌だよ」と俺が言っても、「是非」と北村に返されて、埒が明かなかった。だから俺は、仕返しとばかりに、北村の顔を描いてみせた。
「上手いな」北村は目を丸くした。「いや、お世辞抜きに。イラストレーターとか目指してるの?」
「まさか」と俺は苦笑した。なれる訳ないだろ、そんなもの。
そのとき、俺が注文したモーニングが来た。コーヒーとトーストがテーブルに置かれた。
店員が去ったあとで、俺は北村を見やった。北村はまだ絵を見ていた。「いや、本当に上手いって」
「……」お世辞だとしても嬉しかった。
★
そのあとで、「映画でも観に行かないか?ちょうどチケットが2枚ある」と北村が提案したので、俺たちはショッピングモールにある映画館に行った。
その映画はアニメだったが、かなり難解だった。監督が押井守だからだ。俺は途中でウトウトしたが、隣の北村は真剣だった。
映画が終わったあと、俺たちはそのショッピングモール内にあるマックに行き、軽く食事した。
「悪かったね。あんなに難しい話だとは思わなかった」と北村が言った。
「有名だぞ、あの監督の映画はメチャクチャむずいって」と俺は不平を言った (内容の10分の1も理解できなかった) 。タダで観といてなんだが。
「いや、アニメやマンガはあまり詳しくないんだ。創作をするなら、もっと色んなジャンルに目を通すべきなんだけどね」
そのあとで、映画は小説の勉強になる、と北村が話した。「映画1本で小説1冊分ぐらいだからね、構成の勉強にいいんだ。他にも、映像を文章に置き換えることで、文章力も鍛えられる」
「そうやって観るの、あまり楽しくなさそうだな」俺は言い、ビッグマックにかじりついた。
「ほとんど職業病だ」と北村が微笑んだ。「でも娯楽としてもちゃんと観るよ。で、しっかり感動する。感動は創作のモチベーションでもあるしね」
「押井守の映画で感動するのは、俺にはムズいな」と茶化した。だけど『感動は創作のモチベーション』というのは、分からなくもなかった。
★
翌日の昼過ぎ、俺は相変わらず、叔父の喫茶店でダラダラしていた。
「お前、家でもそうやってダラダラしてるのか?」叔父はグラスを磨きながら尋ねた。
まあね、と俺はカウンターに突っ伏しながら答えた。別にしなくちゃいけないこともないし、当面。
「彼女とかいないのか?」
「一瞬いたけど別れた」
「喧嘩か?」
「セックスさせてくれなかったから」
「アホか」叔父は呆れたように言った。
実際は叔父の言うとおり喧嘩が原因だった。LINEで口論してそれっきりだ。……いま思うと、しょうもないことで言い合ったもんだ。
「……ところで、北村って彼女とかいるのかな?」
「2、3回見たぞ、ここで」
「へぇ」女に興味がないのかと思ってた。ストイックという意味で。
そこでドアの鐘が鳴った。北村だった。アイスコーヒーを頼んだあと、俺の隣に座った。
「今日はここで執筆ですか?」俺は敬語でおどけて尋ねた。
「いや今日は……というか当分書かないことにしたんだ」と北村が答えた。
叔父がアイスコーヒーを出した。「なんだ、スランプか?」
「スランプは天才に対して使う言葉ですよ」北村が昨日と同じようなことを言った。「まぁ、煮詰まってるのは確かですけど……」
「しばらく付き合ってくれないかな?」北村が唐突に俺に言った。「ちょっと話し相手が欲しいんだ。君も暇をもて余してそうだしいいだろ?」
「失礼な」と俺は言った。さっきまでダラダラしてた身だが。
「月並みなようだけどさ、スランプの解決法は気分転換なんだ」
「スランプって言ってんじゃん!」
北村が笑った。「便宜的にそう言っただけだ」
★
……という理由で、俺と北村はそれからも会うようになった。
俺たちはどうせならということで、街を散策し、有名な神社仏閣を回った。地元なので、北村がいろいろ案内してくれた。
俺の金はすぐに枯渇したが、北村が途中で『出世払い』という名目で出してくれた。「気にしなくていい。新人賞の賞金がまだ残ってるんだ」
北村は、行きつけのロシア料理店にも連れて行ってくれた。外観も内装もなんだか高そうだったが、ランチが千円ちょっとで食べられたので、俺は内心ホッとした。
