二十五の夜を越えて

深見萩緒

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12月11日【改札口】

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 ガッタン。気動車は大きく揺れて、停車しました。揺れのせいでゆうちゃんの肩から落っこちてしまったミトラは、さっきのこともあって、ご機嫌斜めです。
『あーひどかった! ひどいめにあった!』
 ミトラは、ゆうちゃんのジャケットの、襟の部分に頭を突っ込みました。機嫌の悪いときは、どこかに隠れてしまうに限ります。

「ここで降りるかい」
 名残惜しそうに、おじおじいさんが言いました。ゆうちゃんが頷くと、おじおじいさんは目をしょぼしょぼさせながら笑いました。
「おじおじいさんは、降りないんですか?」
「降りないよ。俺は裸足だから」
 そうです。おじおじいさんは裸足です。でも、それを言うなら、ゆうちゃんだって裸足です。
「裸足じゃ、この駅には降りられないんですか?」
「そんなことないさ。裸足でも良い奴は、裸足でも良いんだ。でも俺は、裸足じゃ嫌なんだ」
 おじおじいさんは、山芋みたいにごつごつで短い足の親指を、寒そうにすり合わせました。
「俺はねえ、妹が履いてた、ピンクの、歩いたらぴよぴよ鳴る靴が履きたかったんだ。あれが履きたくって、履きたくってしかたなくて……それで、この気動車を降りられなくなってしまったんだよ」

 おじおじいさんは、ゆっくりと足踏みをしました。ぴよ、ぴよ、と音が鳴るのを期待しているかのように、足を踏みしめました。けれど当然、おじおじいさんは裸足なので、何の音も鳴りません。その代わりにおじおじいさんは、自分の口で「ぴよ、ぴよ」と言いました。
「娘も、あれを履いたよ。孫も、あれを履いた。でも本当は、俺も、履きたかったんだ……」

 ぴよぴよの代わりに、気動車の出発を告げるオルゴールの音が響きます。
『あっ、この歌、知ってるよ』
 と、ミトラがジャケットの襟から顔を出しました。
『はーるよこい、はーやくこい。あーるきはじめたみいちゃんが……』
 どどう、どどう。ディーゼルエンジンが、ひときわ大きな鼻息を鳴らして、ミトラの歌声をかき消します。ゆうちゃんは一歩後ろに下がって、白い線の内側に立ちました。

「さよなら、元気でね」
 おじおじいさんが言いました。ゆうちゃんもさよならが言いたかったのですが、声が迷子になってしまって、なんにも言えませんでした。だから、代わりにミトラが言いました。
『さようなら!』
 プシュー。気動車の扉が閉まります。ごとん、ごとん。始めはゆっくりとした足取りで、そして徐々に加速しながら、気動車は走り出します。四角く切り取られた明かりが、列をなして、ゆうちゃんとミトラから永遠に離れていきます。
 あの気動車は、どこへ向かっているのでしょう。あるいは、この世界は、どこへ向かっているのでしょう。
『さようならー!』
 気動車の後ろ姿に、ミトラはもう一度叫んで、大きく手を振りました。


『ねえねえ、ゆうちゃん。電車、楽しかったね』
 さっきまでべそをかいて拗ねていたくせに、ミトラは調子がいいのです。きっと次に気動車に乗る機会が来たら、ミトラはまたわくわくして、いざ乗ったら『早く降りようよ』とふてくされて、降りたらまた、『楽しかったね』と言うのでしょう。


 気動車のテールライトが見えなくなったら、駅はいっそう寂しげになりました。辺りは深い深い青色に染められています。矢印だけが描かれた案内板が、やけに白く目立って、ゆうちゃんたちを手招きしています。

 案内板の通りに行きますと、改札口に出ました。そういえば、ゆうちゃんは切符を持っていません。改札には、ずんぐりむっくりの駅員さんが立っていて、ゆうちゃんたちを待っています。
 正直に、切符がないことを話そう。そう思って改札に近付きますと、ゆうちゃんが何か言う前に、駅員さんはミトラの頭に、ポンと改札印を押しました。
『うひっ』
 くすぐったかったのでしょうか。ミトラがおかしな声を出しました。
「通って良いんですか?」
 ゆうちゃんが尋ねると、駅員さんはゆっくりと頷きました。ミトラも『通って良いんだよ』と言って、頭のスタンプを見せびらかしました。
『ほらね、ポンってしてもらったから』
 ゆうちゃんは、改札鋏じゃなくて良かったね、なんて考えました。もしも改札鋏だったなら、ミトラは『きゃあーっ』と悲鳴を上げて、べそべそ泣きながら、ゆうちゃんの襟に隠れたに違いありません。その様子を想像して、ゆうちゃんは、こっそりくすくす笑いました。

 今夜の夢は、ここでおしまい。
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