ロシア料理を食べながら、俺たちはとりとめもなく話した。話題はもっぱら映画だった。その頃、共通の話題はそれだけだったからだ。
北村がナイフとフォークでカツレツを切り分けながら話した。「『イエスマン』は面白いし構成も分かりやすいから教材としてもよく観返すんだ。それで……」
「……いや、そういう踏み込んだ話はやめてくれ」……そこまではついていけん。
★
そのあと2日間、雨が続いた。バケツをひっくり返したような、どしゃ降りだった。
さすがに北村は連絡してこなかったし、俺もしようとは思わなかった。
俺は叔父の喫茶店で絵を描いて過ごした。なんだか急に描きたくなったのだ。こんなに集中して描いたのは、小学生以来だった。
「おい、どういう心境の変化だ?」叔父が不思議そうに尋ねた。
「反動だ、反動」俺は適当に答えておいた。
★
雨があがった日の夜、俺は自室のテレビで古い映画を観てから、ベッドに入った。
……少ししてスマホが震えた。北村からのLINEだった。『よければ、今から会わないか?』とのことだった。相変わらず、絵文字もスタンプもない、乾いた文面だった。
俺は自転車で、待ち合わせ場所の荒神橋まで行った。暗闇のなか、人影が橋の欄干に寄りかかっていた。「なんか眠れなくてさ」と北村がスマホをしまいながら笑った。
河川敷のベンチに俺と北村は座った。雨のあとだから、草の匂いが鼻をついた。鴨川には、明るい月が揺らめいていた。心地いい風が吹いていた。
「差し入れだ」北村がコンビニの袋を2つ置いた。中身はチューハイ数缶とスナック菓子2袋。
「優等生が酒を買っちゃダメだろ」俺はニヤニヤしながら、チューハイのプルタブを開けた。プシッと小気味いい音が、辺りに響いた。
「酒くらい構うもんか」北村もプルタブを開けた。「だいたい優等生じゃないよ、僕は」
「1人称が『僕』で、眼鏡をかけてて、小説を書いてるのに?」
「おもいっきり偏見だ」と北村が笑った。「そもそも、僕は学校に行ってないんだ。そんな優等生いないだろ?」
「……そうなのか?」
「馬が合わなくてね、クラスメイトや担任と。ある日、何もかも面倒臭くなって、それ以来、不登校だ」北村は缶に口をつけた。「……まあ、よくある話だな」
君もそういうのはないか?と北村が尋ねた。
「いや、俺はわりかし器用だからな。うまく立ち回っていけてる」なんだか、その台詞は皮肉みたいで、俺は少し後悔した。
「……そうか」北村はどこか寂しげに言った。
「君は死にたくなったことはないか?」少しして、北村がそう尋ねた。
「酔ってるな」と俺は茶化した。
「どうなんだ?」と北村が続けた。
「……そうだな」俺は水面の月を眺めた。風が吹いて、月が揺れた。「……ないな、今のところは」
「僕はあるんだ」と北村が言った。「生きてても仕方ないと思ったんだ」
「……生きてても仕方ない?」
「全部、無意味に思えたんだよ。自分も家族も学校も。世界とか未来とか。いわゆるニヒリズムだ」
「……」
「だから死のうとした。自室のドアノブにベルトをかけて。……でも怖気づいたんだ。希死念慮より、恐怖心が強かったわけだ」
「……それで、どうしたんだ?」
「結局、生きるしかないと思った。事故や病気や寿命で死ぬまでは、生きるしかないんだって。……そのときに小説を書こうと思ったんだ」
「……何で」
「死ぬまでは何かして時間を潰さなきゃいけない。どうせなら興味のあることで潰したほうがいい。それが理由だ」
本当は映画を作りたかったんだけどね、と北村は続けた。「でも映画は1人じゃ作れないし、お金もかかる。だから代償行為として、小説を書いてる。それで今に至るわけだ」
「……北村、お前さ」
「?」
「サバ読んでるだろ、歳」
北村が笑う。「まさか」
……同じ年月を生きてても、いろいろ考えてるヤツもいれば、そうじゃないヤツもいるんだな。……そうじゃないヤツというのは、もちろん俺のことだ。
「俺も何かやろうかな」酔ったはずみで言ってみた。「まぁ、人生が長いのは確かだしな」
北村が俺の顔を覗き込んだ。「何をするんだ?」
「秘密だ」俺は笑って、缶の残りを飲み干した。
17歳の春休み、俺は京都の叔父の家に行った。地元にいても暇だったし、何より父親の顔を見たくなかったからだ。
叔父は喫茶店を経営していて、自宅の1階部分が店だ。この店はほとんど常連しか来ないが、もう10年以上も続いていた。
「お前、家にいてばかりだな」カウンターの向こうにいる叔父が、熱いカフェオレを出しながら言った。
「……んん?」俺はスマホから顔を上げた。
「観光してこいよ。せっかくの京都だぞ」
「いや、なんかダルくてさ」俺はカフェオレにフーフーと息を吹きかけた。
「ところでお前、絵はどうした?」
「最近、描いてないな」
「オッサンになってから後悔するぞ。青春は有意義に使わないと」
「じゃあ叔父さんは後悔してんだ」
なにィ、と叔父がにらんだ。
「怒るってことは図星なんだろ?」
少しして、カランカランと涼しげな音と共に、客が入ってきた。
その客は青年で、俺と同い年くらいだった。金属縁の眼鏡をかけていた。青いシャツを着て、オリーブグリーンのチノパンツを履いていた。スラッとした体型だった。
「おお、しばらく」と叔父が言った。
「久しぶりです、マスター」と彼は微笑んだ。綺麗で自然な笑顔だった。
「何にする?」
「アイスコーヒーを」彼は答えたあと、俺から1つ離れた席に座った。
叔父が俺のほうを親指で示した。「俺の甥っ子だ。同い年だし、話し相手になってやってくれよ」
「こんにちは」彼も俺のほうを向き、微笑んだ。
「……どうも」俺も笑顔を作ったが、なんだか俺のはぎこちなかった。
「君、ここらへんの人じゃないよね?」
「え?……ああ、東京の方から」
「やっぱり。雰囲気がなんとなくそうだ」
……俺はそんな東京っぽい雰囲気を出してるのだろうか?(東京といっても、住んでる所は下町だが)むしろ彼の方が垢抜けた印象がある。
「あ、僕は北村せいじといいます」よろしく、と彼は俺に手を差し出した。
「俺は松本ゆうじ」俺も手を出し、ぎこちなく握手した。
★
「今日、来た子いるだろ?」夕食を取っていた時、テーブルの向こうの叔父が言った。
「北村くんだっけ?」俺は言いながら、箸で煮魚をつついた。
テーブルの上にあるのは、インスタント食品と店の残りものだった。店を閉めてからだと、料理をしてる暇がなかったからだ。
俺が作ればいいのかもしれないが、料理をする気にはどうしてもなれなかった。さすがに食品の買い物くらいはしたが。
「彼、作家なんだよ」と叔父が言った。
「……。作家ってプロの?」
「らしいな。去年、新人賞でデビューして、いま2冊目を書いてるとのことだ」
「……。すごいヤツなんだな」思わず箸が止まってしまった。
★
翌朝の10時ごろ、俺は京都駅のロータリーをぶらついていた。叔父に言われたからではなく、その日は外出したい気分だった。
駅前は人でごった返していた。リュックサックを背負っていたり、キャリーバックを転がしている観光客が多かった。外国人の姿もちらほら見えた。
彼らを尻目に、カフェに入った。朝食を抜いていたので、何か腹に入れたかった。
俺はカウンターでモーニングを注文し、席を探した。そのとき、ぐうぜん彼に出会った。北村だった。ノートに書きものをしていた。
北村は俺に気づいて微笑んだ。「座る?」
「お邪魔します」俺はおどけて、手前の席に座った。「……執筆活動?」
「マスターから聞いたんだね」と北村は言った。「あまり進まないんだけどね」ノートを閉じ、うーんと伸びをした。
「スランプってやつだ」
「スランプは天才が煮詰まったときを言うんだよ。残念ながら僕はそうじゃないな」
「でも、その歳で作家ってなかなかいないぞ」
「現役高校生で作家なんて、いくらでもいるさ」
「……俺には自慢できることは何もないな」と自嘲気味に言った。
「そんなことないだろう」
「……まぁ、絵は好きでノートによく落書きはしてる」身の入らない授業中なんかは、特に熱心に。
「僕は絵心がないから羨ましいな」と北村が微笑んだ。そして、「何か描いてみせてよ」とノートを開き、俺に差し出した。
「嫌だよ」と俺が言っても、「是非」と北村に返されて、埒が明かなかった。だから俺は、仕返しとばかりに、北村の顔を描いてみせた。
「上手いな」北村は目を丸くした。「いや、お世辞抜きに。イラストレーターとか目指してるの?」
「まさか」と俺は苦笑した。なれる訳ないだろ、そんなもの。
そのとき、俺が注文したモーニングが来た。コーヒーとトーストがテーブルに置かれた。
店員が去ったあとで、俺は北村を見やった。北村はまだ絵を見ていた。「いや、本当に上手いって」
「……」お世辞だとしても嬉しかった。
★
そのあとで、「映画でも観に行かないか?ちょうどチケットが2枚ある」と北村が提案したので、俺たちはショッピングモールにある映画館に行った。
その映画はアニメだったが、かなり難解だった。監督が押井守だからだ。俺は途中でウトウトしたが、隣の北村は真剣だった。
映画が終わったあと、俺たちはそのショッピングモール内にあるマックに行き、軽く食事した。
「悪かったね。あんなに難しい話だとは思わなかった」と北村が言った。
「有名だぞ、あの監督の映画はメチャクチャむずいって」と俺は不平を言った (内容の10分の1も理解できなかった) 。タダで観といてなんだが。
「いや、アニメやマンガはあまり詳しくないんだ。創作をするなら、もっと色んなジャンルに目を通すべきなんだけどね」
そのあとで、映画は小説の勉強になる、と北村が話した。「映画1本で小説1冊分ぐらいだからね、構成の勉強にいいんだ。他にも、映像を文章に置き換えることで、文章力も鍛えられる」
「そうやって観るの、あまり楽しくなさそうだな」俺は言い、ビッグマックにかじりついた。
「ほとんど職業病だ」と北村が微笑んだ。「でも娯楽としてもちゃんと観るよ。で、しっかり感動する。感動は創作のモチベーションでもあるしね」
「押井守の映画で感動するのは、俺にはムズいな」と茶化した。だけど『感動は創作のモチベーション』というのは、分からなくもなかった。
★
翌日の昼過ぎ、俺は相変わらず、叔父の喫茶店でダラダラしていた。
「お前、家でもそうやってダラダラしてるのか?」叔父はグラスを磨きながら尋ねた。
まあね、と俺はカウンターに突っ伏しながら答えた。別にしなくちゃいけないこともないし、当面。
「彼女とかいないのか?」
「一瞬いたけど別れた」
「喧嘩か?」
「セックスさせてくれなかったから」
「アホか」叔父は呆れたように言った。
実際は叔父の言うとおり喧嘩が原因だった。LINEで口論してそれっきりだ。……いま思うと、しょうもないことで言い合ったもんだ。
「……ところで、北村って彼女とかいるのかな?」
「2、3回見たぞ、ここで」
「へぇ」女に興味がないのかと思ってた。ストイックという意味で。
そこでドアの鐘が鳴った。北村だった。アイスコーヒーを頼んだあと、俺の隣に座った。
「今日はここで執筆ですか?」俺は敬語でおどけて尋ねた。
「いや今日は……というか当分書かないことにしたんだ」と北村が答えた。
叔父がアイスコーヒーを出した。「なんだ、スランプか?」
「スランプは天才に対して使う言葉ですよ」北村が昨日と同じようなことを言った。「まぁ、煮詰まってるのは確かですけど……」
「しばらく付き合ってくれないかな?」北村が唐突に俺に言った。「ちょっと話し相手が欲しいんだ。君も暇をもて余してそうだしいいだろ?」
「失礼な」と俺は言った。さっきまでダラダラしてた身だが。
「月並みなようだけどさ、スランプの解決法は気分転換なんだ」
「スランプって言ってんじゃん!」
北村が笑った。「便宜的にそう言っただけだ」
★
……という理由で、俺と北村はそれからも会うようになった。
俺たちはどうせならということで、街を散策し、有名な神社仏閣を回った。地元なので、北村がいろいろ案内してくれた。
俺の金はすぐに枯渇したが、北村が途中で『出世払い』という名目で出してくれた。「気にしなくていい。新人賞の賞金がまだ残ってるんだ」
北村は、行きつけのロシア料理店にも連れて行ってくれた。外観も内装もなんだか高そうだったが、ランチが千円ちょっとで食べられたので、俺は内心ホッとした。
ロシア料理を食べながら、俺たちはとりとめもなく話した。話題はもっぱら映画だった。その頃、共通の話題はそれだけだったからだ。
北村がナイフとフォークでカツレツを切り分けながら話した。「『イエスマン』は面白いし構成も分かりやすいから教材としてもよく観返すんだ。それで……」
「……いや、そういう踏み込んだ話はやめてくれ」……そこまではついていけん。
★
そのあと2日間、雨が続いた。バケツをひっくり返したような、どしゃ降りだった。
さすがに北村は連絡してこなかったし、俺もしようとは思わなかった。
俺は叔父の喫茶店で絵を描いて過ごした。なんだか急に描きたくなったのだ。こんなに集中して描いたのは、小学生以来だった。
「おい、どういう心境の変化だ?」叔父が不思議そうに尋ねた。
「反動だ、反動」俺は適当に答えておいた。
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雨があがった日の夜、俺は自室のテレビで古い映画を観てから、ベッドに入った。
……少ししてスマホが震えた。北村からのLINEだった。『よければ、今から会わないか?』とのことだった。相変わらず、絵文字もスタンプもない、乾いた文面だった。
俺は自転車で、待ち合わせ場所の荒神橋まで行った。暗闇のなか、人影が橋の欄干に寄りかかっていた。「なんか眠れなくてさ」と北村がスマホをしまいながら笑った。
河川敷のベンチに俺と北村は座った。雨のあとだから、草の匂いが鼻をついた。鴨川には、明るい月が揺らめいていた。心地いい風が吹いていた。
「差し入れだ」北村がコンビニの袋を2つ置いた。中身はチューハイ数缶とスナック菓子2袋。
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「酒くらい構うもんか」北村もプルタブを開けた。「だいたい優等生じゃないよ、僕は」
「1人称が『僕』で、眼鏡をかけてて、小説を書いてるのに?」
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「……そうなのか?」
「馬が合わなくてね、クラスメイトや担任と。ある日、何もかも面倒臭くなって、それ以来、不登校だ」北村は缶に口をつけた。「……まあ、よくある話だな」
君もそういうのはないか?と北村が尋ねた。
「いや、俺はわりかし器用だからな。うまく立ち回っていけてる」なんだか、その台詞は皮肉みたいで、俺は少し後悔した。
「……そうか」北村はどこか寂しげに言った。
「君は死にたくなったことはないか?」少しして、北村がそう尋ねた。
「酔ってるな」と俺は茶化した。
「どうなんだ?」と北村が続けた。
「……そうだな」俺は水面の月を眺めた。風が吹いて、月が揺れた。「……ないな、今のところは」
「僕はあるんだ」と北村が言った。「生きてても仕方ないと思ったんだ」
「……生きてても仕方ない?」
「全部、無意味に思えたんだよ。自分も家族も学校も。世界とか未来とか。いわゆるニヒリズムだ」
「……」
「だから死のうとした。自室のドアノブにベルトをかけて。……でも怖気づいたんだ。希死念慮より、恐怖心が強かったわけだ」
「……それで、どうしたんだ?」
「結局、生きるしかないと思った。事故や病気や寿命で死ぬまでは、生きるしかないんだって。……そのときに小説を書こうと思ったんだ」
「……何で」
「死ぬまでは何かして時間を潰さなきゃいけない。どうせなら興味のあることで潰したほうがいい。それが理由だ」
本当は映画を作りたかったんだけどね、と北村は続けた。「でも映画は1人じゃ作れないし、お金もかかる。だから代償行為として、小説を書いてる。それで今に至るわけだ」
「……北村、お前さ」
「?」
「サバ読んでるだろ、歳」
北村が笑う。「まさか」
……同じ年月を生きてても、いろいろ考えてるヤツもいれば、そうじゃないヤツもいるんだな。……そうじゃないヤツというのは、もちろん俺のことだ。
「俺も何かやろうかな」酔ったはずみで言ってみた。「まぁ、人生が長いのは確かだしな」
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